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76 天秤のくじ運はちょっと悪い

 佐田君が御堂君とドリブル練習を始めて、はや一週間、琴音の前では既におなじみの光景となりつつある二人の1対1が繰り返されていた。


「二人とも元気ですよね……」


 9月に入っても暑い日が続いている。

 琴音は少し離れたところにある木陰のベンチに座っていて、更には帽子と団扇のサポートもあるのだが、二人は時折、休憩と水分補給を挟むものの、炎天下の中ずっと動きっぱなし。それでいて集中が続いているのは、どこか楽しげな二人の横顔を見ていれば良くわかる。

 今もまた、佐田君がボールを持って仕掛けた。

 真っ直ぐ御堂君目掛けてボールを運んでからのカットイン。

 それに御堂君がついてくる素ぶりを見せたので、そこを狙って今度はカットアウト。

 利き足の内側外側を上手く使って左右に揺さぶる形で佐田君は御堂君を抜き去ってみせた。


「わあっ……」


 感嘆の声が琴音の口から漏れた。

 だいぶ、スピードに慣れてきたと思う。

 元々、佐田君はサッカーに対しては、極端なところがあるが基本真面目で、ドリブルに関してもそれなりではあったのだ。

 ドリブルスピードを上げた事で、一時的に全ての歯車が狂っていたが、昨日今日あたりで何かを掴みつつあるように見える。

 もし、今のスピードで以前の技が使えるようになるのなら、それだけでも大きな飛躍だと琴音は思ってる。


 ──でも、どうなんでしょうね?


 佐田君は確実に伸びている。それは間違いないが、今の佐田君の動きはいちかばちかの要素が強すぎる。

 現にこれまでの1対1は、佐田君の仕掛けが上手く噛み合って一気に抜けるか、噛み合いが悪かったりタイミングを合わなかったりであっさりとボールを奪われるか、だいたいそのどちらかで終わっている。

 いや、佐田君がFWだったら、それでも問題はないのだ。点を取る為にハイリスクな攻め方をして、失敗しても味方がボールを取り戻してくれる余地がある。

 しかし、ボランチのポジションで同じことをするのはどうなのか?

 中盤の底であっさりとボールを奪われてしまえば、そのまま即失点に繋がる可能性が高い。

 ただ単純に今のスピードでボールを扱えるようになっただけでは、強くなっているどころか、むしろマイナスとしか思えない。

 そしてそのことは佐田君も理解しているのだろう、少しぐらい抜けるようになったからといって現状に満足している様子はない。

 すぐさま次の戦いが始まった。

 佐田君は今回も速いテンポで距離を詰めていき、御堂君の右手側を抜ける素ぶりを見せつけた。

 それに対して御堂君が体を寄せに来たところでボールを足裏で引き、引いたボールを逆方向に押し込むことで御堂君の左手側を抜けようとする。

 右足一本でやるドロー&ゴーの足裏フェイント。

 その動き自体は緩急がついたキレのある動きだったが、最初のフェイントに御堂君が付き合わなかった為に、次のゴーで抜き去ることは出来ずに並走してしまい、タッチの差で先にボールに辿り着いた御堂君がボールを支配下に置いた。

 もし、これが実際の試合で、ボランチのポジションで起こったなら、佐田君のみならずチームが窮地に陥ってしまう。


 ──やっぱり、この安定感のなさはボランチとしてどうなんでしょう?


