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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
221/332

7話 死が二人を別つまでⅩⅩⅢ

 応答は、平手だったのをよく覚えている。


 食いしばられた口元。感情の爆発を意識して抑え込んでいた理性。それでも漏れ出る怒りに頬が震えていたことすら、鮮明に思い出せた。眦には涙さえ湛えられていて、それなのに彼女は、総一郎の支離滅裂な告白を最後まで聞き終えるまで手を出すのを堪えてくれた。


「許さない。絶対に許さないから。総ちゃんがナイを選ぶってだけでも頭の中ぐしゃぐしゃなのに、その根拠が、総ちゃんが死ななきゃならないから、だなんて」


 言葉の端々に震えがあって、その自覚によるものだろう、白羽は大きく深呼吸を繰り返してから、テーブル越しに総一郎を睨みつけた。


 その時、総一郎はどんな顔をしただろう。諦めるように笑った気がする。あるいは、諦めを促すように微笑みかけたか。


 どちらにせよ、身勝手な態度だ。続く言葉も。


「ごめん。でも、もう決めたことなんだ。今まで、白ねえとは生きられないだろうって漠然と分かっていたのに、甘えてしまってごめん。俺は、そのことについての責任を取ってから、白ねえと別れたいと思う」


「私と生きられないって何? その責任って何!? 私は総ちゃんを誰よりも愛してるのに、総ちゃんは違うってこと?」


「ううん。俺だって白ねえのこと愛してる。けど、生き方が違うってことなんだ。白ねえは何かを成す立派な人で、俺は力を自分のわがままのために振るった。偉人と犯罪者は一緒になれない。それだけのことなんだ」


「……」


 泣くのをギリギリで堪えているような顔で、白羽は総一郎を睨みつけていた。その涙目をどうにかしてあげたくなったが、その行為は総一郎自身が総一郎に許していなかった。


「じゃあ、責任を取るって、どういうこと」


 口調を固くして、白羽は尋ねてくる。総一郎は答えた。


「俺が分不相応に甘えてしまったが故に生まれた白ねえの人生の歪みを、元通りにすること」


「抽象的すぎて分からない」


「うん、つまり、俺もどうすればいいか分かってないんだ。責任を取るって、思った以上に曖昧で、難しいね」


 困ったように笑うと、白羽は間隙を突くように言い放った。


「なら、死なないで。私の人生は、総ちゃんのために滅茶苦茶になった。でも、その滅茶苦茶を前提に形作られてるのが今なの。もう、私の人生は総ちゃん無しでは成り立たない。その責任を取るって言うなら、死んじゃダメ。死ぬなんて許さない」


 強い語気で、しかしどこか縋るような響きを孕みながら、白羽は総一郎に命じた。本当に度し難い人だな、と思ったのを覚えている。どんな言葉が一番効くかを直観出来て、それを躊躇わず口にしてしまうのだから、堪らない。


 だが、総一郎は首を振った。どんなに弱い部分を突かれても、死なないわけには行かなかったから。


「ごめん、それは出来ない。それ以外なら、きっと」


「でも、総ちゃん。私、総ちゃんが死んだら、多分死ぬよ」


 ありがちな抵抗の言葉だった。しかし、だからこそ総一郎は驚いた。白羽は死んでもそんな陳腐な言葉で引き留めないと考えていたから。そんな言葉を無責任に吐いてはならないという自覚を有した人だと思っていたから。


「白ねえ。それはダメだ。君が言っちゃ、ダメな言葉だ」


「私にとっても、総ちゃんが死にたがるのは同じくらいダメなことだけど」


「そういう話じゃない! だって、白ねえはARFっていう、今やアーカムでも有数の組織の長で」


「分かってる。でもね、同じくらい分かるんだよ。私ね、自分がそんなに強い人間じゃないって。みんなのために戦ってるって演説では平気で言うけど、本当は誰かのためだよ。私は私の知らない人のために、きっと頑張ってない。私が頑張るのは、いつだって大切な誰かのため」


