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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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7話 死が二人を別つまでⅣ

 心臓が、早鐘を打っている。


 自分がしたことでは決してない。総一郎は確証を持っている。総一郎はずっと、白羽と共にイキオベさんと会食していたのだ。眠るなど、意識を失っていた時間はない。


「もう一回、確認するよ。ハウンドは、ウッドに襲われたんだって言うんだね」


「……ああ。あの木面は、ウッド以外にあり得ねぇ」


 傷の治療を終えて、数十分。総一郎、白羽、アーリの三人は夜中、リビングの机で話し合っていた。家の他の面々はもう眠りについていたため、小さな電気だけつけて、小声で話し合っている。


「どういう状況で襲われたか、教えてもらっていい?」


「ああ。……悪いな。映像も録画してたはずだったんだけどよ、確認したら壊されてたみたいだ。口頭でいいか?」


 ホログラムディスプレイに、砂嵐となった映像を流す。人間の中にある電子的なデータのみを破壊する、というのは想像に難い。ともすれば、殺すよりも難題だ。


「あらまし自体は、簡単だ。アタシが部下の手引きでノア・オリビアの教会に侵入して、ウッドみたいな奴にとっちめられて命からがら逃げだした。それだけだ」


「その、『ウッド』とやらの、特徴を教えてもらっていいかな」


 総一郎の問いに、アーリはじっと見つめ返してくる。それから目をそらしながら、弱気な声とともに首肯した。


「まず、何よりも仮面だ。あの表情の変化する木面だった。服装は、信者に紛れてたのか白い修道服だ。アタシも部下に服を借りて着てたんだが、すぐにバレて奇襲を受け……この様だ」


「どんな攻撃だった? あの傷は、魔法や銃によるものじゃなかったよね」


 白羽の問いに、アーリは幾分か気安く頷く。


「何をされたのか、いまだによく分かってないんだけどよ――剣、だったと思う。眼前に現れて、一振りされた。直撃しなかったんだ。けど、吹き飛ばされて、ボロボロになって逃げるしかなかった」


「総ちゃん、そういう芸当ができる人、知ってる?」


 白羽が問いかけてきて、総一郎は記憶をさらった。剣と、不可解な術。想定可能なのは――


「二人、いるよ。使っている剣の種類で、変わってくる。その偽ウッドの武器、どんな特徴だったか、覚えてる?」


「……すまん、覚えてない」


「そう。いや、いいんだ。無事に帰ってきてくれただけで」


 笑いかける。だが、返ってきたのは、無理に作られたそれだった。疑われている。疑いたくないと祈りながら、アーリは総一郎を信じられないでいる。


「……その『ウッド』は、そんなに俺に似てたかな」


 思わず、不貞腐れるような言葉で聞いていた。アーリは苦しい顔で、話し始めた。


「ただウッドなだけだったなら、アタシもこんな態度はとらない。アタシだってあいつと長期間一緒に過ごして、あいつと戦い続けたつもりだ。今更ウッドを怖がったりしないし、またソウがウッドに呑まれても、すぐにみんなで助けにいくさ。――ただ」


「ただ?」


 白羽が冷静に続きを促す。総一郎は余裕がなく、ただ唾を飲み下した。


「……怖いんだ。人生で初めて、アナグラムに触れてこんなに怖いと思った。ウッドと全く同じアナグラムを示してるのに、ノア・オリビアで出会った『ウッド』はアタシを笑いながら甚振った」


「私にとってのウッドって、結構そういう存在だけど」


「いや確かに、ボスとか一般人からしてみればそうなんだけどな。その、なんつーかアタシはアタシなりにウッドのことを気に入ってたんだよ。多分それはソウの人間性みたいなのが根本にあると思うんだけど、ノア・オリビアの『ウッド』にはそれがなかった」


 総一郎はその説明に、確かにと納得していた。アーリは当時ウッドのアナグラムが集まっていたのもあって、分離状態にあったアーリ、ハウンドの人格を無意識下に使い分けてウッドの懐に潜り込んだ。その待遇はウッド相手からでは格別で、よく立ち回ったと思う。


