エレミアの魔導士たち(前編)
本編前日譚。アリエスと「彼女」の出会いからともに過ごした日々の話。
彼女は、いわゆる「淑女とはどうあるべきか」という教育を、受けてはいない。
「それで、いつまで私はここでにこにこ阿呆のように笑っていればいいんだ」
笑顔が固いなと思って近づいてみれば、案の定。
袖を掴んできて、視線は周囲に向けたまま、まるで憎まれ口のように文句を言ってくる。
弦楽器の調べが遠くうつくしく鳴り響き、笑いさざめく人々の声が幾重にも折り重なる中にあっても、彼女の声は何にも紛れずに耳に届いた。
「いつまでかな。見世物としては面白いから、出来るだけ長く」
こちらに気付いて何か言いたげにしている招待客には愛想よく微笑みかけながら、彼女には小声で答える。
視線は周囲に向けつつも、すかさず、右足を軸に左足をさっとひく。彼女の踏み下ろした足が、たん、と床を踏みつけた。
「相変わらずやることが姑息だ」
苛立ち紛れに、人の足を踏みつけようとしたのを見抜いたことを伝えれば、
「アリエスこそ。黙って私に折檻されていればいいのに」
ふてくされた様子で物騒なことを言ってくる。
亜麻色の髪、すみれ色の瞳。出会った頃と変わらぬ少女のままの横顔。
微笑みの維持が困難になり、眉間に寄った皺を見て、アリエスはくっくっくと喉の奥で笑う。
気付かれて睨まれる前に顔を逸らしながら、会の主催である城主を目で探した。
「もうやだ」
子どもみたいに呟かれて、わかっていると伝えるために背に腕を伸ばして軽く抱き寄せる。
ほっとしたように身を任せてくるのを指先で感じながら、小声で告げた。
「抜けよう。二人で話がしたい」
* * * * *
はるか昔。
この世界に満ちる力は四つの魔法大系によって説明されていた。
すなわち、炎、風、土、水。
それより以前にあった五つ目の魔法大系は「忌まわしきもの」として記録を抹消され、六つ目に至っては「存在しないもの」として扱われていた。
第五大系「 」
かつてある国の魔導士長であった青年が、五つ目の魔法をもってその国を灼き、滅亡させた。
ただ一人で、栄えた国を一夜にして滅ぼし尽くした魔法。「魔導士」が脅威であると世界にしらしめたその事件が、長い迫害の時代の契機となった。
大陸中で魔導士は狩られ、居場所を奪われ、追い詰められていった。
この事態を憂えた一人の魔導士が、その大いなる力を持って時空の扉を開き、「そこがどこであるか、誰も知らない」場所へと生き延びた魔導士たちを導いて消えた。
閉ざされた異界に作られた魔導士たちの都市は、そこを作り出した偉大なる魔導士の名と同じ「エレミア」の名で呼ばれた。
エレミア。唯一の存在。第六大系「時」の魔導士。
二百年以上の沈黙を経て、魔法都市エレミアは大陸と関わりを持ち始める。ほぼ同時期、禁呪として扱われてきた第五大系も正規の魔法として復権が認められた。
封印され、極端に使い手を減らしたものの、一部には最強と目されている「光」の魔法。
魔法都市エレミアは、今や大陸唯一となった魔導士養成機関にして、都市の中枢を担う行政府も兼ねた「学院」によって動かされている。
そこでは若き魔導士たちが魔法の習得及び研究に日夜励んでいた。
魔導士アリエスが、すべての魔法大系からつまはじきにされた落ちこぼれの「彼女」に出会ったのも「学院」でのことであった。
* * * * *
「魔力があるのに、魔法が使えない『落ちこぼれ』ですか?」
面倒な案件がきたな、というのが率直な感想。
師の研究室に呼び出されて告げられたのは、「学院」の問題児の育成という、どこにも旨味のない厄介事だった。
「四大系に関しては絶望的だ。となればあとは……」
白い眉毛とほとんど持ち上がらない瞼に隠された鈍色の瞳が、ちらりと向けられる。
いつからその座にあるのかわからない「水」の魔導士の総帥は、見るからに高齢で、ただの人間であればすべての役職を辞して引退を決め込み余生を送るにふさわしい姿をしている。さすがに、その師が新たに弟子をとって一から何かを教え込むというのは、無理があると思われた。
だが。
「確かに俺は希少種の『光』ですが。『学院』の教師陣が投げ出した劣等生を預かるには若輩に過ぎるといいますか。ふさわしくない。向いていない。人を指導した経験もありませんし、そもそも……」
ただでさえ「光」が発現する者は稀なのだ。
しかも歴代の「光」はいずれも幼少時から才を認められ、「学院」においては首席クラスの成績を修めている。断じて、落ちこぼれがまぐれ当たりで使いこなせる魔法ではない。
つまり、すでにそれなりの年齢にあるらしいその問題児が、今さら「光」として目覚めるのは可能性としては低いように思われた。
根拠はない。有体に言えば、一緒にされるのは嫌だ、という拒否感だ。
「べつにエレミア出身だからといって、今は必ずしも魔導士になる必要はありません。才能がないなら、他にどうとでも」
相手にするだけ無駄な問題児にかまけて、自分の研究の時間がとられるなど、冗談ではない。
しかし、師は顔の皺をさらに深くして、白いひげに埋まった唇をもぐもぐと動かして言ったのだ。
「才能はある。むしろこの都市の誰よりも強い魔力を持っている」