 白羽の手が、総一郎の手を覆う。それから、じっと見つめてきた。


「総ちゃんに、差別のないアーカムを見せてあげたい。総ちゃんが来るまでに、アーカムから差別をなくしたい――ううん、違う。もし総ちゃんが来たらって想像して、小さな私は『こんな差別まみれの街、総ちゃんには見せられない!』って思ったの。多分、それが始まり」


 そう言われて思い出したのは、イギリス時代、危険を冒して貴族たちの学園に入学を決めた総一郎自身の言葉だ。いつか白羽をイギリスに招くとき、差別が残っていては招けない。だから少しでも出来ることを――そう決意して、入学したのだ。結果はどうあれ。


 姉弟似るものだな、と俯く。お互い、すべての始まりはきっと離れ離れだったお互いだったのだろう。そして姉は血の中に牙城を築き、弟は屍の山を蹴散らした。


「だからね、分かるんだ。私、本当に総ちゃんが死んじゃったなら、多分平気で後を追うんだろうなって。もちろん、すぐに死んだりしないよ。総ちゃんを生き返らせる方法を模索する。何なら黒い翼をペンキで白く塗りたくって、主に直談判くらいするかも」


 でもそういう悪あがきが全部だめだったなら、割とすんなり死んじゃうと思うんだ。白羽は言いながら、死を怖がるように総一郎の手を覆う手をキュッと締めた。総一郎は、それを静かに見下ろしていた。


「私は総ちゃんに死んでほしくない。死ぬ、なんて言葉を安直に使って欲しくない。死にたい、なんて言葉も嫌だけど、死ななきゃならないなんて総ちゃんにしか分からない論理で死を選ぶなんて看過できない」


「白ねえは、その抗議として白ねえ自身の死をチラつかせることで俺を死なせないようにするってこと?」


「そう、なるね。やり方は卑劣だけど、そんな奇麗ごと言ってられない」


 総一郎が、そして白羽自身も“白羽らしくない”と感じるこの抵抗。それをして、総一郎は歪みであると看破した。なら、総一郎が死んでなお、白羽が死ねないと感じる何かがあるなら、何かを生み出せたなら、それは総一郎なりに責任を取ったことになる。


 とするなら、と総一郎は舌先でアナグラムを練った。


「分かった。仮に、俺が白ねえの言う事を聞いて、自殺という手段で死なないことになったとしよう」


「え、うん」


「でも、それでも俺に死のリスクが付いて回るのは、白ねえも分かるよね。敵はナイだ。ナイはもう、手加減はしない。直接俺を殺してしまうということは考えにくいにしろ、最終的な目標は、やっぱり俺の死だ」


「……うん」


 総一郎の立場の急激な反転、からの過程の推し進めに、白羽は反論せずに頷いた。そして続く総一郎の問い。


「そのときも、俺が負けて死んだとしても、白ねえは俺の後に続いて死んでしまうの? 自殺を止めるための口上としても白ねえらしくないのに、俺の敗北後ですら、ARFを投げ捨てて無責任に死を選ぶの?」


「……」


 白羽は俯いて、真剣に考えこんでいるようだった。自分が、総一郎の死後どうするか。その答えは、数分をかけて出された。


「死ぬ、と思う。どんな形であれ、総ちゃんが死んでしまったなら、私はやっぱり死を選ぶ。色々考えたけど、ARFも、差別の撤廃も、やっぱり全部総ちゃんの為で、……総ちゃんが死んじゃったなら、それらは私の死を止めるだけのモノにはならないんだって」


 総一郎は口を閉ざした。白羽という少女に、失望しかけた。けれど、白羽は言葉を続けた。彼女の本質は、そこにないのだと。


「でも、そんなの無責任すぎる。だから、そうならないために、私には何が必要なのかなって考えたの。私が、総ちゃんが死んでも、死なないために何が必要なのかって」


 彼女は、顔をあげる。それから、据わった目で告げてきた。


「総ちゃん。私、総ちゃんとの子供が欲しい」


 思わず凍り付く。呼吸が一瞬止まる。それから何度かまばたきをして、総一郎の聞く準備が整うのを待っていたらしい白羽に、頷くことで先を促した。


「驚かせちゃってゴメンね。でも、ふざけて言ってるわけじゃないんだよ。私なりに考えた結果。私にとって、総ちゃんに代わる誰かなんてこの世にはいない。それでも私が誰かのために死なないっていう選択肢を取れるとしたら、誰になるかなって」


