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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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6話 決別ⅩⅧ

 後日、なるべく苦労なくシスターズを捕まえてやろうという算段から、日が昇ってすぐの早朝。総一郎は先日シスターズと邂逅したボロ屋敷を訪れていた。


 先日ウッドが暴れた分の破壊痕のみが変化として残っていて、それ以外は同じ、ただの空き家のように見えた。アナグラムを確認したところ、気配は感じられない。息をひそめているのなら別だろうが、穿った見方をしなければ、すでに居ないとみるのが自然だろう。


「用心は欠かせないけどね」


 アルカイックスマイルを湛えた総一郎は、太陽から身を護る分厚いコートに包まれている。『灰』状態であれば太陽光もまた総一郎に害をなさなかったが、外を自由に歩き回るには慣れ切るだけの時間がなかったのだ。


「日光浴が出来ないなんて大問題だからね、早いとこ解決させてもらうよ」


 冗談めかして、総一郎は屋敷の扉を開いた。蝶番は劣化が激しく、耳障りな音を出して侵入者を迎え入れる。


 踏み入れると床板が軋んで、総一郎の存在を喧伝した。誰かが残っているなら反応もあっただろう。しかしこれ単体では、うるさいなという感想しかもたらさない。


 そのはずだと、勘違いしていた。部屋裏部屋のアナグラムが、揺らぎを見せるまでは。


「……いるのか」


 走り回るネズミや虫などのような、取るに足らない微動ではなかった。少なくとも、犬以上のサイズだ。総一郎は駆け足で部屋裏部屋まで向かった。道順は頭の中に残っていた。


 二階へと上り、天井裏へ続く仕掛け階段を下す。総一郎の迷いない行動に、部屋裏部屋の何者かから怯えのアナグラムが読み取れた。大きな衝突音と共に落下する仕掛け階段を総一郎は踏みつけ、その人物と対面した。


「……君は」


「むっ、……何だ、ブシガイト殿。あなただったか」


 何と言ったか。シルバーバレット者御令嬢、ルフィナ・セレブリャコフ御付きの執事だったはずだ。名は確か――アルノ。燕尾服を着て部屋の棺桶を調べる彼が、そこにいた。


 総一郎は、ウッドが感じた衝撃を覚えている。この執事は、確か人間でも亜人でもなかったはずだ。正体の分からない、主人のルフィナ同様得体のしれない相手。あのワグナー博士をして、未来人扱いを受けた企業の人間。


「壮健だったようで何よりだ。しかし、見たところまだ太陽光の問題は解決していないと見える」


「本当だよ。暖かくなり始めたのに、この分厚いコートのままじゃ蒸し殺されてしまう」


 手を広げて首を振る。おまけにしかめっ面をすれば完璧だ。くすっと笑って、執事は話しかけてくる。


「前回別れた時以来だな。あの時はこの部屋に閉じ込められていたはずだったが、よく無事だったものだ。思った以上に強いのは、日本人の魔法とやらのお蔭だろうか」


「日本では義務教育課程に魔法っていう兵器の扱い方を覚えさせられるからね」


 苦笑気味に誤魔化す。それから、総一郎の方から聞き出した。


「それで、君の方はまだヴァンパイア・シスターズの調査を?」


「ああ。ここしばらくお嬢様は仕事が繁忙期に入っていて、通学もできなかったのだがな。つい先日余裕が出来始めたから、私の方だけでも行って蹴りを付けてこい、と仰った」


「へぇ、なるほど」


 繁忙期、という言葉が引っかかる。シルバーバレット社の繁忙期というと、想像するのはそのまま多くの需要がマジックウェポンに出来たことを意味する。そしてそれは、戦争めいた予感を抱かせるものだ。


「ブシガイト殿は――聞くまでもないことだったな。その様子を見ると多少の対策は打てているようだが、吸血鬼化が治ったわけではないと見える」


「まさしくね。なら、そっか。ちょっとばかり運命的な再会になったみたいだ」


「そのようだな」


 互いに肩を竦め、苦笑し合った。それから、総一郎は彼に手を伸ばし、笑いかける。


「ここで出会ったのも何かの縁、シスターズ討伐の協力をお願いできるかな」


「もちろんだ。あなたはそれなりに腕も立つらしいし、私には魔法は使えないからな。後方支援を頼める仲間というのは、ありがたい」


 総一郎は表面上にこやかに握手を交わしながら、内心で渋面を作っていた。こちらの目的はとうに捕獲にシフトしている。それをここで、吸血鬼滅するべしとの信条をもつルフィナの部下と鉢合わせるとは。