 だからこそ、今回の件とのギャップに困惑しているのだろう。アナグラムには変化が見られないのに、どう干渉していいか分からない。電卓の答えが間違っていたときのようなものだ。自分か相手か、どちらかがおかしいと考えてしまっている。


「本人以外には、そのレベルの一致ってあり得ないの?」


 白羽が聞いてきて、アーリは難しい顔だ。いくらか考えて、ノートを取り出してくる。


「ハウハウノート使うんだ。全部ホログラムで処理すると思ってた」


「原始的だけど、ペンと紙ってのは情報伝達と整理の完成形の一つだ。落書きレベルの雑な話なら、このくらいの方が話しやすい」


 紙にガリガリと数字を羅列していく。たまに挿入されるアルファベットで、何を示しているのか総一郎は把握した。


「人物像のアナグラムだね。身長、体重、仮面と。……確かにウッドと一致してる」


「遺伝子情報まで確保しないで本人とか言っちゃうのはどうなの?」


「いやボス、そこまで求められんのはキツイって。マジで生き死にくらいの気持ちで逃げてきたんだぞ?」


「ふーん……で、多分四区切りあるけど、総ちゃん最後の数字の意味ぼかしたよね。これどういう意味があるの?」


 白羽の疑問に、総一郎は答えた。


「戦い方の本質が、どれだけウッドに似ているか。ほら、0がいくつも並んでるでしょ? これはつまり、ウッドとほとんど同じ性質を持ってるってことを示してる」


「本質ってつまり何?」


 むぐ、とアーリと総一郎が同時に詰まる。確かに曖昧な言葉だ。少し考えて、電脳魔術の演算にアナグラムを掛ける。躊躇いがちに、答えた。


「習得した武術、技術、遺伝的所作、エネルギーの総量、かな。他にもあるけど、多分無視できる」


「なら、今言った四つが総ちゃんに似た人物が居れば、それがウッドの偽物の本体ってことになる。違う? ハウンド」


「……そう、だな。そういう奴がいてくれれば、あたしも気が楽になる」


「さっき言った二人っていうのは、それに当てはまる?」


「どうだろう。はた目から見れば全然違うと思う。けど、二人ともそれぞれ、俺と大きな共通点があるから、アナグラム上でなら似るのかもしれない」


「そっか。で、本題ね。――それは誰。私の、知ってる人?」


 白羽の問いに、総一郎はしばし沈黙した。それから、苦い顔で言う。


「確証が持てないから、言いたくない。どちらも、俺の大切な人だ」


 その言葉に、アーリが机を叩いて立ち上がった。見上げると、泣きそうなほどに歪められた表情があった。不安、恐怖。身内が死に、自身も死にかけた経験を持つが故に、アーリはそれに耐えられない。


「ソウ、それはないぜ。頼むからはっきりしてくれ。ウッドは分裂出来るからアリバイなんかじゃ効かねぇんだ。それとも何だ、本当はまだソウじゃなく、ウッドがソウのふりをしてるだけだってのか?」


 その言葉に、総一郎は頭に血が上る感覚を抱いた。思わず立ち上がり、椅子が動く。


「不安なのが君だけだと思うなよ。誰が一番ウッドの怖さを知ってると思ってるんだ! 俺がどれだけ」


「二人とも止めて。みんな起きちゃう」


 大声を上げつつあった総一郎とアーリに、ぴしゃりと白羽は言ってのけた。冷や水を浴びせられたような気持になって、喧嘩になりつつあった二人はそれぞれ座り直し、互いに謝りだす。


「悪い。……そうだよな、ウッドがいるなんて言われて、一番怖いのはソウだっていうのに。でも、その、信じたかったんだ。信じさせてほしくて、だから、……挑発するようなことを言っちまった。すまん」


「こちらこそ、ごめん。――アーリの言う通り、ここではっきりさせるべきなんだと思う。ただ、……俺も臆病だ。頭の中の漠然とした疑いを、言葉にしてしまうのが恐い。だから言えなかった」


