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異世界クイズ王 ~妖精世界と七王の宴~  作者: MUMU
第一章  死闘 早押しクイズ編
16/82

16 (早押しクイズ 3)



そして問題は続く。


「問題 トンボなどが高い場所」


ぴんぽん




クイズ帽から蛇を上げるのは、エイルマイル。


「……」


王女は必死に頭を巡らせる。今までに紐解いた本を、誰かから聞いた話を、自身の経験を、底まで掘り返して、頭の中の辞書をめくる。


(トンボの問題? 高い場所にあって手が出せない例えは「トンボの熊手返し」。昆虫類が高い場所から低い場所に降りる軌道は拝寧はいねい軌道。それから転じて円弧を描く特殊な定規が拝寧定規。いえ、トンボ「など」と言っているから。昆虫一般のこと? 高い場所から虫や鳥が降りてきて驚くことを余州の方言で「でっちりぼう」。それから転じて人を驚かす妖怪がいて、たしか名前は……」


「え、エイルマイルさま……お答えを」

「っ……! で、でっちり坊主」


沈黙――


「ふ、不正解です!」


アオザメが言う。この若い侍もまた手を震わせている。倍々に増え続ける罰金というのは、たとえ自身が関わらぬ金銭であっても正気ではいられない。そのリングで束ねられた問題用紙を、ぎゅっと親指の腹で押さえつける。


「そうか、じゃあ次は10億2400万ディスケットだな」

「ううっ……!」


ばたりと、ほとんど倒れ込むような勢いでエイルマイルの重心が落ち、解答台に両手をついてその身を支える。


「ユーヤ様」


そこで、初めてユーヤに向けて言葉を投げる。その声は何十ダムミーキも走った人間のようにかすれている。


「ご安心ください……。我がセレノウの予算から考えて、振り出しの限界は280億ディスケットあまり……。そ、それ以上は、どのようなことになるか想像もできません。王室の通貨発行権を行使することになるのか、それとも債券を発行するのか。いずれにしてもその混乱は尋常ではありませんが、わ、私も、限界まで続けます。力の及ぶ限り……」


瞬間、またユーヤの目に影がよぎる。それは本当に一瞬のことで、世界の誰も、その微細な表情を読み取れはしなかったが。


(力の及ぶ限り、か)


(まだ甘い――。負ければ君はすべてを失うんだ。これはそのぐらいの勝負)


(そしてそれは僕もだ。この世界で、君をクイズで手伝えなかったら、この僕に何が残るというんだ)


そしてユーヤは、傍らのエイルマイルの背中にそっと手を当てる。ドレスの布地越しにも分かる玉のような肌であるが、驚くほどに熱く、うっすらと汗をかいている。


「エイルマイル、ありがとう」

「……え」

「僕は元いた場所で、自分の属する世界を破壊するのが仕事だった。それは世界にはびこる不正だったり、不公平だったりしたけど、人によってはそれはクイズを興行として成立させるために必要なシステムだった。だけど僕はそれすらも壊してしまった。それが僕の仕事だと、クイズの世界が健全なものに生まれ変わるために必要な役割だと思っていた。そんな仕事をしていては、失うものも多い、信頼もその一つだ」

「ユーヤ様……?」

「僕を信じてくれてありがとう。よく、ここまでついてきてくれた。君なら、きっと立派なクイズ戦士になれる。君が一人の戦士として生まれ変わるために、君が属するものをすべて壊す、それが僕の役目だったんだと思う」

「……?」


(そう、僕は、破壊することで再生を導く)


(僕の属していた世界は、僕の破壊に耐えられなかったけれど)


(君なら、きっと生まれ変われる。その傷口からミルクを吹き出し、その身を焼く炎から新たに生まれてみせるだろう)


(だから僕は君を壊そう。姉を失い、今は金銭という価値を失おうとしてる君から)


(もう一つだけ、奪ってみせよう)


(君が縋るもの、君を守っていたものを、すべて打ち砕いたとき、その時こそ君は――)


ユーヤは、己が嗜虐的な気分になっていることを自覚する。それは自分で自分の感情を操作しているためだ。必要に応じて必要な行動を為せる。そうでなければ己の役目は果たせない。


