32 (イントロクイズ 1)
※
どこかの屋敷の居室。
双王は柔らかなソファに横たわり、体を弛緩させて足を投げ出している。伸ばした先で、赤ん坊のように柔らかいままの足を絡めあう。
双王は両者とも、すこし眠たげであった。ヴァッサール宮の夜会は途中で抜け出す形になったものの、盛大に騒ぎ、盛り上げ、飲み食らい、また刺激的なものをいくつも見た後である。セレノウとの決闘を控えていることは理解しているが、それは明日のことのように遠く感じる。今は眠りに逆らわぬことも心地よいと、二人ともそう思っていた。どうせ決闘の時が来て、誰かが起こしに来れば子供のように目を輝かせて跳ね起きるだろう。決闘はこの時代、貴人にとっても最大の刺激物に他ならない。
双王はここがどこかを意識しない。あの妙なセレノウの男とのやり取りの後、どこかの屋敷へ移動したようだ。ホテルの一室かも知れないし、パルパシアに繋がる商人の家かも知れぬ。それは自分たちの意識することではないと割り切っている。暖かい時期ではあるが、暖炉には小さく火が焚かれている。
そこへ、お下げを結ったメイド姿の女性がやってくる。木製のタライを持ち、そこには湯が張られていた。
「双王さま、おみ足をお洗いいたします」
靴を脱がせ、柔らかな布を湯に浸して足を洗う。この人物は誰であったろうかと双王は考えもしない。着ているものにパルパシアの紋章が入っているから、王宮から連れてきたメイドの一人だろう。大人びた服装と化粧を好む双王ではあるが、そのように眠たげにしていると、実年齢よりもさらに若く見える瞬間がある。
あどけなさというより、はっきりと幼児性のようなもの。人間が成長の過程で捨てる、純粋で容赦のない部分をまだ保持しているようにも見える。
ふいに、ユギ王女が話しかける。
「お主、名は何と言ったかのう」
「はい、クタマチスと言います」
「ん、足はもうよい、ここに座って、話し相手になってくれ」
「え……は、はい」
パルパシアにおいて双王の言葉に否やはない。メイドは埃のついたエプロンをしゅると外し、長椅子に、双王に挟まれるように座る。
左右から、代わる代わるに囁く声がする。その声は眠たげで、か細く、壁を隔てているように遠い声だった。あの昔話にのみ存在する囁く妖精、ウィル・オ・ウィスプのように。
「年はいくつじゃ」
「19、です」
「パルパシアの王宮に勤めて、どのぐらいになる?」
「2年と少し……」
「そうか、そういえば何度か見たことがあるのう、何せ王宮だけで100人からおるから顔も覚えきれぬ……」
「いえその、私のことなど……」
ぎゅ、と腰に抱きついてくる気配がある。ユゼ第二王女である。
「っ、あ、あの」
「のう、少しだけ、我らの母になってくれぬか」
「え、母親……ですか?」
「パルパシアの王家は放蕩者ばかりじゃ。父王も母上も我らが幼い頃から放蕩三昧。添い寝をされた記憶もほとんどない」
「我らの正式な王位継承もまだじゃというに、父王たちはカリブラナの離宮に引きこもってしもうた」
「我らも妖精王祭儀が終われば政治だの会議だの面倒事が増える。まだ母上の面影を感じたい年頃じゃと言うのにのう」
「こうして母に甘えたい時もあるのじゃ、わかってくれるな?」
それは実に淡々と、述懐というものからは程遠い棒読みであったので、とても本心の言葉とは思えなかったが、メイドに逆らえる道理もなく、左右からひしと抱きしめてくる中で、身をこわばらせるのが精一杯である。
「お、お戯れを、双王……」
「昔話が聞きたいのう、あれがいい、黄金の花園の話じゃ」
「え、ええと、はい、では……」
双王の手は腕で抱きしめてくるだけでなく、五本の指でメイドの体を掌握しようとしてくる。服の布地を透かして肌に突き立つような指を意識しつつ、メイドは昔話を思い出そうと努力する。