 そんな事を琴音が考えていると、2人の攻守が代わった。

 御堂君がボールを持ち、構えている佐田君に向かって距離を詰めていく。

 見本を見せるつもりだろう。

 御堂君は今しがたの佐田君のようにDFの傍を抜けていこうとする。

 対して佐田君が寄せに入った瞬間、スッとボールを右足から左足に逃がして縦に……、


「わっ……」


 思わずそんな声を上げてしまうくらい、あっさりと決着がついてしまった。

 御堂君がボールを持つと本当に最初の一手で決着がついてしまう。

 実のところ、はたから見ている分には二人のドリブルに差はあまり感じないように見える。

 足の速さはほぼ同じ。ボールタッチやフェイントのキレも御堂君の方が少し上かな? ぐらい。

 今のダブルタッチにせよ、そこまで高度なテクニックという訳ではなく、どちらかと言えば基本的な技だ。

 それでいて御堂君がボールを持つと、まず止められない。

 佐田君のDFが下手すぎるということはないだろう。佐田君は守備に関しても基本、真面目だ。

 少なくとも部活ではこうまで一方的にやられっぱなしではなかったので、やはり御堂君のドリブルがおかしいのだ。

 一応、琴音なりに御堂君のドリブルの秘密をあれこれ考察しているのだが、相手の行動の裏を取ることが異常に優れているのだと思う。

 右を防がれれば左に躱し、左を防がれれば右に躱す。

 積極的にアタックをかければひらりと受け流して、逆に間合いをとろうとすればズケズケと踏み込んでいく、そういう、相手の動きを察する能力。

 今の1対1だって、佐田君が動いた後、まるで後出しジャンケンのようにボールを逃がしてみせた。

 この相手の裏を取る技術が身につくなら、佐田君のドリブル突破は劇的に向上するだろうが、果たしてどうなることやら。そもそも、


 ──御堂君のドリブルには弱点があるんですよね?


 1対1に集中し過ぎて周囲の状況を把握出来ないというのは本当に致命的な弱点なはず。

 少なくとも現代サッカーの流れに真っ向から逆らっているのは間違いない。

 兄さんと楽しくおしゃべりをする為に、琴音もサッカー雑誌を熟読しているのだが、サッカーの最先端であるヨーロッパでは、あまり1対1の練習はやらないと書いてあった。

 代わりに3対3や4対4など少人数どうしのミニゲームが主流で、最低でも2対2や2対1らしい。

 これはつまりサッカーはどこまで行ってもチームプレイが前提という事だろう。

 そんな中で周りを顧みないドリブルがどこまで通用するのか? そんなエゴイスティックなドリブルを習得しても、佐田君のパスセンスは失われないのか? 佐田君は視覚のみならず聴覚をも活用して周囲の状況を把握しているらしいが(そしてそれは御堂君がちょっとやってみせろと提案して、遠くはなれたところから何を呟いているのか正確にわかっていたのだから本当なのだろうが)だからといって、1対1に没頭している最中でもその力を十全に発揮できるのかどうか?

 琴音の心配は尽きないというのに、当の佐田君はどこ吹く風という様子で1対1に没頭している。


「全く、人の気も知らないで……」


 こちらの疑問やアドバイスに対してふわっとした「俺なら大丈夫!」としか返さないのはどうなのか。

 そもそも、ここまで色々と世話を焼いてきた琴音に対して自分のスキルを隠していたのはどういうつもりなのか? これはもう一種の裏切りではないのか?

 少し腹を立てながら二人の練習を見守っていた琴音だが、自分のスマホが音を鳴らしたので、そちらに目を移した。

 メールを送ってきた相手は渚先輩だ。


【対戦相手が決まったよ! 佐田君にもよろしくね!】


 という題名と共にファイルが一つ添付されている。

 琴音がそのファイルを開くと今度の神奈川地区大会のトーナメント表が入っていた。

 百何十という高校が参加する大会なのでスマホの小さな画面では参加校が映りきらない。

 指で画面をスライドさせて天秤の名前を探していったのだが、天秤の名前を見つけたところで琴音は声を上げた。


「あっ……これは……!」

 

