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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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5話 三匹の猟犬Ⅺ

 薄暗がりの雪の中、その店は開いていた。暖炉を思わせる温かな光を放ち、香ばしい匂いを店中に満たしている。満席とまではいかないものの、ほとんどの席が埋まって賑やかな様子だった。


「おー、こんなご時世でよく人が来るもんだな。感心するよ」


「全くだな。客の恐怖を上回るほど美味いものを作るのだろう。大したものだ。アーカムでなければもっと繁盛したろうに」


「それお前が言うのかよ。ウッド」


「そう厳しいことを言うな、アーリ。あの時はむしゃくしゃして仕方がなかったんだ」


「むしゃくしゃすると人の首でハッピーニューイヤー作るのかよ超怖ぇよ」


 軽口を叩きあいながら、ウッドとアーリは呼び鈴を鳴らした。はい、と穏やかな声で店員がやってくる。


「何名様でいらっしゃいま……ぇ……?」


「おや、この顔はもうそんなに知られているのか」


 ウッド――総一郎の顔を見た店員が凍り付くのに勘付いて、ウッドは素早く指を鳴らした。カバラで調整された魔法は瞬時に店員に精神魔法をかけ、ウッドをウッドと認識できなくさせる。


「……アレ? 気のせい……?」


「二人だ。禁煙席で、窓辺の席に案内してもらいたい」


「あ、はい、承りました」


 店員に案内された席は、警察署を見るには絶好の場所だった。真正面。表面的に観察するだけでも、カバラを交えれば十分に内部情報を知ることが出来る。


「アーリ、よくやった。この店は良いな。怪しまれずに随分と眺めまわすことが出来そうだ」


「そりゃ何よりだな。これであいつもウッド相手に苦戦することになるだろうぜ」


 それで、とアーリは続ける。


「ウッドは何を選ぶ?」


「ん? ……好きなように決めてくれて構わないぞ」


「え~? 折角二人できたのにそりゃないだろ。一緒にメニュー見て決めるのがセオリーってもんじゃんか」


「……そういうものか。なら、どれ。少し拝見させてもらおう」


「おう! とくと御覧じろ」


 メニューをウッド側に向けてアーリは開く。ふむとウッドは頷いて、言った。


「イタリア語は馴染がないな。何が書いてあるのか全く分からん」


「……うん、うん、……やべぇアタシもちんぷんかんぷんだ」


 ハハハ、とアーリは乾いた笑い。ウッドは食事にそれほどこだわらないので、面倒になって店員を呼んでしまう。


「すまない、注文いいか」


「えっ、まだアタシ達何も決めてないぞ!?」


「読めないのなら教えてもらえばいいだろう、俺は何が来ても構わないしな」


「……へぇえ?」


 ウッドの言葉を聞いて、アーリはちょっと悪い顔。しかしウッドは気付かず、近づいてくる店員に目を向けている。


「ご注文はお決まりでしょうか」


「ああいや、実は――」


「ああ、もう決まったぜ。えっと……、これとこれと、あとこれ頼むわ。飲み物は二人ともコークで」


「畏まりました」


「……おや」


 去っていく店員の後姿を一通り眺めてから、ウッドは眉をひそめてアーリに目を向ける。すると彼女はニヤリとウッドに笑いかけてくる。


「何が来ても構わないんだろ? なら何頼んだっていいじゃねーの」


「ほう……。これは一本取られたな。なかなか面白い趣向だ」


「だろ?」


 アーリはニカッと、少年のように快活に笑った。


 それからしばらく雑談を交わしていると、料理が届けられる。それを見た二人の第一声は、これだった。


「「キャンディー?」」


 目の前のそれは、白と緑のストライプの包み紙に包まれたキャンディーを皿の上に並べたようなものだった。


 店員は言う。


「キャラメルパスタでございます」


 キャラメルだった。


「「……」」


 二人は向かい合ってキャラメルパスタを凝視する。キャラメル。キャラメルである。甘いのだろうか。しかしホカホカとデザートにはない香ばしさが感じられる。


「……とりあえず、食べてみるか」


「そう、だな……」


 それぞれ一つずつスプーンですくいとる。間近で凝視して、やっと包み紙らしきものがパスタであると気付いた。しかし、それで言うなら中心部のふくらみは何なのだろうか。溶かしたキャラメルでも入ってるのか。


