69 夏の交流戦、2日目
千葉での合宿の2日目、アキラはボソボソと話す誰かの声を聞いたことで目を覚ました。
とりあえず体を起こそうとしたのだが、布団が妙に重い。
一体どういうことかと首だけを起こしてみると、布団の上に足が一本、丸々乗っかっていた。
驚いたアキラが布団と敷き布団の間から抜けて立ち上がると、眼下には自分の布団を投げ出し、寝床に対してほぼ直角な形でグースカと寝入っている柏木の姿が……、
「柏木……お前、どういう寝方をしてんだよ……」
『あっはっはっはっ、おはようアキラ』
柏木のせいですっかり目が覚めたアキラが広間を見渡すと、まだ大半の部員たちは寝ている最中だった。
ただ、ちらほらと起きている人間もいて、早起きした者同士、ボソボソとやりとりを交わしている。
どうやら、そのせいで目が覚めたようだが、寝ている者に気を遣って小声で話している。うるさいと言われるほどのものではない。
壁に掛かっている時計を見ても今現在7時過ぎ、もうかれこれ8時間以上は寝ていた計算になるので、仮に話声が無かったとしても、何かしらの理由で自然と目が覚めていただろう。
なので、アキラの中に叩き起こされたという感覚は全くなく、先に起きていた者たちに変に憤ることなく、挨拶がわりに軽く手を上げた。
向こうも、また同じようにアキラに向けて手を上げる。
平和な朝の挨拶を終えたアキラは、
「さあて、これからどうすっかな……」
と、これからの自分の行動に悩んだのだが、ふと、寝る前に柏木が言っていたことを思い出した。
まず前提として、アキラたちは7時半になったら全員起床だと先生から言われている。
そして柏木はアキラに、というかアキラたち一年に向けて、鼻息荒く宣言していた。
「7時半を超えても寝ている奴は、俺が布団をひっくり返して叩き起こしてやるぜ! うえっへっへ!」
つくづく残念な男である。けれど現実にはアキラの方が先に起きてしまったのだから、このまま時間が過ぎるのを待ち、7時半になったら柏木を叩き起こしてやるのも……、
——いや、やめとこ。
アキラは首を振って今考えている案を否定した。確かに面白そうではあるが、時間まで柏木が眠りこけたままとは限らないし、何より、これから30分も柏木の寝顔を見続けるなんて嫌過ぎる。
そんな無意味かつ不毛な行為に時間を費やす気になれなかったアキラは、ジャージに着替えて広間を出ると、旅館に備えつけられている下駄を履き、庭先で体操と柔軟を始めることにした。
「ふん、ふん、よっと……」
体を伸ばしたり縮めたり捻ったりと、ラジオ体操をいつも通りに終わらせると、次は柔軟。
腰に手を当てつつアキレス腱を伸ばしていると、背後から声をかけられた。
「おはよう」
振り向く前から声で誰かわかった。朝霧部長だ。
「おはよーございます」
アキラが柔軟を続けながら挨拶すると、部長はアキラの側まで歩いてきた。カランカランと音がして、部長もアキラと同じく下駄を履いていることがわかる。
「さっきから眺めていたけど、かなり真面目に取り組んでるんだな。毎朝やってるのか?」
「ラジオ体操と柔軟ですか? まあ、よっぽど寝坊したりとかじゃない限り、出来るだけやるようにしてますね」
「サッカー部のアップだけじゃ、足りてないか?」
「足りないってことはねーですけど……でも、みんなと同じことしかやらなかったら、みんなと同じようにしか成長しないでしょう?」
他人とは出し抜くものである、例えチームメイトであろうとも……という考え方をナチュラルに言ってのけたアキラに文夜は苦笑した。
この後輩の言っていることが全く理解出来ないわけではないが、言い方あるだろうと思う。
たぶん文夜が同じことを言おうとしたら、どうしても引け目や申し訳なさといった感情が混じるだろう。
こうもあけすけに、みんなと同じなのは嫌だ、とは言えない。
とても真似出来ないが、しかし、その考え方の全てが参考にならないわけでもない。
少なくとも、その向上心の高さは見習うところだ。