 その前提で何故同盟を組むようなことを言ったのかと言えば、第一にそうしなければ怪しまれ、場合によっては敵対しかねないためだ。相手の底が見えない以上それは出来ない。


 それに、益がない訳ではないのだ。二つ目の理由として、この得体のしれない執事を仲間と称して監視下に置ける。こうすることで、アルノが総一郎の知らない間にシスターズを殺してしまう可能性は抑えられる。


 とはいえ厄介なことに変わりはない。これからどうすべきが懊悩しながらも、少しでも得をすべく執事に情報を求める。


「それで、執事さんここで何か情報はつかめた?」


「ああ、もちろんだ。まず、そちらの方を見てくれ。そう、棺桶の周りだ」


 アルノは部屋裏部屋の奥の方を指さす。


「棺桶こそ残されているものの、他に物も残っていない。以前は写真やぬいぐるみなどが置いてあったのは覚えているか」


「うん。特に写真には思い入れが深そうだったね」


「そういった、持って行けるなら持っていきたいだろう所持品は全て消えている。これは十中八九居所を移していると考えるべきだろう。そして、これだ」


 執事は小型の電磁ヴィジョンを取り出して、左手に載せながら右手で電脳魔術に似た操作をした。これは恐らく、ブルジョワジー向け脳内設置型コンピューターことBMCだろう。既に接続済みなのか、ヴィジョンは地図とそこに多数置かれるピンを表示した。


「これはこの周辺の地図と、周辺で起こった怪事件の発生現場を示すものだ。私たちがこの家に訪れたのがこの時期で、今がこれ」


 説明しながら、執事アルノは虚空で手を移動させる。するとヴィジョンに映る複数のピンが消えては浮かび、徐々に北上しているのが見て取れた。


「どれも吸血鬼のものと思しき事件ばかりだ。まず間違いなくヴァンパイア・シスターズの移動痕跡と考えて良いだろう」


「このデータも、警察から?」


「勘がいいな、ブシガイト殿は。こういう時はコネクションの大切さに気付かされるというものだ」


「まったくだね。人脈は大切だよ」


 本心の、底の底から同意する。学校でルフィナと知り合えていなければ、アルノがシスターズを殺すのを、指をくわえて見ているしかなかったかも知れない。


 有能な輩はこれだから、と内心の渋面を厳しくした。味方だと頼もしいが、敵に回りそうだとどう処理すればいいものか。


 ひとまず現状のアナグラムを細かく記録して、そのデータをアーリ御用達のスーパーコンピューターに転送する。アルノのアナグラムがよく分からない――というか、恐らく秘匿状態にあるため確定的なことは判断しにくいところだが、やれる事はすべてやっておくに限る。


「じゃあ、そちらに移動するとしようか」


 提案しながら、アナグラムの秘匿について考える。普通アナグラムというのは一般人でも推論可能な痕跡として残っている場合もあれば、カバリストしか理解しえない“ただ周辺のアナグラムの乱れ”として存在するものの二パターンある。


 前者は非カバリストでも対応可能だが、アルノのそれは後者にまで及んでいる。となれば話は簡単だ。アルノ、ひいてはルフィナにはカバリストである何者かが関わっている。……それも、総一郎ですら把握していない、『アナグラムそのものの隠蔽方法を知る、かなり手練れのカバリスト』が。


