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「考えるべきは、この事態が最終的にどこに帰結するのか、という問題だ」
セレノウ公邸において、会議室として使われている食堂。そこに集まった四カ国の面々を前にユーヤが語る。
「大陸に七枚の鏡があるとして、ハイアードは少なくともフォゾスの鏡を手に入れている。シュネスとラウ=カンの鏡についてはまだ分からないが、両方無事とも考えにくい。ハイアードが何のためにそんなことをしているのか、それが問題だ」
「ふむ、確かに唯一無二の国宝じゃが、何しろ使うためのリスクが大きすぎる、こんなものを集めてどうするのじゃろうな」
ユギ王女はどこか気もそぞろに答える、関心がないわけではないが、それが危機感とか焦燥感というものに結びつかない。双王の理解では伝説のピアノ弾きが、伝説の七つのピアノを集めているような話に聞こえる。それは運ぶのが大変そうだな、という程度の感想になってしまう。
「考えられる事としては、鏡の中からハイアードの目的に合うものを探し、使うため」
「しかし……現王か、第一王位継承権者しか使えないと聞いています。それに見合う恩恵はあるようですが、ジウ王子がそれを使うとは考えにくいのですが」
エイルマイルが言う。ユーヤは短くうなずく。
「そう、10年間、世界から消え失せる。そのリスクをどう考えるかは人ぞれぞれだが、特に国難に見舞われてるという場合を除いて、積極的に選ぶ道とは思えない。ジウ王子はまだ若いし、ハイアードは豊かな国だからな」
どこかの名画のように、横並びに王たちが並ぶ卓上でユーヤが語る。
「だからもう一つの可能性が高いと思う。七枚の鏡を独占し、世界に不確定要素を無くすこと」
「不確定要素じゃと?」
「つまり、人智を超えた力を排除するということだ。この鏡は、効果によっては戦略級兵器と見なせるものがあるのかも知れない。それを排除することでハイアードは安定的な経済的、軍事的優位を握り、時間をかけて大陸を制覇する」
その言葉は、この広めの食堂の中でスカッシュの玉のように飛び回る。言葉があまり周囲に響かず、多くの人々はそのボールの受け取り方が分からず、足元に落としてしまう。
大陸から戦争というものが失われて百数十年、この時代の人々にとって、軍事的優位であるとか、大陸制覇という言葉がどこか絵空事であり、とてつもなく突飛な発想であるのは明らかだった。
だが、武人ともなれば多少は違うのだろう。緋色の裳裾を着たベニクギが発言する。
「ユーヤどの、確かにハイアードは大陸最高の国力を持っている、だがパルパシアやラウ=カンも大国にござる。我々ヤオガミとて座して眺めることはしないでござろう。現実的に大陸制覇など不可能では?」
「……」
ユーヤは思考する。確かに、この大陸の七カ国はそれなりに均衡を保っている。クイズと妖精に支配されているだけでなく、どの国も勤勉で豊かであり、豊富な人材を抱えているようだ。最大の大国だからといって、大陸制覇というのはかなり大それた話に思える。そもそも、当たり前のように大陸制覇、世界征服などという言葉が浮かぶのは、それは異邦人であるユーヤの野蛮さの現れではないのか。遺伝子にまで刻まれたホモサピエンスの血なまぐささが言わせるのではないか、そんな気さえする。
(……ハイアードは、なぜこれほどに静かなんだ?)
(あくまでも秘密裏に、長い時間をかけて、クイズ大会を利用して鏡を集めている……)
(だが、この場にあるだけであと三枚、いったい何年かける気なんだ)
さらに言うならセレノウ胡蝶国である。複数の国と決闘し、大使館にて秘密裏に連携を組んでいる。
(この動きに、なぜハイアードが沈黙している?)
