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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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7話 死が二人を別つまでⅩⅣ

 街角で、ベルを待っていた。


 少しパラつく雨の中でも暖かいのは、本格的な春の訪れを感じさせる。傘を差すか差すまいかの瀬戸際で、総一郎は建物に寄りかかって小さな屋根の下で雨宿りをしていた。


 ベルを待っていたのは、話し合いを兼ねた食事のためだ。ノア・オリビアへの潜入捜査はベルやシェリルと共に行う事となった。シェリルとの話し合いは家で済ませていて、ベルに会いたくないとのことでついてこなかったのだ。


 ふとした思い付きだったミヤさんとの話し合いを契機に、総一郎は潜入調査を決めた。ひとまずはラビットが消極的ながらもこちらの活動に賛同し、状況さえ許せば加勢も辞さないと。ただ全面的な協力のために潜入調査が必要なのだと白羽に説くと、白羽は少し考えて、軽い調子で頷いた。


『ベルっちの仕事ぶりもすごいしね。そろそろご褒美がてら行かせてあげようかなって思ってたんだ。ラビット云々はちょっと信じがたいけど、きっかけとしては良いと思うよ』との話だ。白羽にとっては数ある策の一つに過ぎないのだろう。


 現状ARFにとって取り掛かるべきは、ゾンビ問題を引き起こしているアイの捕獲だ。市長選での功績にもなるし、ARF以外の組織に解決されると立場が悪くなるため急務とされている。


 そのアイを誑かし擁しているのが、ノア・オリビアという推測だった。これは最初総一郎の直観に基づいていたが、アイが駅前のゾンビ事件を引き起こしたときにナイが現れた以上、確定としていいと判断された。


 他の敵対組織は全てねじ伏せ、残るはノア・オリビアだけだとすれば、総力戦と白羽が言うのも納得だ。市長選もイキオベさんはすでに出馬表明をしていて、他の有力候補は亜人関連での後ろ暗い話がARFの情報サーバーに保管されている。選挙が始まり次第情報を拡散すれば、負けはない。


 ただしそれは、選挙そのものが無事に行われるという前提に成り立っている。


「ナイが率いる組織だ。選挙そのものを無価値にしてくるくらいは、やってこない訳がない」


 アーカムという都市そのものが崩壊すれば、市長選には何の意味もなくなる。その方法はいくらでもあるだろう。ウッド時代の悪辣な戦法が脳裏にいくらか浮かぶが、見習った先ともいうべきナイは、その何倍も策を秘めているに違いないのだ。


 ナイは、総一郎を破滅させようとしている。それは、総一郎の手によって破滅させられるためだ。無貌の神の破綻した思考回路がそれを求め、同時に人間らしい“破滅したくない”という感性のためにナイ自身も本気でかかってくる。


「やぁ、待たせてしまったかな」


 顔をあげると、彩のいい傘を差した少女が立っていた。黒のセーターに引き締まったジーパンを穿いた彼女は、格好いいという感想を抱かせる出で立ちだ。それがポップでカラフルな傘を持っているから、何とも言えずコミカルな印象を抱かせられる。


「待ってないよ、ベル。ところでその傘、誰の?」


「えっ、私のだが」


「……じゃあ服は誰が買ったの?」


「ち、父のプレゼントだ」


 趣味が垣間見えた一瞬だった。





 ARFにとってのベルの評価は、基本的に上々だった。


 まず仕事が早く、量をこなしてくれる。腕っぷしの強さに確かなものがあって、怪我をして帰ってくるということが全くない。白羽曰く、もっと前に仲間になってくれていたら、十分に幹部候補だったという。


『仕事の質がハウハウに似てるんだよね。全滅主義とか言われてた時代の』


 カバリストで射出武器を使うという点で似通っているのもあったが、総一郎はそこに歪みを見出してしまう。つまり、病的なまでにストイックな仕事への姿勢に対して。


「とうとう、か。いいよ。私の覚悟はすでに決まっている」


 ノア・オリビア潜入捜査を振っての、ベルの返答だった。総一郎含めたARFがベルに求めるのは、アーリが休養期間でしばらくデスクワークに準じている部分の穴埋めだ。だから、任せても大丈夫という判断が下され次第、アーリが失敗した潜入調査にあてられることは決まっていた。