 そこまで深く思考を進めていたから、咄嗟に反応できなかった。


「いいや、まだここからは動けないんだ、ブシガイト殿」


「え、どうして――」


 階段を降りかけていた総一郎は、その声に踵を返す。そして、見た。背後から斬りかかってこようとしていた、アルノの姿を。


「―――――ッ」


 咄嗟に総一郎が行ったのは、『灰』ではなく懐の異次元収納袋から木刀を抜き放つことだった。ぶつかり合う木刀と、アルノの銀剣。顔をしかめて、執事は呟く。


「む、何だと思えば、それは木剣か? しかし妙だな。木くらいならば、この剣で簡単に切ってしまえるはずなのだが」


「生憎と、いくつか死線を共にした特別製でね。それで……君は一体、何のつもりかな」


「さぁな。教える義理はないはずだろう? ブシガイト殿」


 舌を打って、総一郎は歯噛みする。迂闊だった。そういえば元々、シルバーバレット社の令嬢は総一郎に狙いを定めて話しかけてきたのを思い出す。あの当時ウッドだったという事を鑑みるなら、どこかで恨みでも買ったか。


「ともかく、私はお嬢様の命に従って貴様を殺さねばならないのでな。覚悟してもらおう、ブシガイト殿。大人しく、この銀剣の錆になれ」


 体の中心線に重ねるようにして、執事は独特の構えで剣を構えた。総一郎は吟味の末に下段の構えを選ぶ。防御に向いた、カウンター狙いのそれだ。


 睨み合う。その場の空気が、じりつき始めた。総一郎は思わずニヤけてしまう。それを、アルノは隙と見た。


「笑っていられるなど、随分と余裕だな!」


 突き。総一郎は体を開いて踏み込み、これを避けた。そして高らかに銀剣の切っ先を跳ね上げる。


「悪いね。懐かしくって、笑みを堪えられなかったんだ」


 剣を打ち上げられ、伸びをするように隙だらけになった胴に、一薙ぎ入れた。執事は間一髪のところでこれを避け、一層視線を鋭くする。


「なるほど、ブシガイト殿も剣士だったか。しかし得物がそれでいいのか? それでいくら強く打たれたところで、きっと私は死なないぞ」


「初めから殺す気がないからね。ただ、負けないだけの力があればいい」


「舐めた口を。ヴァンパイア・シスターズは殺す癖に、私は殺さないとでも? 先に言っておくが、私は奴らよりもずっと強いぞ」


「知ってるよ。それに、さっきのは方便だ。君にあの子らを殺さないなんて言ったら、その場で敵対しかねなかっただろう?」


 そう返すと、アルノは表情を消した。動揺かと疑ったが、それはあるまい。語り合う余地すらなくしたか。ならば、一度ねじ伏せるしかない、と総一郎は覚悟に息を吐きだした。


 再びの相対だと、総一郎はコートを脱いで八双に構えなおす。野球のバッティングポーズに近いそれは、同様に一撃の重さに掛けるそれでもある。


 顔の横に、垂直に。握る手は限界まで引き絞る。


「……我ながら、忌まわしくも懐かしいね」


「ブシガイト殿、貴様は一体何を言っている?」


「こちらの話さ」


 こうして木刀を握っていると、昔の事を思い出さずにはいられない。父との立ち合い。イギリスの雪山での孤軍奮闘。


「――武士は食わねど高楊枝」


 口の中で呟いた。心が、凪いでくる。


 総一郎の構えが一撃の決着を望むそれであると悟ったか、アルノもまた構えに戻って睨み合った。場が膠着を見せ始める。思考が深みへと沈んでいく。


 生家の掛け軸に記されていた、父と総一郎に貫通する教えだった。人と、修羅、その狭間。総一郎は人だ。そしてウッドは、修羅なのだろう。修羅。総一郎が知るのは二人だ。片方は己の分身。そしてもう片方はイギリスで別れた、人に恋をして自らを人と偽った少女だった。


 どちらかしかない。総一郎は総一郎に戻れたからこそ、そう感じる。人を殺さないならばそれは人らしい人の道で、もし、後たった一人でも殺せば修羅道に落ちて、ここには戻ってこられないのだろうと。


 執事の銀剣が、暗がりの間で鈍く照り返している。薄暗がりの中でも金属は冷たい光を湛えるものだ。特に刃は、常に何者かを殺すべく生み出された。


 だがそうしたものの代表である剣や刀の中には、総一郎の木刀のように刃を失い、殺すためではない武器という矛盾した存在を生んだ。矛盾だ、と思う。人と修羅の狭間を歩むなど、白黒の世界の中で、何物にも属さない灰色を見出せと言っているようなものだ。


