7話 死が二人を別つまでⅩⅩⅡ
目の前に、修羅が立っていた。
ウッドと同じような仮面。だが、そこに描かれる表情はウッドのような嘲りの笑みではない。怒り。何もかもを飲み込んで壊し尽くす憤怒がそこに刻まれている。
ベルだ、と気づいてから、服装が修道服でないことに気付く。かつてのような騎士候補生の制服だ。トレードマークの銀色めいた金髪のポニーテールが揺れる。揺らぐ。
取り出したるは、奇妙な形の弓だ。腕輪と一体化したようなソレ。そしてもう一つ、剣があった。総一郎は、それはファーガスがかつて使っていたものだと見抜く。
ベルは弓腕輪を取り付けた右手を振った。すると彼女の指、人差し指、中指、薬指の三本からそれぞれ一本ずつ矢が生える。
奇妙な機構が、弓腕輪を駆動させた。自動で指先の矢がつがえられ、三本の矢が総一郎に迫りくる。
それを退けたのは、総一郎の背後から進み出たウッドだった。
桃ノ木刀での一閃。矢が同時に縦に割かれ、木刀の退魔に崩れて液状に垂れる。ウッドが哄笑を上げた。そしてベルへと突っ込んでいく。
「……これは、現実じゃない」
総一郎の呟きに、「そうだよ」と同意した声があった。背後に振り向きながら、「君はいつも後ろからだね」と振り向く。
ナイが、そこに立っていた。いつも通りの小柄な彼女。睡蓮の匂いが香り出す。
「ここは、俺の中かな」
「うん。君が見てるのは、君の中で起こってる修羅同士の戦い。にしても、ベルちゃんの本気の戦いって初めて見たよ。彼女、本気を出すまでもなく、すぐに勝っちゃうばっかりだから」
ナイの言葉に従って、交戦する二人の修羅に目をやった。あらゆる他者を敵と定める、修羅同士の戦い。そこにあるのは容赦のない殺し合いだ。ベルらしい戦いの先の先まで読んだ弓の発射と、振るうだけで剣先のすべてを薙ぎ払うファーガスの剣。そして懐かしき聖神法が合わせ技として発動される。
「強いね。あれは近距離も遠距離も隙が無い。威力も絶大だ。しかもズルいのが、『能力者』が生み出した剣を使ってるのに、本人が『能力者』じゃないってところ。あの剣、ファーガスの形見なのかな」
「冷静に分析するね。ウッドが負けたら、君、乗っ取られちゃうんだよ?」
「……乗っ取られないよ。ウッドは負けない」
総一郎がウッドに視線をやると、奴はこちらを見て哄笑を大きくした。ようやく眠らせたのに、また俺を起こしてしまったな、とからかっているのだろう。ベルの猛攻に、なおも余裕があるのはウッドらしい。
「自分自身だけあって、自信満々ってとこ?」
「自分自身って感じは、あんまりしないけどね。でも、ウッドのことは誰よりも分かってるつもりだよ。だからこそ、グレゴリー相手でもない限りは負ける気はしないかな」
「グレゴリー君に対しても、今なら何とか対抗できるんじゃない? 『闇』魔法をメインに使っていけば、物量で圧倒したりとか」
「さぁね。でも、二度とやりたくないのは確かだ」
「そっか」
ナイは少し笑って、それから静かになった。沈黙が下りる。響くのはウッドとベルの殺し合いばかり。だが、アレに決着はつかないだろう。だから、何となく遠い、と思ってしまうのだ。
「ナイ」
「なぁに? 総一郎君」
「俺、負けちゃったのかな」
「うん、ボクの勝ち。もう君はボクだけのもの。そうやって、一緒に地獄に落ちてくの」
ナイは手をつないでくる。言葉に、からかったり挑発したりという雰囲気がないのは、もはやその意味がないからか。総一郎は握り返し、上を向く。
「そっか。俺、負けちゃったか。まさかこんなに素早く先手を取られて押し負けるなんて思ってなかった」
「だろうね。だからそこを突いたんだ」
「白ねえ達、どうしてるかな。助けが来る可能性とか、あったりしない?」
「ないよ。『祝福されし子どもたち』でもない白羽ちゃんたちに、もう抵抗の余地はないから。すでに手は打ったしね。彼らにはもう希望はないよ」
「でも、グレゴリーがいるじゃないか」
「グレゴリー君は、今頃ボクらが差し向けた刺客に封殺されてるか、もしくは“殺して”しまったかのどっちかだよ。ベルちゃんが修羅化させたカバリスト達を差し向けてね。彼らはあくまでも生きているから。殺せば殺してしまう」
「グレゴリーじゃキツイなぁ。助けを求めるのは無理かぁ」