「いいんだね。かなり危険な任務になると思う。俺も付き添うけど、いざとなれば今までにない戦いになるかもしれない」


「構わないよ。奴らがとても重要視していたソウの手を借りた状態で、奴らに挑める。こんな最高のコンディションで挑んで返り討ちに会うのなら、最初から可能性はなかったんだ」


 目に仄暗い輝きを宿して、ベルは言ってのける。雨の日の喫茶店は静寂に包まれていて、ゆったりとしたジャズが普段より遠のいて感じられる。


 総一郎はその意気込みに、何と返せばいいのか探る。手が自然と、飴色の深い色合いの机を撫でていた。木目をなぞるように指先が円を描き、そして中心へ収斂する。


 知らせるべきだ、と思った。可能性にすぎずとも、相手がナイならば、そして味方にベルが居るならば、十分にありうる最悪の未来のことを。土壇場で折れるくらいならば、ここで折ってしまうくらいの厳しさでもって、覚悟を決められるのかと詰問すべきだと。


「……ソウ? 何を、言おうとしているんだ?」


 緊張に張り詰めた声だった。ベルもカバリストだから、総一郎の所作だけで、ある程度何を言おうとしているのか言い当てることが出来る。それでもなお核心をついてこないのは、アナグラム分析を進めるのが恐ろしいのか。


「言い当ててみなよ」


 総一郎は、甘やかさない。直接告げることすらしない。解明という形でベルが自発的にその事実を知ることを、この場で強制する。ベルは僅かな躊躇いと、それでもなお衰えない意気で問うてくる。


「私は、ARFでずっと試され続けた。実力と比べて難しい任務はなかったよ。だが、今のソウからはそれどころじゃない何かを感じる。……君が試すのは、私の何だ?」


「言うまでもないことだよ。俺が必要と判断したことだ。いいから、言い当てろよ」


 怯えるな、という言葉すら使ってあげない。ベルの感情を、この場で揺さぶれる最大まで揺さぶりきる。きっとそれでも、最悪の場合、事実はベルを壊すだろう。だから総一郎は、この場において、ベルにとってのナイになる。


「は、はは、そうやって強い言葉を使う君は、何だか荒れていた時期を思い出すよ。――分かった。分かったから、そんなに睨まないでほしい」


 総一郎の強硬な態度に動揺を示しながらも、ベルは演算を始めたらしかった。釈然としない面持ちで総一郎を見つめながら、指は数字の形にくるくると机上を走る。


 指の動きが止まったのは、十秒もしない内だった。暗算でこれだけ早い計算というのは、ローレルを始めとして何かしら秘密があるのだろうか。総一郎のそんなどうでもいい思考を余所に、ベルの顔色が青ざめ始める。


「……どうかした?」


 尋ねる。意地悪く。ナイならばこうするから。こうやって、揺さぶってくるから。


「い、いや、済まない。計算違いをしたみたいだ。もう一回やる」


「どうぞ」


 計算結果は変わらないだろう。自分で始めておきながら、嫌な役回りだと思ってしまう。けれどここで折れるとしたら、ナイが居る本拠地には連れていけない。カバリストとは戦えても、まず間違いなくナイにもてあそばれて終わりだ。


 そういう意味では、シェリルもたくましくなったと思う。すがる対象のシスターと決別し、先日は親のゾンビとの遭遇も乗り越えた。あとは精神魔法的な防護策を講じれば、彼女に関しての問題はないだろう。


「ま、また、計算ミスをしたみたいだ。もう一度やる時間が欲しい」


「気が済むまでやっていていいよ」


 指は何度も何度も数字をなぞり、その度に止まっては、震えた。総一郎は何も言わず見つめる。事実は、自分で受け入れなければならない。


「う、嘘だ。そんな」


 ベルは助けを求めるような目で総一郎を見た。総一郎は何も言わない。ただ無言で見返すばかりだ。その態度にベルは動揺する。動揺しながら、また指を動かした。


 五回、十回と計算しなおす過程で、少しずつ指の速度は遅くなっていく。諦念。総一郎は黙して何も語らない。そうして、とうとうベルが演算をやめた。


「……ソウ。本当なの? 本当に、ファーガスが」


 ベルは泣き出しそうな声で確かめてくる。総一郎はもういいだろうと口を開く。


「試すような真似をしてゴメン。確証はないし、事実かも分からない。ただ、十分に危惧してしかるべき状況なんだ。少なくとも俺はそのつもりで、あるいはもっと酷いことになることを想定して動く。そして本当にファーガスだったなら――今度こそ、俺の手で決着をつけようって」