 天秤の隣にある一回戦の相手、白浜高校は別にいい。

 その高校のことは名前以外ほとんど知らないが、それはつまり無名校ということで天秤と条件は同じだ。

 けれど問題は2回戦で当たる第三シード、魚沼学園。


「前の大会も2回戦で黒牛、そして今度は魚沼。……呪われてますかね?」


 黒牛高校と並ぶ神奈川トップ3の強豪校と2回戦で戦わなくてはならない不運を目の当たりにして、琴音は思わず天を仰いでいた。

 ……。

 ……。



 あれからも1対1を続けていた二人だが、ひとまず休憩ということになったので、琴音は日陰で休もうとしている2人に冷たいお茶を配った。

 その時、一緒にトーナメント表も見せたら、それを見た佐田君はあからさまに顔を歪ませた。


「げっ!」

「ほぉ、魚沼か。ついてないな」


 美術部である御堂君も魚沼高校のことは知っているらしく、サッカー部の運の悪さに同情している。

 特に佐田君の方は悪態が止まらない。


「せめて、もう一つか二つ後にしろよ! 何でこんだけ高校があるのに、たかだか二回戦でやべーのに当たるんだ⁉︎」


 御堂君が不思議そうな顔をした。


「確かに運は良くないとは思うが、全国に行こうと思ったらいつかは強い相手とも当たる……遅かれ早かれという奴じゃないか?」

「まあな。でも、今の俺はドリブルを習得中だろ? その遅かれ早かれの差で習得出来るかもしんねーから、強いところとは出来るだけ後で当たりたかった」

「なるほど。しかし、こればっかりは運だからな。諦めるしかないだろう」

「ぬ……ぅぅ……」


 その後もしばらくの間、佐田君は額にしわを作ってトーナメント表と睨めっこをしていたが、その視線がふとこちらを向いた。


「しっかし……魚沼がサッカー強いってのは有名だけど、実際どれくらい強くて、どんなサッカーをするんだ?」

「そんなことを聞かれても……」


 わかる訳がないだろうと言いたい。

 神奈川は学校が多すぎて事前に調べておくということが凄く難しいのだ。それでも魚沼は有名であるが故にある程度の情報は集められるだろうが今は無理だ。

 言葉に詰まった琴音だったが、佐田君の隣に座っている御堂君がなんでもないことのように口にした。


「堅い守りからの速攻。いわゆるカウンターのチームだな。あのチームじゃあ選手の個性なんてものは重要視されてないから、ある意味わかり易いサッカーしてるよ」


 琴音たちの視線が御堂君に集まった。


「え? ……なんでそんなこと知ってんだ?」

「そりゃ中学の時にスカウトが来たからな。知ってるに決まってる。まあ強い学校だから、進学もありだったが……さっきも言ったけど魚沼は選手の個性よりもチームの決まりごとが優先されるから俺には合いそうになかった。だから、もしサッカーを続けても魚沼じゃなくて黒牛に行ってたと思う」


 この人はなんで今、サッカーをしていないのだろうかと不思議に思うが、そこは個人の自由なのだろう、琴音は余計なことは言わないことにした。


「それで、魚沼はどんなサッカーをするんです?」

「そうだな……」


 御堂君はアゴをさすりながら、記憶を思い返すように一つ一つ言葉を繋いでいった。


「俺は今の魚沼を知ってる訳じゃないが、さっきも言ったが堅く守ってからのカウンター。これは絶対に変わってない。サッカーの強豪校や名門校ほど簡単にスタイルを変えたりしないもんだけどさ、あそこは特にそういう風潮が強い。選手の起用法も、このポジションではこういうプレイが必要だから、それが出来る選手が選ばれる……みたいに選手よりもチーム戦術が優先される」

「へー、くっそつまんなさそう……」


 佐田君が率直過ぎる感想を述べた。


「まあ、俺やお前みたいな奴はそう考えるよな? でも、サッカーはなんだかんだチームプレイだから、選手に好き勝手させるより型に嵌めた方が強かったりするし、実際、魚沼は強いよ。特にあの守りを突破するのは苦労するさ」


 御堂君はその後も色々と話してくれたが、基本的にどのポジションでもフィジカルが優先されるらしい。

 DFには当たり負けしない強さとヘディングで競り合える高さ。FWにはワンチャンスで得点まで持っていけるスピードが求められていて、例えば足の遅いテクニシャンなどはレギュラーにはなれないそうだ。そういう選り好みが出来るのは、有望な選手を数多く集める強豪ならではのやり方だ。

