67 夏の交流戦
盆休みが終わって8月の20日、今日から千葉で交流戦とあって、アキラたちサッカー部員は午前の6時から学校に集まった。
幸いなことに遅刻する人間はいなかったので、レンタルバスは速やかに動き出したが、そこから片道およそ3時間。
時間も時間なので部員たちの半分くらいは移動時間を眠って過ごした。
アキラもそうした。
因みにアキラは寝ると決めたら多少の物音や振動は気にならないたちなので、車内の会話やバスの走行音などは特に障害となることはなく眠りこけていた。
そして、それは目的地である千葉の旅館に到着しても変わらず、皆がバスを降りて行く中熟睡していると、隣に座っていたサッカー部員がアキラを見かねて起こしにかかった。
「佐田、着いたぜ」
「…………お、おう…………ぉはよ」
ばちばちと肩を叩かれたことで目を覚ましたアキラは、ゆっくりと首を回しながら座席から立ち上がった。
これからサッカーだ。
ただ、その前に荷物が先だ。
一度バスの外に出てバスの腹から自分の荷物を取り出すと、皆の後を付いていく。
「みんな、ちゃんと付いてきて下さいね!」
引率の夢崎先生を先頭に、部員たちがぞろぞろと旅館の中へと入っていった。
建物の中に入ってからは愛想のいい旅館のおっちゃんに先導されて畳ばりの大広間に案内された。
大広間というだけあってめちゃくちゃ広い。
先生か部長か、それとも宿の意向か……なんにせよ、男どもはここで一纏めに寝ろ、という意図がよくわかる。
その、みんなで仲良く寝るという状況が嬉しいのか、ヤマヒコが嬉々とした様子でアキラに提案した。
『アキラ、アキラ! みんな一緒ってことはさ! 夜はアレが出来るんじゃないかな! ——そう、枕投げ!』
「は? ……いやいや、やんねえよ」
『ええっ、やろうよ! 逆に何でやらないのさ⁉︎ せっかくの合宿、みんなと一緒に青春の1ページをめくろうよ!』
「あほか」
それはもう熱心な訴えかけだったがアキラは一蹴した。
だいたいが高校生にもなって、枕投げではしゃぐ奴なんて……、
「うおーーっ! この広さなら枕投げとか出来んじゃねーの⁉︎」
…………………柏木。
お前はなんて残念な奴なんだと、そう思うアキラだったが、恐ろしいことに賛同する人間の方が多かった。
「いいね、いいね!」とか「お前は天才か⁉︎」とか「これはチーム分けも考えないと!」とか馬鹿ばっかり。
しかも、まとめ役の先生が、マネージャーの2人と一緒に別室に案内されてこの場にいないこともあって、馬鹿どもの盛り上がりが留まるところを知らない。
これは収まりがつかないと思っていたら、部長がはしゃぐ部員たちを嗜めた。
「今から直ぐに会場に向かうんだから、手早く荷物を片付けるように。それから、これから2日間お世話になるんだから、旅館の備品を粗末に扱うような真似はなしだ」
決して怒ってはいないが毅然としたものを感じさせる部長の態度に、はしゃいでいた部員たちが口を閉じて居住いを整えた。
『あー……旅館のことは考えていなかったよ……』
と、ヤマヒコも若干落ち込み気味だ。
因みにアキラといえば珍しくも何一つ非がないので、余裕しゃくしゃくの態度で荷物を片付けると、スパイクやレガースといったサッカーに必要なものを取り出していった。
——今日は部員のまとめ役が部長一人しかいねーから……大変だな。
と、部長のことを思いやる余裕すらある程だ。
そんなこんなで準備を整えたアキラは……いや、アキラたちサッカー部員は同じく部屋に荷物を置いて来た女性陣と合流して、来たばかりの宿を後にした。
見晴らしの良い景色の中を少し歩くと目的の施設が見えて来て、アキラは思わず目を見張った。
「すげーな……」
フィールドの隣にフィールドがある。そのまた隣にもフィールドがある。テニスのコートが並んでいるところはアキラも見たことがあるが、サッカーのフィールドで同じ様な光景が見られるとは思わなかった。
そんな風に、めちゃくちゃ広い敷地の中では、既に他校のサッカー部が試合をしていた。
又、フィールドの外にも違うユニホームを着た……つまり別の学校のサッカー部員が沢山いて、試合の見学や準備運動など思い思いの行動をしている。