 同時に、ノア・オリビアが擁する首なし全員の責任も。それは口にしなかった。ベルには、関係のないことだ。


 ベルは俯く。それから、音が聞こえるくらい激しく歯を食いしばった。全身が震えだす。それは恐れではない。嘆きでもない。


「許、せない。もし、もしそうだったなら、全員、全員殺しても足りない。奴らの一番大切なものを目の前で粉々にして、ファーガスに触れたことを、生まれてきたことさえ後悔させて、いたぶって殺してやる……!」


 予想をはるかに超える怒気にあてられ、総一郎は余計なお世話だっただろうか、と頬を引きつらせる。この分なら、隙はないと見ていいだろう。たとえファーガスが本当にベルの前に立ちふさがったとしても、彼女は狼狽えるまい。


「改めて大丈夫か、なんてのは無用な問いかな」


「そうだね。それで、決行日はいつになる? 近い内がいいのだが」


 なら直近の日曜日――明日とかどう? と誘う。一も二もなく、ベルは頷いた。













 ノア・オリビアへの潜入調査は、奴らが毎週開いているミサへの参加という形で行うことになった。


「どう、シェリル?」


「ふふっ、大丈夫。まさか私、直視しても問題ない教会があるとは思ってなかったよ」


 シェリルは吸血鬼で、一神教的に悪魔と定められる純血の亜人だ。故にカバラや十字架、聖水などが直接ダメージになるはずなのが、今は教会堂の姿を目にしても平気そうに笑っている。


「ノア・オリビアって本当に邪教なんだなって、改めて分かった。普通の教会なら、遠くで見てるだけで胃がむかむかしてくるもんね。その分全滅させるときやる気も起きるけど」


「無いに越したことはないんじゃない? さて、じゃあシェリルが同行可能ってことで、プランAのまま進めるよ。ベル、いいね」


「もちろんだ」


「じゃあシェリルも深めに帽子をかぶって。寒がりって設定忘れないように」


「すでにだいぶ暑い」


「我慢」


「ソウイチはいつも私に厳しい……」


 昼前に、総一郎、ベル、シェリルの三人はノア・オリビアの教会の前に集まっていた。雲一つない晴天がどこか狙ったように感じてしまうのは、ナイの本拠地であるとすでにある程度掴んでいるからか。


 三人はミサの列ができるのを、近くの建物の影から観察している形だった。見ている限り、私服の人間は数十人いて、それを修道服の面々が誘導している、という形だ。


「私服の人たちは一般人と見たよ。ベルは?」


「私も同意見だ。アナグラムを解く限り、彼らは近くに熱心な教会ができたから少し行ってみよう、という感じだな。他の教会が“何故か”開いていないのもその理由の一端を担っていそうだ」


「ならうだうだしてないで私たちも並ぼうよ」


 総一郎がシェリルに厳しいというが、それでいえばシェリルはベルに厳しいのでは、と思わせられる声音で急かした。多少キョトンとしながら、ベルは頷く。


 最後尾に並ぶ三人は、カバラのおかげでひどく自然だった。昨今のアーカムの宗教事情は、不安定な情勢もあってか老若男女関係なく熱心な人が多い。つまり総一郎のような少年も、ベルのような少女も、シェリルのような幼子ですら保護者がいれば目立たない。


「教会が開かれました。どうぞお進みください。初めての方は入り口のリーフレットをお忘れなきよう」


 白の修道服の女性が言う。総一郎は、カバラを使うまでもなく分かった。あの首狩りの記憶は、ウッドにとっては些事でも総一郎にとっては鮮烈で強烈だった。ちら、と服の襟元から包帯がのぞく。首を固定するための包帯が。


「どうされました?」


 総一郎の目線に気付いて、女性が尋ねてきた。総一郎は肩を竦めての微笑で誤魔化し、シェリルの頭に触れて精神魔法の防御を掛ける。


「ソウ、今の」


「ベル、受け取ったリーフレットは、君の面接のときの契約書とは真逆だよ。アナグラムを極力隠した、洗脳のそれだ」


「……分かった。自分で対処しよう」


「そうして。シェリルはもう対策したから、安心してリーフレット開いてね。俺もベルもそうするから」


「はーい」


 前の人々は、歩きながら供えられた聖水に触れる人や、聖体らしき木片に触れる人、そのどちらにも触れない人と様々だ。総一郎たちは無論全員触れずに進む。そうやって列に従って進み、木製の長椅子にシェリル、総一郎、ベルの順に並んで座った。