 その他にもパス回しなんかでは正確性を重視されていて、アウトサイドでのパスなどは暗黙の内に禁止されているらしく、それを破るような選手は干されるとのこと。もし佐田君が魚沼にいたら絶対にサッカー出来ないだろうなと真面目に思う。


「で? 天秤サッカー部の司令塔であるお前はどうやって戦う気だ?」


 魚沼学園のことを説明し終えた御堂君が興味深げに問いかけた。

 それは琴音も気になるところだ。

 佐田君は、


「ん……そうだな……」


 と、しばらく考え込んでいたが、やがて、


「……とりあえず、工藤に点を取って貰う……かな?」


 と、そんな事を言った。


「工藤? 誰だ?」

「えっ? お前、工藤を知らねえの? あっちはあんなにお前のことを意識してんのに? 中学の頃、戦ったことがあるとか言ってたぞ?」

「そうなのか? ……すまん。覚えてないな」

「そっか。工藤はうちのサッカー部のFWだよ。俺と同じ一年だけど、今度の大会、槍也とツートップを組むんだ」


 なっ? と水を向けられたので、琴音は「ええ」と頷いて同意を示した。

 昨日、御堂君が本来の部活である美術部へと参加したので佐田君はサッカー部の方へと顔を出したのだが、その時に……というより、佐田君が部活に顔を出す時を狙って今度の大会のレギュラー発表が行われた。

 そして、兄さんや佐田君の他にも2人、一年生からレギュラーが選ばれた。

 左のサイドバックに柏木君、そして左のFWに工藤君。


「工藤はパワーと高さはねえけど、ボールの扱いは上手い。厳しいところに放り込んでもトラップ出来るからDFの裏に走らせての勝負ができる。そこで、1点取れれば魚沼ともやれる」

「それ、そんなに上手くいくか? 向こうは堅いぞ?」

「堅かろうが何だろうが、そこを上手く行かせるのが俺の仕事だろ? じゃなけりゃ何の為の司令塔かって話になる。工藤が勝負出来るところまでは何としても持っていくさ」

「なるほど……」


 琴音は、二人が魚沼との対策を話し合う様を聞いていたのだが、話が進む内にふと疑問が湧いた。

 佐田君はいかに工藤君に点を取らせるか、もしくはトップ下の間宮先輩に点を取らせるかを語っているが、その中に兄さんの名前が出て来ない。間違いなく、ダントツの得点力を誇る兄さんなのだから、真っ先に名前が出てきておかしくないのに、いつまで経っても兄さんの話が出てこない。


「あの、佐田君は兄さんを使わない気なんですか?」


 とうとう我慢しきれなくなり、その疑問を口にしたのだが佐田君は不思議そうな顔をしてこちらを見返した。


「いや、使えるもんなら使いたいけど……でも、槍也は絶対にフリーになれねーよ」

「というと?」

「魚沼の連中からすれば、天秤は滋賀槍也とその他のどうでもいい奴ら、だぜ? その状況であいつを自由にするか? 俺なら絶対にしない。これでもかってくらいにガチガチにマークを固める。他は後回しにしてでもあいつだけは確実に潰そうとする。そうならない可能性なんて、無いだろ?」

「まあ、そうですね」


 言われてみれば確かにそうなる可能性は高いと思う。実際、前の大会では、黒牛高校は佐田君が言った通りの対策をしてきて、兄さんが自由に動ける余地はほとんどなかった。


「逆に言えば槍也がガチガチに固められている分、他のマークは甘くなってるってことだ。そこで無理に槍也にボールを回す必要がねえし、あいつ抜きで点を取れなきゃ先がねえ。まず、槍也抜きで点を取って、あいつの出番はそれからだな」