さしあたって文夜は、
「柔軟、俺も一緒にやってもいいかな?」
そう佐田に提案し、
「いいですよ」
と、特に断られることもなかったので、二人並んで柔軟を始めた。
アキレス腱から始まって太もも、腰、腕、首から背筋と一通りをこなしたところで、せっかくなので二人一組の柔軟にも取り組むことにした。
互いに背中合わせになり、佐田の手首を掴んだまま前屈みになると、文夜の背中から「あ〜〜……」というなんとも言えない声が。
少しおかしく思いながらも、20秒ほどその体勢を維持した。
その次は文夜が背負われる番だったが、手首を持ち替えようとしたところで、旅館の方から怒声が轟いた。
「どんな戦い方をしようが、俺らの勝手だろうが!」
文夜が驚いてそちらを向くと、間宮が他校の学校の生徒たちを睨みつけていた。
ただ、本格的な諍いには発展せず、周囲の注目を浴びた間宮が居心地悪そうにその場を離れた。他校の生徒たちも事を荒立てようとする気配はない。
「なんだなんだ?」
隣にいる佐田は不思議そうにしているが、文夜にはその他校の生徒が子熊学院の連中だとわかった時点で、おおよその事情が読み取れた。
子熊学院は山梨の学校である為、普段は関わりはない。
けれど、彼らも毎年この交流戦に参加して同じ旅館に泊まるので、
「今年もよろしく」
「ああ、よろしくな」
と、親しげに挨拶するぐらいの繋がりはあり、何なら去年は一緒にバーベキューをしながら、サッカーについてのあれやこれやを語り合ったりしたものだ。
サッカー部そのものの立ち位置や方針が似ていることもあって、文夜たち天秤サッカー部は彼らに対して何処かしら仲間意識を抱いていた。たぶん、向こうも同じように感じていただろう。
——だからこそ、なんだろうな……。
見る限り、これ以上の問題には発展しないと思うが、間宮のことが心配になったので、文夜は今やっている柔軟を切り上げることにした。
「ちょっと心配だから様子を見てくるよ」
そう言い残してその場を後にした。
残されたアキラは、いきなり手持ちぶさたになってしまった両手を意味もなく握ったり開いたりしていたが、やがて気持ちを切り替えるように呟いた。
「全く……騒動を起こす奴がいると部長は大変だ」
『アキラ。流石にそれはブーメランだと思う』
「うっせえよ」
余計なことを言うヤマヒコを黙らせるかのように自分の頭を叩くと、アキラは柔軟を切り上げて広間へ戻った。
すると広間では、先生から言われた時間が近いとあって部員の大半が起きていた。
着替えるなりスマホを見るなり、みんな思い思いの行動をとっていて、中には布団を畳んでいる几帳面な奴なんかもいるのだが、
「柏木……」
7時半になっても寝ている奴は叩き起こしてやると言っていた柏木が未だに寝ていた。本当に幸せそうな顔で寝ていやがる。しかも、周囲にはチラチラと時計を見ながら何か待っている人影が。
「…………7時半になったら柏木を叩き起こしたい奴、手挙げろ」
アキラが思わず問うと、ウズウズワクワクした顔で手を挙げる奴が何人も。まあ、自業自得だと思うので止めたりはしない。
そして数分後、
「ぬ、おわーーっ!」
という柏木の悲鳴が上がったが、その時には既に、アキラの興味は他のこと、朝食や今日の試合で何をやるか、へと移っていた。
そんな感じで少し慌ただしい気配の中、アキラたちの合宿2日目が始まった。
合宿2日目、雲一つない晴天の下で始まった第一試合。
チームのトップ下を任されている間宮は、試合が始まった当初から高い位置でボールを受けることで攻撃の起点に、そしてあわよくば自身のゴールを狙っていた。
しかし、執拗に纏わりついてくる相手のディフェンスに押され、これまで満足にトップ下としての役目を果たせていない。
今もインサイドハーフから受け取ったボールを前線へと繋ぎたいところだが、背中に一人。横からも一人。
とてもじゃないが前には進めず、その場に留まるのが精一杯だった。
「ちぃっ!」