「……それが、俺との子供ってこと?」


「うん。私はきっと、総ちゃんとの子供が居れば、死ねなくなる。総ちゃんのために推し進めてきたこの差別撤廃運動を、総ちゃんとの子供の為なら、総ちゃんが死んでも私は投げ出せない」


 その返答に、総一郎は顔を強張らせるしかなかった。予想の斜め上をいく回答。だが、これでこそ白羽だという気がした。


「私はね、やっぱりそういう人間なんだと思う。自分の為とか、大義の為とかじゃなくて、大切な誰かのために行動する人間なんだって。それで、今私にとって本当の本当に大切な人間は総ちゃんで、今総ちゃんが死んでしまったら、私は必ず破綻する」


 でも、と白羽は語った。


「総ちゃんが死んでしまったとしても、その代わりがいるなら、私は死ねない。それでふと思ったの。私、総ちゃんとの子供欲しいなって。私は多分、総ちゃんとの子供の為なら頑張れるなって、そう思ったから」


「俺が取れる責任は、つまりそういう事だってこと?」


「うん。ふふ、何かおかしいね。私さっきまでは総ちゃんが死んだら私も死ぬ! とかヒステリックなこと考えてたのに、お母さんになるんだって思った瞬間に、死ねないなって思ったから。総ちゃんが私に取れる責任があるとしたら、それだけだと思う。そのくらいしてくれないと、私は総ちゃんのこと諦められない」


 総一郎は天を仰いで、それから様々なことを吟味した。貞操のこと、ナイを選ぶという事の真の意味合い、他にも様々なことを。


 頷くのは、難しかった。


「……ごめん、白ねぇ。この場で決めるのは、俺には荷が重い。考える時間を貰えないかな」


「うん、もちろん。その場で分かったって言ってもらえるとは、私も思ってないよ。でも、言わないでも分かってるよね。――それまでに、死んじゃダメだよ。そしたら私、死んじゃうから」


 白羽は、いつものような快活な笑みではなく、底の知れない、静かな微笑でもって総一郎に答えた。それに、総一郎は―――――――




「ああ、またボク以外のことを考えてたでしょ。ダメだよ、総一郎君。君はボクに負けたんだから、もうボク以外のことを考えちゃダメ」




 思考がかき乱され、何を考えていたのか分からなくなる。そしてまた、総一郎は睡蓮の香り漂うまどろみの中に蕩けて、有耶無耶に正体を失くしていった。















 自分が無力だという自覚を持てば持つほど、怖いものがなくなる。


 最近のウルフマンは、そんな奇妙な実感と共にコロコロとノア・オリビア本部内の真っ白な廊下を転がっていた。昔は強くなればなるほど怖いものが減っていくと思っていたが、今は真逆のことを感じているのだから面白い。


「人生ってのはよく分かんねーよなー」


 奪われ尽くした今、ウルフマンを縛るものは何もない。何もないからこそ、これ以上ない自由が与えられている。そんな逆転現象は何だか小気味よく、今日もマナさんの「大人しくしないと体を返してあげませんよ?」という脅しをガン無視して敵本拠地をごろり旅。


 そうしていると、背後から「こら」と端的に叱りつけるような声でもって、ウルフマンの頭部を持ち上げるものがあった。向かい合わされると、その正体が分かる。


「お、最近マナさんと仲のいいベルとか言う裏切り者じゃん。よーっす」


「……君は物怖じしないね。分身の情報を受け取っている時点でも思っていたが」


 ARF時代とは少し雰囲気が違う、と思った。かつては実直でまっすぐ、それ故に危ういという風だったが、本体はもっと泰然として、味方時に感じた危うさが敵ゆえに揺るぎない実体を伴っているように見えた。


