79 (百人オーディエンスクイズ 2)
※
「百人オーディエンスクイズ……ですか?」
「そう……」
セレノウの大使館。ユーヤの周りにはエイルマイル、そして数名のメイドのみ。
「オーディエンスとは僕のいた世界の言葉で聴衆とか、観客という意味。ビジネス用語では広告に対するその受け取り手という意味もあるが……ともかく100人に四択問題を出し、どの答えが最も多くなるかを当てる、という問題だ」
「ユーヤ様! それは普通に四択やるのと違うんですか!?」
メイド長のドレーシャが尋ねる。わざわざ百人を経由する意味があるのだろうか、二度手間ではないか、という顔である。ドレーシャは七音節ぐらいの文章なら顔で表現できる。
エイルマイルはというと、あるかなしかの頬骨に指を当て、少し考えてから言う。
「……たとえば、ひっかけ問題の場合、本来の正解よりも誤答のほうが多くなる可能性がある……そこに紛れがある、というクイズでしょうか」
「そう、そのような要素もある……」
ユーヤは言う。
「僕の世界で、四択問題を主体とした番組はとても人気があった。様々な形式が考案され、セットも大掛かりになり、莫大な賞金が動く番組もあった。その中で、ありとあらゆる四択クイズが考案された。エイルマイル、今の君でも想像が及ばないほど深淵で、奇っ怪で、そして面白い四択クイズの世界があったんだ」
「……」
「この百人オーディエンスクイズを行うにあたって、運営する人間にいくつかの例題を渡す。それが受け手の新しい世界を開き、この世界で誰も見たことのないような四択が展開されるはずだ、これはクイズを愛するこの世界では生まれ得ない問題になるはずだ。少なくとも、僕がざっとこの世界の四択を調べた限りでは無かった」
「……?」
ユーヤはほんの一瞬、沈鬱な空気を示したが、それはすぐに消え、目に力を込める気配がある。
「だが、どんな問題が来ようとも、僕ならば解ける。僕はあらゆる四択を見てきた。人間の到達しうる限界の果てまで見てきたんだ。ジウ王子がどれだけの力を秘めていても、僕ならば戦えるはずだ」
――ですが。
その言葉は、エイルマイルの意識に上るよりも早くに消える。
ユーヤが、その四択問題をどうやって解くのか?
それはもはや、問う必要もない。
今はただ、信じる。
ユーヤを信じて、その行く末を受け入れる、エイルマイルにとっては、それは幸福という概念と結び付いていた。
「だが、戦うことは」
そしてユーヤは、短く付け加えるように言う。
「僕の敗北を、意味するんだけどね……」
※
(――なぜだ)
「お二人とも正解! これで5ポイント対5ポイント! さすがです! いやあ私なんかもうチンプンカンプンでした」
(なぜ、この男は正解できる)
さしものジウ王子も驚愕せずにはいられない。何らかの技術で正答するとしても、それは二割五分の確率を三割か四割、せいぜい行って五割に引き上げる程度と踏んでいた。それを十割の正解とは。
(この男は……)
まず第一に考えたのは、舞台袖からの合図。
あるいは観客席に仲間を潜ませておき、合図を上げさせる。
だが違う、この男はどこも見ていない。蒼炎の幽鬼が一人、常にその動きを見張っているのだ。余計な動きはまったくない。
(では舞台袖からの音による合図、あるいは貴賓席から)
しかし、それはあり得ない。
幽鬼はそれぞれ五感を持っている。そのためジウ王子は、やろうと思えば360度の全周すべてを見ることもでき、複数の音を同時に聞くこともできる。怪しげな合図はない。
そもそも、舞台袖から合図を送るとしても、この百人オーディエンスクイズで確実に正解できるとは限らない。
(だが、音しかない)
この場に答えのヒントがあるとすれば、音しかありえない、それは間違いない。
(しかし)
「さあ第六問! ヤオガミのある地方の方言で、「顔は似ていないが足跡は似ているイノシシ」のことを何と言うでしょう!」
1・かた
2・ひじ
3・かお
4・すね
貴賓席からざわめきが上がる。多くの人間が始めて出会う知識、まったく聞いたことがない、という戸惑いの感情が質量を持ち、ドライアイスの煙のようにステージに降りてくる。
(答えは2番)
だが、この世界に名だたるクイズの鬼神。
ジウ王子は莫大な知識の海から答えを引き揚げる。
(これは余州において、山菜採りの間にのみ伝わる方言……。たとえヤオガミの人間ですらほとんど知らない、これを経歴や経験と結び付いた知識として持っている人間はまずいない。ごく一部のクイズ好きだけが知っている程度……)
ジウ王子はユーヤに意識を向ける。
(この男、私が黒板に答えを書く音を……?)
