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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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6話 決別ⅩⅨ

 総一郎は直観した。これは、シスターズの片割れ、妹の記憶であると。


「大丈夫、大丈夫だからね、シェリル。何でかは分からないけど、ラビットが助けてくれた。ウッドはきっとラビットが倒してくれる。だから泣き止んで? ね?」


「うん、うん……!」


 総一郎の中に恐怖があふれて、涙の形をとって瞳から流れ出す。確か、本名をシェリル・トーマスといったか。きっとこれは、シェリルの追体験なのだ、と感情の波に流されながら、どこか遠い気持ちで総一郎は分析していた。


 周囲は夜の闇に覆われていて、寒い風が吹いている。どこかのビルの屋上に、ラビットに救い出された直後の記憶だろう。つまり、ウッドに殺されかけたばかりの頃。そしてもう少しすれば、ウッドがグレゴリーに殺されかける時間だ。


「ともかく、家に帰ろう? ほら、泣き止んで。お願いだから」


「ごめ、ごめんなさい、お姉様。すぐ、な、泣き止む、から」


 総一郎の体が、震える呼吸をどうにか制御しようと躍起になり始める。危険だ、と思った。肉体の変調から、感情を強制的に同調させられる。幸い意識だけは自由に動かせたので、カバラの補助で限りなくシェリルの状態を客観視できるようにした。


 シェリルは少しずつ呼吸を整えて、数分してやっと元の状態に戻った。これだけの恐怖を与えたのが自分自身であったから、総一郎はどうしても目をそむけたくなってしまう。


「もう、大丈夫だよ、お姉様」


「うん、偉いね。じゃあ、一度家に戻ろう?」


 それにしても、と思う。他人の前では言葉をつなぎ合わせて、一つの連続する文脈を交互に話すような形をとっていたのに、二人きりになるとこれだけ立場が変わるのだ、と不思議な発見をした気分だった。二人は霧のように変化して、家の方角を目指す。


 移動に身を任せながら、総一郎は思案していた。ミスの末に爆ぜた、シスターズの精神魔法。効果は変わらず発揮されたようだが、その内容が強制的な洗脳と言うのでなく、過去を共有するというものになるのは予想外だった。


(そもそも、こういった魔法の呪文は何処で知ったんだ? いや、亜人だから念じるだけで魔法の形になるのか。なら、シスターズが俺に自分の過去を知ることを無意識化に望んでいたのか? ……まだ判断材料が足りないな)


 再び、体が霧から戻った。家に着いたのかと思えば、違う。どこかの個室の中で、目の前には巨躯の大男が居て、そのまま拳骨を落とされたから堪ったものではない。


「いったー!」「何すんの!」


「何すんのじゃねぇ! 霧になって抜け出そうとしやがって! お前悪いことをしたから反省室に入れられたのを理解しろ!」


「おじさんの」「ケチ!」


「このバカ娘が!」


 再度落とされる拳骨に、総一郎は場面が移ったのだと理解した。これはきっと、もっと以前の話だろう。ラビットに助け出されたときよりも、前の記憶。それに、この大男の姿を覚えている。これは確かピッグの人間の姿だ。


「ったく。ま、こうやって素直に怒られてくれるだけ、昔よりはマシになったけどな。そこは褒めてやる」


 無骨な分厚い手の平が、シスターズ両方の頭を撫でた。湧き上がる感情は安堵、それから、血の気の引く感覚と拒否感だ。


「気安く撫でないで!」「私たちは由緒高き悪魔の血統!」「そうやすやすと懐くと思ったら」「大間違いなんだからね!」


「そんなこと言ったらオレは有名な女神の直属だぞ。生憎、“元”が付くんだがよ」


「う」「る」「さ」「い!」


「可愛くねぇガキんちょだよお前は」


 二人平等にデコピンをかまされ、悶絶するシスターズ。痛みだけでも連結を切れないかな、と総一郎は考えるが、どうやら現実とこの追体験は時間の流れが違うため、抵抗は難しそうだと知る。


「ったく、俺とハウンドだけでお前の世話を見なきゃならねぇってんだから大変だってのに。先に言っておくがな。お前の相手をしてやってる二人はARFでも大幹部で、かなり多忙なんだからな。いつまでも構ってられると思うんじゃねぇぞ」


