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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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6話 決別Ⅰ

 早朝。庭に、ウッドは立っていた。


 以前なら、木刀の一つも振ったのだろう。桃の木の木刀。退魔の棒切れ。だが、今のウッドにはそれに触れることはかなわない。


 図書に家を追い出されてから、転々として忘れていた。何処にやったのだろうと漠然と思っていた木刀。それは彼の庭の中心に、深々と突き立てられて残されていた。


「……」


 手を伸ばす。触れる。痛みはない。いや、木刀を掴んで痛んだことなどなかった。代わりに、溶ける。手が汚泥のように醜く溶けて、地面に落ち、風化した。この体は、魔法だという。修羅という魔物の、種族魔法であると。


「だから、何も残さず消えるのだ」


 もはや、この木刀はウッドには抜くこともできない。かつては艱難辛苦を共にしたというのに――


「違う。あれは、俺ではない。……総一郎だ。この木刀と共にあったのは、常に総一郎だった」


 自らの考えに、ウッドは斬りこむような否定を下す。そして、朝の陽ざしが入り始めた。アメリカの陽気で、寒く、広大で、混沌とした、朝が来る。


 背後で、からからと大窓の開く音がした。


「おう、おはよう総一郎。今日も精が出るな。けど、ちょっと鈍ってるんじゃないか? 昔のお前の木刀の素振りする音は、背筋が寒くなるくらいだったぜ」


 図書の言葉に、ウッドは汗をも演出し、総一郎めいた小生意気な微笑を湛えてこう答える。


「リハビリ中なのさ。それよりもお腹が減ったから、早くご飯作ってよ」












 般若家の朝は早い。それは総一郎の素振りの習慣に合わせて、住民皆が自然に起きだしてきたからだ。


 総一郎なき今、ウッドはそれを精神魔法で代用している。朝六時前には住民全員の意識を覚醒にまで持ち上げることで、庭に立つ自分が発見される、という状況を作り出すのだ。


 それ自体に意味があるのかといえば、きっとないのだろう。だが、ウッドは総一郎の痕跡を消したくなかった。自分にそんな感情があることすら、気づかないままそうしていた。


 そうして、ウッドは今日も総一郎のふりをして一日を過ごす。図書と談笑しながら朝食を待ち、寝ぼけたぼさぼさ頭で出て来た清を洗面所まで誘導し、頃合いを見てウルフマンとアーリを抱え、それぞれを椅子に座らせる。


 それを見た図書が、ふと疑問を呈した。


「なぁ、ウルフマンよぉ。……つか、J。お前今まで食事の時どうしてたんだ?」


「最近はコツを掴んできてんだ。もう顔をスクランブルエッグまみれにしたりしないぜ」


「総一郎よぉ! 俺なんか涙が出てきたんだが! 頭だけなのに何で誰も口までご飯を運んで行ってやらねぇんだよ!」


「嫌だよ、ウルフマン相手にあーんなんて。はいアーリ、口開けて。あーん。うん、上手上手~」


「……」アーリは意思があるのかないのか、ぼんやりと力なく、言われたことだけを行っている。


「さて、Jよ。この扱いの差についてどう思う?」


「いんじゃね、あの二人仲いいし。ってかウッドがおれに興味持ったら、それはそれでめんどくさいンだよ。大体お手玉にされるオチだし」


「ウルフマンとはマブダチだから、俺」


「どの口が言うんだこの弟分は……。ほらお前ら。アーリ用の離乳食以外も出来たぞ」


「おっ、待ってました」


 歓声を上げるウッドである。食事をせずとも生きていけるくせに、白々しくも演技をしている。ウルフマンはその姿を見て思うところがあるのか、眉根を寄せて鼻を鳴らした。アーリはただ、自分にすぎるほどに尽くすウッドの要請に、唯々諾々と従うばかりだ。


 ややすると、髪を手入れした清があくび交じりに食卓に戻ってくる。そこから紡がれるのは、幼い少女の口から出てくるには堅苦しすぎる文言だ。


「うむ、朝ごはんだな。白羽を呼んで来よう」


「いいよ。勝手に起きてくるでしょ、あの人も」


 間髪入れずに言うウッドに、清は僅かにひるみを見せた。それにカチンと来たのか、図書は意地悪な形でウッドをからかう。


「おぉ? 何だ総一郎。お前まだシスコン治ってねぇのかよ。大方ちょっと冷たくされたとかそんなんだろ? その程度であからさまに態度変えるってまだガキのつもりか? ん?」


「おぉっ! 今日は俺の大好きなメーカーのウィンナーじゃねぇか! やったぜ!」


 大声で割り込んだのはウルフマンである。ウッドは何処に逆鱗があるかわからないので、挑発の類は全面的に対策を打つつもりでいた。


 ――現状、般若家の二人はウッドの精神魔法により、違和感なくウルフマン、アーリを受け入れていた。しかしそれは一方で、殺人鬼ウッドを総一郎とみなし、そのようにふるまうということ。最悪の場合、図書がウッドの神経を逆なでして、殺されるということもありうる。少なくともウルフマンはそう考えていた。


 それ故のこの行動である。ウッドに図書、二人から五月蠅そうな視線が向けられるが、これこそが自分の役目なのだとして、気にせず狼男の頭はウィンナーに食らいつく。


 その時、ちょうど白羽が二階から下りて来た。「おはよー」とすでに寝起きにすべきことは終わらせた様子で、これから出かけるのかと疑えるほど身なりを整えている。


「……そ、総ちゃんも、おはよ」


「……」


 まるで聞こえなかったかのように、ウッドは振る舞った。それに白羽は何かを言いたげに口をもごつかせ、結局何も言わないで、ウッドからもっとも離れた席に着いた。


「……ったく。最初は白羽が拗ねてただけなのに、今は逆かよ。一体何があったんだ……?」


 呆れた風に図書がぼやく。ウッドの心のうちなど、複雑すぎて分からない、というのがARF全員の感想だ。しかしそれでも諦めきれず、ギリギリまで真相に迫った輩が、ウッドの被害者としてここに集っている。