「――おし、行くぞ」


「ああ、いただきます」


 アーリの呼びかけに答える形で、ウッドは口にキャラメルパスタを放り込んだ。躊躇わず嚙み潰したところで、内側から広がったものに理解が広がる。


「これは――チーズ、チーズフォンデュか」


「おぉ、おぉおお!」


 アーリが口元を抑えて喜色に瞳を輝かせた。ウッドも得心いったとばかり意気揚々と咀嚼している。


「なる、ふむ、なるほどな。これは良い、とてもいい趣だ。パスタ生地でチーズを包み茹でたのか? 口の中で噛んだ時にチーズが溢れ出るこの食感。……見事だ」


「すごいなこれ! アレか、包み紙がパスタで中身のキャンディーがチーズって感じだな! 適当に頼まなきゃ絶対食べられなかったと思う。うん、美味い。すげぇ美味い!」


 アーリは大興奮、ウッドも珍しく乗り気でキャラメルパスタを平らげていく。どちらもパスタから飛び出して口内を満たす、チーズの風味豊かな味わいに夢中なようだ。


 勢い勇んで食べたので、次の料理が来る前には皿は空になっていた。二人のお腹具合もだんだん本気になってくる。そこで店員が次の料理を持って現れた。期待を前に二人は目を輝かせる。


「お、あの形はピザだな? 適当に選んだ割には結構ちゃんと頼んでんじゃん偉いぞアタシ!」


「ああ、ピザか。そういえばアメリカに来てから随分と図書にぃに食べさせられたものだな。馴染みのある……ん?」


 ウッドはスン、と匂いを嗅ぐ。ピザの食欲をそそるそれではない。これはどちらかというと――とても上質な、デザートの香りだ。


「こちら、チョコレートピザでございます」


 チョコレートだった。


「……アーリ?」


「……はは、いやまぁ、適当に頼んだら一つくらいはずれがあっても仕方ないっていうか……な?」


「いや、はずれとは断言しかねるが、ここでチョコレートとは……」


 ウッドは渋い顔で見下ろす。チョコレートピザ。ピザではある。だがチョコレートだ。具体的に言うと、ピザ生地の上を洒落た風にくねったチョコレートが覆い、ところどころに大粒のホワイトチョコなりトリュフチョコなりが置かれているといったところ。


 不味そうではない、決して。むしろデザートと考えれば極上だろう。しかしタイミングが悪い。まだデザートには早い。


「というか、この量だと二人でっていうのは難しそうだよな」


 確かに一人二人では、というようなアメリカンサイズだ。イタリアンとはいえやはりそこは変わらないらしい。


「それは、うむ。半分はウルフマンに持って帰ってやろう」


「じゃあ昼飯も買って帰らないとな」


「いや、これが昼飯だと言って突き出す」


「ウッドお前悪魔かよ……」


「違う、修羅だ。というかやはりこのタイミングで甘いものを食べるのはキツイ。全部テイクアウトにしよう。そしてウルフマンの口の中だ」


「おいおい……すいませーん! これテイクアウトにしてくれる?」


「はいはーい! 今向かいますー!」


 店員さんに頼んでいったん引き取ってもらい、梱包して会計時に受け取るよう交渉する。そして二品目でデザートというのに危惧し、他に頼んだ料理についてもあらかじめ説明をしてもらう。


「えー、聖職者のズコットですね。ふんわりおいしいスポンジケーキのお菓子です。聖職者の被る小さな帽子に似ていて、そこから名前がとられたとのことです」


「由来可愛いけど危なっ。デザート二連続かよ」


 アーリが呟き、ウッドは無言のうちに安堵の息。そこで店員が注釈を入れる。


「ただこのズコットは少々特殊でして――」


「ふむ? 詳しく」


「といいますと、その、店長の悪ノリと言いますか、やはり聖職者のズコットを名乗るならば、聖職者の部分が必要だろうとチョコレートで――」


 説明を聞き、ほほうとウッドもアーリも悪戯っぽい表情だ。知れば知るほど、『ウルフマンにぴったり』という感想が出て来る。作り始めていない今なら取り消しができるとのことだったが、二人は迷わずゴーサイン。お持ち帰りを決めた。