「無理だよ。あとは君自身だけど、意識をこの中に閉じ込めてるから、現実には干渉できないでしょ」
言われて、試す。だが、手元には何も起こらなかった。人を殺す術を、ウッドがすべて持って行ったのだろう。あるいは、それだけベルが強敵だったという事か。
「そうだね……。あーあ、せめて自分のケジメくらい付けたかったな」
「そう? そんなこと気にしなくてもいいと思うけど」
「ウッドの罪は、俺の罪だよ。だから首無したちは全員、俺の手で殺さなきゃならなかった。ARFだって、滅茶苦茶にするばっかりで、何の役にも立てなかった」
総一郎は、それ以上は何も言えずに黙り込んだ。そうしていると、ナイが腕に体重を預けてくる。
「総一郎君、泣いてるの?」
「……泣いてないよ。泣く資格なんてない。俺には―――そんな資格なんて」
ない。そう言い切ることすら出来ないほど、総一郎の中で感情が荒れ狂っていた。後悔。出来ることはもっとあったはずだった。しかし間隙を突かれ、いとも簡単に無力化された。
ウルフマンに申し訳ないと思う。結局彼に体を返してあげることは出来なかった。シェリルに申し訳ないと思う。彼女の言う通りに拉致被害者を救っていれば、その人たちだけでも助けられたかもしれなかった。他にも、たくさんの人に申し訳ないと思う。
だが、一番に申し訳ないのは、白羽に対してだ。
「何も、出来なかった俺に、泣くなんて、許される、わけが。何も、何一つとして、出来なかった俺にッ!」
自分に向けて吐き捨てる。もはや、総一郎に出来ることなんてそれくらいしかなかった。口ばっかり責任を語って、実力が伴わない自分が許せなかった。
だというのに、総一郎は、頬を伝う滴を止められない。
いつか近い将来死ねと呪った自分自身を、どうしてくれようという怒りがあった。苦しめて、苦しめ抜いて殺してやりたい。その罪を晴らせない無能を、身勝手さを、総一郎はどんな感情でもって扱えばいいか分からなかった。
けれど、それをナイは許した。
「いいんだよ、もう。総一郎君は、もう、何にも気にしなくていいの」
強い力で手を引かれ、総一郎は体勢を崩す。それをナイは受け止め、柔らかく抱きしめてきた。
「だって、君は負けたんだから。負けたら、勝った人の言う事を聞かなきゃいけない。そしてボクは、君がこれ以上抵抗しないまま、ボクと共に死んでほしい。だからね、君が何もできないのは、ボクの所為なんだよ。だから、君は何も悪くないの。君はただ、僕と一緒に死んでくれさえすればいいんだよ」
これ以上抵抗も何も、その余地がなかった。総一郎の精神世界は完全にナイに支配されているようで、退けようとする意志さえ湧いてこない。
「俺、俺、まだ死にたくない。まだやらなきゃいけないこと、いっぱい残ってるよ」
「うん。でもダメ。ボクが一緒に居てあげるから、一緒に地獄に落ちよ? 大丈夫。死んでも、ずっと二人で居られるから」
ボロボロと零れる涙は、滴となって頬を伝い落ちる。それをナイは、小さな体で一身に受け止めながら、ゆっくりと総一郎の背中をさすっていた。
くっつけていた額を、離した。
ナイは暗がりの中、ベッドに身を横たえ眠ったまま声もなく泣く総一郎を見下ろし、その髪を繊細な手つきで撫でつける。それから、「泣きたいのはこっちだよ」と切なげに顔をゆがめ、ベッドから下りた。
総一郎の心の中には、不純物が多すぎる、と思う。彼は人たらしで、女たらしで、その癖人情家だから、多くの人に想われる分想い返す悪癖がある。
白羽、ローレル。その二人はナイを選ぶ過程で自分から切り捨ててくれたようだったが、それでも相当の未練が残っているのは分かっていた。それから、ARFのことも。
総一郎というたった一人を独占するのが、こんなにも難しい。
でも、だからこそ愛しいのかもしれない。無貌の神でありながら、人の身という脆弱な入れ物に詰められた自分は、だからこそ愛に身を焼き、そして破滅することが出来るのだろう。
「何が破滅さ、馬鹿馬鹿しい」
ナイはいつものように指鳴らしで修道服に早着替えし、真っ白な廊下を進む。それから、破滅と言えば、と考えた。総一郎を通して盗み聞いた『能力者』という、世の理から外れた存在。世界で同時多発的に生れ落ち、その未来を関わる全て事見通せなくなった、脆弱なはずの人の異形。
