7話 死が二人を別つまでⅩⅩⅧ
「愛ちゃんの目を奪って、お父さんお母さんを殺した犯人、全部見つけてきたよ。もう、いつでも復讐できる。だから、今聞いておきたいんだ。……愛ちゃん、自分の手でやりたい?」
動揺。ある夜、どこかやり遂げた顔つきで帰ってきたシラハの問いに、マナミの全身を貫いたのはそれだった。
マナミはまずキョトンとして、シラハ以外の顔を見た。シラハと一緒に帰ってきたヒルディスの、同じく一仕事終わったような表情に不安の色をにじませ、振り返ってJの心配そうな顔色を見て蒼白になった。
「愛ちゃん、怖い? 怖いなら、全然構わないよ。私たちで全部片づける。愛ちゃんは、何もしなくても――」
「待って、待ってよ白ちゃん。お父さんとお母さんが、死んだって、何? そういう事なの? だから二人は、わたしのことを迎えに来てくれな――」
「愛ちゃん……」
一拍おいてシラハがJたちを見る。伝えてなかったのかと。それに、J達の方がむしろ驚いた。マナミは知っていたと思っていた。でなければ、絶対に聞いてくるはずだと。
そのわずかな瞬間の出来事だった。視線でのやり取りの中で、話題の中心にいるがゆえに誰にも見られていない少女が一人いた。まるで台風の目のように視線の嵐を掻い潜って、彼女は誰の目にも留まらず“こと”を為した。
「やります。わたしが、その人たちにトドメを刺します」
マナミの発言に、周囲の注目が一度に集まった。そこにあったのは、日ごろから見ていた『強くて毅然とした』マナミの姿だった。先ほどの彼女の狼狽からこの態度につながるのは、率直に言って不自然にJは感じた。他のみんなもそうだったろう。
「……」
シラハは眉根を寄せて、訝しげにマナミを注視した。しかし彼女の雰囲気には無理している様子はうかがえず、周りと首を傾げあいながらも結局シラハは「分かった」と頷いた。
「じゃあ、行こう。ウーくんも来てくれる? 危険な場面は抜けてるけど、一応男手があると助かるんだ」
「おれは良いけど」
祖母を振り返ると、心配そうにJを見つめている。マナミへの心配もそうだが、それ以上に身内には判断が揺らぐのだろう。数秒の逡巡の後、「そうだね。J、行っておやり。多少は揉まれてきな」と許可が出された。
Jとマナミが支度を終えてから暗い外に出ると、すぐにシラハに車に乗るよう誘導された。ヒルディスが運転手を務める車は、剣呑な雰囲気を醸しながら静かに走り出した。その原因が向かう先にあるのか、内に孕むのかも分からないまま。
夜の日が落ちた道は、橙の街灯に照らされていた。仄暗くも不思議に物の輪郭のはっきりした視界を、車は何度も曲がりながら進んでいく。
「すいませんね、坊ちゃん。残党がオレたちの家を見つけたらコトなんで、何度か余計に道を往復します。少し時間がかかりますが、万一を避けるためだと思ってください」
「残党が居ないようには立ち回ったのに、ヒルディスさんは心配性だね」
「天使の嬢ちゃんは少し大胆すぎるんだ」
運転席、助手席で言いあう二人は、見ない間に随分打ち解けたみたいだった。きっとそれだけのことを乗り切ってきたのだろう。当時の少年には、遠くに感じてしまうのも無理ないことだった。
そしてJがそうだったなら、マナミもそうだったはずだ。今になっても、その推察が間違っているとは思わない。けれどこの時Jが盗み見たマナミは、あくまで背筋を正して、親の仇を討つといった覚悟を決めた顔をしているように映った。
目。視界。人間が外界から得る情報の約八十パーセントを占めるもの。マナミは、それを統べる家系に生まれていた。
Jは、そのことを知っていたはずだったのに、カバラ以上に違和感のない外見に、騙されるままだった。
それからしばらくして停車する。スラムの中でも人間のギャングたちが幅をきかせている地域の、奥の裏路地だった。明らかに私有地に入っていたが、邪魔立てはされなかった。恐らくそういった全員の対処を終えていたのだろう。