「ベニクギ、こちらの支払い能力はまだまだある」


言われて、ベニクギが怪訝な目を向ける。


「いざとなれば国債でも、通貨の発行でもいくらでも手段はある。それに、プールする額が天文学的な値に達してしまえば、本当にそんな額を取り立てられるのか逆に疑わしい。だからもっと。はっきりとした期限を切ろうじゃないか。

「何を言って……」

「この世界は本当に素晴らしいな! なんて平和で素敵な世界なんだ! 一国の王位継承権者に臨席して茶会に出ると言うのに、誰もボディチェックもしない! 少なくともこの大陸だけは戦争と無縁というのは本当らしい! クイズで全てが決まる世界か! なんて夢のようなんだ! まるで子供の考えた世界のようじゃないか! 妖精王とやらはよほど理外の天才か、あるいは子供そのものじゃないのか!!」


タキシードの懐に手を入れる。そこに潜ませていたものを右手で抜き放ち、一息の動作で己の左手首を、そこから一気に肘のあたりまで駆け上がり――





赤が。





噴水のような鮮血が。






「あ――」


今度こそ。


このうら若き第二王女が、花のような姫君が、絹を裂くような悲鳴をあげる。


長く長く、無数の竹ですら受け止めかねるような、長くたなびくような悲鳴が――。



「近づくな!」



ユーヤが叫ぶ。その目は異様な興奮に血走っている。意志の力でアドレナリンを放出していた。そうでなければ意識が飛んでいたことだろう。

手首から肘までを駆け上がった小さなナイフが、がらんと石舞台に落ちる。

タキシードの黒い袖は肘までの裂け目が生まれ、溶岩が噴き出すように血が吹き出す。脈の動きに合わせて細く噴き出す動脈血。青黒い泥のようにぼたぼたと大理石に落ちる静脈血。その指先は激痛のために震え、歯を食いしばって意識をこの世に留める。


ユーヤの叫びは周囲の全員に言ったものだった。エイルマイルが、駆け寄ろうとする若い侍たちが、その叫びに押し止められる。

硬直しかける空気を引き裂いて、ベニクギが胴間声を上げる。


「な――何をしている!」

「見てのとおりだ、動脈を切った。肘から上の上腕動脈を切ると数分で死ぬと言うが、そこまでは達してない。肘の部分で分岐している動脈を複数、それに静脈をわずかに切ったという感じだろう。腋を締めて出血を押さえるとしても、僕の見立てなら十数分で失血死するだろうな。これなら目に見えて明白な時間制限だ。僕が死ぬか、意識を失った時点でそちらの勝ちでいい、簡単な話だろう」

「そ、そんなことを……」

「ゆ、ユーヤ様。ああ、なぜ、なぜこのようなことに、これが姉上の意思だと、妖精の密事だと――」


エイルマイルは、もはや目も当てられない状態だった。

その顔は紙のように白く、歯がかちかちと鳴っている。目は恐怖に似た色に震え、意味の通じないことを早口で呟いている。もはや何も考えられるような状態ではないことは明白――。


「エイルマイル――」

「あ、ああ、私は、私はどうすれば、もはや私には、何もない、私が、不相応なことを願ったせいで、私は、すべてを――」

「エイルマイル、問題だ」


ユーヤは、エイルマイルの浅く速い呼吸を読む。混乱している人間であっても、息を吸った瞬間のほうが比較的、声は届きやすい。



「人間の血管を大きく三つに分けると――」



――動脈、静脈、あと一つは?



「――っ」


ふいに、その王女の脳裏に、言葉が降りる。


「――毛細血管」

「そうだ、なぜそう思う?」

「そ、それは、血管を三つに分けると、動脈、静脈、毛細血管ですが、問題として、動脈と静脈が出題されることはほぼ無いから――」


ユーヤは、強く左腋を締め、その指先から鮮血を滴らせながら、

紅潮した顔で、わずかに笑う。


「では、第一問を振り返ろう、閣都三大大路と――」



――閣都三大大路といえば、南絡みながら大路、北香ほっか大路、あと一つは?