「まさか」
「四大系が使えないにも関わらず、あの強さというのは……。時期的な面から考えても『器』である可能性が高い。というよりも、まず間違いなくそうであろうとみなされている。もちろん、この事実が知れ渡ると何かと支障があるから『落ちこぼれ』という扱いになっているだけで」
師の告げる内容に、アリエスは唇を引き結んで押し黙った。
先程までとは打って変わった神妙な様子に、老齢の魔導士は話を続ける。
「第六大系は、『時空』に干渉する力を持つ。その特殊な性質のせいか、初代エレミア様より常に世界に一人だけの存在だ。当代のエレミア様も、『時』の魔導士として魔法都市を率いてこられたが……。これまでの例をみても、代替わりの時期が近いはず。おそらくあの子は……」
「次の、エレミア様ですか」
都市でありながら、国と同格とみなされるエレミアの、実質上の最高権力者、『時』の魔導士。
その身に帯びた魔法により不老長寿となり、数百年の長きに渡って都市を見守る存在ではあるが、時折、代替わりをしているとは聞く。存在そのものが伝説めいていて、滅多に人前に現れることもないので、すべては憶測の域を出ないのだが。
「時の魔導士の持つ魔法は人の身に余る、異次元の魔法だ。しかし魔法の理を知らぬ者ほど『捕まえて不老長寿の魔法を行使させる』など不遜な目的を持ち、その身を狙って刺客を放つ。或いは子飼いの者をエレミアに潜入させ『学院』を探らせようとする。どうしようもなく狙われ、奪われる存在なのだ」
「最強の魔力の持ち主なのに……?」
ただの人間になら、アリエスとて負ける気はしない。まして、この都市を動かすほどの魔導士が、無力であろうはずがない、と。
しかし、後背の窓から差し込む午後の光の中で、師はゆるく首を振った。
「特殊すぎる魔法ゆえに、対人戦闘には向かない。向いているのは……かつて一国を滅ぼし、今では使い手の限られる『光』のような魔法だ」
自分のことを言われている。
さすがに気付かざるを得ない。
「慣例のようなものだが、初代より『時』を守るのは『光』の役目と決まっている。この時代に、『時』を引き継ぐ少女が現れ、またお前のように突出した『光』がいるのも偶然とは考えにくい。アリエス。『閃光』の名をもつ魔導士よ。守ってやってはくれないか。魔法都市はこの先、今までにない難しい時代を迎えることになる。身の振り一つで動乱の火種となりかねない時の魔導士を守るのは並大抵の者には務まらない。お前なら……」
* * * * *
彼女が時の魔導士の名と力を引き継ぐその日まで、アリエスは名目上「落ちこぼれの弟子」の師匠となった。
なぜそんな貧乏くじをひいたのだ、と周囲からはずいぶんからかわれ、かつ真剣に心配された。
そのくらい、彼女は何かととぼけて出来の悪い少女だった。
「――――、どうしてそうなるんだ。一体、その年まで何を学んできた」
ともすると、一般常識すら心許無い。
年齢で言えば十六歳にもなるというのに――――は日々能天気に生きていた。
服のボタンを掛け違えていても、寝ぐせいっぱいの髪がはねていても、靴の左右を間違えていても気にしない。
(気付いていない?)
信じられない。恐るべきずぼらさだった。
生活の面倒を見るのは師匠の仕事ではないような気がするんだが、と思いながら、ついにはブチ切れて言ってしまった。
「『学院』の宿舎から俺の研究室まで、その格好で来られると迷惑なんだ!! どうして毎日そう壊滅的な服装でのこのこと現れるんだ。もうだめだ。無理だ。耐えられない」
怒られてもどこを吹く風と気にしない――――に、拒否はさせないとの強引さで命令する。
「俺の部屋に来い。一緒に暮らすんだ。寝ぐせの直し方から教えてやる。朝起きてから、俺が服装の確認するまで外には出るな。まったく……」
亜麻色の髪も、すみれ色の瞳も、白磁のような肌も。
どこをとっても、本来誰かに笑われるようなものじゃない。
むしろ。
磨き上げてしまえば、おいそれと人を寄せ付けないほどの侵し難いうつくしさが。
(時の魔導士の名を引き継ぐ前から、彼女には惑わされてきた)
代々の時の魔導士に寄り添ってきた『光』は、一体どういう思いでその偉大な存在に仕えてきたのか。
まず間違いなく、自分とは違うと思う。
「所在地不明」である「異次元の都市」を作り上げた初代エレミアなんか伝説の魔導士だ。おそらくどこに出しても恥ずかしくない、英邁高潔な人物だったに違いない。
それ以降、何人代替わりしたのかは不明だが、おそらくその誰もがこの都市の最高権力者にふさわしい徳と才智を兼ね備えた人物だったのであろうと思う。
「光」の魔導士が、己のすべてをなげうってでも守り通そうと思うほどの。
(どうしてうちの――――はこうなんだ。本当にこれがエレミア様になんかなれるのか)
その若き日。
――――は本当にあっけからんとして、のんびりとしたただの少女であり。
危なっかしく、どこで何をしているのか知れば知るほど心配でたまらなくなるような頼りなさがあって。
片時も目を離せないと思い込むまでに、そう時間はかからなかった。
気づいたら、いつも視界にいないと落ち着かないほどに、その存在が大きくなっていた。