 そう言い切った佐田君は、琴音に対して一言付け加えた。


「つー訳で。俺らで点を取るから、兄貴には派手に囮役をやってくれと伝えといてくれ」

「…………………」


 言ってる理屈が分からない訳ではない。むしろ合理的な判断だと琴音の中の冷静な部分が告げている。兄さんに頼りっぱなしの戦術を提案されるよりよほどいいと、そう思いはする。

 それでも、最愛の兄を囮扱いする佐田君に対して、二つ返事で返事を返すことは無理だった。




「あはは。らしい言い草だな」


 その日の夜、夕食を食べ終えたところで佐田君からの伝言を伝えると兄さんは朗らかに笑った。


「私としては兄さんの扱いが雑なのではないかと思ったりするのですが、兄さんはそれでいいのですか?」

「あいつの考えに協力して行くのが部の方針だし、俺も極力合わせるつもりだよ。実際、かなり的を射た意見だと思うよ。マークが集まるであろう俺じゃなく、他の場所で点を取っていくのは。琴音はそうは思わないの?」

「理屈は分かるのですが、それがすんなり上手くいくのかは正直、疑っています」

「そこはみんなを信じるしかないんじゃないかな。……それよりも少し意外だったな」

「何がでしょう?」

「いや、アキラは今、御堂と一緒にドリブルを覚えようとしているんだろ? なら、大会でもドリブル突破を積極的に使っていく気なんじゃないかと思っていたんだけど、聞く限り今までのスタイルで挑む気みたいじゃん?」

「ああ、それは……」


 琴音も思った。同じことを思って、同じことを聞いていた。


「中途半端なドリブルスキルでスタイルを変えると逆に弱くなるから、だそうですよ。いずれはドリブルも使う気ですし、大会に間に合うならそれに越したことはないそうですけど、ただでさえ他の人とは変わっている御堂君のドリブルを、あと半月もしないうちに習得する自信はないそうです。納得が行くまではスタイルは変えないとのことです」

「ふーん。アキラは突拍子もないことをやらかすけど、意外と地に足をつけた考え方をするよな。……にしても御堂か。あいつのドリブルは間違いなく凄いんだけど癖があるからな……どうなることやら」


 やっぱり兄さんからしても全面的な賛成をしている訳ではないらしい。

 その一方で、反対するまでいかないのは反対しないだけの魅力が御堂君のドリブルにあるからだろう。

 琴音は兄さんの判断力が自分より上であると確信しているので、佐田君たちの練習の様子をこと細かに伝えた。

 もし、何か不味い方向へと進んでいるなら、自分には気付かなくても兄さんなら気づくだろうと思ってのことだが興味深く聞いている兄さんの顔色からは特に懸念は見当たらない。