 渋い顔でただ言葉を濁すしかない総一郎を、白羽はフォローした。


「大丈夫だよ、ハウハウ。総ちゃんの口ぶり的に、私は何となくどっちも想定がついてる。けど私も総ちゃんと同じで、その偽物がどっちであっても嫌だなって思うから、出来れば許してあげて欲しいんだ」


「……そう、か。分かった。ボスに心当たりがあるってんなら、信じよう。ボスは感情と理屈を分ける人だ。肝心なところじゃ出し惜しまないのは知ってるから、今回はそれでいい」


「ありがとう。でも、ハウハウですら潜入が難しいとなると、色々考えちゃうよね。カバリストの擬態を見破れるのって、カバリスト以外にいる?」


 白羽の質問に、アーリはハッとする。それからうつむいて考え込みも首を振った。


「カバリスト以外に、カバリストを見破れる奴は居ない。例外はボスみたいな天使くらいのもんだ。つまり、より神に近い存在以外に例外はない」


「ちょうど疑わしいのが最近居たよね、総ちゃん?」


 白羽が流し目で見てきて、総一郎は血の気の引くような思いをする。もしもそうだとしたら、総一郎にとってノア・オリビアは史上最悪の組織になる。


「……イギリスからのカバリストは、確かにあつらえたような存在だ」


 だが、とも思う。先日あった時は、友好さを強調していた。そこに交渉の余地はなく、敵ではないというアピールのみに奴らは終始していた。


 欺かれている、にしてはあまりにもお粗末だ。総一郎は僅かに吟味し、頷いた。


「そう、だね。あのカバリスト達が関与している可能性は高いと思う。目的がどこにあるのかは見当がつかないけど、ナイとカバリスト達は以前もお互いを何となく知りながら利用しあってる部分があった。手を組んでも不思議じゃないよ」


「となると、カバリスト以外を派遣するのは怖いね。もしくは、カバリストに対しても有効なくらい強い亜人のメンバー」


「カバリストに対して亜人は無力じゃないの? ……と思ったけどウッドがJに鉤爪でやられたり、シェリルも結構手こずったね」


「あの二人は亜人でも純血だからね。カバラをいくつかARFで実験したけど、ルーツになる亜人から近いほど使いづらいみたい。しかもその分種族魔法が強力で、それがカバラの穴になるんだよね」


「カバラってヴァンプの霧化能力とかに対応してないのな……。計算できなくてすげぇビビったぜあの時」


「種族魔法ってあんまり気にしてなかったけど、カバラの対抗策になるのか。興味深い」


 総一郎は言って、ふむと唇に手を当てる。少々宗教的な話が混ざりそうだが、それも含めて気になる内容だった。神。邪神は身近な敵だが、一神教の神も特有の形でこの世界に大きな影響をもたらしているらしい。


「でも、ハウハウですら潜入が難しいとなると、ノア・オリビアはいったん放置するしかなさそうだね。総ちゃんを単独で向かわせるのも怖いし。ハウハウ以上に武闘派のカバリストがその辺に転がってたり……しないしねぇ」


「一撃とはいえほとんどアナグラム一致するレベルの『ウッド』だからなぁ」


 姉組二人は唸りながら思案顔だ。確かに単独で、ナイが構えただろう本拠地に乗り込むのは、リスキーに過ぎると総一郎でも思う。


「こんなときにウー君が五体満足だったならね」


 ウルフマン。最初にウッドの相手を務めた、ARFでもトップのぶつかり強さの持ち主。今頃ぐーすかいびきをかいて寝ているだろうあの狼の頭の事を思い出し、総一郎はまた罪悪感に頭を下げる。











 夢を見た。最悪の悪夢だった。


 目の前に立つ、木面の男。その輪郭はあやふやで、ただ木面だけがはっきりとしている。その周りには燃え盛る炎が立ち上り、総一郎たちの立つ場所を舐め尽くさんと勢いを増していた。