ナイは『祝福されし子どもたち』だけだと思っていた。だが違った。その中でも異質で、あまりにも力強い個体が、スラムで平然と店を構えているのを知った。未来が見えないなどと言う簡単な表現では済まされなかった。会えば見抜かれ潰される。そんな直観があった。
そして、彼女の語る「『能力者』は非『能力者』を殺せば破滅する」という法則。データに残っていたミニミニファーガスを用いて、ミニ宇宙の中で試行した。結果は真。形はどうあれ、無貌の神がいかにも喜びそうな展開で、必ずミニミニファーガスは破滅した。
自殺、多くの民衆によるリンチ、都市を巻き込んだ崩壊、ベルの手でなぶり殺しにされる結果もあって、無貌の神によく似た法則がこの宇宙には存在するのだと理解した。
そして、その前提で言うなら、何人も平気で人を殺す無貌の神が、『能力者』ではないという事実も判明した。
「じゃなきゃ、ボクらは今頃破滅してなきゃおかしい」
ミニミニファーガスは長くても一年以内のスパンで、殺人から破滅した。短ければその場でだ。それでも破滅の予兆すら無いなら、やはり無貌の神は『能力者』という枠には収まらない。その良し悪しは判別しがたいが、逆説的に無貌の神は『能力者』に比べて格下ということになる。
「……」
会議室に先んじて座りながら、ナイは黙々と考え続ける。一笑に付して思考を停止するのは簡単だ。実際、マザーヒイラギはそうした。だが、ナイはそんな気にはならなかった。
元々、変だとは思っていた。総一郎をアーカムへ誘う時、ナイの脳裏にはアーカムはフィクションの都市名だと知っていた。しかしそう名付けられた理由は分からなかった。これは恐らく、あの異質の『能力者』、ミヤの所為だろう。
格上。その一点が無貌の神にミヤの情報を読ませなかった。
「……何か、勘違いを起こしてるのかな」
普通の価値観なら、無貌の神より格上の人間なんている訳がない。だが、前提が狂っているなら話は別だ。無貌の神は天上の存在たるアザトースに連なる、この宇宙の知性の支配者であるという前提が覆るなら。
とするなら――
「あら、お早い到着ですのね。勤勉でとてもよろしいですわ」
思考の巡りを中断させたのは、マザーヒイラギだった。いつものように嘲笑を顔に貼り付け、修道服の中に雷のよう金髪を収めて現れる。ナイは、また今度でいいか、と自己完結し「やぁ。そうは言うけど、いつも通りだよ。ボクは、すべきことは前倒し前倒し、だからね」とあいさつを返した。
「いぃえぇ。そういう意味でなく、せっかく愛しの彼を引っ捕まえたのでしょう? わたくしはてっきり、しっぽりやっているのかと思いましたけれど」
「この小さな体で出来る訳ないじゃないか。現実を見て発言してもらいたいものだね」
「あら! そうですわね、シスターナイはその背格好から成長しないのですものね! ああ可哀そうなシスターナイ! この世の享楽のほとんどを味わえずに死んでいくなんて!」
「ボクとしては愛する人と死ねるなら十分だけどね」
「そうですわね。問題は、その死を無貌の神は“破滅”と認識するのかどうか……」
けひ、と意地汚い嘲笑がマザーヒイラギの口端から漏れ出た。その辺りで、会議に参加するもう二人が現れる。
「皆さんお早いですね。こんばんは」
「定刻を遅れてくる者が居ないというのは、気が引き締まっていいものだね」
アイにベルが、悠々と姿を現した。それにマザーヒイラギは、「ああ! 我らが神の使者に、死の聖女よ! お待ちしておりましたわ!」と両手を広げて歓迎を示す。
「その呼び方むず痒いからやめてほしい、と言う話だったんだがね」
「わたしは結構好きですよ。矛盾具合と使われている言葉が、わたしにピッタリという気がします」
この二人は仕事上組む機会が多いのだが、ずいぶん仲良くなったものだな、とナイは感じる。ベルはARF連中の潜入まで会話を禁じられていたのに、非言語コミュニケーションが功を奏したのか見るときはほとんどの場合愛見とのセットだった。
「じゃ、皆さん始めましょう?」
まるで茶会のような雰囲気で、マザーは会議を始めた。それぞれの目の前にクッキーやケーキがアイのゾンビによって並べられ、紅茶が修羅化カバリストによって注がれる。