パッと見ただけでも、学校数は10やそこらは軽く超えていそうだ。
——今から、こいつらとやるのか。
そう思うと否応無しにテンションが上がる。真夏の太陽ほどに……とは言わないが、相応の熱意を持って会場に足を入れた。
みんなが中に入ったことを確認すると、部長がみんなに向けて指示を出した。
「じゃあ、俺と先生は受付をしてくるから、みんなは準備運動を始めていてくれ。まとめ役は……間宮、よろしく頼むな」
部長がそう言って間宮に指揮を託すと、託された方も、
「えー、俺かよ……。しょうがねーな」
と、愚痴っている割にはまんざらでもなさそうな顔で代理を務めた。
それに対して、
——えー、間宮かよ……。
と、思わなくもなかったが反対するほどではなかったので、アキラは大人しく従った。
他の学校が使っていない、空いている場所に移動してサッカーをやる為の準備を始める。
といっても、最初から学校のジャージの下にはユニホームを着込んでいたので、ジャージを脱げば後は靴をスパイクに履き替えるぐらいのものだ。
アキラは手早くそれらを済ませると、会場に来てからずっと気になっていたことを確認することにした。
それが生えている場所まで移動すると腰を落として地面に片手を置いた。
「思った以上に柔らかいな……」
まるで絨毯のような触感にアキラは驚きの声を上げた。
芝生……学校のグランドは当たり前だが土で出来ているし、大会ではベンチ入りすらしていなかったので、アキラには初めての体験だ。
一応、座学として土と芝生の違いは学んでいたが、実際に触って確かめてみるとまた違う。
——これは、だいぶ変わるか?
一番恩恵を受けるのは横っ飛びをするキーパーで間違いないが、フィールドプレーヤーだってスライディングはするし、対戦相手と足が絡んで転ぶことも珍しくはない。地面が柔らかくて損はないが、その反面、土に比べてボールが転がらないからショートパスでも強く蹴る必要がある……らしい。
極端なことを言えば、芝生は今のアキラにとって対戦相手より気を付けなければならない存在とも言える。
なので、より理解を深める為にアキラはその場に飛び込んだのだが、芝のクッションが利いて痛みはなかった。
更には、そのままゴロゴロと転がってみたが、うつむきになっても仰向けになっても不快感はまるでない。
——なんなら、このまま寝れるな……。
と、芝生の凄さを全身で確かめていたアキラだが、そんなアキラに近づいてアキラの顔を覗き込む人影があった。琴音だ。
「楽しそうですね、佐田君」
と、まるで幼い子供がはしゃぐ姿を見守っているような、そんな生温かい微笑みを浮かべている琴音の顔を見て、自分が客観的に見てひどく子どもっぽい真似をしていることに気付いたアキラは慌てて身を起こして慌てて言った。
「いや! 柏木じゃあるまいし遊んでる訳じゃねーよ! 芝生と土でどれくらいの差があるのか、自分の体で確かめてんだよ!」
「なぜ、ここで柏木君の名前が? ——まあ、それはともかく……わかってますよ。実は兄さんも初めて芝生の上でサッカーをした時には、今の佐田君と全く同じことをしたんです。思いっきりプレーする為にも芝生の感触を実感しなきゃならないんですよね?」
「そう、そうなんだ! …………」
アキラは強く肯定しながらも内心複雑だった。
ブラコン、オブザ、ブラコンの琴音が、兄の名前を出した以上、からかいや揶揄といったマイナス要素は含まれていないのだろう。それは分かる。
しかし、おそらくだが槍也が初めて芝生に触れた時期って小学生かそこらの頃の話だ。
いくら何でも、高校生であるアキラが小学生と同列に並べられるのはどうなんだと、地面に座ったまま悶々と考え込んでいたら、まとめ役代理の間宮が声を上げた。
「そろそろ試合に向けてアップするぞ! 今日、俺らのエースは居ないが、居なくても全勝する気でぶつかろーぜ!」
「おー……代理のくせにいいこと言うじゃねーか」
普段は何かと合わない間宮だが、今の意見には全面的に同意見だ。
アキラは立ち上がって軽くユニホームを叩いて埃を払うと、みんなの元へと向かおうとしたが、その前にふと思いたって琴音に聞いた。
「そういや槍也の方はどうなった? もう家には居ないんだよな?」