(まさか気づいてもいないのか? いや、そんなはずはない……)
ジウ王子、あの銀の髪を持つ優男。
ただ一度、ユーヤと会話を交わした程度で、それ以外では一度も姿を表していない。ハイアードの動きは、地の底の鯰のように不気味である。そしてそれは、ユーヤのようにあれこれと考えを巡らせる人間に対しては極めて効果的でもあった。あるいはこの会議も、ユーヤの動きも全ては水槽の中の出来事ではないか。自分はただ泳がされてるだけではないか、という気までしてくる。
なぜ鏡を集めるのか、それはユーヤがこの世界に呼び出された原因であるはずだが、無数の黒い膜に包まれるかのように、一向に明らかにならない。
あるいはその秘密こそが、この世界で最も深淵に近い謎であるかのように。
では逆をいうなら、その理由が明かされた時、その時こそが全ての決着なのではないか。それはユーヤと、彼を召喚した人物の意思が勝利した場面なのか。あるいはすべての希望が打ち砕かれて、ユーヤに逆転の目が無くなったとき、絶望の中でジウ王子の演説を聞くことになるのか。
ユーヤには予感があった。自分はいつか、そう遠くない時に、ジウ王子と対決――。
「ユーヤ様」
エイルマイルの呟きに、はっと意識が引き戻される。
「……。いや、ともかく、いま考えるべきはハイアードではなくラウ=カンだ。その国家元首、ゼンオウの腹の内を確認しておきたい。ある言葉でそれが引き出せるはずだ」
「それは何じゃ? ユーヤよ」
「全ての鏡を、廃棄すると申し出る」
「……ほう」
その言葉に首をわずかにそらし、感心するような声を上げるのはユギ王女である。
「もちろん、これはハッタリに過ぎない」
ユーヤは念を押すように言う。
「だが、ハッタリとは実際にやってのける、という意思が無ければ効果がない。爆弾を持って脅すなら、本当に爆発させてやろうか、という気持ちが少しぐらいは無くてはいけないんだ。だからそれだけは覚悟してほしい。話の流れ如何では、本当に鏡を捨てる可能性もあるということを」
※
(――虚仮威しに決まっている)
ゼンオウは、数秒でその結論に至る。
(いくら何でも鏡を廃棄することはあり得ぬ)
(それに、そんなことをすればハイアードの思う壺)
(つまり、この男はそれを確認したいのか、ラウ=カンが鏡の廃棄を看過できるかどうかを)
「僕は、そもそもこの大陸に鏡は必要ないのではないか、と思っている」
ユーヤが言う、ゼンオウは様々なことを思考しながら、油断のならぬ視線を送る。
「ハイアードが鏡を集めることで、何か良からぬことが起きるなら、いっそ捨ててしまえばいい」
「ふむ。我らパルパシアには元々、鏡の伝承が残っておらなんだ。効果の分からぬ鏡をむやみに使うことはできぬ。それに、我ら双王は二人で一人。どちらかを犠牲にして儀式を行うなどありえぬ。悪魔の取引で上半身を要求されるようなものじゃな。捨ててしまっても惜しくはないのう」
「ヤオガミでも伝承は失われていました。伝えることを恐れた人物がいたのでしょう。それに、ヤオガミにおいて将軍こそは国家の楔。それが失踪することは国全体の乱れを意味します。とうてい使えるものではありません。だから廃棄には同意いたします。どうせ小さな飾り物、国元へは紛失したと言えば通るでしょう」
ズシオウも淡々とそう述べる。
「セレノウは、ハイアードにこの鏡を狙われています」
最後に語るのはエイルマイルである。
「セレノウとしては、絶対に渡すわけには行きません。それだけが望み、それだけが命にすら優先します。ですので、ここで廃棄してしまっても良いのです」
「……」
ゼンオウは目に皺を溜めて思考し、苦々しい声で言う。
「……鏡の廃棄は再考していただきたい。それは大陸の至宝だ。かつて妖精王より賜りし、人の世界と妖精の世界を繋ぐ証……」
「そう、そして、ハイアードに対抗しうる可能性でもある」
ユーヤが言い、それでようやく、何かが確認できたという気配を乗せて言葉を続ける。
「……やはり、ラウ=カンの鏡も奪われてるんだな」
その言葉に、ラウ=カンの老王は身をこわばらせる。
「ぐうっ……」
「……? ど、どうしてそういうことになるのじゃ?」
ユゼ王女が、横にいたズシオウに問いかける。
「ラウ=カンがフォゾスに鏡を要求していたからです。ハイアードが戦略的驚異の排除、という意味で鏡を集めていると仮定した場合、つまり鏡を持っていない国はハイアードに狙われるという意味にもなります。ラウ=カンが鏡を持っているかどうかで答えが変わってくるのです。鏡を手に入れられる可能性が失われることになりますから」
「……うむ、完璧に分かった」
「……ほんとですか?」
そんなやりとりを脇に、ユーヤが言う。