それを警戒し、黒板の隅に無関係な線をいくらか引いてから、音を出さぬように慎重に数字を書く。
ジウ王子『2』
ユーヤ『2』
「貴賓席の百名! 解答オープン!」
1・26票
2・37票
3・20票
4・15票
(無解答・2)
「お見事!」
ぱあん、と司会者が手を打ち鳴らす。
「お二人とも正解です! いやあ手に汗握りますねえ! まあ私は夏場いつも握ってますが」
「……?」
それは、ジウ王子でなければ気付かなかった違和感。
貴公子の黄金の髪の奥で、わずかに眉根が歪む。
(正解率が、妙に高い)
(なぜだ……確率で言えば、偶然正解する人間が25人、この問題を10人も知っているはずがない)
(思えばそれは今までもだ。誤答に誘導しようとした問題に引っ掛かっていない。貴賓席の連中はそれなりにクイズ好きな人間ばかり、だからかと思っていたが)
――とう。
「!」
その声。
ジウ王子を取り巻く六人の幽鬼が、その呟きを捉える。
いま、確かにそれを呟いた人間がいた。
ありがとう、と。
「ジウ王子、君にも聞こえたか」
そのユーヤの声が不思議な存在感を持って、ジウ王子の耳に忍び入る。
「妖精の囁きが」
※
「敗北、ですか?」
己が戦うことは、敗北を意味する。
その奇妙な発言に、メイド長が疑問符を浮かべる。
「君たちにだけは、全てを話しておきたい」
ユーヤはどこか悲愴の滲む、何かしら懺悔を行う人のような心境で語る。
「僕は子供のころ、クイズ王たちに憧れた。彼らは強く、遠く、偉大だった。僕は彼らの出ている番組……この世界で言う藍映精の映画のようなものだが、それを何度も見た。映像媒体がすりきれるほどに、夜も昼もずっと見続けたんだ」
「大ファンだったのですね! わかります!」
ドレーシャのそのような反応に、何かしら安堵するような心地でユーヤは目を伏せる。奇妙な子供だった、ということは自覚しているが、やはり、意識に登らせたくはない。
「だがそのうち、僕はいろいろな事が分かるようになった。解答者が何を考えているか、あるいは考えていないか。その視線はどこを見ているか、妙な方向に意識を向けていないか。そして、それは目だけではなく、耳にも現れるようになった」
「耳……」
エイルマイルがそう呟き、異世界人は悲しげに頷く。
「それは、ある番組、200人からの解答者を集めた四択クイズでのことだった。僕には聞こえたんだ……妖精の囁きが」
「答えを、教えあっていたということですね?」
「そう、番組のあらゆる音声を透過して、その教え合う声だけが強烈に意識されるようになった。そしてその不自然さは正答率にも現れた。誰の目にも明らかなほどの超難問でも八割正解、そんなこともまかり通っていた」
「そんなに……ですが、それではよほど露骨に教え合わなくてはいけないのでは? 誰かが見咎めるはず……」
「いや、それは競技というより、興業としての側面が強い番組だった。だから大して問題にされなかったんだ。とはいえ、それが数年も続いたために番組にクレームが入り、そこまで露骨に教え合うことはなくなったけどね」
それはともかく、とユーヤは続ける。
「その番組だけじゃない……とかく素人参加番組では囁きが横行した。誰も見ていない瞬間、近くにスタッフがいない瞬間に、それは当然の権利のように行われた。しかし、それはむしろ番組を円滑に進めるために必要なことと認識されていた。端的に言って、一般人にとって四択クイズというのは難しすぎるんだ」
「難しすぎる……」
「そう……クイズ戦士にとって適正な難易度で四択を作ると、一般参加者では正解率が五割を切ってしまう。かといって正解率が七割を超えるような問題は、あまりにも人を小馬鹿にしたような簡単なものしかなくなる。一般参加者のクイズの実力はそんなものなんだ。それでは興業として面白くならない場合がある、だからある程度はカンニングや、教えあいを許容するしかなかった」
「……」
エイルマイルの目に、さっと昏い影がよぎる。
ユーヤという人物のかつての仕事、その苦い経験、一般参加者が制御しきれぬ存在であり、その不正を必要悪として容認するしかなかったこと。
このユーヤの話。それを語ることとは。
その経験を、ジウ王子との戦いに利用する、という宣言だ。
それがユーヤにとってどれほどの苦痛か、敗北か、今のエイルマイルには察するに余りある。
「あえて、観客が不正しやすい場を作る」
ユーヤの目には火が灯っている。