「え、ええと、その昔、まだ世界に妖精が生まれる前っにっ……!」
メイドはびくりと背筋を硬直させる。
赤ん坊のようにのそのそと動いている双王であったが、まさか、本当に赤ん坊のようなことを――。
「そ、双王」
「昔話以外に」
「一切の、意味ある言葉を吐くでない……」
何もかも冗談と放蕩でできているような双子の王女が。
その言葉だけは、冗談ではないと分からせる声音で言った。
※
「よし、次だ」
言われて、エイルマイルは記録体をラジカセに入れる。
「次は、アッパーフランシスの「地の果てに雨が」です」
――♪
「止めて」
「はい」
「レのシャープ……。やや早め。レ……地の果てに雨……ち、はて……急いでいたレモンが、血を吐いて……よし次」
ガナシアは、そのユーヤの様子を理解しかねるように言う。
「ゆ、ユーヤ、もう30曲目だが、それで覚えられているのか? 何か変なことばかり呟いて……」
「大丈夫、覚えている。覚えているはずだ」
「そ、それがイントロクイズの技術、なのか……?」
「これはただの暗記法だ、言葉を物語に変換しているんだ」
「物語……?」
「そうだ、人間はバラバラの単語は頭の中でバラバラの箱に収納するので、どの箱にしまったか忘れてしまう、これが忘却だが、物語は前後の部分から順繰りに思い出せる。曲の最初の一音の音階、速度、それを曲名と混ぜ合わせたもので物語の一場面を作って記憶しているんだ」
「そ、そんなことが……」
「ある大物司会者がやってた記憶法でね……。彼はこの方法で、100の単語を生放送で記憶してみせた」
ユーヤがやっていることの難易度は、それを大きく上回ることは言うまでもない。
ユーヤはそれと並行して、頭の中に地図を描いていた。生まれ育った家から小学校まで、大学時代の下宿からバイト先まで、成人した頃、住んでいたアパートから勤め先まで。
そのように明確にイメージできる道のりに、イベントを配置していく。それは空を見上げるラクダであったり、度胸のないカカシであったりと、ドレミの言葉で始まる不可思議なイベント。そしてラクダやカカシという単語で、曲名が想起されるように頭の中で結びつけていく。
位置記憶とは、人間にとって最も原始的な記憶であり、生きていくために欠かせぬ記憶である。それだけに位置記憶は短時間でも深く刻まれ、想起も容易という特徴がある。それを記憶術に応用するのが、つまりは位置記憶法である。
(集中力だ――)
(丸暗記するのでなく、音程とBPMを組み合わせて一個の「奇妙なもの」に変える、それをイベントとして地図上に配置していく)
(そう、小学校の正門、水飲み場の脇を通って、下駄箱、階段、そして教室、自分の机――)
「次だ」
「は、はい、次はレストランズの「インシディアス・メイズ」です」
――♪
「ソ……遅い、ゆっくり動くソリが……」
※
――そして
「ずいぶんと時間がかかったのう、もう夜中の12時か」
「業者が出払っておったとは不運じゃが、まあ祭りの時期じゃ、そんなこともあろうか」
舞台は万全に出来ている。
ハイアード工房街、エイルマイルが捕らえられていた屋敷の一階である。周囲は掃き清められ、天井からは妖精の光が降り注ぎ空間を満たす。
そして双王の気まぐれか、あるいは決闘の儀に対する礼儀のつもりでもあるのか、そこは財宝で満たされていた。
無数の調度品が並んでいる。飾り箪笥、古代の鎧と兜、儀礼用の槍。貴重な民族楽器。職人の手による木彫りの鞍。それらが貴金属や宝石で飾られていることは、いちいち述べるまでもない。