「――紫雀囲成しずいなり大路」

「なぜそう思う?」

「それは、二大大路といえば南絡みながら大路と北香ほっか大路ですが、三大大路と言った場合には紫雀囲成しずいなり大路が入るから……」


「それは、おそらく正解だ。それこそが、早押しクイズにおけるものの考え方だ」


ユーヤは視界がぼやけるのを感じていた。思ったよりも出血が激しい。激痛は脳を焼くほどで、体温の低下も感じている。

しかし、意識だけが頭蓋の前にせり出すような感覚。気分が異様にハイになってきている。それは身体に異常なストレスがかかった際の防御反応、いわゆるランナーズハイに近いものなのか、あるいは新たなるクイズ戦士の誕生にうち震えているのか――。


「いま、君は最初に答えを連想して、あとからその理屈を理解したな?」

「た――確かに。そうです」

「それが正しい。早押しクイズとは、頭の辞書をめくるように、情報をいちいち検索していては絶対に間に合わない。よく、問題を聞くうちに、一文字ごとに問題を絞り込んでいって答えを導く、などという話を聞くが、それはおそらく間違いだ。車に轢かれた人が、跳ね飛ばされる一瞬、世界がスローに見えて、このままでは地面にぶつかると思って受け身をとったという、あの話に近い。それが起こっている瞬間の脳の自然な「反射」を、後からあれは「思考」だったと解釈しているだけなんだ」


早押しクイズにおいて、一流の戦士は、通常の思考では絶対に追いつかない速度で問題を見極める。

それはもはや、人智の及ばぬ脳の神秘。


連想という、超越。


それだけが早押しを制する。

そしてクイズ戦士における早押しとは、自己の連想を引き出す技術。


問題を何文字まで聞けば、自分は問題の全体像を連想できるのか。

脳が連想を終えるまでに、それを見極める技術。

問題文のパターンさえ知悉していれば、それはたとえ、解答を知らない問題でも可能。あるいは、異世界の問題であっても――。


「君の連想力を引き出すために、雑念が邪魔だった。答えを考えようとする意思や、勝負への焦りすら、かき消すほどに頭を真っ白にする必要があったんだ」


ユーヤが言う。


「思考を完全な空白にして、初めて連想が引き出せる。そして一度できてしまえば、その感覚は体に染み付くはず。次の問題で、君は覚醒するだろう。一流のクイズ戦士として。さあ、そこの司会者! 次の問題だ!」

「――も、問題ですか、しかし、その出血……」


アオザメもまた目に見えて動揺し、どう対処すればいいのかとベニクギを見る。ベニクギは、深く息を吸って、その息を肺で固めてから、つとめて酷薄に言う。


「どのようなつもりか分からぬが、雷問においてハッタリなど通用せぬ、今までのような異常な早押しをするなら、敗れ去るが必定――」

「違うな」


ユーヤは荒い息をつきながら、それでもどこかに喜の感情をにじませて言う。


「もう君は絶対に勝てない。わからないのか? 今までの早押しで、タイミングが早すぎたことなど(・・・・・・・・)一度もない(・・・・・)

「なっ……」



「見せてやろう――早押しクイズの真髄を!」



そしてユーヤは司会者に向き直り、狼のような獰猛な視線を送る。眼光紙背を射抜くような鋭い眼差し、それを契機として、若い侍も振り切れたように声を張る。


「も、問題――!」




一瞬の空隙。




「――しかのめ」




ぴんぽん




蛇を打ち上げるのは、エイルマイル。


瞬間、司会者も、凄腕の傭兵も、周囲の見物人も驚愕に支配される。

白装束の国主名代、ズシオウでさえも、その仮面の奥で目を見開く。


そしてうら若き姫君の脳で、光がまたたく。




――鹿の目玉のような光沢から、鹿眼珠ろくがんじゅとも呼ばれる宝石と言えば?




「答えは――」



そして言葉が世界に生まれ――。



「黒真珠です!」



すべての視線が、司会者の方へと集まる。


「せ――正解!」


驚きが、ざわめきとなって広がる。

白黒の世界に色の波が広がっていくような感覚。

その神秘的なまでの早押しに、誰もが心を震わせずにはいられない。


それは、世界に新たなる「何か」が生まれた瞬間――。

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