「そこだ」


 アルノが踏み出してきた。総一郎はハッとして受ける。それから、この状況下に持って行った自分の不手際に愚かしさを感じた。近頃剣士同士のにらみ合いなどほとんどやっていないのに、無理に挑むからこうなるのだ。


 とはいえ、争闘そのものへの勘はウッドのものが残っている。人をあれだけ殺し、並み居るARFの実力者たちをわざわざ殺さずに制圧してのけた、化け物の勘が。


 弾く。切り返す。ぶつかり合い、そしてまた離れた。


「ブシガイト殿、何故魔法を使ってこない。侮るのもいい加減にしろ」


「まさか、俺はただ怖いだけさ。人を殺すのがね」


 『灰』を持続的に行使できる時間が十秒に満たない未熟さのために、総一郎は木刀でアルノの猛攻を凌ぐしかない。すでに一撃に掛ける静的な戦いは終わって、今はアルノ主導の動的な殺陣が繰り広げられている。


 また激突する。突きに、払い。卓越していると言わざるを得ない。それと同時に、まだ実力を隠しているという雰囲気すらあった。底のしれない相手だ。総一郎が、ウッドのように隠すことなく全力を尽くして勝てるかどうか。


「……まぁ、いい。そういうなら、使わざるを得ない状況へ追い込むだけだ」


 執事は大きな一歩を踏み出した。とても素直な剣の軌跡を描いて、僅かに総一郎の服を裂いていく。「コートを脱いでおいてよかったよ」と冗談めかしながら、総一郎は返しの剣を木刀で遮りつつ肉薄した。


 恐ろしく鋭い突きが、何度も総一郎の肉を穿とうと放たれる。奇を衒ってやろうと、強めにアルノの銀剣をはじいて肉薄した。


 繰り出すは拳、狙うは顔面だ。徒手空拳に覚えはなかったが、剣を押さえられての攻撃はそれだけで存在感のある牽制となる。途端にアルノは素人めいた避け方をして、悔しそうな顔でこちらを睨みつけて来た。


 総一郎は、眉を顰める。


「……執事さん。君こそ本気なのか? 突きの鋭さに反してそれ以外が出来てなさすぎる。それなりに楽しくはあるけど、あんまり遊んでいてもご主人様に怒られるんじゃない?」


「……ふ、バレてしまっては仕方がない」


 総一郎は、余裕ぶった執事の言葉に奇妙な感覚を抱いた。


 白羽同様、総一郎の他者に対する観察眼は、カバラの助けもあってかなり養われている自覚がある。問題は、その養われた観察眼が、アルノの動揺を感じ取ったという点だ。


 彼はアナグラムを漏らさない何がしかの技術を有しているからその真偽は分からないが、総一郎の言葉に便乗しておこうという姑息な感情を読み取れた。かつてない形での厄介さに、総一郎は痒いところに手の届かない、という思いをする。


「アナグラムが読めないと、何処まで深読みしていいのか分からないな」


 アナグラム隠蔽を為す相手が何をしても、ブラフに見えて仕方がない。少なくともそれだけの能力を有しているのだから、まさか今の素人めいた動きが本気とは考えにくい。


 ともかく、今度はこちらから切り込んでみよう。そう決めてアルノと睨み合った。彼はやはり独特の、剣を体の中心線に重ねるような構えを取った。隙はないように見える。


 この構えと、素早い突きだけは実に見事だというのに。少なくとも基礎の出来ていない輩の動きではないからこそ、判断に困る。


 試しに、とその辺に転がっている崩れたレンガの一つを投げてみると、やはりド素人同然の動きでそれを避けた。いぶかしみながらも、総一郎は距離を詰めて一太刀見舞う。


 執事アルノは、それをまるで総一郎のような日本剣術でもって対応した。


「なッ」


 思わず飛び退ると、追撃に振り下ろしが襲ってくる。先ほど総一郎が使った技の一つだ。総一郎は木刀を高く掲げ、添えるようにしてから叩き落とすことでその技を無力化する。それから蹴りを入れると、執事はまた総一郎のように剣で受けて防いだ。