 修道服の首なしたちは、それぞれ壁際に沿って等間隔に立っていた。その並びは、どこか参拝者たちを取り囲むような雰囲気がある。それからしばらくすると、奥の方から修道服の小さな影が現れた。顔立ちは日本らしいそれだが、僅かにうかがえる髪の毛は金色だ。


「今日はよくお集まりいただきました。わたくしはこの教会の司祭を務める、マザー・ヒイラギというものです」


 少女。容姿端麗な彼女が、ノア・オリビアで年齢不相応な立場を演じているとなると。そこにどうしてもついて回るのは無貌の神のおぞましい影だ。総一郎は警戒を強める。


「本日も多く、新しい敬虔な信徒の皆様にあえて光栄です。皆様がここに集った理由は、すでに分かっています。アーカムに跳梁跋扈する、恐ろしき怪物たち。どこにいても迫りくる悪意の魔の手。それらの恐ろしさに、しかし居も移せず震えるしかないのでしょう」


 聞き取りやすい、清涼感すらある声に総一郎たちですら聞きほれる。ヒイラギを名乗る彼女は、静かに告げた。


「ご安心ください。神は皆さまをお守りくださいます。さぁ、まずはご一緒に神をたたえる聖歌を。お手元のリーフレットをお開きください」


 躊躇わず開く。そこに書いてあるのは、一見普通の歌詞だ。だが、脳を守る精神魔法が耳の奥でバチバチと音を立てている。露骨に洗脳の魔法をかけられるのは、これが初めてだ。


 すかさずシェリル、ベルの二人を見て、洗脳状態ではないと確認する。それから周囲をうかがった。一見普通にしているため、今はその真似をする。


「開きましたね。では皆様、歌いましょう」


 マザー・ヒイラギの指示で首なしの一人がピアノについた。その隙に、総一郎は精神魔法の防御音からアナグラムを割り出し演算に掛ける。総一郎たちに掛けられたのは――意識をもうろうとさせるそれか。ならば歌いだしは、洗脳下にあれば必ずワンテンポ遅れる。


 曲が流れ始める。総一郎はアイコンタクトでシェリルに口パクを指示し、ベルに一応の確認を取る。それから、周り同様ワンテンポ遅れて歌いだした。


「……今日は……ない」「遅れ……全員……」


 歌に紛れて、首なしたちがぼそぼそと会話を交える。総一郎は、冷や汗の伝う感覚に少し震えた。罠から逃れた先にも罠が構えられている。なるほど、アーリすら捉えたその背信者狩りは、伊達ではないということか。


 歌は声高に響き、聖堂内を反響する。その歌の共鳴に、また精神魔法の防御機構がバチバチと音を立て始める。カバラで解析したその効果は、歌詞への集中過剰、認識の改変。そこまで気づいたときに、ベルがサインで伝えてくる。


 ――ソウ、リーフレットの歌詞の内、一定の規則性で参拝者に読めなくなる字がある。それを歌ったら気づかれる。


 シェリルに同様の意図を伝え、その上で規則性を割り出しにかかった。だんだん歌の歌詞がリーフとレットから外れだし、バラバラになり始める。だが、最後には解消された。


『おお、神よ。ノアの箱舟に乗りたる我らに、地上の洪水は去ったと教えたまえ。我らの放った鳩に、オリーブの枝を咥えさせたまえ』


 半分近く残っていた歌詞が、たったこの一節に集約した。歌は半ば唐突さを示しながら終焉を迎える。総一郎は腹立たしさを隠しながら、周囲の恍惚とした参拝者たちの真似に勤しんだ。


「……お疲れさまでした。ご着席ください。――前から一行目のアジア人女性、後ろから三列目の黒人男性を」


「はい」


 音魔法で聞き取った指示は、一つ目の罠に割り出されなかった手練れのスパイを二人告発するものだった。首なしたちはスムーズに音もなくその二人を確保して、その首筋に注射を打つ。その手練手管に、総一郎は静かな抵抗は難しいだろうと判断した。


「それでは皆様、ご起立ください。このまま地下の礼拝所に向かいます」


 周り同様、ゆったりした挙動で三人は立ち上がる。それから列になって移動する最中、カバラで周囲の目が総一郎たちから外れた瞬間を見計らって、光、音、熱を魔法で遮断し、地下の廊下で単独行動を開始した。


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