58
通路は暗い。
真夜中であることを考慮しても静かに過ぎる闇である。どうやら全ての窓に木板が打ち付けられ、家具にも全て麻布がかけられているようだ。屋敷の住人が死に絶えたか、あるいはどこかの富豪が遊ばせている別宅か、そのようなものだろう。
ジウ王子はカンテラを捧げ持って歩き、屋敷の奥まった方へと向かう。カンテラの中では蛇の舌のような火がちろちろと燃えていた。
「暗いのう、妖精を呼んで明かりを灯せばよかろうに」
「申し訳ありません、しばしお待ち下さい」
やがて開けた場所に出る。来客用のホールか何かであろうか。壁の一面には姿見が並んでおり、大きな釣鐘型の窓もある。窓には例に漏れず木板が打ち付けられており、天井からは送風扇が下がっている。ジウ王子は壁の燭台に火を移していく。
「なんじゃ古くさいのう、いまどき燭台しかないのか」
と呟くのはユギ王女。ユーヤはその王女にちらと視線を送る。
「そうですね、不便なことです。我々は一日に8時間ほどしか眠らないのに、日の落ちている時間は冬ならば12時間以上になる。そもそも我々はなぜ夜目が効かず、また眠らねばならないのでしょうか? 世界に夜がなければ、陽帝のつねに中天にあって、四六時中昼間が続いていたなら、我々は眠りもせず、暗がりに備える苦労もなく、さらに言うなれば木はよく育ち、寒さに凍えることもなかったのではないでしょうか。我々は当たり前のように夜を受け入れ、夜のない世界のことなど想像だにしない。それが怠惰なことだと思いもしないのです」
「? 何をわけの分からぬ事を言っておるのじゃ?」
ジウ王子の言葉は、誰かに向けてと言うよりは独白に近いもののようだった。ユゼ王女の問いかけには答えず、テーブルの上で何かを準備している。
「こちらをご覧頂きたい」
部屋の中央にあるのは四角のテーブル。そこに置かれているのは海亀のように大きな物体である。その一部にはガラスの球体がはめ込まれており、上部には絵葉書のようなものの束が差し込まれている。ジウ王子がその物体の一部をかちりと動かすと、ガラス球がぼんやりと光を放ち、壁面に円形の像を浮かび上がらせる。
「なんじゃこれは? 銀写精かの?」
「収像機と呼んでおります。機能としては似たようなものですね」
「写りが悪いのう、像も歪んでおるし、線のようなものが大量に混ざっておって見にくい……」
最初に映し出されたのは、地図である。
ユーヤも見たことのある、この大陸の地図。その大陸の姿が左方にスライドしていき、右方、方位で言うなら東方に、一回り小さな陸地が出現する。
「……」
次に現れる映像は、どこかの工房のようだった。
大勢の人間が鍛冶場か、あるいは木工所のようなところで働いている。映像はかしゃりと音を立てて切り替わっていく。
煙を吐きながら走行する神輿のようなもの。メガホンのようなものに向かって話しかける男。高炉から出てくる赤熱した液体。大きなコウモリの羽のようなものを背負って走る男。無数の試験管が並ぶ実験室の光景。黒板を埋め尽くす何かの数式。画面いっぱいに拡大されているミジンコの姿。クレーン状の機構に釣り上げられる石材。眠っているのか死んでいるのか、腹をナイフで裂かれている男――。
映像は終わる。
「なんじゃ今のは?」
「この映像を収めた機械は、今より数十年前、ハイアードに打ち上げられた難破船にあったものです。乗員はすべて死に絶えていましたが、航海記録などを精査し、その陸地が東方におよそ8000ダムミーキの距離にあることが推測できた。この映像の他に、家族の肖像や、何気ない風景など何百枚かの映像がありました。それらはこの絵葉書のようなカードに記録されている。今お見せした10枚ほどの映像は、発見された中でも特に興味深いものです」
「東方に8000ダムミーキじゃと? 馬鹿な、そのような場所に島があるなど聞いたこともない。そもそも、そんな遠方まで行った人間など一人も……」
まったく理解しかねるという双王の肩をユーヤがぽん叩き、ずいと己の体を前に出す。
『いかがですか? これは我々の知らぬ世界、妖精のいない世界の姿です』
そう告げるのはユーヤである。ジウ王子は、この完成しきったような容姿の人物は、ほとんど誰にも分からぬ程度に眉をしかめ、ややあって言う。
『驚くには値しないな、僕はよく知っている世界だ。ハイアードがどうやって文明のことを知ったのか疑問だったが、ようやく理解できた。まさか海の彼方にヒントがあったとはな』
そう語るジウ王子に、ユーヤは奥歯をぎしりと噛みしめる。
『この土地には妖精の支配もクイズの支配もなく、人々は独自の文明を築いていた。疑問に思ったことはありませんか? 妖精という存在を、希少なものもありますが、わずかな蜂蜜と果物だけで人に大いなる利益をもたらしてくれる。それはおよそ世界の均衡に反している。我々は長年をかけてこの土地を調査し、知ったのです、自らの不安定性を、妖精王に支配されている己の矮小さを』
ユーヤが言い、ジウ王子は、今度は明らかに感情を口の端ににじませて言う。
『それの何が悪い。妖精の能力は一部では科学文明を大きく越えている。この大陸の人々は豊かで幸福だ。それ以上の力など必要ない』