少し見ない内に随分とやるようになったな、と感じたのを覚えている。シラハに対する明確な尊敬の念が生まれ始めたのは、この時だったのかもしれない。
「一応先に言っておくね。敵は全員拘束済み。縄とかじゃなく種族魔法でやったから、見逃してた残党に解放されて一転攻勢、みたいなのはないはず」
「だが、一応警戒はしておけよ嬢ちゃんたち。坊ちゃんは室内に入ったら狼になっておいてください。オレも入り次第人間の姿は止めます」
ヒルディスの言葉に、Jは頷く。
「分かった、ヒルディスさん。んじゃおれたち二人が先に行くか?」
「そうですね、坊ちゃんは先頭がいいでしょう。狼になれば耳も鼻も聞きますし、逃げ足も速いでしょう? しんがりはオレが務めます」
「親父が捕まったってのに、過保護なの変わんねぇなぁ」
「すいませんね。子供に甘いのは性分なんです。特に坊ちゃんは、娘に次いで大事ですから」
「やめてくれよ、照れるだろ」
むず痒くなって、手早く狼に変化して扉を開けた。耳が鋭くなっているせいで、後ろでシラハたちが「先頭任されてるのに過保護扱いなの……?」「狼男って普通の銃弾効かねぇんだよ、嬢ちゃん」と話しているのを聞きつつ、周囲を確認。
「うめき声だけだな。息を殺してる感じもしない。残党は居なさそうだ」
「……ウー君のそういうセンサー能力便利だなぁ」
「え、何スかシラハさん。そのいいもの見つけたみたいな目は」
「いやいやいや、まぁまぁまぁ。それについてはまた今度。それよりほら、居ないなら早く進もう?」
拘束してるのはその部屋だよ、と指さす方向へ向かった。扉を開け、思わずJは顔を引きつらせた。そこにあった光景は、まさしく異様という他なかっただろう。十数人の男たちが黒翼を体中に生やし、その羽ばたきでもって地面に強く押さえつけられていたなど。
「……これ、シラハさんの仕業でしょう。それしか分からないですけど、何ですかこれ」
「だから言っただろ嬢ちゃん。この使い方はおかしいって」
「えー? でもお母さんにはこれが手っ取り早いって教わったよ?」
「嬢ちゃんの家族は全員やべぇって話前にしただろ……」
邪神を一方的に殺した父親とか、神に一撃くれて人界に降りてきた母親とか、とヒルディスが以前シラハの話していた両親のことを呟く。これでまだ見ぬ弟も中々だというのだから、と当時は思ったものだ。
「んー! んー!」
血走った目を向けて、拘束されたギャングの一人がガムテープ越しに吠える。流石にこちらは、翼ではどうにもならなかったらしかった。
「んで、これを」
マナミを見た。ここについてから、一言もしゃべっていない彼女を。
「……」
「どう? あの時は一人しか殺せなかったけど、今回は違うよ。全員。全員いるはず。それで、愛ちゃんはこいつらをどうしたっていい」
主に代わって、私が許す。その言葉はどこかギラついた色を放った。マナミはびくりとしてから、左手の目で拘束下のギャングたちを手だけで眺めた。
「彼らを、殺せばいいんですよね……?」
「そこも含めて、任せるよ。私に一任するっていうのも、愛ちゃんの選択肢の一つ。自分の手で終わらせたいと思うのも、こいつらに自分の手を汚す価値はないって考えるのも、私は尊重するよ」
「……」
マナミは、シラハが提示した選択肢に迷いを見せた。とどめを刺せという話ではなかったのか、と言いたげな困惑。しかしシラハは引き下がらない。まるで、何かJ達には分からないものを見据えるように。
「わたしは……その」
「うん」
シラハはマナミをまっすぐ見つめて、焦らせるような事さえ言わないものの、返答を強制している。それを諫める視線を送っても無視され、ヒルディスに目で助けを求めると彼はマナミその手のひらをじっと見つめて何かを考えているらしかった。
「し、白ちゃんはどうしたい? わたし、白ちゃんの力になりたいから、それで」
「愛ちゃんが殺そうと殺すまいと、私の力になってくれてるから気にしないで。それで、どうするの?」
「あ、う……」