 どこだろう、と思う。夢であるのは、自然に分かっていた。だが、場所が分からない。ただ一つ分かっているのは、対峙する木面の男がウッドではないことだけだ。


「……」


 総一郎が見つめていると、木面の男は静かに得物を構えた。刃。だが、その刀剣の種類は煙に巻かれてやはり分からなかった。総一郎はいつの間にか手にしていた木刀を構える。男の木面は歪み、しかしウッドとは違った含みのある笑みを浮かべた。


「誰だ」


 総一郎は問う。


「あなたなのか、それとも、君なのか」


 誰だ。重ねて問う。木面の男は答えない。木面ばかりが浮き上がるようにはっきりとしている中、煙に紛れた胡乱な太刀筋が襲い来た。


 接近は一瞬だった。受けられない剣ではなかった。だが躱した。総一郎の眼前を薙いだ刃が、周囲の猛々しい炎を吹き飛ばした。


 石造りと木造の入り混じった不可思議な場所であると、その時にやっと知れた。それをして、総一郎は歯噛みする。どちらでも嫌だ。どちらであっても最悪だ。


 今度はこちらから打ちかかる。総一郎の木刀は男の得物でもって受け止められた。そこで異様な気配を感じ、身をかがめる。衝撃の余波のようなものが上から襲ってきて、潰されそうになる。


「……『異形の能力』」


 立ち上がるついでに、隙を突いて木刀で斬り上げる。男の剣を持つ腕が宙を舞い、炎の中に落ちていった。――君は変わらず、剣ではまだまだだ。かつての相手を思い浮かべながら、当時より成長した自分の剣を思う。


 だが、違った。隙を突けたのではなかった。木面の男にとって、腕になど何の未練もないだけだったと知れたのは、そのすぐ後だった。


 斬り上げた後に飛びのいて体勢を立て直した総一郎に、影が背後から切りかかった。間一髪で凌いで間合いを取ると、どす黒い木刀が炎の狭間から顔をのぞかせた。


 総一郎は、血の気の引く想いに瞠目していた。影は僅かばかりの時間不定形に歪み、そして木面の男の姿をかたどった。修羅、と考える。直後殺気を感じて飛びのくと、木面の男本体の振るった剣の衝撃が、総一郎が立っていた地面を爆ぜさせた。


「やめてよ」


 総一郎は、両者に震える手で木刀の切っ先を突き付ける。表情は辛さに歪み、泣きそうな顔で首を振る。


「もう俺はウッドじゃないんだ。大切な人と傷つけあうなんて嫌なんだ。俺は、あなたも、君も、敵にしたくない。だから、頼むよ、やめてよ……!」


 二人の木面の男は、それぞれに総一郎ににじり寄る。その奥で、小柄な影が揺らめいた。クスクスと鈴の頃がしたような笑い声が響く。


「愛してるよ、総一郎君。ボクが、この世で一番、君を愛してる」


 木面の男たちが同時に総一郎に切りかかった。総一郎は慟哭しながら、木刀を横なぎに振るう。


 血。木面の男たちの腹が裂け、多くの血を上げて倒れていった。多量の出血が雨がごとく降り注ぎ、その場全体を鎮火させ、そのままに溶かして全てを闇に沈めていく。


 終わりだと思った。夢の、終わりだと。


「――俺は、自分の命が危うくなれば、今でも相手を殺すんだな」


 まるでウッドのような酷薄な口調で、総一郎は呟いていた。瞼を開く。まだ日の昇らない早い時間。今日はベッドに忍び込む誰かはいないようで、「よかった」と言葉が零れた。


 誰しも、慰めてもらいたい涙と、触れないで欲しい涙がある。前者は自分に非がないときのもの。そして後者は自分にこそ非があるときのもの。


 総一郎は確信する。どちらであったとしても、きっと最後には総一郎と木面の男のどちらかが死ぬ。そしてそのとき、総一郎の死は避けられまい。死ねば死ぬだけだ。だが殺せば人間性が破綻を迎える。


「……そのときは任せたよ、ウッド。そうなったらもう、君を止めるものは何もないから」


 体ではないどこか奥底で、うずくような感覚があった。お前は仕方のない奴だ、と嗤っているようだった。


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