 ピッグは額を押さえながらぼやくと、不意に怯えの感情が身を震わせるのに総一郎は気付いた。ピッグの言葉が原因だろうが、その理由が総一郎には理解できない。


「ほ、他の人が来る……の?」


「ダメ、おじさん。謝るから。謝るから他の人はダメ。ボスとおじさんと、無口な人以外はシェリルが怖がるから」


 シェリルの口からは戸惑いの言葉が、姉からは嘆願が飛び出したのを受けて、ピッグは息をのんで口を押えた。それから渋く目をつむって、彼はしゃがんで目線を合わせてくる。


「ッ。……すまねぇシェリル。オレの失言だった。怖がることなんてねぇからな。お前を他のメンバーに任せたりはしない。お前は大切な家族だ。どんなに忙しくても、俺か、ハウンドか、最悪でも姐さんが顔を出してくれる。だから安心しろ」


 シェリルは撫でられる。今度はその手を拒まず、しかし総一郎は少女の口の中で、言葉にならない言葉が紡がれるのを知った。


「私の家族は一人だけ。理解者面しないで、嘘つき」













 記憶は飛び飛びに再生され、総一郎は客観視に努めようとしても、五感の共有が起こっている以上どうしても感情移入してしまう。


 なるほど、と総一郎は納得する。確かにこれなら、強制的な洗脳よりも根の深い支配が行える。要は、これは相手にシスターズを同一視させる方法なのだ。他人の命令ならば拒めても、自分の欲求は別だろう、という考えに基づいている。


 総一郎が追体験したシスターズの記憶は様々だった。悪戯のそれ、食事のそれ、徐々に減っていった実験のそれ。街を二人で散策するようなのどかな記憶もあったし、一方でピッグの指示を受けて、渋々ながら邪魔なギャングを吸血鬼に変えてしまうようなものもあった。


 その中で見つけた法則は、この飛び飛びの記憶は一貫して過去へ向かい続けているという事だった。しかしこれだけではない。


 シスターズは、記憶の逆行が進めば進むほど、ARFに対す不信感をあらわにしていくのだ。


 唯一の例外と言えばリーダーである白羽くらいのもので、他の人間は怖がって相手にもしようとしない。ピッグやハウンドにさえ、現状ではロクに会話もできないでいた。


 単純な戦闘能力だけでいえば準備をしてきたハウンドにも劣らないというのに、何を恐れる必要があるのだろう、と疑問に思っていたのだ。


 “それまでは”。


「誰にも会いたくない。どこにも行きたくない。怖いよ、私、他の人が怖い。お姉様以外、居なくなっちゃえばいいのに……!」


「シェリル……」


 シスターズに与えられた小さな部屋でうずくまるシェリルを、姉がただ手を握って慰めている。零れる涙は絶え間なく、こうも沈鬱な記憶が続くと、総一郎とて揺らぎかねない。


「もう、誰も信じない。私には、お姉様だけ。他の人なんて、もう」


 シェリルは目を強くつむる。総一郎は、来た、と思った。視界を初めとした五感が閉じられた時、記憶は移り変わる。


 シェリルが目を開いた時、総一郎は激しく動揺した。


「うふ、お目覚めのようですね。初めまして、わたくしは今回の実験を受け持たせていただきます、ファイアーピッグの直属の部下の一人です」


 目の前に立っていたのは、髪が雷のような金色にのばされた、得体のしれない少女だった。白衣を着け、明らかに常人から逸した輝きを灯す瞳でもってシェリルを見つめている。


 そのどこかルフィナに似た気品のある喋り方に相反して、周囲に用意された器具の数々はどれも拷問を思わせるものばかりだった。シェリルはどうやら寝起きだったらしく、驚きに体を震わせ、ついで全身が拘束状態にあると気付く。


 それは、椅子型の拘束具だった。総一郎は電気椅子による処刑を想起する。


「ひっ、あっ、何!? やだ、何するの? 誰? あ、お、お姉様、お姉様は?」


「お姉様? ああ! あれなら邪魔でしたしこう……クシャッと。そんなことはどうでもいいんですのよ! わたくしが今回受け持つのは、ヴァンパイアである貴女の耐久実験です! 吸血鬼って頑丈なんでしょう? どれだけ頑丈なのか知っていれば、これから役に立つと思わなくて?」