 少し安心しながら話を続けたのだが、ある時、兄さんは不思議なことを言った。


「へ〜〜、御堂はもっと不器用な奴だと思っていたけど、意外と器用なんだな」

「器用……ですか?」


 ちょっとピンと来ない。不器用というのはわかる。御堂君の人となりを知れば、佐田君と一緒で融通が利かないなと思う時が、ごくごく普通にやってくる。

 ドリブルの壁にぶつかった時、パスを取り入れるのではなく、更にドリブルに磨きをかけようとしたことなどが、その最たるものだろうか。

 手先うんぬんの話ではなく、生き方や考え方がそうなのだ。

 だからこそ、兄さんから意外と器用と評されたことが、それこそ意外だった。

 その疑問を率直に投げかけてみると、


「2人がやってる1対1なんだけどさ、御堂の方がドリブルをやってアキラに見せる時もあるんだろ?」

「ええ」

「でも、聞く限りじゃ、御堂は全然本気出してないんだよ」

「ええっ⁉︎」


 基本、兄さんの言うことは素直に信じる琴音でも流石に鵜呑みにすることは出来なかった。


「えっと、その……つまり御堂君は内心では嫌々、佐田君の練習に付き合っているんでしょうか?」


 だとしたら悲しいものがあるのだが、それは幸いにも琴音の早とちりだったらしく、兄さんは笑って否定した。


「いやいや、そういう意味じゃないよ。そもそも御堂はやりたくなかったら、やりたくないってハッキリ言う奴だろう?」

「ですよね!」


 兄さんが否定したことにホッと一安心。

 琴音は前向きな気持ちで話の続きを促した。


「たぶん、アキラが使う為のドリブルだからアキラの技量に合わせてるんだと思う。本来の御堂ってさ、凄いスピードがあって、ボールテクニックもやばくて、その上で理不尽なまでに駆け引きが上手いって言う、そんな、ぶっ飛んだドリブラーなんだよ」

「なんですか。その、俺が考えた最強のドリブル選手、みたいな選手は?」

「いや、ほんと、ドリブルに限って言えばあいつは神だよ。同世代の中では日本一だろって真面目に思ってた」


 長年の日本代表経験がある兄さんの言葉には説得力があった。

 でも、そうか。二人の対決を見ていて同じくらいのスピードで、同じくらいのテクニックだと思っていたが、あれは御堂君が佐田君の見本になるように合わせていたのか。それなら確かに器用なのかもしれない。