また、マナミは返答に窮した。ギャングの中でも意識のある者たちはここぞとばかりガムテープ越しに吠え、マナミを怯えさせた。ここで、とうとうJは見かねて口を挟んだ。
「シラハさん! こんな事でうだうだやってる場合じゃないだろ! それも、マナさんを困らせて!」
シラハとマナミの間に割り込むようにして詰め寄ると、シラハはJに向けて一瞬笑顔でウィンクをした。マナミが見ていなかっただろうタイミングを見計らったことにはすぐに気づいた。それからすぐに彼女はマナミへと視線を戻したから、ひとまずJは庇い続けた。
「どうせ殺すんだろ。なら、おれがやります。どうせいつかは手を汚す事になるんだ。誰かのために出来るなら、今を逃す手はねぇ」
ギャングたちに近づいて、爪を振りかぶった。シラハから合図はあったが、特に指示は受けていない。なら、そのまま先ほどまでしていようとしていたことを続けるまでだ。そう考え力を込めた瞬間、マナミから制止が入った。
「Jくん! ま、待って。わたし、わたし出来ますから。もう、弱いわたしじゃないから」
マナミは手を重ねて胸にあてながら、深呼吸の後ギャングたち全員の前に立った。その頃には不自然に彼女の態度は落ち着いていて、Jは何事があったのかという目をシラハに投げかけると、彼女もまたひどく難しそうな顔をしていた。
「では、やります」
静かに凪いだ海のような声色で、マナミはギャングらへと左手をかざした。その真ん中では瞳が大きく見開かれていて、吸い込まれそうな気持になってJは目をそらしてしまった。
逆に、拘束された奴らはその眼の引力に逆らえず、意識を落としていたものさえ目を開けてマナミの手の目を見つめていた。そして、マナミは目を開いたまま手を握った。
あるいは、握りつぶした。
「――――ッガ!」
ギャングたちは一様に身を小さくして血を吐き出した。全員が大きく咳き込み、その度に何リットルという血を口からこぼした。マナミが手を下してこちらを向いたとき、その顔に何の表情も浮かべていなかった。
「終わりましたよ」
一人、また一人と血を吐きながら息絶えていくことに何の興味も抱いていない様子で、マナミは平然と言ってのけた。まるで毎日夕暮れに、今日の分の勉強を終わらせたと報告してくるような気軽さがそこにあった。
「……うん、お疲れ様。ヒルディスさん、愛ちゃんを車まで案内してあげて」
「ん、おう」
ヒルディスは努めて平然とした振る舞いで、マナミを先導した。室内から二人が出ていく。それが確認できたちょうどその時に、シラハは言った。
「ごめん、ウー君。もう一度追い詰めれば何をしでかしたか分かると思ったんだ。でも、分かんなかった」
「それは、その、マナさんの」
「うん。あの子、絶対に自分を魔法か何かでいじくってる。でも、方法が分かんなくて、止められなかった。本当にごめんね、これなら、しない方が良かったかもしれない」
シラハは、下唇を痛ましいほどに噛みつけていた。そこから、一筋血が垂れた。Jはそれを指摘しようとした瞬間、彼女自身の手で拭われた。
「ウー君に、一つお願いしてもいいかな」
「え、はい。何でも言ってください」
「なら、これから、愛ちゃんから目を離さないで欲しいんだ。私は、さっき愛ちゃんがどうやってギャングどもを殺したのか、明らかにする方向で動いてみる。それと、今度別件で愛ちゃんと揃って声掛けると思う。そのときはよろしくね」
「シラハさん、それって」
問い返すまでもなく、シラハは踵を返して建物から出て行ってしまった。Jは、慌ててその背を追いかけた。
誰に会って話すべきか、と考えていた。
ウルフマンが接触すべきは四人。まずマナミから邪眼の情報を得、彼女の過去と似た経験を持つヴァンプ、ベルから話を聞き、そして正反対の思考回路を持つらしいシスター・ナイと接触する。そしてイッちゃんの元カノの話を加味しながらイッちゃんと話し合う。
なのでひとまずマナミに特攻した。
「マナさん! 邪眼について詳しく教えてくれよ!」
「え? ダメですけど」