「ではまず一つ目。シスターの愛しの人を迎えることが出来たので、シスターと『祝福されし子どもたち』たる彼の結婚式を近い内に執り行いますわ。そこで二人は死を前にしてなお不滅たる愛を誓い、地獄への旅立ちを迎えます」
「おめでとうございます」
「おめでとう」
三人に拍手を受ければ、多少は気分もいいというもの。ナイは不必要になった皮肉気な態度ではなく、ただ素直に「ありがとう」と笑みでもって祝福を受けとる。
「また、我らが聖女も愛しい人との再会が叶ったそうで。その辺りどうなのか、聞かせてほしいですわ」
マザーに質問され、アイは頬を染めて恥ずかしがる。目を包帯で巻き付けているのに、これだけ分かりやすいのも珍しい。と三人で拍手と祝福を送る。
「三つ目。我らが使者、ウッドのご活躍によって、信徒数が千を超えました! また、聖女の従者による誘か、もとい勧誘も同様ですわ! これでお兄様、お姉様を呼ぶ準備も整いつつあります。本当は今すぐお呼びしてもいいのですけれど、やっぱりいっぱいお楽しみになって欲しいですから、お二人をお呼びするのは星辰が揃ったときにする予定です」
お兄様、お姉さま。その意味を真に理解するのは、無貌の神の化身であるナイ、マザーだけなのだろう。アイとベルはよく分からないまま拍手する。喜んでいるのなら、それは良いことなのだろう、と。
「さてみなさん、ひとまずの報告はこんなものですわ。他に何か、話したいことはございまして?」
身を乗り出してのマザーの問いに、アイは首を振る。ベルはへの字口で少し考えているポーズだったので、ナイが「いいかな?」と小さく手を挙げた。
「はいシスターナイ。ご意見をお聞かせ願える?」
「ボクからも確認、というか現状が知りたくてね。ベル、修羅化カバリストでのグレゴリー君の封殺はちゃんとうまくいってる?」
「ああ、もちろんだとも。だが、彼らの中に死者はまだ出ていないね。流石、殺さないことに関しては用心深いが、それ以外は問題にはならないね。彼の超高高度跳躍の着地点に必ず数名配備しているよ。彼は今のところ、逃げるの一手だ」
「そっか、安心したよ」
ナイはその報告で満足し、紅茶で喉を潤した。しかし随分と都合よく使っているな、と思う。修羅化カバリスト。ベルをノア・オリビアに勧誘したとき、彼女はすでに百を超えるカバリストたちを、修羅化し手元で使役していた。
その時のボロボロさ加減と言えば、雪山で一人山狩りに抵抗していた総一郎もかくやというレベルだったのは、記憶に新しい。修羅の指は、その過程で得たものだと。あれだけの経験でなお指しか修羅とならないのだから、ウッドがそのまま敵になったなら中々に脅威だったのではと考えてしまう。
「ああ、そうだ」
そんなことを思っていると、不意にベルが手を打った。何を思い出したのか、彼女は「そういえば」と全員に質問を投げかけてくる。
「残党は結局見つかったかな。たかだか五人、というのはやはり難しいだろうが」
「あぁ、そうですわね。上手いことやっていて、実に面倒ですこと」
「そうか……。いや、いいんだ、ありがとう」
ベルはマザーの返答に項垂れ、ため息を一つ漏らした。それを見て、「まぁまぁ。どうせお兄様、お姉様がくれば同じですわ」とマザーヒイラギは語る。
「そうだね。じゃあ、そちらはいいよ。ともかく、私にもちゃんと約束の件、頼むよ?」
「ええ。あなたの想い人の蘇生、でしたわよね。えぇ、えぇ、任せてください。ちゃあんとファーガスさんとやらを、あなたの前に生き返らせて見せますからね」
けひ、と笑う声を聞き、ナイはうつろな心で同情した。ベルはどこまでファーガスに執着しているのだろう。ナイのように、ただ共に死ねるだけでもいいなら、きっと彼女は多少の想いを遂げられるのだろうが。
そうでなければ、きっとマザーはやはり高々と嘲笑するのだろう。
それから会議は自然とうやむやになり、近況を報告し合いつつ駄弁る、外見通りの茶会になり下がった。そのことをナイは、どうでもいいと思う。
勝った。総一郎に勝利し、彼を独占できる立場となった。ならば後は誰にも邪魔をさせず、式を挙げることだけを考えていればいい。
だというのに気が晴れないのは、何故だろう。心まで独占できていないからだろうか。横紙破りのように総一郎に勝利したからだろうか。
