50(一問多答クイズ 1)
そして歩むことしばし。
廊下はかなり奥まで続いていた。途中で鉄枠で補強された扉をいくつか通り、迷路のような道を右へ左へと進む。あるいは同じ十字路を二度通ったりもする。
「ずいぶん回り道をするんだな」
「扉に一方からしか開かぬものが多いからな、決まった順路で進まねば最奥の部屋へは行けぬ」
「……」
やがて、道は最奥へ至る。
ひときわ大きな、道成寺の釣鐘を連想するような扉がある。
そこを押し広げて中に入れば。
ふいに、ユーヤの視界の左右から黒いものが伸び、
その体が強く背後に引かれ、首に何かが巻き付く感触。
「――ぐ!」
「お待ちしてましたネ」
背後から耳をかすめて響くのは、睡蝶の声。
「ユーヤ様!」
「ユーヤさん!」
エイルマイルとズシオウの前に、睡蝶の腕が突き出される。双王はさささと部屋の隅に退避する。
「近づかないで欲しいネ。この細い首、麦の穂より簡単に折れるネ」
「ぐ……ラウ=カン、まさか、この部屋まで回り道をさせたのは」
「ふむ、セレノウのクイズ戦士よ、如才ない若者かと思ったが、まだ青いな」
ゼンオウは部屋の中央に陣取り、薄い笑いを皺深い顔に貼り付ける。それは人間性を排除するような酷薄な笑み、ゼンオウの恐ろしい高齢の顔ではいっそう人間味が遠ざかり、いっそ幽鬼の笑いにも思える。
「あの八角の部屋を中心とする第二層。あれは遁甲問裡と言う。あの構造には易学が取り込まれており、どの扉から出入りして、どこへ座るかでその人間の性格を推し量ったり、あるいは意図的に動くことで何らかの意思を示すことができるのだ。四の扉は真っ先にこの部屋に来られる、つまり、先回りしておけという合図となるのだ」
「ちょっと失礼しますネ」
睡蝶の手がタキシードの中に突っ込まれ、中をまさぐる。ユーヤは抵抗するかのように腕を背後に伸ばす。
「ぐ、やめろ、何を」
「お尻触らないで欲しいネ」
どん、とユーヤの背中が突き飛ばされ、ドミノの一枚のようにばたりと倒れる。
「持っていないネ、ではそちらのお姫様ですネ? ついでにパルパシアとヤオガミの鏡ももらっておくネ」
じり、と睡蝶が一歩進み出て、エイルマイルとズシオウ、そして双王がじわりと後じさる。
「待て!」
その前に立ちふさがるのはユーヤ。
「面倒はかけないでほしいネ。知ってるはずネ。私けっこう強いネ」
「そのまま、指一本動かすな」
ユーヤは言い。背後の四人の王族を意識して腕を横に伸ばす。
「君の体に翠想巨精の筒を付けさせてもらった」
ぴく、と睡蝶の端正な目元が歪む。
「知っているだろう。かけ声一つで棘の生えた礫が巨大化する。君の柔肌と、ピンク色の内臓を突き破るまで一瞬だ。双王が髪に隠していたものを、さっき一つだけ拝借した」
「な、なんじゃと!? いつの間にそんな事を」
ユギ王女は扇子で口元を隠しつつ、ひそかに驚愕する。
翠想巨精の筒を盗んで、脅しに使うなど。そんな咄嗟の機転のような行動は。
その事だけは、予定にない。
「ハッタリに決まってるネ、そんな感触はなかったネ。今も体のどこにも違和感はないネ」
「体を探るなよ、指一本でも動かせばすぐに掛け声を叫ぶ」
「……」
睡蝶は思考する。ユーヤに触られたのは一度だけ、先ほど体を押さえた時、尻に触れられた一度だけに間違いはない。結わえ付けられるような時間はないから、可能性があるとすれば糊で貼り付けた程度。その位置だけ確認すれば。
睡蝶の腕が腰の側でわななき、猫科の猛獣のような目がユーヤを見る。まばたきの一度も許さぬような視線の衝突。時間が凝縮されるような緊張感。
その睡帳の手が、
刹那の瞬発力を持って、腰に回され――。
「槍と――」
どん
次の瞬間。睡蝶の抜き手がユーヤの喉にめり込む。靴の底で摩擦熱が白い煙を挙げる。目にも留まらぬ疾歩からの一撃。
「がっ――」
「ユーヤ様!」
睡蝶が己の襟元に手を当て、素早くそこから首を抜く。一枚の反物のような状態になった紅柄を投げ捨て、飛ぶように離脱。上は何も付けておらず、かろうじて黒の下着一枚だけの姿となった睡蝶が、ふんと鼻を鳴らす。
「何も付いていないネ、やっぱりハッタリだったネ」