「もちろん鏡を持っていたとしても、大陸から鏡が失われることを容認できないという事もあるだろう。だがそんな腹芸は本当はどうでもいいんだ。ハイアードを除く六カ国が連携すべき課題は、ハイアードの阻止、そしてできれば鏡の奪還だと思う。ラウ=カンもそれに協力できるはずだ」
「話にならぬ!」
卓を叩き、立ち上がる。それは場の流れを変えるために、多分に大仰な動作として行う。
その脇にいる睡蝶は何も言わず、座して背を伸ばしたまま構えている。口元は笑むような押し黙るような、感情を封じ込めた玄妙な表情のままである。
「そもそもこの場は問題と鏡との交換という話のはず! 三枚の鏡を廃棄されてもラウ=カンには何の利もない! それならば、我々が優勝してしまえばいい話だ!」
「問題が手元にあるだけで優勝が確約されるわけではない。だからラウ=カンはこんな交渉を持ち出したんだろう? それに……」
ごん
と、天井から重厚な音が響く、何人かが上を振り仰ぐ。音はかなり遠いが、その要素までを鋭敏に聞き分けたのはパルパシアの双王だった。
「なんじゃ 今の音は……? 何か重いものが落ちてきたような。おそらくは石のようなもの……」
「どうやら来たようだ」
ユーヤが言い、ラウ=カンを除く四カ国にさっと緊張が走る。
「来た、とは」
「決まっている」
「ハイアードだ」
※
「これは……」
屋上部分で待機していた二人の武人、ガナシアとベニクギが腰に手を回し、そこから小瓶を取り出す。
中身は蜂蜜と粒状の水晶を混合したもの、それを三日月型にさっと塗る。
数秒のうち、そこに淡い乳白色の妖精が群がり、蜂蜜を手ですくい取ると同時に激しく発光する。
明かりをもたらす蛍雪精の妖精が周囲に散らばり、船上をこうこうと照らし出す。
浮かび上がるのは数体の人影。全体が木炭のようなくすんだ黒に覆われた、石のような質感の人型である。
「石霊精、しかしこれは」
パルパシアの夜会、そこで見たものよりは小さい。
今はおよそ10体ほど、直上から弾丸のように落下し、天井を凹ませながら着地してくる。おそらく真上に浮かんでいるであろう、気球のようなものから落とされているのだろう。
高さは1メーキと60リズルミーキほど。特徴といえば腕が人間の腕ではなく、鋭く伸びて剣のようになっている。
その両腕をがりがりと摺り合わせ、ガナシアの元へと走り来たる。
「おのれ! 狼藉者め!」
ガナシアが腰から抜き放つのは棒状の物体が二本。がちりと連結すると長さ1メーキ半ほどの短い槍になる。
黒剣の旋回する外に後退し、たたらを踏む黒人形の中心を槍が撃ち抜く。
「ふっ!」
人形の体に亀裂が生まれ、勢いのままに槍を真上に振り上げる。黒い人影は上空に放られると同時に粉々に砕け散り、ただの石となって周囲に散らばる。
「この臭い……アスファルトか。大した強度ではないが、この数は」
石霊精の操ることのできる鉱物は多岐にわたるが、材質があまりに硬すぎるとその動きが制限されたり、最悪の場合は動こうとした瞬間に砕けることもある。鋼鉄の塊を兵士に仕立てることはできないという、ものの道理であろうか。
パルパシアの夜会を襲った巨人、あれは比較的頑健な素材を使っていたため、本来なら鈍重な動きしかできぬはずだ。そこで腕を長く、さらに胴を細く、円盤を重ねるような造形とすることで上半身を回転させられるように作り、遠心力によって速度を得ていた。
ではこの人形はどうか。黒一色の天然のアスファルトが使われている。柔らかさが連想させる動きの滑らかさ、夜目に紛れるための黒、そして比較的重量が軽いために多数を運べることを考えての選択であろうか。さらに言うならば室内戦闘も想定しているだろう。
その間にも兵士の数は増え続けている。20、あるいは30。
ぎん、と重い音がする。視線を送っている余裕はないが、背後でベニクギが人形を斬った音だろう。
周辺では砲撃のような衝撃が繰り返されている。手足を畳んだ状態の人形が次々と落とされているのだ。中には天井に命中せずに甲板部分に落ちたり、落下の衝撃で体が砕けていたり、そのまま落水していく個体までいる。
下方から音がする、甲板部分に落下した個体が、構造物の壁面を剣の腕で打ち付ける音だろう。
海を見れば、明かりをともした船影はかなり遠まきである。こちらの騒動に気づいているかも知れないが、駆けつけるには時間がかかる。その間にも下方の音は数を増しつつある。
「ぐ、中に入るつもりか!」
「ガナシアどの! 拙者は甲板に落ちたものをやる! 屋上は任せたでござる!」
「承知!」
言うと同時にベニクギは構造物の屋上から飛び降りる。七階に相当する高さということを気にも留めない。
「――石の兵士か、それは都合が良かった」
ガナシアは槍を絞るように握り、不敵に笑う。
「人を突くより、遥かに楽だ」