 それはそれとして、やはり普通に食べられるものが欲しくなり、ピザを店のおすすめで一品頼んだ。


 待つ間、ウッドはじっと警察署を見つめている。


「……どうよ、何か分かりそうか?」


「ひとまず、内部的な造りは把握できそうだな。しかし迎撃システムとなるとやはり外からでは辛いものがある。そこに関しては直接侵入してから考えることにするよ」


「大丈夫なのかよ?」


「迎撃システムが俺を即死させるような代物でなければ、十中八九心配はない。それに、警察の配置だけならすぐに知れるし、いざとなれば奴らを味方につけることも可能だ。……橋の一件でそれなりの人間を支配下に置いたのだが、そこはハウンドがどの程度手を打ったかにもよるな」


「ふーん……」


 分かったのか分かっていないのかが分からないような声で返事をして、アーリも警察署をじっと眺め始める。今日は穏やかな雪が降っていて、警察署をぼんやりと遠ざけていた。


「……なぁ、ウッド。あの警察署がなくなると、何が起こるんだろうな」


「襲撃後のアーカムの変化についてか? 提案したのはお前だろう」


「止める訳じゃないって。ただ、考えちまうんだよ。……だってさ、曲りなりにも警察だろ? 市民の、味方な訳じゃんか。それが居なくなった時、どうなるんだろうって考えちまうのはおかしい事じゃないよな?」


「さして変わらないような気もするがな。警察は、あくまで人間市民の味方だ。それで言えばARFは亜人全ての守り手で、JVAは日本人の相互組織といえる。正義は他にも存在するさ」


「なら警察が消えた時、犠牲になるのは日本人以外の人間ってことになるんじゃないか? もともとアメリカに住んでいた、人間全員の味方が消える」


「警察は殺すなと、そう言いたいのか?」


「アタシたちは、あくまでハウンドの非常手段を奪いたいだけだ。民間人の身の安全まで脅かしたいわけじゃない」


「――そんなものはないよ、アーリ。身の安全なんてものは、アーカム中の人間からすでに奪われて久しい。この場合、亜人を含めた上での人間だ。この街にはびこる差別と反攻。そして奥底で眠る狂気。安全な人間なんてただの一人もいやしない。俺もお前も、明日は我が身だ」


 ウッドが見つめながら言うと、アーリはぶるっと体を振るわせた。顔を険しくして、尋ねて来る。


「ウッドにとっての脅威って、何だよ。まさかハウンドじゃないだろ?」


「そうだな、今のハウンドは脅威ではない。だが、いずれ俺の命を脅かすほどになるよ、奴は。それに、ハウンドだけではない。それ以外の脅威は絶えずこの街に蠢いているし、新たな何かが目覚めようとしている気もする」


「気もするって……ふわっとした言い方だな」


「ナイが俺の元から消えた。とするなら、何かを企んでいるに違いないのだ。アナグラムも妙な動きを見せている。いつか何かが起こるというのは、確信に近いな。いつの話かはとんと見当がつかないが」


「……」


 アーリは聞き覚えのない単語の数々に、きょとんとしてしまう。そこで店員でピザを運んできたものだから、話は有耶無耶のうちに流れて行った。


 それから数十分後、二人は満腹のうちにいくつか手土産をもって店を出た。雪は変わらず穏やかに降り積もっている。ウッドは一度目の前に警察署を捉えてから、ふいと目をそらして歩き始めた。


 家につくとウルフマンが頭頂部を基点に逆さまに揺れながら、「昼飯まだかよー、腹減ったよー」とうめいている。ウッドの行使した魔法により、口からの食事でウルフマンは生きていた。


 外見的に見ればウルフマンは首元で切断されているのだが、実質的なところではつながったままなのだ。血液にしろ、空気にしろ、神経にしろ。だからウルフマンの口に胃カメラを突っ込めば、そのまま普通に胃に到達する。首の断面から飛び出したりはしない。