「……その防ぎ方、剣がへし折れちゃうんじゃない? 俺の木刀は頑丈にできてるからいいけど、君の銀剣は細身だろう」


「余計なお世話というものだ。私は私の戦い方をさせてもらう」


 いや俺の真似で自分の戦い方、とか言われても、と総一郎は苦い顔をする。けれど、実際模倣そのものは非常に見事なのだ。まるで鏡写しのように、総一郎に限りなく近い動きで対応してくる。本当に不可解な相手だな、と吐き捨てつつ、また攻防を始めた。


 そのようにやり合い続けて数時間。やはり何かがおかしい。斬り合う中で、そう思った。


 何時間、その場で立ち合っていただろう。手練れと睨み合うと時間間隔が狂うのはしばしばなことだが、今回のこれがただ実力に基づく違和だとは思えなかった。


 勢いよく息を吐いて、総一郎は切り込んだ。アルノは銀剣を、総一郎の木刀を押さえるように動く。そして、流れるように突きへとつなげた。逸らすよりも安全と見切り、総一郎は半歩退く。何度目かも分からない膠着だ。


 最初はアルノが劣勢だった。今は、どちらがどうとは言い難い。初期には執事が息を荒げ汗を拭きだしていたのに対し、現在は息こそ乱さないものの、涼しい顔の奴に比べ、総一郎の額に汗がにじんでいる。


「どうした、ブシガイト殿。少しずつ動きが鈍ってはいまいか? 鍛錬が足りていないと見える。他流派ながら筋は良いものと見えたが、鍛錬が足りなければモノにはならないだろう」


「はは、見る目があるね。事情があって、この頃になるまでまともに木刀を握れなかったもので」


 答えながら、勘違いかどうかと思案する。アルノの剣の動きは、先ほど総一郎が実演して見せたものだ。この短期間で習得したと考えるのが普通だが、この執事は総一郎がかつて相対してきたような『純然たる実力者』とは違う。


 模倣。流派などと口にする人間が、それも西洋剣術の使い手が、厄介だからと総一郎の太刀筋を模倣に掛かるだろうか。実力者ならばしないだろう。自らの流派へり誇りという以前に、木刀と銀剣では運用方法がまるきり違う。


 とすれば、仕掛けがあると疑うのが自然だった。総一郎は連想する。模倣、それは言い換えれば、紛い物と同義だ。


 総一郎には、それに心当たりがあった。だから八双に構えなおし、その過程でこっそりと手に「灰」を記す。そして飛び込んだ。剣が不思議に総一郎をすり抜けたのと同時、『灰』を吹いて図書直伝のダイヤモンド弾をぶつけた。


 ただしそれは、図書のレシピの通りでない。カバラで改造して、電撃と共に精神魔法を放つそれだ。


 直後起こった事象について、総一郎は正確に語ることが出来ない。ただ率直に表現するなら、“空間が破れた”とするのが一番真実に近しかろう。アルノの居た場所には一匹の蝙蝠が麻痺状態で、薄いダイヤに覆われて転がっていた。


 総一郎は皮肉気に口端を歪める。


「まさか、俺が誰かの幻覚に惑わされるとはね。ミイラ取りがミイラになるところだった」


 確信を持つ。この家にはまだ、シスターズが居るのだと。


 総一郎は棺の中に何もないことを確認してから、仕掛け階段を下りていく。その上で、何故アルノの幻覚を見たのかを推測した。


 鍵は、アルノの幻影が総一郎の動きを真似して見せた部分にあるだろう。模倣したという事。それは過去の記憶を前提とする必要がある。


「執事さんが俺より前にこの場所に来ていた、ということか」


 あのデータの部分も、きっと再現だろう。とすれば、ラビットに邪魔されたウッドの襲撃後、再びアルノがここに調査をしに来て、それをウッドの幻覚を作り出すことで、上手いこと追い払った、というところか。


「……そんなにシスターズに都合よく事が運ぶかな? 彼らは吸血鬼狩りに長けているはずだ」


 些事と言えばそうだろうが、引っかかる。記憶を元に、というならシスターズの記憶にあるのは高笑いをするウッドの姿だろう。あの敵対心の塊のような行動を真似て、執事から協力的な態度を引き出せるわけがない。


