78 (百人オーディエンスクイズ 1)
壁が震えている。
狭い回廊の中にいんいんと音が響いている。双王の歌声が足元から伝わる。
「……ほんとに贅沢な作りだな、演者用のトイレがあれだけ大きいなんて」
ハンカチで手を拭きながら回廊を進む。
すると、意外な人物が歩いてくる。
「――おや」
貴族風の正装に身を包んだジウ王子が立ち止まり、睨めつけるほどでもない視線を寄越す。
「……用足しか?」
「いえ、私は」
ジウ王子はそう言いかけて。少し考えてから口元だけで笑う。
「そうですね、とある人物に挨拶に行くところだったのですが、貴方もいかがですか」
「……いいだろう」
「即答なのですね。もう少し警戒なされたほうがいいのでは?」
「僕を殺すつもりなら、その剣でもうやってるだろう」
ジウ王子の腰に吊られた短剣を示して言う。柄の装飾が先程と違うことには気がついている。先ほどが刃引きだったなら、今度は本物だろう。
ジウ王子は薄く笑い、視線を斜め上に投げる。
「二階です」
この大ホールは世界最大の興業施設と言うだけあって、演者用のスペースだけをとってもセレノウの大使館より大きい。ジウ王子は広い階段を登り、赤い絨毯の敷かれた回廊を進み、その奥へ。
「ここは特別貴賓席、つまり王のための席です。クイズ大会のように七カ国の王が集まっている際には手狭で使えませんが、ごく少数の国賓を招いている際などにはこちらを使います」
「……そうか」
そのような場所に誰かがいるにしては、ここまでの通路にまったく人がいない。ジウ王子の立ち止まった、ひときわ大きな扉の前にも見張りなどはいなかった。まるで意図的に人を排している印象だったが、ユーヤは特に口を挟まない。
両開きの防音扉を重々しく開けると、ステージ上で歌う双王の声が響いてくる。しかし、まだ壁一枚を隔てている印象なのは、その部屋にある大きな観覧窓に硝子がはめられ、さらに厚手のカーテンが降ろされていたからだろう。
部屋の中には大きめの寝台が設置されている。車がついているところを見ると、この部屋に最初から置かれていたものではなく、外部から運び込んだものであろう。
その上には皺だらけの老人。じっと目を閉じ、呼吸はあるかないか分からぬほどに弱い。
「ご紹介しましょう、ハイアード現王、グラゾ=ハイアード=ガフです」
「……」
そのジウ王子の言葉には、名を呼んだだけでありありと伝わる意思があった。すなわち、このようなものでも王なのだ、という嘲りの意思。
「グラゾ王は、まだ元気だったと聞いているが」
各国の王家や王族についてのことは説明を受けているが、ユーヤが聞くところによれば、グラゾ王はまだ50にも満たないはず。眼の前の老人は、確かに外見的な年齢はそこまで老いているとは見えない、髪にもまだ黒いものが残っている。しかしその弱々しさ、衰弱の加減はともすれば100に迫るほどに見える。
「医者は心労のためと診断いたしました。もともと体の弱い方でしたが、数年前より伏せることが多くなり、数ヶ月前からは一日の殆どを眠って過ごしています。率直に言ってしまえば、生きることを忌むかのようです」
ジウ王子は皮肉げに笑い、自嘲的な口調で言葉を続ける。
「私についてはどこまでご存知ですか?」
「……サグナリム霊廟を調べた」
「なるほど、ならばほぼ全て承知のことでしょう」
面倒がなくてよかった、という空気をにじませて、ジウ王子が語りだす。
「六年前、私がクイズ大会を利用して鏡を奪うようになって、グラゾ王は心労の度を増していった。もっと言うなら、多くの娘たちに己の血を分け、十三人の王子を育成していた頃から様子がおかしかったそうです。本来、この人物の神経で耐えられるような大それた計画ではないのですよ。
それを計画したのはハイアードの大臣、高位の文官、資産家などの集団でした。そのような悪巧みをする人々の集まりを「玉卓の十二人」などと言いますが、ともかく計画は大いなる年月をかけて練られ、王はそれに唯々諾々と従ったのです。ハイアードは経済力を伸ばしすぎたために、一部の富豪や、経済界と結びついた役人の力が大きくなりすぎたのですよ。彼らは鏡を集めることで世界に覇を唱えようと考え、クイズ大会を利用することを思いついた。そしてハイアードの鏡がそれに利用できることまでも思いついてしまった。
彼らは王を動かし、形だけの王子を幾人も生み出したのです。まあ、グラゾ王が気弱な人物だった、ということは責められて然るべきですが」
「……」
「ですが、そのような悪徳も潰えました。すでに計画に関わった全員を処分しましたから」
「……処分? 相手は相当の大物だったんだろう? よく、そんなことが……」
「黒幕はいずれも政財界に蠢く怪物ばかり。私一人の力では無理だったことでしょう。しかし彼らにとって予想外だったことは鏡の力です。生きた人間を精神体に変え、別の人間の精神に接合する、これはまさに八面六臂の魔力を得る力なのです。私は二年ほどですべての計画を調べ上げ、黒幕だった人間たちを牢に繋ぎました。それらの人間を司法から保護しうるような後ろ盾もすべて断ち切った上でです。なに、別に罪状をでっち上げる必要もない、それなりに悪行を重ね、それなりに罪なき人を泣かせてきた者たち。叩けば埃が出てくる連中でしたよ」