「分かっている、安心しろ。ほら、チョコレートピザだ」


「お、おう。いや美味そうだとは思うけど、こういうデザートの前にさ」


「ああ、分かっている。そら、聖職者のズコットだ」


 ウッドは箱の包装をほどいた。すると、慈愛の笑みを浮かべたおじいさんの顔のチョコレートが現れた。


「おいちょっと待てや、生首に生首食えって差し出すとかどんな神経してんだお前」


 ウッドが取り出すは皺がれた老人の生首風お菓子である。帽子の部分がふんわり柔らかなスポンジケーキのズコットで、その下にはしわがれた老人を思わせるチョコレートの生首がある。


 何を掛け違えたか、由来通り聖職者部分も作ってしまった謎のデザートだ。


「いやー、説明された時笑った笑った。ウルフマンにぴったりじゃんって持って帰って来たんだよ。めっちゃタイムリー」


「さぁ食え。ああ、手がないから食べさせてやらないとな。とりあえずアーリ、この顔のチョコレート部分叩き壊すからハンマーか何か」


「いやっ、ちょっ、止めろよ! 目の前で生首をハンマーで砕こうとするのやめろよ! 粗相したらおれこんな風に砕かれるのかなって想像しちゃうだろ! マジで止めろよ!」


「はいハンマー」


「助かる。とぅ」


 バキグシャッ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁあああ! おじいさんの顔が粉々にぃぃぃぃいいいいい!」


 叫ぶウルフマンを見て、アーリは抱腹絶倒と言わんばかりの爆笑である。しかしウッドはしばらくじっとウルフマンを見つめてから、ぽつりと一言。


「やはり反応がそのまますぎてつまらないな。もう一捻りくらいできないのかウルフマン」


「お前悪魔だろ!」


「いや修羅だが」


「知るかバーカ!」


 ウルフマンの子供のような罵倒に首をかしげて、ウッドは不可解さをアピールする。アーリはツボに入ったのか笑い転げて言葉を発せない。


 とにもかくにもウッドはウルフマンの口にチョコレートピザなり、ズコットなり、おじいさんの欠片なりを突っ込みながら、「ああ、そうだ」と思い出したように言った。


「ひとまず、明日にすることにした」


「明日って?」


「もがが?」


 笑いのおさまったアーリと口に物がいっぱい詰まったウルフマンが、それぞれ疑問に声を上げる。


 ウッドは穏やかに宣言する。


「明日、俺は警察を襲撃する。データベースに蓄えられた俺の情報すべてを抹消し、警察そのものも俺の脅威にならないだけの打撃を与えて来る」


「ッ」


「おーマジか。いいぞウッド、やってやれやってやれ」


 アーリは緊張に言葉を詰まらせ、ウルフマンは吉報を受けたかのように応援してくる。ウッドはアーリを見つめて肩を竦めた。


「市民などというあやふやなものに配慮する気はない。俺から言わせてもらうなら、俺というたった一人の為に瓦解する警察が悪いのだ」


「……逆に言えば、ウッドが警察に勝てなかったなら、それはそれでありだってことか?」


「おいおい、協力者の失敗を望むのか? アーリ」


「そういう訳じゃないけどさ……」


 唇を内側に隠しながら、アーリは少し俯いた。だがウッドが苛立つよりも前に「まっ、なる様にしかなんねぇか」と明るく顔を上げて笑う。


「じゃ、やれるだけやって来いよ。明日の夕飯にステーキ買っといてやるからさ」


「ステーキで釣られるように見られているのか、俺は……」


 呆れた風にウッドはぼやく。そこで不意に、重なるものをアーリの中に幻視した。外見も、身長も、年齢や国籍、性別でさえも違う人物。だが唯一、口調だけが驚くほどに似ている。


 快活な少年。かつての親友。ファーガス。彼がウッドを見た時、どんな顔をするだろうか。笑いはしないだろう。アーリとは違う。これ以上過ちを繰り返すなら、と襲い掛かってくるか。そこまで想像して、ウッドは疼きを覚える。


「……ウッド、どうした?」


「いいや、違う。俺の求めているものを、アーリがもたらす事はない。今まで誰も為し得なかったことだ。ファーガスも、ウルフマンも、失敗したじゃないか」


「は? 何が?」


「何でもない。明日の準備をしてくる」


 ウッドは踵を返して、割り当てられた自室に消えていく。アーリは怪訝な顔でそれを見送るしかなかった。


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