あわやボールを取られるというところで、間宮の視界に佐田が入ってきたので慌ててボールを下げた。
当然、バックパスを受け取った佐田にもマークが張り付こうとするが、佐田はそれより早くボールを手放した。
ロングフィードを使って、これまで戦っていた右サイドから左サイドへ。
一瞬で膠着状態から抜け出し、新たな局面を作り上げるその手腕は、あまり佐田のことを認めたくない間宮をして認めざるをえない。
実際、昨日も佐田の出ていた試合は全て白星がついている。
だが、今回の試合に限って言えば、佐田を中心としたパスワークはうまく機能していない。
現に今も、ボールを受け取ったサイドバックが縦にボールを運ぼうとしているが、相手の守備は崩れていない。
サイドバックがきっちりと柏木のマークについているし、仮にそのマークをドリブルで抜かれたとしてセンターバックのカバーが間に合うだろう。
じゃあ中にボールを入れようにも、自分を含めた天秤の前線の選手は全て相手チームに押さえられている。
厄介極まりない守備力だが、鉄壁の守備陣と呼ぶのもまた違う。こちらが攻めきれないのは、守備力の高いDF陣が高度な連携をとっているからではなく単純に攻撃の頭数より守備の頭数の方が多いからだ。
元々サッカーでは、大抵の状況において攻撃側の人数が少ない方が普通だが、この対戦相手は佐田がロングフィードを駆使してフィールドを引っ掻き回しても、崩れることなく数的有利を保っている。
なんでそんな真似が出来るかと言えばこれまたシンプルな理由で、要するに相手チームは、アタッカーの数を減らしてでも守備の人員を増やしているのだ。
自軍の大半が自軍のエリアに張り付く超守備型の陣形、それが相手の持ち味だ。別名、ドン引きサッカー。
そんな戦術を採れば当然、攻撃が疎かになるが、相手チームがそれで構わないと割り切っていることを間宮は知っている。
膠着した状況の中、左サイドで攻めあぐねた味方が中央のFWへとボールを転がしてきたが、厳しいマークに晒されている中での縦パスは無理があった。
競り合いでボールが溢れ、その溢れたボールの近くにいた他のDFが大きくクリアする。
高く蹴り上げたボールの先には、相手の選手がいるわけじゃない。本当にただクリアしただけだ。
一応、たった一人しかいないFWがボールを追ってはいるのだが、他のメンバーは次の攻撃に備えている。
はっきり言って、向こうには攻める気がない。
そのあまりに消極的と言える戦術に翻弄されていることで、間宮はつい悪態をついてしまった。
「よくもまあ、うじゃうじゃと……相変わらず、嫌な戦い方だ」
独り言だったが、間宮の近くでそれを耳ざとく拾った向こうの——子熊学院の見知った奴が答えた。
「これが俺たちのサッカーだ。何を言われても自分たちのサッカーを貫くさ」
その力強い宣言から、俺たちはお前たちとは違う、という強烈な自負を感じて間宮は強い苛立ちと、そして僅かに引け目のようなものを覚えた。
元々は県こそ違えど同じような立場のサッカー部だった。
本人たちから直接聞いたところによると子熊学院はごく普通の進学校で、スポーツに力を入れておらず、中学の有望選手をスポーツ推薦で引っ張ってくるような真似は一切しない、つまりは天秤のような高校だ。
そんな弱小校にも関わらず、地区大会を勝ち抜いて全国に行きたいという夢を持ってしまったのも天秤と同じで、その為に一つの戦術に特化し、世代が代わっても夢と戦術を引き継いできたのも同じだった。
天秤はハイプレス、子熊は徹底的な守備サッカー、違いなんてその程度だ。
だからこそ去年までは仲が良かったし、だからこそ今はわだかまりが生まれている。
間宮がそれに気づいたのは今朝の話だ。とくに気負うことなく自分達の近況を、なぜか滋賀槍也がウチにいることや、ぶっちぎりで生意気な後輩が存在していることなどと一緒に、自分達がハイプレスを止め、戦術を一新したことを話していると、非難の眼差しを送られた。
「とんでもない後輩たちが入ったからといって、これまでの積み重ねを簡単に捨てるのか?」
