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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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5話 三匹の猟犬ⅩⅩ

 夜のとばりが落ちたころ。会議室で、ヒルディスが荒れていた。


「……クソッ、ハウンドの奴、まだ帰ってこないのか……!」


 副リーダーが僅かなりとも感情的になることは、とても珍しいことだ。それだけにハウンドの信頼は厚いものだったと分かる。実際、白羽だってそうだ。ハウンドが負けるなんて想像もつかない。


 ――もっとも、相手があのウッドでなければ、の話だが。


 ハウンドから、今日ウッドと一騎打ちすると連絡が入っていた。とうとう奴に打ち勝つ目途が立ったのか、とヒルディスや愛見は沸き立ち、ハウンドから直接負けるだろうと聞かされていた白羽は静かに覚悟を決めていた。


 ウルフマンの敗北も、そして今日為されるはずのハウンドのそれも、無駄にはならない。無駄にはしない。猟犬はそう言った。それきり、一度も会えていなかった。


 ハウンドの勝利を望むヒルディスたちには悪いが、白羽はハウンドが負けてどうウッドが変わるのかが気になっていた。夜の闇に包まれ、吹雪は窓の外でなおも強くなっている。もう暖かくなり始めてもおかしくない時期なのに。


 そんな時だった。幹部たちが集まる会議室に、乱入するものが現れた。


「緊急! 緊急です! 奴が! ウッドが侵にゅ、ぐぁっ!」


 構成員が顔を殴りつけられ、地面に転がった。ヒルディスが、愛見が色めきだち、最奥の白羽は、椅子が倒れるほど勢いよく立ち上がっていた。


「て、テメェ……! 何でこの基地を知ってやが、いや、それよりも、……ハウンド。ハウンドはどうした!」


「……」


 仮面を無表情で固定して俯くウッドは、いつもの狂人然とした様子が見られず不気味だった。まるで、幽鬼を相手取っているような気持にさせられる。


 奴はまっすぐに白羽の方に歩み寄って来た。そして、手を差し出してくる。


「……また、私を奪いに来たの?」


「――もはや、ARFに俺の敵はいない。ならば、回りくどい事は止めにしようと思った」


「なぁにが、『俺の敵はいない』だオラァァアアアアアア!」


 ヒルディスが猪の怪物の姿に代わり、体に炎を纏わせながら殴りかかってくる。ウッドは反応できず、殴り倒されたかに見えた。


 けれど、違った。白羽は見逃さなかった。ヒルディスに殴られる寸前、ウッドが体を蕩けさせたことを。そして殴る瞬間、ヒルディスを“すり抜けさせて”その背後に立ったことを。


「なっ、ぁ」


「ファイアー・ピッグ。お前は一人ではただの亜人に過ぎない。ことさら、惑わせるまでもない存在だ」


 隙だらけの背中からウッドは跳び上がり、ピッグの頭を掴んで壁に激突させる。瞬間目が眩んだところを狙って足で踏みつけにした。


「J君の仇ぃっ!」


 愛見が目を閉じて、手の平の目を向けながらナイフで襲い掛かってくる。ウッドはナイフごと腕を拘束し、余った左手で彼女の顎を打ち抜いた。


 計、十秒余り。一分の何分の一という時間で、ウッドはARFの幹部二人を無力化してしまう。


「……っ」


「俺の情報をかき集めて戦ったハウンドは、ARFの最後の砦だった。他の連中はカバラが使えず、俺の情報もすでに失われているだろう。……なぁ。お前たち――俺の本当の名を、知っているか?」


 沈んだ調子で尋ねられ、地面に伏したヒルディスと愛見は唸りながら顔を上げる。


「知るかよ、クソッ垂れ! 何でどこを探してもテメェの素性が出てこねぇんだ!テメェは一体、何処のどいつだってんだよ!」


「そんなの、忘れたこともない! ウッド! 悪魔の化身! J君の首を返してよぉ!」


「……無事、連想は切れているらしい。お前もそうだろう? ブラック・ウィング。俺が誰だか、知っているか?」


「――知らないわけ、ないでしょ」


 その本当に、ちらとウッドは愛見に目を向けた。悪魔だのなんだのという答えが返ってくると思ったのだろう。だが、白羽はハウンドから先に予告されていた。ハウンドは自分と総一郎の連想を民衆から断ち切ろうとしていると。その手段の一環として、電波塔に来るだろうと。