「じゃあ昔の話してくれよ! ご両親が死んだときのこととかさ!」
そこまで言うとマナミは無表情でウルフマンを掴み上げ、部屋を出てからボーリングよろしくウルフマンの頭を思いっきり転がした。情けない悲鳴と共に廊下の先まで転がって壁に激突し、流石の狼頭も嘆息を一つ。
「まぁ、無理だわな。しゃーねぇ。おれの足りねぇ頭フル回転させて考えっか」
というか、と思う。よくよく考えれば、マナミの邪眼については記憶がおぼろげなだけで、マナミ本人や分析していたシラハよりいくらか説明は聞いていたはずなのだ。だからその知識は思い出すだけでいい。問題は、大勢の考えを聞く方だろう。
話を聞くべき相手を一人一人頭の中で思い浮かべながら、自発的に転がり転がり移動を始める。遭遇難易度が高いのはヴァンプだろう。正攻法で会える気がしない。次に会いにくいのはシスター・ナイで、会いやすいけど話を聞くのが難しい発覚したのがマナさん。
「んで会いたくないけど会いやすいのがベル、と」
「呼んだかい?」
「うわ出た」
「その反応はいささかご挨拶じゃないかな」
というか“ここ”でそれを言うのか。とベルは流石に不服そうな顔をする。ベルの猫ことアメリアがお気に入りの、地下聖堂。そこにステルス能力と転がり速度の上昇したウルフマンはやってきていた。
「というかどうやって椅子の上に登ったんだ?」
「頑張った」
「いや頑張ったでできる物でもないだろう」
訝しげな眼でベルはウルフマンを注視している。実際のところはその辺の適当なウルフマン捕獲に興味のない信者に乗せてもらっただけだが、それも頑張りの一側面みたいなものだろう。
案の定アメリアはここに居て、ベルが来るまでじゃれつかれていた、というのがここまでの顛末だ。現在アメリアはウルフマンに絡みつくように眠っている。
「見ない内に随分懐かれたみたいだね。少し嫉妬してしまうな」
「この調子でいつかお前の全部を奪ってやるからな」
「そこまでのことを言われるほど私は君に嫌われているのか!?」
ベルに動揺が走る。こういったノリはウッドを真似たものだが、こちらから仕掛ける分には結構楽しい。
そうして零れてしまった笑みをベルは目ざとく発見し、辟易したような溜息と共に隣に腰を下ろした。少しばかり恨みがまし気な手つきでアメリアを撫でつつ、「それで」と話しかけてくる。
「ここに居るってことは、少なからず私に用事があるんだろう? 機密を漏らすつもりはないけれど、少しくらいなら相談に乗るよ」
「おれはベルのそういう偽善者っぷりが嫌いだぞ」
「フラットな表情で言われるとどういう反応していいか分からなくなるからやめてもらいたいな」
ベルは冗談めかして返すが、ウルフマンにとっては偽らざる本音である。だがそれを抜きにすれば、役に立つ情報だ。イッちゃんとの相談の中で、二人はベルを利用し尽くそうという結論に至っている。
だから、忌憚なく尋ねるのだ。
「なぁ、ベルって恋人を殺した奴らを殺して回ってたらノア・オリビアに勧誘されたんだよな?」
「ん、ああ、そうだけど」
こういう話題になっても、ベルは動じない。そこに抱く僅かな恐れを噛み殺しながら、核心を問うた。
「初めて殺した時、どんな気持ちだった?」
「……君、嫌な質問するね」
苦虫を噛み潰したような顔になる。少しずつ、ベルという少女が分かってくる。感情だ。どれだけ凄惨な出来事でも平然と語る癖に、その中の感情に類する話になった途端、ベルは嫌がり始める。
「何でそれを知りたいんだ。あまり趣味がいい質問とは思えないよ」
「何でって、マナさんと共通してるからだけど」
「マナ、と?」
「ああ、マナさんも昔復讐相手を殺したことがあってさ。でもその時のことなんて聞けねぇじゃん? だから似たような経験してるベルに聞こうってよ」
「マナに聞けないなら普通私にも聞けないと思うんだが」
「そこはまぁ、ベルだし」
「……」
眉根を寄せた非常に渋い睨み顔で、ベルはウルフマンを見つめる。けれど数秒もせず、「にらみ合いで勝てないの忘れてたよ」と早々に降参した。チョロいなぁという言葉は喉元で止めておく。