そう言われて、初めて向こうの気持ちに気が付いた。
思わず反論を試みたが、間宮は口が上手い方じゃない。
上手に説明なんて真似は出来ず、話はこじれるばかりだった。
結局、最後には、
「どんな戦い方をしようが、俺らの勝手だろうが!」
そう突き放してしまったが、正直なところ向こうの言い分もわかる。
去年、
「俺たちは俺たちのサッカーで勝ち上がってみせる! だから、お前たちはお前たちのサッカーで勝ち上がれよ! いつか公式の大会で戦おうぜ!」
と、散々盛り上がった相手があっさりスタイルを捨てていたら、裏切られたって気持ちにも……まあ、なるだろう。
ただ、間宮だって好き好んで以前のスタイルを捨てた訳じゃないし、何なら未だに納得しきった訳でもない。
本気で全国を狙っていた先輩たちに憧れていた。勝つ為にみんなで走るハイプレスが好きだった。ずっと上の世代から引き継がれてきた天秤の理念を大事なものだと思っていた。
間宮は天秤のサッカーを自分たちの代でもちゃんと引き継いで、後輩たちに伝えようと本気で思っていたのだ。
自分のやりたいようにやる佐田に、引いてはその佐田に合わせてスタイルを変えることを決めた朝霧の決定を今更責める気はないが、あの選択を受け入れるには、身を削られるような覚悟が必要だった。
その、自分たちが自分たちなりの覚悟を持って決めたことを、簡単に捨てたと言われたくはない。
口で伝えられないなら行動で示すしか道はない。
もちろん示したところで最後まで理解されないかもしれない。
が、しかし、他ならぬ自分自身の為に新しいサッカーを貫く姿勢を見せつけなければならなかった。
「絶対に負けらんねーな!」
そう自分に言い聞かせて間宮は走った。とにかく走ることにした。
新しいサッカーだ何だと言っても、実のところ今の天秤には特別な決まり事など何もない。
強いて言えば最近はサイドバックの攻撃参加が目立つが、それもチーム戦術というより、そのサイドバック個人の判断だ。
今の天秤は個人の判断に任せている部分が多い。
そんな、ある意味行き当たりばったりと言えるようなサッカーが、味方の動きに合わせて点を取る滋賀、中盤の底からどこにでもボールを繋げられる佐田、後ろから戦況を把握して的確なディフェンスラインを作り上げることが出来る朝霧たちがいることで、個人個人の動きがチームとして繋がっている。
ありきたりなチームがありきたりではないチームへと変貌している。
そしてそれは自分にはない才能だと間宮自身、自覚している。
身体能力は高く、ボールタッチを始めとするテクニックも平均以上には持っているという自負があるが、広い視野だとか、戦況から先を読むとか、臨機応変な対応力といったものを極端に苦手としていた。
猪突猛進、猪タイプなのだ。
一時期、そういう能力を身につけようと頑張ったこともあるが、間宮が周囲の状況を把握するより状況が変化していくスピードの方が数段速く、サッカーにすらならなかった。
人には向き不向きがある。
だから間宮がチームの戦力になるには走るしかないと思っている。
攻撃の時は少しでも高い位置でボールの受け皿になれるよう走って、ボールが奪われたら守備の為にやっぱり走る。
走ること、つまり運動量に関しては佐田にも勝っていると自信を持って言える。
「おらぁ!」
ボールを奪ってもなかなか攻めに転じずに、後ろでパスを回している子熊の連中を追い立てるかのように間宮は前衛守備を仕掛けた。
勿論、そんなものはパス一つで躱されるが、構わずに追っていく。
確率としては低いが自分でボールを奪えるならそれで良し。また、そうでなくとも相手の余裕をちょっとでも奪えるなら十分だ。
敵が勢いよく迫ってくる中で、周囲の状況を冷静に把握するのが難しいことは間宮自身、嫌というほど承知している。
ミスとは言わないまでもベストではない選択肢を選ばせれば、後は朝霧や佐田がなんとかするだろう。
——あー、くそったれがよぉ……っ!