己の為そうとしている大いなる業、身を切るような苦痛を、甘んじて受け入れんとする覚悟が。
「百人オーディエンスクイズという形態ならば、必ず囁くものが現れる。それを利用してクイズを解く」
ユーヤはエイルマイルを見つめ、その目に決然たる意思を込めて言う。
「それが、僕の役割なのだから」
※
(聞こえる)
――2番かな
――いや、これは
――聞いたことが
それは、果たして技術なのか。
既存の概念で言うならば、カクテルパーティ効果。
周囲に雑音が満ちていても、自分の名前だけは気づくという選択的聴取。
もし、この現象について多くの人間に尋ねれば、ある人間は才能と言い、ある人間は個性と言うかも知れない。
しかし、ユーヤの理解はそうではない。
これはおそらく、呪い。
綺羅星の如き王たちを崇めるが故に、不正をあまりにも追い続けたために、不正の囁きに異様なまでに過敏になってしまった。あえて言うならば神経症にも近い現象。一種の病理とすら思える。
雑然とした宴席の中で、自分への悪口を聞きとがめてしまう者のような。
そんな不正への怯え、恐れが、この耳を生んだ。
――2番だよやっぱり
――ねえ教えて
――前に旅行した時に
(皮肉だ)
不正を取り締まってきた自分が、今はそれを利用している。
不正を厭う心や、憎む心すらも武器となっている。
かつて出会った王たち、その神業を真似ることで、この世界の王たちと渡りあってきた。
(だが、今はそれも受け入れられる)
疎ましく思っていたこの耳が、今は騎士の持つ盾に思える。
あらゆる不正を見抜く目は、王のための槍と信じられる。
そして、不正が存在し続けるという敗北すらも、己の役割だと受け入れられる。
自分はもう、出会ったから。
あらゆる不正も、不実も及ばない、絶対の力を持つ王を知っているから。
ならば己は、その王を守ろう。
世の万難を排除して、王冠の輝きを世の果てまでも。
(今はただ、君のために)
(世界を超えた、僕の渇仰のために――)
※
「両者正解! これで7ポイント対7ポイントです! なんという白熱した戦い! お二人ともさすがの実力としか言いようがありません!」
司会者を含め、場の全員が熱を帯びている。あるいはそれは七彩謡精の波動に乗り、大陸全土の空気が渦を巻くほどに。
「さすがだ」
ユーヤの呟きが、蒼炎の幽鬼を通して聞こえる。
「異世界人め――」
ほとんど誰にも聞こえないほどの声。だがこの黒衣の男なら聞こえているだろう、そのような確信がある。
「いくら粘ろうと無駄なことと分からないのか。このクイズは運否天賦ではない、貴賓席の全員を把握していれば必ず答えられる。私が負けることなどありえない」
「クイズの世界に絶対はない、ないが……」
司会者が何かのトークで場を盛り上げ、観客も立ち上がって腕を振り上げている。そのような高まりの中で、二人の会話だけが世界から浮き上がっている。
「……尊敬しているんだ、君を」
ふいに、そんなことを言う。
「――何だと」
「君が鏡で手に入れた力、それが不正とまで言えるかは難しいところだ。あるいはそれは人間の進化の形であり、使いようによっては世界に革新的な進歩をもたらす素晴らしい力だ。本当に残念だ、君が世界への復讐に取り憑かれてしまったことが。あるいは君も、僕の思い描く理想のクイズ王と言えたかも知れないのに」
「何が言いたい。この期に及んで言葉で揺さぶられると思っているのか」
「あるいは、ほんの少し歯車の噛みあわせが違っていたなら、僕こそが世界を破壊する魔王であり、君がそれを守る勇者であったかも知れないのに。今ではそれも叶わない、君は多くの人間を苦しませた。なぜそんな手段を選んだんだ。君ならば、時間をかければ何にだってなれたのに、この世界を導くこともできたのに」
「導いているとも、私は十分に完全だ。この世界が私を生んだ、ならば私の選ぶ道こそが世界の意志だ。妖精の排除こそが」
「そう、君はあまりにも完全だ。不正や技術では君の鎧を剥がせない」
ユーヤの語りは、対話と独白の中間のような印象だった。己自身の世界観に没入するようでもあり、ジウ王子との直接的なやり取りを恐れるようにも見える。
「だから、僕は世界を壊す」
「何……」
「世界の一部を壊して、君の完全性を崩す。それだけが、君を倒す唯一の手段だ。さあ、そのおそるべき耳で聞くがいい、その超常の頭脳でしっかりと受け止めろ」
「世界の、砕けるさまを」