 種が分かれば、簡単な仕掛けだ。電波を介するものに数日触れなければいいのである。恐らく精神魔法を世界中に拡散したのだろう。強引だが、犯罪歴をこの世から完全に消してしまえる。


 だから白羽は、力強く断言した。


「一番大切な人の事を、総ちゃんを、知らないわけないでしょ……!」


 ウッドは、白羽をしばらく黙って見つめていた。相変わらず仮面は無表情で、何を考えているのか皆目見当もつかない。しかし、僅かに仮面の裏で唇がうごめくのが見えた。耳が、小さな声を捉える。


「――……んで、今更……――」


「今、更……?」


「ブラック・ウィング」


 ウッドは再び手を差し出してくる。「ダメだ、姐さん……!」とヒルディスが声を絞り出す。愛見が立ち上がろうとして、けれど脳を揺らされた影響で失敗を繰り返している。


 白羽は、その手を掴むのに迷わなかった。かつて最初にウッドと邂逅して、拒んでしまった手の平。恐怖が声帯を通して嫌悪に満ちた、あの時への後悔を。何が待っていようと、受け入れたかった。弟を取り戻すために。再会のために。


「……ごめんね、みんな。でも、すぐに戻ってくるから。私がやれることは、もう全部終わらせておいたし、ちょっとの間、任せてもいい?」


「そんな、嘘、嘘ですよね? そいつはウルフマンどころか、ハウンドも倒したんですよ? そんな危険なところに、白ちゃんが行く必要なんてないはずです! お願い、お願いだから、J君だけでも嫌なのに、白ちゃんまで取って行かないで……」


 愛見は瞑った瞼から涙をこぼして、ふらつく足を立たせようとする。ヒルディスはすでに諦めたのか「クソ、クソ! 俺たちは所詮ただの怪物なのかよ……! 人間にいいように振り回されるだけの、やられ役の、噛ませ犬の……!」と胡乱な目で呟いている。


「……行くぞ」


「うん……。――すぐ、すぐだから。辛抱して、備えていて。帰ってくるころにはきっと、亜人差別も、この世の悲しい事も全部、ぶっ飛ばせるようになるから……」


 言い訳するように、白羽はウッドに連れられて行く。前回とは違って、ウッドは逃げも隠れもしなかった。己の前に敵は無しと言わんばかり、堂々と来た道を戻っていく。


 目指す場所は、般若家だ。あの家族もまた、総一郎がウッドであったことなど、忘れているだろうから。







 白羽の去ったARFの会議室。そこでは、いまだ回復しない二人が自責と怨嗟に呻いていた。


 そこを狙う、禿鷹が一柱。狡猾に、甘ったるい睡蓮の香りを匂わせて、嗤う少女の影があった。


「悔しい?」


 声に、ウッドに手も足も出なかった二人は振り向いた。視線の先で、少女は聖母がごとき笑みを浮かべる。偽りの笑みだと、二人は気付くことが出来ない。


「悔しいなら、力をあげよう。首なしたちの“キョウカ”には、まだだいぶ時間がかかりそうだからね。その点、君たちなら早そうだ」


「な、何だ、嬢ちゃん。何言ってんだ? つうか、どうやってここに……」


「ウッドが憎いなら、力を貸してあげる。君たちは、藁にも縋りたい気分でしょう? 藁になってあげるよ。落ちていくだけの、儚い藁に、希望の夢に」


 少女の――ナイの魔性の言葉に、ヒルディスも愛見も次第に微睡に落ちていく。ナイは二人に近づいていって、しゃがんで手を差し伸べた。


「ウッドに付いていった白羽ちゃんなんか、見捨てちゃえばいいんだよ。君たちにはそれぞれ、本当に大切なものがあるでしょう? 白羽ちゃんは、それを守るため、取り戻すための依り代でしかない。力の集まる場所というだけ。なら、もういいじゃない。君たち二人は、今から力を得る。大切なものを、誰にも頼らず守れるようになる」