間宮は、ボールを追って駆けずり回る中で悪態をついた。
今の天秤は佐田を中心にサッカーをやっている。つまり自分が走っているのもある意味、佐田を活かす為だ。
今、自分が走っているのが佐田に繋げる為というのが気に食わない。
佐田が気に食わないと思っている一方で、あいつならなんとかするだろうと暗に認めている自分が気に食わない。
なんだって俺は気に食わない後輩の為に走らなきゃならないのか、くそマジ意味不明だ。
だが、どれだけ不愉快だろうと、走らない、頑張らないという選択肢もあり得ない。
「俺が言うのもなんなんだけどさ……今までのスタイルを変えても、これまで頑張ってきたことは無くなったりはしないと思うんだ」
今朝、朝霧から言われた台詞を思い返して、
「ああ、その通りだよ!」
と、今更ながらに返す。
自分の……いや、自分たち2年の運動量の高さは、間違いなく天秤に入学してからの努力の結果だ。ハイプレスで勝つ為に、先輩たちの力になる為に、走って走って走ったその成果だ。
それを自分で台無しにするような真似は死んだって御免だ。
結局のところ、佐田が何を言ったところで、それが絵に描いた餅にならないのは、間宮たちが佐田の要望に応えて走っているからだ。
走れる自力を間宮たちが培ってきたからだ。
——つまり! 今、天秤が強いのは俺たちの手柄ってことだ!
自分でもちょっとばかり都合の良すぎる考え方だと思わなくもないが、やる気が出るならなんでもいい。
その意気込みを活かして、攻撃にせよ守備にせよ、時に無駄に体力を使っていると思える程に間宮はボールを追っていった。
煮えたぎるような熱い日差しの中なので、ずいぶん前から汗が止まらない。
その甲斐があってか、何回かハーフラインの向こう側でボールを持てることもあったが、その先は攻めあぐねたまま試合時間が30分を経過した。
身も蓋もない人数差がマジでエグい。
一応、何度か前線にボールを回したが、こちらのFWは常にDFに囲まれている状況だ。
現に今も縦パスを受け取ったFWが2人のDFに挟まれていて、満足に動けることなくボールが溢れた。
そのこぼれたボールを一番近くにいた相手のセンターバックが拾った瞬間、ボールを確保したセンターバックが大きく手を上げる。
合わせて他の選手が一斉に動いていく様を見て、間宮の表情が引き攣った。
——やっべぇ!