「ここ数ヶ月ずーっと頭だけでゴロゴロしてたからな。正直今更怖いものとかねぇわ。あ、そうだ。何か暇そうだし施設案内してくれよ。マナさん根本おれのこと固定しようとするから暇なんだよな」


「固定、というか拘束なんだがな。よくもまぁ抜け出せるものだ」


「コツを掴めばちょちょいとな。それで? 案内してくれるか?」


 ベルはウルフマンの笑いながらの要請に、少し考えて「いいだろう。君とは少し話してみたいと思っていたんだ」と改めて脇に抱えられた。この体勢はちょっとおっぱいの横部分が当たっていい感じ、とウルフマンとひそかにご満悦だ。


「どこへ行きたいんだ?」


「ん? んじゃ秘密の部屋とかあればそこ連れてってくれよ。ARFに情報持って帰れるしな」


「……本当に君は物怖じしないな、ウルフマン。そもそも、ARFはほとんど崩壊寸前だとマナに聞かされてるはずだが」


「苦節云年、何回ARFは終わりだって言われたと思ってんだ。内外問わず聞き飽きてるっつーの」


 言ってニヤリと笑うと、ベルは憎めない、といった苦笑を浮かべ「分かったよ、降参だ」と空いている手を上げた


「君の心は言葉如きじゃ折れそうにないね。じゃあ、そうだな。お気に入りの場所に連れていく、でどうだろうか」


「やったぜ」


 ベルはウルフマンを抱えて歩き出す。その淀みない足取りは、やはり鍛えられているな、と感じさせるものだ。数か月前ならそこについて触れただろうが、赤子にすらいいように扱われる今のウルフマンにとっては、武力的な多寡など何よりもどうでもいいもの。


 何度かゾンビの見回りや首に包帯を巻いた“例の”信者たちを通り過ぎたりお辞儀されたりしつつ、ベルは地下へ地下へと複雑な経路で階段を下りていく。


「アレ? 実はこっそり秘密を教えてくれるのか?」


「ふふ、お生憎様だね。単純に、私のお気に入りの場所が地下にあるというだけさ。機密に分類されるものは、地下じゃなく他者を惑わせるアナグラムの中に隠されている」


 少し笑いながらも、ベルは足を止めない。そうしてしばらくすると、礼拝堂らしき場所に着いた。イッちゃんたちの報告にあった信者洗脳の場とは違うようだ。映像記録のそれよりも白が多く、結婚式にでも使われていそうな神聖性がより高いように感じられた。


 それでいて純血の亜人であるウルフマンが嫌な感じがしないというのだから、ノア・オリビアという組織も業が深い。


「ここがお気に入りの場所なのか?」


「ああ。といっても、私のお気に入りではないがね」


 ベルの言い草に、ウルフマンが頭に疑問符を浮かべていると、小さな影がひらりとウルフマンの頭の上に飛び乗ってきた。繊細な体重移動はあまり痛みを感じさせない。それはこの動物の、生来の優しさのようにも感じられた。


 姿は位置関係的に見えないが、鳴き声で把握する。


「猫か。あんまり馴染み深いわけじゃないけどよ、嫌いじゃないぜ」


「君に嫌いなものがあるのか、ということに対して私は興味が尽きないけどね。アメリア、そこは失礼だから、こっちに来て」


 一鳴きして、アメリアと呼ばれた猫は軽快にベルの腕を伝って移動した。それからベルは適当な長椅子を選んで座り、自分の隣にウルフマンを置いた。それから、膝の上で丸まるアメリアの背中を撫でつける。