『ですが、もし外の大陸の人々が、我々のことを知ったなら? 妖精を呼び出せるのはこの大陸と、数十年という時間をかけてヤオガミで可能になっただけです。我々は海上では妖精の力を使えない。相手方に攻め込むこともできない』
『何も変わりはしない。彼我の距離は十分に離れている。互いの大陸は軍事的関係を持つには遠すぎる。仮に向こうが攻めてきても、迎撃だけならば妖精の力を使えるこちらに分がある』
「ふ……」
ジウ王子はふいに肩の力を抜く。それはこの貴族だとか王族を構成するアイコンの象徴のような人物が、初めて見せた人らしい反応であった。そこには喜の感情がにじみ、ようやく本音で話すことができる相手が現れたと、サルだけの島で人間に出会ったとでもいう反応が見て取れる。
「すべて承知のご様子、感服いたします。まだるっこしい説明に時間を取られるのは億劫だったもので、感謝の念にたえません」
「承知したのはたった今だ。君の方こそ僕について知っているようだな」
双王は目を瞬きながら聞いている。ジウ王子が、あの童話に出てくる白馬の王子のような人物が、「不敵な笑み」というものを浮かべているのも驚くが、この偏屈そうな、頭の硬そうなユーヤがはっきりと感情をむき出しにしているのも極めて珍しいことである。その感情とは、双王が感じる限りでは怒り、苛立ち、そしてわずかな焦燥。
ユーヤは親指と人差し指を伸ばした手を、王子の前に突きつける。
「君の話を聞く前に、僕から二つだけ質問したい」
「ふ……何なりと。色々と想定問答も考えてはいましたが、貴方の前で芝居をするのも滑稽というもの、すべて隠し立てなく答えましょう」
「まず、ラウ=カンの船を襲ったのは君たちか」
「そうです。四カ国の王が一同に揃っている、しかも海上。これほどの機会はそうはなかった。しかし何ぶん時間が足りなかった。用意できる全ての石霊精の石人形、それを気球に乗せて船の上から投下する。ガナシアやベニクギが同乗していることを考えればはなはだ不足ではありましたが、情報の入手からわずか30分足らずでの作戦です。むしろ称賛されるべき手際でしょう」
「わかった、それともう一つ」
ユーヤはぎゅっと拳を握り、目に力を込めて言う。
「アイルフィルに何をした」
「ああ……セレノウの王女ですか」
ジウ王子は口の端を吊り上げ、作り物の笑みを見せて言う。
あるいは喜怒哀楽、彼の表情は最初から全て作り物だったと言うかのように。
「拷問にかけたのですよ」
※
「ユーヤよ、お前はジウ王子が不正をしていると言ったらしいな」
それは小半時ほど前のこと。ジウ王子の招集に応じて身支度をするユーヤに、コゥナがそのように話しかけた。
ユーヤの周囲には数人のメイドがいて、てきぱきとタキシードを着付けている。
「ああ、間違いない」
「どうやってだ? あの超難問一問一答ならば、フォゾスにいるときにコゥナ様も見た。マルタートが出ている試合でもあるしな。あれは衆人環視の中、空中に浮かぶ浮島での戦いだ。外部から合図など出せようはずもないし、カンニングをしている気配もなかったぞ」
「……」
ユーヤは、この世界に召喚されて二日と少ししか経っていない。その視線をふいに壁に這わせて、過去を振り返るかに見えた。死にかけた場面もあれば、料理に舌鼓を打ったり、懐かしいものに出会ったり、新たなクイズ戦士の誕生に心を震わせたこともあった。
そして記憶を巻き戻し、この大使館で見た光景を、あの浮島の戦いを思い出す。
「確かに、あの状況ではおよそ思いつく限りのカンニングも、外部からの合図も不可能。問題が漏洩していたという感じでもない」
「ならばどんな不正だ?」
「……考えられる可能性が、ないわけじゃない」
ユーヤの声はにわかに重くなる。それを言う事を危ぶむのか、不正確な憶測でジウ王子の名誉を汚すことに慎重になっているのか。それとも予言のように、己の考えを言葉に出してしまったら、それが本当のことになるとでも感じているのか。
「……僕はね、かつてはクイズに関する仕事に従事していた。問題を考えたり、試合形式や演出を考えたりしてたけど、最大の仕事は不正を取り締まる事だったんだ」
「ほう……ハイアード・クイズオフィサー社のような興業会社にいたのか? それともラジオ局に勤めていたとか、そういう事か?」
「ラジオ局が近いかな。そして僕はたくさんの不正を摘発した。王を名乗る詐欺師たちはいくら捕まえても引きも切らず、また番組の形式をいくら練り上げても、かならずその穴を突くような不正が生まれた。そんな鼬ごっこを何年も続けていた、その中で」
「その中で?」
「どうしても、僕ですら摘発できない不正の気配を感じるようになった。それは、言うなれば妖精のようなものだった。けして捕まえられず、防ぐことも不可能に思える不正だ」
「妖精?」
「そう、それは世界を壊した。僕のいたクイズの世界が決定的に壊れる要因になったんだ。だから僕は最後には局を辞め、番組の制作側は、そもそも素人を番組に使わなくなった。有名人や局の社員だけを出演させていれば不正もないし、番組の人気も出るからね。
だけど妖精は世界に残り続け、クイズ王が生まれいづる下地は失われてしまった。だから、僕は二度と世界が壊れるのを見たくないんだ。そのためなら何でもできる。今度こそは失敗しないと誓ったんだよ、だから、僕は……」
「……」
「僕は妖精を殺すために、ここに来たのかも……」
(第三章 完)