子熊の連中は試合時間の9割をドン引きサッカーに費やしているが、ドン引きサッカーだけだと、よくて引き分けだ。
だから、勝つ為にどこかで大胆にカウンターを仕掛けてくる筈で、おそらくは……いや、間違いなく今がその時だろう。
それは自分たちにとっては絶対に防がなくてはならない攻撃で、しかし、何をやってくるのか相手の先を読むことは間宮には不可能だ。
だから間宮はポジションを下げずに、逆にセンターバックに向かってダッシュをかけた。
大きく蹴り出そうとしている、その前を塞いで出だしを潰す。そっちの方がわかりやすい。馬鹿は黙って突っ込みゃいいんだ。
フィールドを斜めに走って、若干右サイド寄りにいたセンターバックへと詰め寄ったが、相手は既にロングフィードのモーションへと入ってる。最後は滑り込むようなスライディングで足だけでも伸ばすと、蹴り出されたボールが足先に当たって軌道が変わった。
プレッシャーをかけてパスの精度が甘くなれば上出来だったのに存外の結果だ。
ふらふらと舞い上がったボールはセンターラインを超えたところでふらふらと落ちてくる。
その、どちらのチームにとっても予想外なルーズボールを拾ったのは佐田だった。
いいところに居やがる。
あいつはいつだっていいところに居る。
他より一歩抜きん出た佐田は、落下してくるボールにタイミングを合わせてダイレクトボレー。ボールを地面に叩きつけるかのように足を振り抜いた。
まるでシュートのような勢いのあるボールは、立ち上がろうとしている間宮の顔面に向かって……、
「うおおおぃ⁉︎」
襲いかかってくるボールの勢いに、間宮はたまらず悲鳴を上げてしまった。
なんとか立ち上がって顔ではなく腹でボールを抑えることに成功したものの、
——なんだ⁉︎ 俺にぶつける気だったのか⁉︎
という疑念が湧いてくる。
思わず何か言おうとしたが、間宮が口を開くより佐田の言葉の方が早かった。
「間宮! そこで持ってろ!」
有無を言わさない、もはや命令と言ってもいい台詞をこっちに投げつけると、佐田は一直線に、右サイドのライン際へと駆け上がって行った。
そんな佐田の動きを見て、間宮も気づいた。
今現在、右サイドに敵がいない。また。佐田の近くにいた相手の選手は佐田の初動の早さに置き去りにされている。このまま自分がボールを持ち、頃合いを見計らってボールを渡すだけで敵陣を突破できるだろう。
空いたスペースに切り込むという実にわかりやすい動きだが、後手に回った相手には止めようがない。
あの無茶苦茶な勢いのパスも体勢の崩れていた自分に確実にボールを届ける為で、下手に手ごころを加えていたら近くにいたセンターバックにボールを奪われていた可能性が……、
——あ、やっべえ!
間宮が現状を把握するのとセンターバックが強襲してくるのは、ほぼ同時だった。
間一髪、ボールを相手から遠ざけると、そのまま激しい競り合いが始まった。前は向けてないが、相手とボールの間に自分の体を入れているのでボールをキープするだけなら間宮に有利だ。
けれど相手はなりふり構わず圧力をかけてくる。
そりゃ、そうだろう……と相手と密着した状況で間宮は思った。
佐田の方は止められない。だから、さっき自分がやったように出だしを潰すしか道はない。非常に攻撃的な、後先を考えないボールの狙い方だ。
ここまでの勢いで来られると、上手くいなして切り替えせれば中央へドリブルで進めるかもと思うが……いや、今の最善が何かは、判断力に乏しい自分でも流石にわかる。
ドリブラーでもない自分のドリブルに賭けるよりは、体を張って壁役に徹するべきだ。
相手の動きを阻害し、ボールを遠ざけ、けれどもその場所は譲らない。
足元の勝負というより押し相撲のような圧力の掛け合いが2秒ほど続いた。
僅か2秒。しかし大事な2秒。佐田が中央から外へと抜け出るに必要な時間。
「佐田っ!」
辛抱強くボールを守り抜いた間宮がパスを流すと、ボールを受け取った佐田が悠々とライン際を駆け上がって行く。
一つ役目を終えた間宮だが、これで足を止めていいわけでもない。佐田がライン際を駆け上がりきったその後のゴール前へのクロスボール、その合わせ役は一人でも多い方がいいに決まってる。
そう思って中央へ向けて足を進めた矢先、佐田は間宮が想像すらしなかった早さでボールを手放した。
「あっ?」
フィールドの最奥から上げるクロスボールと違って浅いところからの、いわゆるアーリークロス。
普通のクロスに比べ、敵陣深くまでボールを運ばなくて良い分テンポ良く攻撃出来るのだが、そのテンポの分だけ難易度がべらぼうに高い。
——100歩譲ってお前が上げられるとして、合わせられる奴なんかいねえだろ。
——滋賀は今日、ここにはいねえんだぞ!