「どういう気持ちだった、ね」
ベルは目を伏せて、当時を思い出すように口を閉ざす。それから上を向いて視線をステンドガラスの方向へ。焦点があっていないのが、当時の記憶に浸っている証拠のようにウルフマンには映った。
「君は、そもそも何処まで知っているんだったか」
「イッちゃんが知ってるとこまでなら」
「そうか、そんなところだろうね。となると、私がファーガスを見殺しにしてしまったところまで、かな」
「一応その後に、本家カバリストに仲間入りしたのは聞いてるぞ」
「なるほど。じゃあその辺りから話そうか」
――当時は、騙されるばかりだったんだ。ベルは、そんな風に語り出した。
「ファーガスが死んでから、私たちの通っていた学園は本当に酷かった。貴族同士での殺し合い、闇討ちが頻発したし、誰もが他の派閥への責任追及を叫んで……実を言うと私が初めて殺人を犯したのは、復讐の時ではなかったんだ」
ベルはその時のことを事細かに話した。意図的な孤立、人気のない場所での襲撃、命ばかりか貞操すら危うい状況になって、もういないファーガスのために力を隠すことをやめたと。
「その五人が、私の作った最初のシュラ」
ベルは指先をウッドのように気味悪く変形させながら続ける。
「指先だけのシュラ化ではあったけれど、彼らの自我を完全に奪って操れるようになるのにはそんなに時間はかからなかったよ。何ていうか、自分の体が遠隔操作の先にあるようなイメージなんだ。染め上げると、もう元には戻らない」
「ウッドみたいに、そのシュラ達を体の中に戻したりはしないのか?」
「そんなことしないよ。こんな、見るからに気味の悪いものを」
ウルフマンがその発言に酷く気分が悪くなるのに、ベルは気づくそぶりもなかった。感情。自分のものにも、他人のものにも、疎いのだろう。
「最初は気味が悪かっただけだったんだけど、しばらくすると結構使い勝手がいいってことに気が付いてね。それからは好きにふるまったよ。結局あの学園内で、二百に近い相手を染め上げたと思う」
「……それ、カバリスト達はどう受け止めたんだ?」
「え? 教えてないよ。カバリストは私の父のツテで私と、あと別の筋でローラを回収しに来て、そのまま揃ってカバリストとして薔薇十字団に入団させられたんだ」
シュラに関してはバレなかったから隠し通した、とのことだった。それぞれの感覚は残っていたが、特に食料が必要なわけでもなし。適当なタイミングまで物陰に小さく忍ばせていたらしい。
身内にカバリストがいるウルフマンだから、そんなのがまかり通るのか、と疑問を抱いてしまう。だがイッちゃん曰く、シュラは亜人の一種に分類されるという。となるとそこでカバラに狂いが出るのも、致し方ない話なのか。
「そこでいくらか話をされてね。父も薔薇十字団の一員だったということで、私も入団することになったんだ。ローラも一緒にね。私は彼女ほど計算能力がなかったけれど、元からの戦闘適性を買われた」
使いつぶす気だったんだって気づいたのは、一か月してからのことだったよ。
ベルはアメリアの耳をくにくに弄りながら言う。
「きっとファーガスの恋人だったのが、後々に禍根を残すって判断だったんだろうね。私が騎士候補生だったという前提ありきしても、碌な研修もなしに過酷な任務に就かされたんだ。カバラの教本くらいは持たされたけどね。学びながら突っ込んで、死にそうになったらシュラを使ってギリギリ生き延びる、みたいな生活だった」
「どんな任務だったんだ?」
「私が従事したのは、特級認定の怪物狩りだったね。君はソウのドラゴン退治の話、聞いた?」
「イッちゃん付きの邪神の説明ついでに、さらりとだけど聞いたぜ」
「それと大体は似たようなものだったよ。ただ、カバリストだからって五人に満たない人員っていうのは今考えてもあり得なかったけど」
実際私以外死んだし、とベルは付け加える。