「ふん、浅はかなことを」
さて、と、ゼンオウが四人の王族の方を振り向く。
「鏡を渡してもらおうか。国際社会の安寧のため、それらの鏡はラウ=カンが独占させてもらう。ユーヤどのは喉が潰れただけだが、抵抗すれば王族と言えども容赦せぬ」
「が……、は……あ、あぐえ……」
ユーヤは血反吐を床にばら撒き、体を卵のように丸めてかすれるような息をする。何かを言おうとしているようだが声帯が機能していない、気道が潰れる一歩手前の状態である。そこにはかろうじて命を奪わぬ程度の加減しか無かった。
「ユーヤさま」
その脇にかがみ込み。エイルマイルが頭を抱きしめる。
「ユーヤさま、なんという無茶を……」
その声には妙に落ち着いた部分があり、ユーヤは激痛と呼吸の苦しさに呻きながら、ごく短い間、エイルマイルの顔を見る。その目は大きく開かれ、不思議なものを見るような顔をしている。だが襲ってきた猛烈な咳き込みに、ほとんど思考ができなくなる。
「大丈夫です、全て分かっています。あとは私が務めてみせます……」
「……? え……えい、る……ぐ、ふぐっ、がっ……」
「ゼンオウ様!」
エイルマイルが場の中央に進み出て、高らかに呼ばわる。
「我がセレノウ胡蝶国はラウ=カンに決闘を申し込みます! こちらは鏡を、ラウ=カンは問題と反対票を! ジャンルは何でも構いません! ラウ=カンが最も得意とするクイズ、一問多答クイズでも!」
「……? 何を馬鹿なことを? 鏡などこの場で奪ってしまえば……」
「無駄です」
エイルマイルはドレスの胸元を緩め、
そのまま、空気のように上質なシルクをすとんと足元に落とす。もちろん上下の下着はつけているが、その麗しき肢体を堂々と晒し、なお悠然と顎をそらす。
「なに……」
「おお、いい脱ぎっぷりじゃのう、我ら双王も負けてられぬ」
蒼と翠、二人の双王がボディコン服をはらりと足元に落とす。光沢のある生地はかなり上物の仕立てであり、一種の弾性を持って足元で液体のように動く。その上下の下着は蛍光色であり、星のように宝石が散らしてあった。
「え、ええと、私も」
ズシオウは気合を入れるように「えい」と言いながら、巫女服のような白装束のもろ肌を脱ぐ。だが腰から落ちそうになるところで押さえてしまう。顔は火で炙られたように赤くなり、耳から湯気が上がっている。
「す、すいません、下はちょっと……恥ずかしくて」
「何だと……!」
驚愕するのはゼンオウである。唐突に下着姿になった四人の王族であるが、そのどこにも肝心なものが見当たらない。
「鏡はどこへやった!?」
「コゥナ様です」
エイルマイルが、黄金色の髪をなびかせて言う。
「我々も打ち合わせておりました。もし誰か一人だけ先に出ていくような事態になれば、それは「その人間に鏡を預ける」という合図なのです。我々は部屋を退出する時、鏡を椅子の上に置いて出ました。そこへコゥナ様が戻ってきて、三枚の鏡を回収されたはずです」
「ぐう、まさかそのような事が……!?」
ゼンオウは気圧されるように後退し、脇の睡蝶を見やる。そのラウ=カンの后は背後にあった問題を拾い上げる。
「ぐ、し、しかし、我らにセレノウと取引する意味など……」
「問題だけでは勝てない、それが分かっているからこそフォゾスに取引を持ちかけたはず。それに現状を見てください、ハイアードはこの船に奇襲を仕掛けている。おそらくこの奇襲は犯人不明となるでしょうが、もはや、いつ世界に向けて実力行使に出るかも分からない段階。ラウ=カンとて一刻の猶予もないはずです」
「……ぐ」
「我々はどんな勝負でも受けます、さあ、クイズのジャンルを指定してください!」
「お、おのれ、この見翁を、八方千里の智を収め、朱天六万書の主たる儂を捕まえて決闘だと……」
荒く息をつくゼンオウのそばで。
睡蝶は、別の場所を見ていた。
それは黒い卵のように手足を丸め、うずくまるユーヤである。
(――おかしいネ)
(この場に鏡が一枚もないなら、私の体に翠想巨精の筒を貼り付けた、なんてハッタリは必要ないネ)
(それに、実際なにも付いていなかった。なぜあんな無謀なマネを?)