そう思い、咄嗟に、誰にも触られないボールが逆のエリアまで転々と転がる未来を想像してしまったが、現実はそうなりはしなかった。
緩いカーブがかかった低めのボールは、DFが触れられずキーパーが前に出れない絶妙な位置を通り、更にはDFラインの裏を抜けてきた一年の工藤がボールを掴んで勢いよく右足を振り抜いた。
放たれたシュートはコースこそ良くはなかったが、枠内には行っていたし、とにかく勢いが良く、キーパーがすぐ隣を抜けて行くボールに手を伸ばすことは出来なかった。
0対0の均衡が破れて敵味方がそれぞれ両極端な反応をする。
「佐田君、いっえ〜〜いっ!」
得点を挙げた工藤が嬉々とした顔でアシストをした佐田に近寄ってハイタッチを求めた。求められた佐田もまんざらでもなさそうに片手で返す。
ぱん! という乾いた音が響く中、間宮は複雑な表情を浮かべていた。
——次から次へと、新しい攻撃が生まれてきやがる……。
佐田がいる今のサッカー部は以前より強い。工藤のように今の天秤の方が力を発揮する奴もいる。滋賀も……たぶん、いつだったか朝霧が言っていたとおり今の方が力を発揮できるんだろう。
わかっていたことだ。逆に以前と変わらないなら、それこそ何の為にスタイルを変えたのかという話だし、別に普段から「昔は良かった」だなんて年寄りくさい考えに凝り固まっているわけでもない。現に昨日は勝って素直に喜んでいた。
ただ、こうして自分の想像をあっさりと越えるサッカーを見せつけられると、自分が凡人だと良くわかる。
自分は佐田にある種のライバル心を持っているが、佐田の方は自分のことなどライバルとは見ていないだろう。おそらくは眼中にもない筈で……、
「わかった、わかった。お前はホントにうっせえよ!」
間宮が少し後ろ向きな思考に陥いりかけた時、すぐ側からそんな声が聞こえた。
はっと顔を向ける間宮の前で立ち止まる佐田がいた。
自分の前で立ち止まっているということは、つまり間宮に用があり、普通に考えてさっきの台詞も自分に言った台詞の筈だが、思い返しても本当に意味がわからない。
「? 何がだよ? 俺、なんも言ってねーぞ?」
間宮がそう問いかけると佐田は顔をしかめた。そして何かを誤魔化すように早口で言う。
「なんでもねーです。ただのひとり言です。それよりも間宮……先輩」
「……なんだよ」
今、確実に先輩である自分のことを呼び捨てにしかけたが、今更その程度のことを問い詰める気にはなれない。そこは流して続きを促した。
すると佐田は更に顔をしかめた。そして、
「えーと……まあ、あれ。あれだ………………ナイスラン」
と、まさかの褒め言葉が佐田の口から出てきて間宮は声を失った。
あんぐりと口を開けて佐田の顔を見返していると、当の佐田は用事は済んだとばかりに、足早に自分のポジションへと戻っていった。
残された間宮はしばし固まっていたが、しばらくして、やっと思考が戻ってきた。
ずいぶんと言いづらそうだったが、そりゃそうだろう。間宮だって暗に佐田を認めていても、それを面と向かって言いたくはない。
我が身に置き換えてみれば相当の葛藤があっただろうと予想はつく。
ただ、だからこそ。今の台詞は短かろうが、そっけなかろうが、本心からの言葉だったと理解できる。
どうやら間宮は、佐田の眼中にもない、訳でもないらしい。
現金なもので、
「そうだな……まあ、走っただろ」
と、納得して、
「つーか……俺は一体、何様なんだよ」
と、自分の馬鹿さ加減に今更ながらに呆れた。
ついさっきまで才能がどうたら、自分は凡人どうこう……とか考えていたが、そんなことはもっと上の奴らが考えることだ。
サッカーに全力を捧げて、進学もサッカーありきで決めて、ゆくゆくはプロになることを目指している上の奴ら。
間宮のような、普通に進学して普通にサッカー部に入った普通の奴は、これまで通り、目の前のことに一喜一憂しながら全力で走れば、それでいいんだ。