「ドラゴンに限らず、いろんな伝説級の怪物を少人数で駆除させられたよ。シーサーペント、ウロボロス、フェニックス……。途中から、私は神話の世界に紛れ込んでしまったんじゃないかって錯覚すらした。けど、任務を終えて帰ると、『じゃあ次の任務を』って冷淡に言われるんだ」
このままじゃ近い将来に死ぬと、そう思ったという。そこから、使いつぶそうとしているのだと気づいたのだと。
「だから、私は逃げ出したんだ。逃げ出して、ひとまず実家に隠れた。父とは仲が良かったから、匿ってくれると信じて」
「でも、父親のツテで入団したらそんなことになったんだろ? 結構ヤバかったんじゃねぇの?」
「当時の私も、そんな気はしていたよ。でも、他に頼るところが全くなかったんだ」
結果として、その判断は正解だった。ベルは視線を宙に漂わせながら、思い出し思い出し続けた。
「父は、私の味方だった。私が逃げ帰った時に、『よくやった』って褒めてくれて、それから真実をすべて教えてくれた」
「真実って?」
「ファーガスがカバリストの計画によって死んだことさ」
仄暗い色を宿した言葉に、ウルフマンは口をつぐむ。見上げると、ベルは悪魔のような禍々しい笑みを浮かべてまっすぐ虚空を見据えていた。
「他にも色々と教えられたけれどね。昔からカバリストは強引で、父や私は奴らを破滅させるためのアナグラムを練っている一族だったとか、今の世代のカバリスト達は私含めアナグラムによって調整されたデザインチャイルドとか。でも、正直そんなことはどうでもよかったんだ」
――私にできることが見つかったって、そう思った。ベルは嗤う。
「私はファーガスが死んだとき、何も出来なかった。復讐ももちろん考えたけど、ソウが真の仇だとは思えなかった。だからカバリスト達がそうだと知らされて、しっくりきて、よし復讐を始めようって、復讐は虚しいなんて一般論知らないって、従うふりして隙を探して、襲い掛かって、それで」
笑みが、消える。
「……楽しいのは、ここまでだったよ。復讐ってね、終わるとつまんないんだ。追い詰める過程と、仇の苦しむ様を見るのは爽快だけど、欲しいのはあいつらの命じゃなかった。私はね、結局ファーガスにもう一度会いたいだけだったんだ。会って、あの時のことを謝りたかっただけだった」
助けてあげられなくてごめんねって、そう言いたかっただけだったのにね。
ベルはその後の顛末を語る。
「でも、時すでに遅しだったよ。カバリストを何十人と殺して、報復を受けないではいられなかった。戦って、戦い抜いて、それでもなお私は、もう興味もない敵と殺し合い続けた。結局大半はシュラで染め上げたけれど、私は心も体も壊れかけてた」
「そこを拾ったのが、ノア・オリビアだったのか」
「うん。カバリスト以上に碌でもない組織なのはすぐに分かったけど、でもファーガスを生き返らせられるって聞いたら、協力せざるを得なかった。普通に助けられなきゃ死んでたっていうのもあったけどね。――私は」
そこまで言って、ベルは口を閉ざした。それから、「喋りすぎてしまった」と少し硬めの口調で会話を切り上げだす。
「こんなところでいいかな。私はその、あまりこういう話は得意ではなくて」
「ん、十分だったぜ。また何か気になることがあればここに来る」
「いや、だからこういう話は今回限りにしてほしいという意味なんだが」
「んじゃまた来るぜ」
「えぇ……」
ウルフマンはゴロリ転がって椅子から落ちる。だが断面の謎魔法部分で着地すれば痛みがないことを発見しているので、上手いこと調節してそのまま「じゃーな」とその場を後にした。
「えぇ!? 大丈夫、そう、だね……。えぇ……、うん、じゃあまた……」
困惑しきりのベルを置いていきながら、ウルフマンは考える。
「復讐は虚しいなんてのは聞き飽きた文言だったけど、ベルの言葉は新鮮だったな。『復讐は、終わると虚しい』ってか」
ならば、と思う。復讐を決心する前に決着を用意され、その場の流れで成し遂げてしまったマナミ。彼女にとっての復讐とは、どういう存在だっただろうと。