「慣れてんな。昔から飼ってる猫なのか?」


「元はね、私の恋人の猫だったんだ。けど殺されてしまって、私が世話するようになった」


「ありゃ、そりゃご愁傷様だな。気遣った方がいいか? おれの周辺そんな奴らばっかりだから、その辺りの塩梅とかよく分かんなくてさ」


「君は敵にも気を遣うのか。優しいね、でも要らないよ」


「いや、単純に誰かと二人きりって結構その相手に生殺与奪握られてる部分あるからな。ある程度はともかく地雷は踏めねんだ」


「思った以上に切実だったんだね」


 苦笑するベルの撫で方が気に食わなかったのか、猫が不機嫌そうな鳴き声を上げた。それに寂しそうに微笑みながら「ごめんね。君のご主人様みたいに、蕩けさせるような撫で方は私には出来ないんだ」とベルは、釈明と詫びらしい猫のおやつを取り出した。


 そんな様子をして、ウルフマンは率直に告げた。


「思ったより正気なんだな。ウッドみたいな変な攻撃してきたくらいだったから、てっきりもっとトチ狂ってるのかと思ってたぜ」


「……はは、流石元祖ウッドと共に何か月と共にしているだけある。鋭いというか、厳しい評価だ」


 正気と言われて厳しいと感じる精神性はどうかと思うが、むしろそこにベルの歪みの本質があるのだろう。今後につながるかどうかはさておき、何となく納得できるまでいくらか話してみよう、とウルフマンは言葉を続ける。


「これでも組織ぐるみでウッドとバトってきたからな。事態が解決してからも、情報共有ってことでウッドの正体やら分かってることやら色々と幹部会で勉強させられたぜ」


「正体って何だい? 私はこの体の異変が、ソウのそれと似通っているという事しか知らなくてね」


 純粋な興味で聞いているのだろう。このくらいの情報漏洩はいいか、と適当な独断の元、ウルフマンは教えてやる。


「シュラって亜人らしいぜ。イッちゃんやその親父さんもそうだったみたいで、遺伝説が推されてたけどベルにも出てくるってのは意外だったな」


「亜人……、そうか、亜人か。ふふ、この私がな、亜人。面白い皮肉だ」


 くつくつと笑いながら、ベルはどこか妙な印象を受けさせる右手の指先を見つめる。するとそこから矢尻が姿を現し、ぬぬぬと爪の伸びる過程の高速再生のような具合で出現する。


「なるほど、ベルは生やすんだな。ウッドは切り離してたぜ」


「そちらの方が、工程が少ない分いくらか速いだろうな。そうか、となると、私は恐らく君たちの語るウッドよりもシュラとしては負けているんだろう」


 ベルは生やした矢を抜き取って、手元でくるくると回してからウルフマンに突きつけてくる。目を見ると、嗜虐的な色が浮かんでいた。この辺りはウッドに似てるな、と狼男の頭部はぼんやりと考える。


「……少しは怯えてくれてもいいんじゃないか? 冗談とはいえ、これは君たちの中でも最も強い人間を陥落させた武器なんだ」


「いやおれウッドから直接それでいじくり回されたことあっから、今更されても」


 ウルフマンの呆れた様な反論に、ベルは口をつぐんだ。それから少し考え込んで、解釈を述べる。


「そういうことか。君の落ち着き払った態度の意味が、ようやく分かった」


 ―――君は恐怖心が壊れているんだね。ベルは吐息と共に矢の矛先をウルフマンから外し、歪んだ指先にしまい込む。


「普通なら長生きは出来ない欠損だ。だが、これ以上ない程に無力な今の状態が、むしろ君を守っている。奇妙で、捻じれていて、怖ろしい。これがウッドか」


「何か勝手に納得されてんなぁ」


 不快というほどではないにしろ、あまり続けたいとは思わなかった。それよりも、ベル自身の話を聞くべくウルフマンは問いかける。


「裏切り者さんよ、話は変わるが何でARFじゃなくこっちについたんだ?」


「ん、ファーガス……私の恋人を生き返らせてくれるという事だったからね。それに、好き勝手出来る土壌が私に合っていた、というのもあるが、極端な話をしてしまえば先に私を抱き込んだのがこちらだったからだな。初志貫徹、ということだ」