 それから一応全員そろって食事をし、図書、清、それにウッドが出社、あるいは登校の為に家を出た。残されるのは、白羽をはじめとしたARFの三人である。アーリは安楽椅子に固定されて微睡んで揺れるのみなので、自然と話し出すのは白羽とウルフマンだ。


「……何かさ、いろいろ変だよね、ウッド」


「シラハさんもですよ。何でさっき、ウッドの事をイッちゃんの方で呼んだんです?」


「……そうだね。私も、変かも」


 ウルフマンは一拍置いて、その返答にため息をついた。


「いいですよ、気にしないでください。それに、おれだってウッドが妙なのは感じてたところです。まさか、この家でもう一度、イッちゃんを演じ始めるとは思いませんでした」


「ウッドの精神魔法なら、ズッショさんに自分をウッドって呼ばせるくらい、訳ないもの。でも総一郎って呼ばせて、その通りに振る舞ってる。……どういう変化だと思う?」


「どういう変化……ねぇ。あそこの眠り姫がもたらした変化ってんなら、嬉しいことですが」


 ウルフマンは、視線でアーリを示した。ARFでも最もウッドを追い詰めた彼女。ウルフマンなど、ハウンドの正体がアーリだとしばらく信じなかったほどだ。


「ハウハウはね、私にデータを送ってくれたんだ。ウッドとハウハウが、最後どんな戦いをしたのかって。私、それ見て思わず泣いちゃったの。ウッドが、一度、ほんの少しの時間だけど、総ちゃんに戻ろうとしてくれた。その瞬間が、監視カメラに映ってた」


「そういう、ことなんですかね。おれにはよく分かりませんや」


「『愛を知れば人になる』。ハウンドが渡してくれたデータチップの中で、強調されてた言葉。同時に、『人を殺せば修羅になる』とも書いてあった。私は、それに従うつもり。ウーくんは?」


「イッちゃんとおれとの間に、愛なんて気持ちの悪いものはありませんよ。親友だとは、思ってるけど」


「……そっか。ハウハウは、どうなのかな。『愛』をぶつけた結果そうなったんだとしたら、私、あなたに足向けて寝れないね」


 白羽はアーリの頬を撫でてから、その揺れる安楽椅子ごと彼女を抱きしめる。


「ありがとう。無駄には決してしないから。だから、そこで待っていて。きっとすぐに、私は総ちゃんを取り戻す」













 ウッドが登校するのは、久方ぶりの事だ。


 気づけば冬休みが始まって終わっていた。今は、冬の終わりをただ待っているというのが正しい。曇天の下、寒い外気の中、雪が降るか否かという気候が続いていた。


 一応、とまずウッドは受け持ちの教師たちに精神魔法をかけて、単位の方をうまい事帳尻合わせしておいた。出席など、面倒なこと全てを解決させる。そうすると今さら興味を惹かれることもなく、どうせなら、と大学の講義の方に潜り込もうとうろうろしていたところだった。


「イッちゃぁぁぁぁぁあああああん!」


 背後から抱き着いてくる、小さな影があった。襲撃を僅かに疑ったが、ピッグもアイもこんなに小柄ではない。確認すると、見覚えのある愛らしい顔。くりくりとした瞳。そしてちょっとおかしいイントネーション。


「寂しかったヨ! すごく寂しかったヨ! だって皆居なくナっちゃうんだモン! 何でボクとヴィーしか学校に居なくなっちゃうノ!?」


「……これは久しい、じゃなかった。久しぶり、仙文。ごめんね、色々立て込んでて、連絡を入れる暇もなかったんだ」


「コッチだって大変だったヨ! っていうか大変じゃナカった人なんテ、アーカムでも一人も居なイよ! ウッドがメチャクチャやってたシ、最近なンカ、ハウンドとずっと戦ってミスカトニック橋まで落ちたシ!」


「……そうだね、落ちたねぇ」


 他人事のように、ウッドは言った。


 そうやって旧交を温めていると、次いで突撃してくるのが噂のヴィーである。「あー! イッちゃんじゃない! どこ行ってたのよ連絡くらいよこしなさい!」と言いながら、なぜか突撃先には仙文がいる。


「ちょっ、イッちゃんはソッチ! ボクじゃないヨ!」


「あっれ~、間違えちゃった。間違えちゃったけど仙文可愛いからこのまま抱きしめちゃう!」


「キャー!」


 見ない間にずいぶん仲良くなっている、とウッドは二人の関係性を再評価した。この距離感は普通に考えればとても親しい男女のそれだが、何とも言えず仲良し女子二人に見えるのは仙文の外見が美少女めいているが所以。


 仲良し。絆。愛。ウッドは右手を二人から見えないよう、背後に隠した。棘、刀、触手。どれでもいい。振りかざせ。そう思う。動かない。動けないのではない。しかし、動かなかった。


「おし、久々にイッちゃん捕まえたし、このまま授業ブッチして食堂に行くわよ! 今まで何があったのか、全部聞き出してやるんだから!」


「そうダそうダー!」


「うわっ、ちょっ、押さないでよ。自分で歩くから!」


 ウッドは彼らと仲のいい振りをしながら食堂への道を共にする。そう。振りなのだ。仲良しの演技。


 笑っているのも、彼らに再会して軽い足取りも、食堂のご飯が嫌においしいのも、全部全部嘘っぱちだ。


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