「え、え」


「ひとまずはー、爪から行きましょう」


「ひっ」


 爪をはぎ取る専用のような拷問器具をシェリルに近づけてきて、ニタニタと気味の悪い薄ら笑いを浮かべる。シェリルは霧に変化しようとしたが、その少女が指を鳴らしただけで出来なくなったことが総一郎にも分かった。


「えっ、あっ、何で」


「さぁ、行きますわよ。綺麗な悲鳴、聞かせてくださいね」


 見ればすでに指が嵌められ、抜けないよう固定されて、拳が下ろされ、力任せにシェリルの爪が剥がされた。痛みに総一郎は、シェリルに同調して悲鳴を上げる。それに目の前の少女は、頬に両手を当ててうっとりと声を漏らした。


「あぁ……、綺麗な声。これだから悲鳴を聞くのを止められませんわ。素敵なおじさまの慟哭もよろしいですけれど、いたいけな女の子の悲鳴も素敵……。おっと、いけないいけない、これも実験ですからね、ちゃんと記録を――なるほど、再生能力は素晴らしいんですのね」


 少女が言い終わる頃には痛みが引き、シェリルの視線が指へ向かったことで、総一郎はその治癒力を知った。ウッドほどとは言わないにしろ、もう完治しているのだから吸血鬼の真祖はすさまじい。


 だが、ならば、その真祖を良いように扱っている目の前の女は誰なのだ。


「ふむふむ、なるほどなるほど。爪くらいならば一瞬ですのね。では次は、腕を行きましょう」


「嘘、嘘、や、いや! 助けて! 助けてお姉様! お姉様ぁ!」


 取り出したのはそれこそ人の腕ほどもある分厚い鉈だった。女はクスクス笑いながらそれを高く掲げ、シェリルの腕に狙いを定める。


「何を嫌がることがありますの? 痛いだけじゃないですか。殺されるよりずっとマシでしょう? あなたの家族のように、ね」


「あ……、あ……!」


 怒りで視界が真っ赤に染まる。その瞬間を待っていたかのように、少女は鉈を振り下ろした。悲鳴さえ失って、総一郎はマズイと堪える。


(ダメだ、これ以上は俺ですら危ない。この激しい痛みはシェリルとの同調を免れない)


 いつしかシスターズをシェリルと呼ぶようになったことすら気付かずに、総一郎は自らに危機意識を促した。しかし目の前の少女は、何処まで見ているのかシェリルにも総一郎にも難しい局面を作り出す。


「いた、い、いた、ぁ、あぁ、あぁぁぁぁぁぁああ! 痛い、痛い、痛いぃ、あ、う、腕、う」


「あら、もうくっつき始めてる。凄いんですのね。でも、これじゃあダメなんですのよ。これは実験ですから」


 少女は切断された腕の拘束のみを取り外し、くっつき始めていた筋線維ごと腕を引きぬいた。シェリルはまた悲鳴を上げる。総一郎も少女に向ける視線に恨みがこもり始める。


「さて、どんなふうに再生するのか……まぁ! 素晴らしいですわ! 腕をくっつけられないと見るや、そのまま腕を生やしてしまおうとするだなんて! じゃあ、こうしたらどうなるんですの?」


 今度奴が持ち出してきたのは、拷問器具ですらない、ただの板だった。それを、シェリルの再生する腕の断面近くに設置する。急速に再生していた腕はそこで動きを止められ、必然的に腕の切断面が板に強く押し付けられる形になる。


「痛いぃぃぃいいいいいい! やだやだやだ! 外して、外してよぉ!」


「うふ、ダメですよ。そういう時は、ちゃんと丁寧にお願いしないと」


「あっ、いっ、いぃぃぃいいいいいい! はずっ、外してくだい、くださいぃ!」


「もっとちゃあんとしなきゃ、ダメでしょう? 外してください、お・ね・が・い・し・ま・す♪ はっきりしっかり言わなきゃ」


「は、はず、外してくださいッ、お、お願いします!」


「噛んだからやりなおーし、です」


 鬼だ。と総一郎は思う。その後もこのやり取りは続いた。シェリルが痛みに言葉をまともに言えないことを分かっていて、この仕打ちだ。それが十数回繰り返され、やっと噛まずに言えたところで、雷のような長髪の少女は言った。