「……殺したのか」
「とんでもない。我々、十三人の王子のことを考慮しても、死刑になるほどの罪ではありませんよ」
ジウ王子は心外だ、という声で言い、わずかに息を潜めて言う。そのあるかなしかの笑みに、露悪的な色が混ざる。
「ですが、ハイアードの底の底、光の射さぬ牢獄にて、今も声を枯らして叫んでいるそうです。殺してくれ、と」
「……」
「しかし当分は死なぬでしょう。一人あたり20人の獄卒をつけて、風邪ひとつ引かせぬように面倒を見させていますから」
語るうち、ジウ王子は悦に入るように見えた。己のそのような狂気すら客観的に眺め、それを愉しむかのように。
ユーヤは意識的に緊張の糸を緩め、ジウ王子の気当てをいなすように言う。
「……ならば、もう君の復讐は果たされたはずだ。鏡を集める必要はないはず」
「そうですね。私のやっていることはただの私怨であり、それに世界を巻き込む必要はないのかも知れない。すでに遠大なる計画は崩れ去り、グラゾ王もこのような有り様……」
ジウ王子は寝台に横たわる老人を見つめ、どこか虚ろな様子で言う。
「では、私のこの憤りは、十三人の怒りは私一人で抱えて生きるべきなのでしょうか?」
「……」
「首謀者たちが死ねば、あるいは全員が罰を受ければ我々は救われるのか、私はそうは思えなかった。我々、十三人の王子は人の世界から乖離した存在となってしまった。かつては共に過ごした時期もあり、尊敬しうる一面も持っていた好ましい王子たちが、なぜこのような運命に見舞われねばならなかったのか。私は懊悩し、尽きることのない怒りに身悶えた。そんなときにハイアードにくだんの難破船が流れ着き、私は外の世界というものを知ったのです」
「……」
「天啓でしたよ。いえ、天という言葉はあまり相応しくないでしょう。それは目の醒めるような衝撃、私が初めて自発的に意識した、己の為すべき役割というものなのです」
ジウ王子の言葉は熱を帯び、己自身の世界に没入するかのようだった。そして言葉はひどく断定的に、余談を許さぬ刃のような凄みを帯びる。
「妖精の世界を終わらせる。それが私の役割なのです。そう思うことは間違っているでしょうか? 私はもう妖精の支配など真っ平なのです。妖精のいない世界すらも、人間が選択しうる可能性の一つのはずです」
「……」
ユーヤは、ジウ王子の目を正面から見つめる。
それは数秒のようでもあったし、ともすれば数分もかかったかも知れない。互いに己の人生を、信念を、瞳を介して行き来させるような時間が流れる。
「分かるよ」
ややあって、ユーヤは静かに言う。
「君は僕と似ている。己の属する世界が腐敗していると感じ、それを壊すことにしか生き甲斐を見いだせない。悪いことには、壊す手段をいくらでも思い付いてしまう。もし躊躇があれば己の心を壊してでも破壊の槌を止めない。悲しい破壊者、愚かなる墓掘りだ」
「そう、私も貴方の決闘のことは知っている。あなたの力はおよそ真っ当なものと言い難い。あなたは元の世界でどのように生きていたのか? おそらく世界の裏側に生き、何かを破壊することを司る人間だったのではないかと、私はそのように考えた。つまりあなたも毒でしかない。妖精の都合により呼び出された、毒蛇を殺すための毒虫、それが貴方だ」
「僕は少なくとも、破壊の先に創造があると信じて……いや、もういい、なぜ僕にそんな話をする、なぜグラゾ王を僕に見せた」
胡乱げな瞳を向ける。ジウ王子は一度ごきりと首を鳴らして、尊大な気配をにじませて言う。
「あなたにメッセンジャーを頼んでいるのですよ」
「……」
「ほんの数十分後、あなたは妖精の鏡を使い、妖精の世界に行くことになる。向こうに着いたら妖精王に告げてください。人間は、少なくともこの私は、あなたたちを拒む、と」
「わかった」
それは了解というより、話を打ち切るための言葉だった、ユーヤは体を回し、両開きの扉を押し開ける。
「そろそろ時間だ、僕は先に戻る」
「ええ、また本番で」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
ジウ王子は寝台のグラゾ王を見下ろし、小さく呟く。
「あの男、まだ私に勝つ気なのでしょうか」
「愚かしいことです、何が起ころうと、我々が敗北する道理など無いのに……」
※
「さあ、おまっとーさまでございます。突如として始まったこのセレノウとハイアードの三本勝負、なんだか広場の公開放送もすごい盛り上がりらしいですよ。賭けもすごい額が飛び交ってるとか。でも皆さん、ヤミ賭博はダメですよ、クイズ大会のブックは公営のブックメーカーで行いましょうね」
司会の白スーツが歩みより、解答席のユーヤに話しかける。