さしあたって、まだ試合は終わっていない。まだ、一点リードしただけだ。
「うっし!」
間宮は今まで以上に走れるよう、自らに気合いを入れた。
……。
……。
合宿2日目の最初の試合は、結局、2対0で試合が終わった。
1点取った後、点を取り返しに攻めっ気を見せた相手の隙を突いて追加点を入れたのだ。
スコアだけで見るなら完勝で、しかし、アキラの顔色はすぐれない。
「しんどかったな」
思わず愚痴が出たが、実際それぐらいやりづらい相手だった。
アキラからすれば微塵も好きになれない戦い方だが腹は座っていた。
あそこまでドン引かれると、隙となるスペースが生まれずパスの出しどころが無い。そんな状況下では動きようがなかった。
その分、攻めという攻めは無かったし、時折みせたカウンターも決まらなかったが、部長から、子熊の連中は引き分けで終わってもいいようにPK戦の練習だけは毎日欠かさず続けていると聞いていた。
この変則的な交流戦でPK戦は行わないが、だからといって引き分けで終わるのは面白くなかった。
ちょっと……いや、大分しゃくだが、間宮が反撃の為の隙を作ってくれなかったらヤバかっただろう。
『確かにしんどかったね。こういう相手だとドリブルで崩せる人が欲しいよ。……槍也君、今頃何してるかな?』
「確かにそうだけど……そうじゃねえだろ……」
ヤマヒコの言う通り、ドリブル突破で数的不利を掻き乱す奴がいて欲しかったとアキラも思う。なんなら試合中から思っていた。
だからと言って、ここに居ないメンバーを当てしても仕方ない。
この交流戦はここに居るメンバーの実力で勝っていかなければならないし、結局のところ勝ちを引き寄せる程の実力がアキラにあればいいのだ。
「俺がなんとかするんだよ」
いつもと同じ結論にアキラは、こういうやりづらい相手もいるという事を知ったこと自体が収穫だとして、気持ちを次へと切り替えていった。
さて、アキラたちが第一試合を終えたのと同時刻、県を跨いだ東京のとある場所で、日本各地から集められたサッカーの有望選手たちが試合を行おうとしていた。
この紅白戦の結果によって日本代表に選ばれるか否かが決まるかもしれないとあって皆、尋常ならざる気迫を纏っている。
その中には槍也もいて、少し居心地の悪い思いを味わっていた。
それはある意味、当たり前のことだった。少なくとも予想はしていた。
ここに集まっているのはサッカーを第一に考える人たちで、進路を天秤に選んだ槍也はそうではないと見做されている。
選手もコーチも監督も、槍也に厳しい視線と態度を向ける人間は少なくはない。中でも……、
「なあ……」
槍也はこの場でもっとも厳しい視線を投げつけてくる、この場でもっとも背の高い男、緋桜義丸に声をかけた。いや、かけようとした。
しかし、向こうは槍也が「なあ……」と声をかけた時点で、フンと鼻を鳴らして会話を拒絶すると、その場を離れていった。
お前とは話す気にもなれないと、そういう意思表示だろう。
流石にそこまでされると後を追う気にはなれず、槍也はその場にただずんだ。
「えらい、嫌われようだ……」
まるで他人事のような感想だが、実際、槍也にはそこまでの態度を取られる心当たりがないのだから仕方がない。
他の人と同じように、無名の公立高校に進学したことを憤っているのだとしても、ちょっと度が過ぎる。
そこまでされる理由がわからない。
そこまでされる理由を知りたい。
会話が成り立たたないというなら、残された対話の手段は一つだけ。
こちらはサッカー選手であちらもサッカー選手なのだから、後はサッカーで語り合うことにしよう。
本気のプレーは時に言葉より有弁だということを、槍也はよくよく知っていた。
はたして、今年の夏のインターハイを制した男がどんなサッカーをするのか? 邪険にされようとも尽きない興味を抱きながら、槍也は試合に挑もうとしていた。