「誰にも頼らず、守れる……? ただの化け物の俺が、人間を倒せるっていのか……?」


「私一人で、取り戻せるっていうんですか……? 本当に、そんな……」


「――そうだよ。その通りさ。ほら、手を取って? 君たちは、これから誰にも届かないほどの力を得るんだから……」


 二人は、躊躇いもなくナイの手を取った。そして声をあげながら絶頂する。ナイが二人に適合するように選んだ『異能』は、両者の意識を別次元にまで押し上げた。ヒルディスは少女の幻影を見、愛見はかつての家族を幻視し始める。


 その様に満足して、ナイは息を吐いて適当な椅子に腰かけた。上機嫌に足を揺らしながら、異能がちゃんと根付いていく様子を観察している。


「ふ~ふふ~ふふ~ん♪ さてさて、下準備はこんなものかな。あは。楽しくなってきた。ウッド、どうなるかなぁ? 白羽ちゃん一同が頑張ってるみたいだけど、残念ながらウッドでも総一郎君でも変わらず、未来が覗けないしね~。っていうか、正直ウッドのままでもいいんだよね。素直だし、総一郎君っぽい可愛さは残ってるし」


 そこまで呟いて、ナイは「うーん」と悩み始める。


「でも人間の本能に刻まれた独占欲に左右されるっていうのも、邪神的には癪だよねぇ……。本物にこだわるのは、人間じゃなくてもそうだよね? なら総一郎君の覚醒を祈っておくべきか……。っていうか、覚醒で言うなら、ウッドのあの能力、どうしよっかなぁ……」


 少女にしては珍しく、難しい顔をする。思い浮かべるのは、ウッドが突然使い出した真っ黒な球体の事だ。魔法、のようにも捉えられる。事実アレを発動するのに、ウッドは闇魔法の詠唱を用いていた。しかし。


「空間魔法に、よく似てるんだよね。でも、決定的に違う。空間魔法は総一郎君のお父さんからの遺伝と、ちょっとボク由来も混じったもの。使いすぎると面白くなるから、ガンガン使ってほしいんだけど……『アレ』は、別物なんだよねぇ……。効果が似てるし、使い勝手も多分負けちゃう。それだけならいいんだけど、『闇』魔法は性質こそ異なれど、根本的な部分で言えば『フォーガス君の異能』と同じもの。ファーガス君、総一郎君と続けば、間違いないね。『祝福されし子供たち』全員が、きっとあれを持ってる。たった一人で宇宙を滅ぼしかねない、あの力を……」


 ぶるっ、とナイは身を震わせる。それは始め、人間の器に入れられた邪神の、疑似的な恐怖だったのだろう。だが、次に起こった震えは違う。断続し、激しくなるそれは、歓喜に彩られている。


「――ふふっ、うふふふふふふふ。あぁ、ぁあ、楽しいなぁ……。とうとう、とうとう総一郎君がこの壇上にまで至ろうとしている。もうすぐ、もうすぐだよ。やっとこの時がやって来たんだ。最後の、最期の日が、近づいてくる――おっ、いい感じの進捗。この分だと、愛見ちゃんがすぐにでも活動を始められる感じかな? 下準備の必要な能力だし、ちょうどいいね。ヒルディスヴィーニの方は……ふむふむ。おや、ほほぅ! そう来たか。いいね、面白い。楽しみだなぁ、えへへ」


 クスクスと、地面でのたうつ二人を見下ろしながら、少女は笑っていた。それからうっとりと顔をあげて、思慕に声を漏らす。


「ああ……、早く、早く始まらないかなぁ。ずっと待ってるんだよ。待ちきれないよ、総一郎君。イギリスで君と過ごした日々は、今でもボクの宝物だもん。だから、大切に、念入りに壊したいんだ。君を破滅させるか、君に破滅させられるか。準備、ほとんど終わらせちゃったよ。早くしないと、手遅れになっちゃうよ? 時間は待ってくれないんだからね、総一郎君……」


 少女の皮を被った邪神は、静かに嗤っている。夜の吹雪は、まだなお一層激しくなっていった。


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