部屋の四面には絨毯が下げられ、四隅には身の丈ほどもあるラウ=カンの磁器の壺。いずれも極彩色に飾られた美美しさ極まる品である。周囲はまさに色彩の洪水であり、部屋の広さすら曖昧になる感覚。世界に名だたる美術品であろうと、そう無造作にごてごてと並べては風情があるとは言えぬ。しかし祭りの喧騒もそろそろ静まり始める刻限にあって、この場所だけは異様な気配が満ちていた。人の世では見られぬことが起こりそうなクイズの魔境が、白熱と興奮の火が足元から這い登る気配が。
「紳士淑女の皆様方、この度は当クイズ・オフィサー社をお呼びいただき、誠にありがとうございます。一般には秘匿の上の決闘とのことですが、二国を股にかけた決闘の儀、そしてパルパシアの双王女の戦いに立ち会えること、身に余る光栄でございます」
司会は落ち着き払った50手前の男である。夜間のためか、かっちりと白の礼服でまとめている。それとは別に曲をかけるスタッフや、会場を設営したスタッフなど合わせて10名ほど、突然の決闘で、しかも深夜ではあるが、実に手際よく準備を進めていた。
ユーヤはちらりとスタッフを見る、ラジカセは完全に物陰に隠れており、スタッフの首から上だけが見えている。とても記録体を出し入れする様子は窺えない。
観客がいないため、選手の紹介などはない。パルパシアの双王が一人、ユギ第一王女が解答台につき、ユーヤがもう一つの席へ。
そしておもむろにクイズ帽をかぶる。
「ルールの説明をさせていただきます。勝負形式はイントロクイズ、出題範囲は昨年のヒット曲ベスト100。問題は全部で20問、一切小細工のないイントロクイズですが、最初の10問は両者解答の書き問題。続いては早押しイントロとなります。20問目を終わり、獲得点数の多いほうが勝利、同点の場合は決勝問題を行います」
「イントロクイズで、しかも早押し形式か」
コゥナが呟く。彼女は立会人という立場であるため、一歩引いた場所で全員を見渡すように立っていた。
エイルマイルがその呟きに応じる。
「そうですね、例年の妖精王祭儀などでも、超ウルトライントロの場合は書き問題になることが多かったのですが、これは一対一の決闘ですから……」
「それならばパルパシアの王は間違いなく全問正解してくるからな。早押しでなければ勝ちの目はない……」
ガナシアもそう言葉をこぼすが、彼女はまだ実感できない。
いくら異世界のクイズ王でも、一時間前までただの一曲も知らなかった男がイントロクイズで戦えるのだろうか。
(それに……メイドたちがかき集めてたという記録体、なぜあんなものを用意させたのか……)
司会の男性はまだ何事か美辞麗句を並べていたが、やがて解答席の二人に向かって呼ばわる。
「さあお二方、準備はよろしいでしょうか」
「いいよ」
「勿論じゃ」
双王はなぜか全身がうっすらと上気しており、目が爛々と輝いている。
ユーヤが小首を傾げる。
「なんだかツヤツヤしてるな君たち」
「うむ、母の愛というものを存分に浴びてきたからのう。もちろん我らの方からもたっぷり愛を注いできたぞ。最後の方は向こうのほうが赤ん坊みたいになっておったし」
「? まあ何でもいいけどね」
あまり突っ込みたくない話の気配がしたので、司会者の方に話を向ける。
「さあ、始めよう」
「はい! では参ります。まずは両者参加の書き問題から」
そして、第一問。
――いつまでも 暖炉の前で うずくまり 火を見つめ♪
(ミ……打楽器。耳を打ち付ける、これは小学校への通学路、途中の空き地で……メモを破くイベントが)
手元にある携帯用の黒板に手を走らせる。この世界にはホワイトボードやフリップというものがなく、繰り返して使用される解答用紙として、A3に近いサイズの黒板が用いられている。チョークを走らせるかつかつという音。
「解答をどうぞ!」