 首をひねりながら降りると、いかにも化け物と言った風情の人型の化物が襲い掛かってきた。総一郎は手早くダイヤモンド弾で無力化してから、触診によってこれを調べる。


「ウッドと一緒にシスターズに襲われたギャングの成れの果てに似てるな。なら、配下の吸血鬼か? ――いや」


 精神魔法を放つと、その怪物は姿を蝙蝠に変えた。あるいは、戻したというべきだろうか。


「分身に幻影を乗せて、敵を威嚇してるわけだ」


 随分と俺を嫌ってると見えるね。と総一郎は苦笑い。ウッドがよほど怖かったらしい。


「執事さんも幻覚状態じゃ難しかったけど、今の君なら簡単にアナグラムが読み取れる」


 氷漬けならぬダイヤモンド漬け状態の蝙蝠を拾い上げて、本体がどこから蝙蝠を差し向けたのか調査する。この程度なら暗算でも計算できそうだ。結果を弾き出した総一郎の歩みから、迷いが消えうせる。


 向かう先は、屋根裏部屋の真反対。床板の下に隠された地下室だった。総一郎はルーチンのように躊躇いなく床板をはぎ取って、石造りの地下階段に足を踏み入れる。


 中は暗闇だった。けれど総一郎は、それを照らすような真似はしない。総一郎もシスターズ同様吸血鬼だから、闇が心地よいものとして感じられたのだ。視界もまるで昼間のように明るい――のは昔からだが。


 総一郎は一歩一歩シスターズへと近づいていく。石造りの階段で、足音が一つ一つ反響する。総一郎はその効果に気が付いて、失態に硬直し、ため息とともに頭を掻いた。


「動揺と恐怖のアナグラム変動がひっどいことになってるなぁ……。どうしようか、安心させる足音とかって作れないかな? こう、きゅぽきゅぽしてるお子様向けの……」


 シスターズの気持ちになって考えてみる。自分の幻影をことごとく打ち破って近づいてくる敵が、きゅぽきゅぽと足音を立てて近づいてくる――


「ダメだホラーだそれ。普通の足音より性質が悪い」


 もう、どうにでもなれ、という気持ちで総一郎は階段を駆け下りて行った。シスターズの恐怖のアナグラムは一気に最高潮に達したが、どうせやることは変わらない。


 ダイヤモンド弾で捕まえ、『灰』で群体化をできなくし、後は図書の家で穏やかに警戒心を解かせる。多少怖がらせたとて、元よりそのつもりだ! と開き直ったあたりで一番下に辿りついた。


 目の前にあるのは、木の扉だ。堅牢にして愛嬌の感じられないそれを、まるで牢屋の入り口だ、と思ってしまう。


 『灰』を体に記し扉を開く。向こうから放たれるのは致死性の高い炎弾だ。続き様々な属性魔法が飛んでくる。それらは総一郎に何の影響も及ぼさない。その様子を見て、彼女たちはすくみ上る。


 人間離れした美貌を有する、吸血鬼の姉妹。彼女たちは以前よりもずっと薄汚れた姿で、部屋の隅に自らを追いやっていた。


「いやっ、いやぁ」「こっち来ないで」「死にたくないよ」「殺さないで」「助けて」「助けて!」


 涙ながらに抱き合って怯える双子の姿を見ると、総一郎は胸が苦しくなる。けれどこの状態のシスターズに説得は意味をなさないだろう。パニックに陥った人間を押さえつけるには、その相手をよほど理解して言葉を投げかけるか、暴力しかない。


「何だか、嫌になってくる。この場でシスターズをねじ伏せて連れていくのか、俺は。殺さないにしろ、傷つける。こんな、小さな子たちを」


 近づく。シスターズは火が付いたように泣きじゃくって、我武者羅に魔法攻撃を続けた。総一郎はその前にしゃがみ込んで、どうすべきかと頭を抱えた。


 まず心情として、シスターズに暴力を振るいたくないというのが一つある。いかに図書が頭を悩ませて作り上げたダイヤモンド弾とて、暴力には違いない。殺さないという事は素晴らしいことだが、シスターズにはそれすら重い。