 よくよく考えてみれば、御堂君は魚沼からスカウトが来たと言っていた。

 御堂君の話が正しいなら、魚沼の選手の起用法はフィジカル重視で、特にFWは足の速さが求められる。

 それはつまり、サッカー部に入る前のスカウトの段階から、魚沼はそういう選手を集めるのだろうし、そのスカウトのお眼鏡に適った御堂君の足が速くない訳がない。

 確かに納得のいく話ではある。でも、


「足の速さはともかく、テクニックを意図的に合わせるなんて出来るんでしょうか?」


 下手な人が上手い人の真似をするのは無理だが、上手い人が下手に振る舞うというのも案外難しい。

 これが御堂君にとって遊び半分というならともかく、はたから見ている分には凄く真剣にやっている。真剣に佐田君の相手をしている。

 そんな中で自分の技量を相手に合わせるなんて、器用という言葉ではすまない気がするのだが、


「出来ると思うよ。そんなに難しいことをしている訳じゃない。そもそも、あいつは……」


 ピピピピピッと、唐突に兄さんのスマートフォンのアラームが鳴り出した。


「おっと、時間か」


 アラームを止めた兄さんはこちらの方を向いて、少し申し訳なさそうに、


「ごめん。今からトレーニングするから、この話はまた今度な」

「ええ、頑張って下さい」


 穏やかな立ち振る舞いで兄を応援する琴音だったが、内心ではそこまでではなかった。

 最近、兄さんは家に帰って来てからもトレーニングをするようになった。

 いや、元からトレーニングはしていたのだが、その時間が格段に増えていた。

 おそらくは、この前、日本代表から落選したことに思うところがあるのだろう。

 その気持ちは充分に分かるのだが、それでも、兄妹水入らずで楽しく過ごす時間が減ってしまったことが残念でならない。

 そしてそれ以上に頑張り過ぎる兄さんのことが心配だ。昼間だって、遊んでいる訳ではないのだ。


「あんまり無理しないでくださいね」

「わかってる。ちゃんと気をつけるよ」


 兄さんは、琴音を安心させるように微笑むとボールを持って玄関へと向かった。


「さて、残念ですけど……本当に残念ですけど、私も部屋に戻りますか」


 とりあえず着替えを取ってきて、シャワーを浴びて、それから学校の課題を終わらせる。

 これからやるべきことを思い浮かべる中、ふと思う。


「そういえば、御堂君のことを佐田君に告げるべきなんでしょうか?」


 たぶん、佐田君は御堂君が佐田君に合わせていることを知らない。

 知らない佐田君にそれを告げるとどうなるか? ちょっと読めない。「ああ、そうなんだ」で終わればいいのだが、変にめんどくさいところがある佐田君だ。

 琴音ですら、危うく勘違いしかけたことを鑑みると、それはちょっとやめておこうと、そう思う。

 実際、佐田君が習得したがっている、相手の裏を取る技術は、足の速さや足元の巧みさとは、系統が違う技術だ。

 御堂君が言う必要がないと判断しているなら、それでいいだろう。

 大切なのは、佐田君が成長することである。

 大会前の大事な時期に、部活からはなれるという無茶をやっているのだから、結果を出して貰わなくては困ると、そんなことを考えながら琴音は階段を昇った。




「ふっ……ふっ!」


 槍也はボールを使った、主に敏捷性を高めることを目的としたトレーニングを繰り返していた。

 ボールを使うといっても、ボールを蹴るのではなく、ボールを左右に跨いだり、上下に飛び越したり、8の字を描いたりと、ボールそのものは動かす必要がないので、庭先の狭いスペースでも問題なく行えるアジリティ・トレーニング。

 十種目で1サイクル。およそ15分かかるそれを既に3セット。


「……流石にキツイ……な」


 次のサイクルに向かう前に呼吸を整えようとしているが、一向に整わないので、軽い休憩を挟むことにした。

 軽く背筋を伸ばしながら、何の気なしに空を眺める。ところどころ星が瞬いているところを、暫くぼんやりと眺めていたが、少し惜しいという気持ちが湧き上がってきた。

 一昔前は、もっと綺麗な夜空が見えたらしい。

 地上に電灯が張り巡らされる前の、光化学スモッグなどという言葉が生まれる前の夜空は、それこそ満天の星空が広がっていた筈で、さぞや見応えがあった筈だ。

 そんな夜空を、渚先輩と一緒に見てみたい。そう自然と思う自分がいて、そんな自分に気付いて苦笑した。

 最近、よく先輩のことを考える。部活でも自然と彼女のことを目で追っている時がある。


 ──たぶん、初恋なんだろうな……。


 きっかけは、考えるまでもなく合宿のときのあれなのだろう。どうやら自分は自分で思っていた以上に単純な男らしい。

 これまで異性から告白された経験が少なくない槍也だが、そのたびに、今はサッカーに集中したいからと断ってきた。

 これは口実でもあったが、紛れもない事実でもあった。サッカーが楽しくて、今以上に上手くなりたくて、恋愛事に力を入れる気になれなかったのだが、だが今、サッカーへの情熱とは別に、先輩に対して……、


「…………続きをやろっか」


 槍也は今、思い浮かべている気持ちをかき消すかのようにアジリティ・トレーニングを再開させた。

 試合で囲まれるケースを意識して、その囲みを抜け出す為の加速を強く意識しながら、ステップを刻んでいく。


「ふっ……! はっ!」


 今月のサッカー雑誌にU17のイタリア遠征と緋桜義丸の記事が載っていた。

 あいつはイタリアでも結果を残した。

 槍也との差はますます広がっている。今、サッカー以外のことにかまけている暇など、何処にもない。

 自身の全身全霊をかけて、義丸の前に立つという誓いを果たさなくてはならない。

 その為にも今度の地区予選は負けられない。


「ぜっ……ぜえっ!」


 琴音にはああは言ったが、現実的な戦力差を比較すれば、天秤が魚沼に勝つのは厳しい。

 アキラは槍也の期待通りに成長している。部長のような頼りになるCBもいる。他のみんなも頑張っている。

 それでも、魚沼とは地力が違い過ぎる。あの鉄壁のディフェンスの前に攻めあぐむ可能性は十分にある。

 なら、そうなった時にその状況を覆すには、槍也が無茶を通すしかない。たとえ、自分の周りをガチガチに囲まれていてでもだ。


 ──絶対に勝って、緋桜に会いに行く。


 譲れない信念を胸に、槍也はトレーニングを続けた。



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― 新着の感想 ―
久しぶりに読みにきました。 相変わらず面白いです! 更新されるのを待っています!
本当に面白い
とても面白いです。 活躍の続きを待っています!
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