「兄さんですか? ええ、昨日のうちから出発しました。今朝も電話しましたが元気そうでしたよ。もし落選したら、こちらに合流するって言ってましたよ」
「いや、来なくていいよ……」
前々から決まっていたサッカー部の合宿だが、槍也はつい最近用事が出来て、そちらを優先することになった。
《サッカー部の合宿の方が先に決まっていたんだから、サッカー部の方を優先しろよ!》
そう主張する者は一人もいなかった。
なんせ、その用事というのが今度イタリアで行われる若手の世界大会の選抜メンバー決め、つまり、日本代表選抜行事だからだ。
若手とはいえあの日本代表の青いユニホームを着る機会なのだから、これを後回しにしろという人間はそもそもサッカー部員とは言えない。
「お前は東京で頑張ってろ。千葉には来んな。そう伝えといてくれ」
「はい、わかりました」
アキラは遠回しな激励を言い残すと、間宮主導で行われる準備運動に加わった。
軽い体操にボールを使ったパス回し。それなりに体がほぐれたところで先生と部長が戻ってきた。
そして先生が溌剌とした笑顔で
「スケジュールが決まりました。最初の試合はこれから15分後、それから休憩を挟みながら計6校と試合をすることになりました。みなさん頑張って下さいね」
と、皆に激励を交えつつ予定を告げた。
因みに一日で6試合というのは、一見殺人的なスケジュールに見えるかも知れないが、今回のイベントは普通の大会のように勝ち上がっていく事を目的としている訳ではなく、交流を目的としている。
なので出来るだけ色々な相手と試合が出来るよう、試合時間はフルタイムではなくハーフタイム、40分1本勝負となっている。
つまり、6試合といっても実質3試合分ということになるのだが、それでも3試合。
いざ試合となればアキラは走る。それを3試合分続けるのは無茶な話。試合に出られるのはせいぜいが3つ、どんなに頑張っても4つが限界だろう。
なので、
「部長。俺の出番は出来るだけ強い相手とやり合う時にしてくれ」
と、アキラにとって至極当然の要求を部長に告げた。
部長は一瞬目を見張ったが、すぐに笑みを浮かべてアキラの要求を飲んでみせた。
「わかった。……ちょうど初戦の相手が埼玉のベスト8、今の俺たちより格上の相手だから佐田が出なよ」
「ベスト8か……上等」
アキラは部長に礼を言うと、改めて試合の準備に勤んだ。
再び軽く体を動かしていると、部長が初戦のメンバーを発表した。
部長に呼ばれた者たちが、威勢のいい返事を上げていく。
そんな風に試合が近づくにつれてアキラのテンションも上がっていった。
基本、アキラは敵が強ければ強いほどやる気が出るたちだ。
神奈川と埼玉、県は違えど天秤が二回戦負けしたインターハイ予選でベスト8なのだから対戦相手に期待は出来る。
欲を言えばもっと上、全国大会レベルの相手が居てくれたらと思うが、そのレベルの強豪校は同じレベルの強豪校と試合をして格下は相手にしないらしい。
そのことに不満を抱いたアキラは思わず呟いた。
「あー、槍也がうらやましー……」
あいつは今ごろアキラたちの世代のトップクラスと鎬を削っている。
夏のインターハイは幾つか見たが、その中でも一際目立っていた奴ら、あのレベルの選手がゴロゴロしている筈だ。
中でもあいつは絶対にいるだろう。夏のインターハイを制した赤獅子の緋桜義丸。他の誰が居ても居なくても、あいつだけは確実にいる筈だ。
——畜生! マジで羨ましいな!
あれと一足早にサッカーをやれる槍也のことを心底羨ましく思っている内に、試合が始まる時間がやってきた。
部長を先頭に初戦を戦うメンバーがフィールドへと入っていく。
『アキラ、出番だよ! 暑いかも知れないけど頑張ろうぜ! 目指せMVP!』
「……そうだな」
試合に望もうとするヤマヒコの意気込みを受けてアキラも意識を切り替えた。どうにもならないことを羨んでも仕方がない。
それよりは目の前の相手に集中する方が現実的で、そうやって目の前の敵を倒し続けていれば、いつかは全国レベルの敵も現れる筈だ。
「よし、やるか!」
自分で自分に気合いを入れながら、アキラはフィールドの中へと足を踏み入れた。