――総一郎君の所為だ。総一郎君が、ボクの心を奪いつくしたのが悪いんだ。
あの日、総一郎から宣戦布告と告白を同時に行われた日以来、ナイの心臓はずっと苦しい。いつもならもっと余裕があったのに、今では自分以外の誰と関わっているのも嫌なくらいに思ってしまう。
昔、似たような時期があった。イギリスで、総一郎が壊れることを知っていて冷たく突き放した直後。あの時は、総一郎をいずれ自分と戦えるだけの弱点の無い強者に育てようとしていたような覚えがある。
何が辛かったかと言えば、あの縁遠いと考えていたローレル・シルヴェスターが総一郎の隣にすっぽりと収まったことだ。
はっきり言ってノーマークの人物だった。極めつけはファーガスという『祝福されし子どもたち』の取り巻きの一人で、未来の見えづらい人間の一人だったという点だ。
取られた。率直にそう感じたのを今でも思い出せる。それだけ屈辱的な記憶だった。だから、彼女へ掛ける圧は普通の人間なら簡単に壊れるようなものばかり選んだ。奴は中々頑丈だったが、壊れかけたところで総一郎が突き放した。
殺してしまえばよかった、と今でも思う。総一郎に憎まれてでも。総一郎の心を今でも大きく占めているのは知っている。知っていてなお、魔法や〈魔術〉のような強引な手段に出たくないと望む甘い自分にも。
「シスターナイ? 気分でもすぐれませんか?」
嘲笑めいた微笑を浮かべて、マザーはナイの顔をのぞき込んでいた。他二人も首を傾げてこちらを見ている。それにそっと首を振って、「いいや、少し考え事をね」と答える。
「これ以上は会議ではなくお茶会になりそうだ。ボクはこの辺りで失礼するよ」
差し出されていた茶菓子を近くのゾンビの口の中に流し込んで、ナイは立ち上がった。手を振って見送る茶会の三人に、ナイは何も思わない。
まだ、すべきことがある。総一郎の言う通りだ。ここで勝負をつけるべきではなかった。総一郎がナイを想ってくれるというのだから、その言葉を信じて彼の想いの純化に注目して攻防戦を重ねるべきだった。
肉体だけでは意味がない。ナイは、ナイを疑いながら、ナイを拒みながら、それでも最後にナイを選んでくれた総一郎の心が欲しい。心のすべてが欲しい。体はその後で良かった。今勝つべきではなかった。
だが、勝負は決している。式の予定も、マザーがすべて整えた。ならばナイは、自分と総一郎の心の準備に勤しまなければならない。
そのために――と考えながら白い廊下を足早に歩いていると、目の前に不思議な影がコロコロ転がっているのが見え、足を止める。そこそこ懐かしい、と言う感情が妙で、目を向けた。
「ん、あ。イッちゃんにご執心の邪神ちゃんだな。おーっす」
「……」
頭だけの狼がそこにあった。地面をコロコロ自走しているようだ。見ない間に進化している、とちょっと動揺してしまう。
「えーっと、君はウルフマン君だね。どうも」
「おっ、挨拶返してくれんのか! お前意外といい奴だな?」
「君元気に悲しいこと言うね」
嘲る前に自嘲されると無貌の神には何もできないのだな、と妙な発見をしてしまう。ひとまずしゃがんで出来るだけ目線を合わせつつ、何故ここに居るのか対話を試みた。
「君アイちゃんの管理下じゃなかったっけ? 彼女束縛癖と言うか、かなり君に執着していたし、自室から解放するとは思ってなかったんだけど」
「ん? 別に許可とかそういうのはないけど、好きにはしてるぞ」
「勝手に移動して怒られないの? 拘束とか」
「頭以外動かせない以上の拘束、おれ知らないぜ」
「なるほど」
もしかしたら世界で一番自由なのはこの頭だけの狼なのではないだろうか。
「まぁ昨日とか勝手に出歩いてるのバレて口をガムテでグルグル巻きにされたけど、そこはほら、狼から一瞬人間に戻ればいいんだし」
「宙づりとかは?」
「頭だけで高所から落下とか、最近何度したかわかんないぞ」
「君もしかしたら最強なんじゃない?」
「だろぉ?」
彼と話してるのは頭使わなくて楽だな、とちょっと思った。
「まっ、そんな訳だから、今後ともよろしく!」
「あっ、うん。よろしくね」
またウルフマンはコロコロと一人で真っ白な廊下を転がっていく。それを目で追いながら、「もしかしてボクの悩みってちっぽけなのでは……?」と首をひねった。