(というより)
(なぜ発動しないと分かっているのに、あの時「槍となれ」と叫ぼうとしたネ――)
「――いいだろう」
はっと、ゼンオウの声で意識を引き戻す。
「我らラウ=カンにクイズで挑むなど愚かなこと、一問多答クイズで勝負してやろうぞ! 知識を競うにあれ以上のものはない! セレノウの鏡は我らが貰い受ける!」
「分かりました。では上の騒ぎが片付き次第、業者を呼びましょう」
「ゼンオウさま、ちょっと待っ……」
「睡蝶! お前も上に行って人形どもを片付けてこい!」
「…………」
老王は、それは追い詰められたという屈辱を隠すためであろうが、激昂しかけている。
睡蝶は仕方なく、黙礼だけを残して部屋を出ていく。
去り際に、まだ血反吐を吐いてうずくまる男、セレノウのユーヤの姿を目に残しながら――。
※
「本日はお呼びだていただき、誠にありがとうございまあす。私どもバラドンプロダクションが正式なる決闘の場に立ち会えますこと、そしてあの! 高名なるラウ=カンのゼンオウ陛下。古来より伝統を重んじる格式高い国、大陸の花、セレノウのお姫様の戦いを拝見できますこと、この上ない光栄でございますわあ」
船の甲板には夜風がゆるやかに吹き付ける。その場に並ぶのは各国の王たち、この船の本来の乗務員、各国の王の身の回りの世話をする従者たちなどなど。
あれこれと忙しく立ち働くなかに、屈強な男に背負われて乗り込むのは着物姿の女性であった。
すでに、火龍船の騒動は片がついている。
石人形をすべて海に落とし、周辺に退避していた職員たちを船上に戻し、ハイアードキール市内に業者を呼ぶ早馬を飛ばして、やって来たのは中年の女性。彼女はヤオガミの出身だという。七色の糸をまだら模様に織り込んだ極彩色の着物を着て、髪には金や銀のカンザシをごてごてと挿している。ユーヤの世界ならば、百人が百人とも「地方周りの演歌歌手のような」という印象を持つだろう。
実際、彼女は売れっ子の歌手であり、バラドンプロダクションとは大物芸能人などを司会者として派遣する会社なのだという。
「本日はこの私、サクラヨカゼこと桜風七色が司会を務めさせていただきまあす」
――サクラヨカゼというと、たしか「紙細工の愛の家」の人?
ユーヤが手元の手帳にサラサラと書きつける、その喉には包帯が巻かれていた。
パルパシアの双王がその手帳を見て、目を丸くしてユーヤの顔を振り仰ぐ。ついでに言うならば、言語の自動翻訳と同じく、文字もほとんど意識することなくこの世界のもので書けるようだ。
「おまっ……見たことないのか!? 我ら双王ですらちょっとアガってるぐらいの歌手じゃぞ!」
――はあ、ええと、サクラヨカゼというのが芸名?
「何を言っておるのじゃ! サクラヨカゼは音楽活動と「魂の本質」を示すソウルネームじゃ! 桜風七色は独身女性としての名前、つまり番組やイベントなどで、その場に男性がおれば桜風七色になるのじゃ!」
(む、難しい……)
ユーヤはただ、「わかった」とだけ書きつけた。
「うふふ、あらあら、私もまだまだ無名ですねえ、頑張らないと」
桜風七色はにこやかに笑う、それは掛け値なしの大物芸能人だけのリアクションだなとユーヤは思った。
「さてさて、ご要望は一問多答クイズでしたわねえ」
「うむ」
ゼンオウがずいと進み出て、それは老王なりの威厳を示そうとする意思なのか、不敵な笑みを見せて言う。
「此度の決闘、我らの流儀で執り行おう。古典にゆかしき決闘法だ、その名も」
「一問多答、四神封獄クイズ」