 次に現実的な話をすると、『灰』状態の総一郎は他者に干渉できない。シスターズの攻撃は、普通にしていれば人間など瞬時に殺してしまう脅威なのだ。『灰』を解けば死ぬのは総一郎になる。だからむず痒さに耐えつつも、こうして『灰』を解かずに我慢している。


「ウルフマンとも、ハウンドとも、別のベクトルで厄介だね君たちは」


 愚痴るように告げても、シスターズはパニック状態のままだ。心を閉ざしているから、聞く耳を持たないでいる。


「あぁぁぁぁああもぉぉおおおどうしようかなぁああ本当にぃいいい」


 まるで泣き止まない赤子に、慌てるばかりの父の姿とでも言おうか。総一郎は泣かない子だったから直接そういう父は見たことがなかったが、話によれば総一郎が生まれたばかりの頃、たった一人で白羽のお守りをする父は随分と頼りなかったそうな。


「血か」


 総一郎はどうすることもできなくて、腹いせ交じりにシスターズの柔らかそうな頬をぷにぷにと。触れられたという恐怖でさらに激しく泣きわめくシスターズは、魔法の猛攻具合も青天井だ。


「なんで俺は、こんなに君たちに暴力を振るいたくないんだろうね」


 答えが返ってこないと分かっていながら、総一郎は質問していた。実際、シスターズは聞く耳を持たずに喚きながら魔法を撃つ手を止めないでいる。


「何でかは分からないけど、俺は君たちをどうも他人とは思えないんだ。どこかで会ったというか、あるいは大切な誰かに似ているというか。……綺麗な金髪だけど、君たちが似ているのはローレルじゃないね」


 髪に触れる。その手を叩かれる。総一郎は何だか悲しくって、その手を見つめた。お互いに痛みはなかったろう。しかし拒否されたことが――いいや、拒否させてしまったことがやるせなくて、総一郎は拳を握る。


「君たちがどういう過去を持っているのかは、知っているつもりだよ。大切な家族を失って、誰にも心を許さず、今も」


 説得で済ませようとする自分がいる。どうしてもシスターズに暴力を振るいたくない自分がいる。けれど彼女らは泣き声を壁に、総一郎の語り掛けを耳に届けさせまいと必死なのだ。きっと、甘言に辛い思いをしたこともあったのだろう。


 そこで、総一郎は立ち眩みを起こした。


「あ、ダメだ一旦ちょっと離れよう」


『灰』状態の限界に達したらしい。総一郎は駆け足で部屋を出た。階段は魔法を何発か被弾したと見えてボロボロだ。そう言った痕跡のない物陰を見つけて、万一の為に背後に防御壁を築きつつ『灰』を吹いた。


「ふー……、うわ、何か肩が重い。辛ぁ」


 途端気力を失う総一郎だ。静かにうなだれつつ、業の重さとはこういう事かと納得する。誰にどう教わったのか知らないが、『灰』の仕組みはそれなりに記憶に残っていた。


 と、そこでハッとする。泣き声が止んでいる。この短時間で気力を取り戻したのか、と驚愕に踵を返すと、腕力で防御壁を粉々にしたシスターズが立っていた。総一郎は目を剥く。アーリの資料からさらに能力が向上している。


 油断しすぎたのだ、と総一郎は瞬時にカバラを行使した。この間隙に勝機を見出したシスターズの手には魔法のアナグラム。それも精神魔法による支配を目論んだそれだ。


「マズイッ」


「この悪魔め!」「これからお前は」「私たちの奴隷だよ!」


 魔法が放たれる。総一郎は咄嗟に、それと全く同一のものを放っていた。魔法は同規模のものが追突すると消滅現象を起こす。特に同質であればその可能性は高くなる傾向があった。


 だが、あまりに突然の対応だったから、総一郎はアナグラムを合わせ切れなかった。結果として、対消滅は起こらず、むしろ規模を拡大させて、二人の間で炸裂した。


 三つの叫びが上がった。それらは精神魔法の中で混ざり合い溶け合って、境界をなくしそれぞれの脳を支配する。


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