「初めまして、セレノウのユーヤさん、司会のフクトミです。本日はセレノウの代表に選ばれましたこと、誠におめでとうございます」
「どうも」
かるく目礼する。司会者は、なんだそれだけか、と思わない訳もないが、あくまでにこやかに応じる。大物司会者ならばむしろ話さない相手の方が楽、ということをユーヤは知っていた。
「おやちょっと口下手な方でしたね? まあセレノウたってのご推薦ですから、その実力にご期待いたしましょう。おー、いいタキシード着てますね、これはご贔屓の店とかお持ちで?」
「メイドの手縫いです」
「ははは、うーんあまり面白くない」
どっ、と笑いが起き。司会者もゲストいじりはこのぐらいでいいか、と切り上げてステージ中央へ歩く。
「さあルールを説明いたしましょう! 百人オーディエンスクイズとは何ぞや! これより、貴賓席の百名の参加者に四択問題を出題します! その四つのうち、最も多く選ばれる答えはどれかを答えていただきます。え? なんだかピンとこない? ご安心ください、私もです」
司会者は胸をそらし、大ホールの上方を指し示す。
「あちらのパネルをご覧ください」
そこには、天井から吊り下げられた巨大なパネル。大きさは八畳ほど。ユーヤの知るそれとは違い、オーロラビジョンでも液晶パネルでもなく、つまりは銀写精の映像を投影するスクリーンである。
「あちらのパネルに四択問題が表示されます。貴賓席の百名がそれぞれ解答し、その中でどの解答がもっとも多くなるかをお答え下さい。10ポイント先取で勝利、現状、ポイントが一対一ですので、同時に10ポイントに到達した場合はサドンデスとなります。まずは実際にやってみるのが良いでしょう、第一問はこちら!」
ドラムロールが鳴り響き、鼓笛隊がマーチを奏でる。そのような細かな演出は数え上げればキリがないが、ともかくも壁面の一点から銀写精の光が投射される。
問題、次のうち、昨年の年間興行収入が最も多かった映画はどれ。
1・我が山は青なりき
2・透愛
3・ギャレット・アミューの生涯
4・劇場版カエルエルエルの冒険~滝の国は大騒ぎ~
「……」
ジウ王子の周囲に、六人の王子たちが意識される。正確にはそれは夜も昼も、常に彼に寄り添っている霊たちである。それらとジウ王子の間を情報が行き交う。それは例えるならば莫大な大きさを持つ箱があり、見聞きした情報を無加工のままに保存しておき、必要に応じて取り出せるような状態に近い。思考力は六倍ではきかず、記憶力は常人とは比較にならない。
(これは問題にならない、解答は4)
そして二人が黒板を示す。
ジウ王子『4』
ユーヤ『4』
「さあお二方とも示されました、貴賓席の皆さま、答えをオープン。
いっせいに黒板が裏返され、そして貴賓席の下で計測係がすばやく集計する。
1・4票
2・7票
3・22票
4・67票
「はい、正解は4となります! お二人とも正解、このぐらいは常識でしたね。ちなみに興行収入一位は4番で間違いありません!」
司会者はこれで練習は終わりという空気を出し、やや声の緊張を高めて二問目を読み上げる。
「第二問! 約400年前、シュネスにおいて世界で初めて作られたというアイスクリーム、その値段はグラス一杯でいくらだった?」
1・100ディスケット
2・800ディスケット
3・3000ディスケット
4・17万ディスケット
(1番)
ジウ王子が、ほとんど思考するまでもないほどの鎧袖一触で答えを導く。
(これはひっかけ問題。アイスクリームを17万ディスケットで売りつけた話は有名だが、あれはアイスの製造よりもずっと後、しかもラウ=カンでの話。歴史上、シュネスのボッティカにて、牛飼いの老人が売っていたアイスが世界初のものと言われ、値段は100ディスケットだったと言われている)
(問題は、それを観客の何割が知っているかということ)
六人の幽鬼が励起する。青白い炎のような姿が激しく揺らめき、その思考とも、あるいは情報そのものとも言えるものが流れ込んでくる。
(おそらく52人、よって最も多くなる解答は1番)
解答が示される。
ジウ王子『1』
ユーヤ『1』
「貴賓席の皆さま! 解答をどうぞ!」
1・73票
2・2票
3・8票
4・17票
「お二人とも正解! いやあ流石ですねえ! 実は世界初のアイスクリームというものは……」
司会者が解説を始め、
ジウ王子が、何か嫌なものを見つけたような目で横を見る。
(……この男)
異世界人、ユーヤことユーヤ・セレノウの様子はいつもと変わらない。
むしろいつもよりも静かに、淡々としている。片手で黒板を提示し、もう片方は解答台に置いて、肩の位置を低くしてやや脱力して見える。
無論、まったくの当てずっぽうで戦いに臨むはずがない、とは思っていたが。
(なぜ、正解できる……?)
負ける要素は無いが、それだけは拭い去ることが出来ない。
この男の、不気味さだけは。
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