「うふ、可愛いですね、必死で。でも、何か気が向かないのでダメです」


「……ぇ」


「じゃあ、そちらの腕は放置して、他の部分行きましょうか。次は――そうですね、足とかどうで」


 しょう、の言い切りはかなわなかった。乱入してきた白羽が無言で走りきて、少女を殴り倒したからだ。


 あの細腕からは想像もできないような鋭い拳だった。全身の体重が乗せられた一撃は少女を壁まで飛ばし、そこにピッグが入ってくる。


「おいッ、無事かヴァンプ――テメェ、誰がこんな実験の許可出したァ!」


 倒された少女の襟首をつかんで、ピッグは高く持ち上げた。苦しそうに顔色を青くしながらも、少女は気味の悪い笑みを止めない。その隙に白羽は板を外し、素早くシェリルの拘束を解いた。


「もう大丈夫だよ、シェリルちゃん。安心して」


「あ、ぼ、ボス。お、お姉様は、お姉様は?」


「副リーダー」


「そこの訳分かんねぇ拘束が外れてりゃあすぐに顕現します、姐さん」


「シェリル!」


 シェリルの腕が再生したところで、シェリルに瓜二つな姉が駆け寄ってきた。それから、強く安心させるように抱きしめて、「ごめんね、怖い思いさせたね、こんなお姉様を許してね」と安心させるように繰り返す。


 その横で、次は少女がヒルディスに襟首を持ち上げられたまま、尋問に掛けられていた。


「うふ、何ですかみんなして怖いですね。それより下ろしてくださいよぉ。わたくし、首元が苦しくって。放さないと泣いてしまいますよ?」


「敵意むき出しの笑みだね。多分涙に何か仕込んである。気を付けて」


「その前に質問させてください。――テメェ、昔の大ポカを許してやったばっかりだってのによぉ……。一体全体、何が目的なんだ! えぇ!? 俺たちの足ばっかり引っ張りやがって、テメェ誰の差し金だ!」


 ピッグが強く殴打すると、顔を腫らした少女はクスクスと笑った。零した涙がピッグの拳に付着し、痛みにピッグは歯を食いしばる。そこから、焼けただれるような音。酸性の薬物を、肉に掛けた音だ、と総一郎は勘づいた。


「だから言ったのに」


「良いんです、姐さん。こんな痛みなんか屁でもねぇ。それより、ヴァンプを苦しめたこいつが許せなかった」


「流石、格好いいね。にしても、強酸性の涙か……こいつ、何の亜人だったっけ?」


「自己申告制で、こいつ自身分からないと主張してました」


「だって分かんないものは分かんないんですもーん!」


 ピッグはさらに何度か殴打を繰り替えす。雷の長髪が少しずつ血に汚れた。しかし少女は笑っている。


「うふふふふふふ! こんな姿が他の部下に見られたら、皆さんびっくりするでしようね! 速報! ARFのリーダー、副リーダーは部下を裏でイジメる極悪人だった! なぁんて、うふふふふふ!」


「……テメェ、おちょくるのもいい加減に」


「そうだね、こんな姿を見られたら問題になる。副リーダー退いて、片を付けるよ」


「えっ、姐さん?」


 白羽はピッグが制止する間もなく手を組んでいた。総一郎はシェリルに同調して目を剥く。


「――主よ、何故我らを見捨てたもうたのか」


 漆黒の翼が、広がった。部屋中に黒い羽根が舞って、その内の多くが雷髪の少女にまとわりつく。


「え、何ですかこれ?」


「さ、みんな出るよ。巻き込まれたら、こっちも怪我しちゃう。……シェリルちゃん、大丈夫?」


「シェリルは私が相手するから、ボスは気にしないで」


「……そ。じゃあ出るよ」


 姉に抱きしめられたまま、シェリルはその実験室から皆で移動する。その瞳は、いつの間にか体に大量に生やされた翼の羽ばたきによって押さえつけられる奴を、そして奴以外の全員が部屋から出た瞬間に、激しく何度も壁に激突させられ、次第に人の形を失っていく奴を、――それでもなお口端に湛えられた笑みを、捉えて逃しはしなかった。


 シェリルは恐怖に、目を閉じる。


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