「じゃあ、最初から裏切るつもりで潜り込んだのか」


「恨んでる、という顔じゃないのが面白いね。本当に興味本位で聞いてるらしい」


 そうだよ、とベルは肯定の言葉と共にアメリアを撫でつける。それから、細かな訂正を。


「ただ、潜り込んだんじゃなく、潜り込ませたと言った方が正しいかな。私はそんなに腹芸の上手い人間ではないからね。特に君たちのリーダー、シラハに掛かれば、私の裏切りなんてすぐに看破されていたことだろう」


 言っている意味の理解に、ウルフマンは少しかかる。だが、これでもウッドと激しく戦ったARFメンバーの一人だ。言わんとすることの、糸口くらいは掴んでいる。


「……もしかして、おれたちが新しいARFメンバーとして接してたベルと、今のベルは別物か?」


「そうなるね。いくらか脳内の記憶、精神状態をいじってあったから。シュラでなければできない芸当だった」


 記憶を、精神をいじる。そうやって生み出した分身がARFのベルだったという事か。まっすぐで、危うい彼女。ウルフマンは数少ない直接話した記憶や、イッちゃんからの話を思い出して尋ねた。


「“あのベル”は、裏切ってなんかいなかったのか」


「ああ。君たちの仲間として振る舞っていた彼女は、少なくとも本人は、君たちの仲間として役割を果たそうとしていたよ。ソウをシスターナイから助けたのも、ファーガスの仇を討つべく我武者羅になっていたのも、その中でARFの優しさに心打たれたのも、彼女にとっては真実だった」


 それを知っているということは、それらの情報は一方的に本体のベルに届けられていたのだろう。ウルフマンは少し思うところがありながら、最後に一つ聞いた。


「最期、ウチのベル、泣きそうな顔してたな。あの時、あいつ何を思ってたんだ」


 試すような質問だった。その真価に、きっとこのベルは気づかなかったろう。多少後ろめたそうに、彼女は猫の頭を細かく撫でる。


「……あの場面は、共有してないよ。破裂する寸前の自分の気持ちなんて、知りたいとは思わないだろう?」


「……そうだな」


 様々に入り乱れる思いをウルフマンは呑み込んで、ただ一つ決心した。それから、また話を変える。


「そういえばさ、何でベルはマナさんと仲がいいんだ?」


「お互いに恋バナで盛り上がったのがきっかけだったかな。恋愛観が似ていた、というか。そういう意味では、今は彼女が羨ましいね。君という愛しい人を取り戻したんだから」


「愛しい、なぁ」


 ウルフマンのよく分かっていなさそうな言葉に、ベルはむっとした声で聞いてくる。


「君も彼女を大切にしていると聞いていたが、その割にピンと来てないようだな。彼女はとても深く君を愛しているんだぞ?」


「マナさんの昔の話、聞いたか?」


「うん? ……いや、お互い恋人の話ばかりで、マナ本人の話はあまり知らないが」


「ふーん。そうかよ」


 相槌を打って、ウルフマンは大あくび。それからここの空間は確かに居心地がいいなぁと、少しずつまどろむ感覚を覚え始める。


「……えっと? ウルフマン、何か言いたいことがあるなら言うべきだと私は思うが」


「いやぁ、一瞬昔語りでもしようかなと思ったんだけどさ。やっぱやめとこって」


「何でかな。せっかくだし聞かせてくれればと思うが」


 ウルフマンは冗談を言っているのだろう、という顔で、ベルはそう話を乞う。それに、舌を出しながら狼はこう言った。


「嫌だね。おれさ、ここまでの話でお前のこと大嫌いになったから、話さねぇよ」


 どうしても知りたきゃ本人から聞け。そのように切り捨てると、ベルは唖然とし、アメリアはウルフマンをべしべしと叩き始めた。しかし、ウルフマンはどこ吹く風でまたうつらうつらとし始める。


 ――ARFの幹部たちがそれぞれ経験してきた、苦い過去。その中でも最も淀んだ地獄。マナミが失った両眼で見たのはきっとそういうものだった。だからウルフマンは、絶対にベルにこの過去を教えない。


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