45 天秤高校のサッカー
久しぶりに訪れたグラウンド。アキラは初めてボランチの立ち位置に立ったのだが、別にトップ下と比べて違和感を感じる様な事はなかった。
まあ、アキラの順応力が高いというよりは、そもそも違和感を抱く程トップ下に馴染んでなかった、というのが正解だろう。
アキラのサッカー歴はまだまだ浅い。
しかし、今回のボランチへのコンバートは、浅いなりにサッカーをやり、浅いなりにサッカーの勉強をした上での自分自身の決定なので、否応無しにテンションは上がっている。
よって、ヤマヒコとの会話も心なしか弾んでいた。
「よしヤマヒコ。ここが俺の定位置になる訳だが、7の5……だな」
『はいはい。7の5だね、覚えたよ』
「そんでもって滋賀とボールの位置が5の5だ」
『了解』
ヤマヒコと情報のすり合わせをしつつ前を向くと、センターサークル内でゲームの開始を待っている槍也と目が合った。
こちらの事をびっくりした顔で見つめている。
一瞬、何を驚いているのか不思議に思ったが、そういえばボランチへのコンバートは槍也にも琴音にも言ってなかった。そりゃ驚きもするだろう。
ただ、だからといって今から近寄って「俺、ボランチをやる事にしたから」などと説明する気にはならないので、特に気にすることもなく試合の開始を待った。
後は実際のプレーで示せばそれでいい。
体を回したり、アキレス腱を伸ばしたり、名前の怪しい味方の名前をヤマヒコから聞いたりしてその時を待っていると、やがて笛が鳴り試合が開始された。
槍也がちょこんと蹴られたボールを受け取り軽快に前へ出る。
それに対して、こちらのFWとトップ下が寄せていく。ボールを奪う為というより、圧力をかけてボールを下げさせる為の寄せだったが、囲まれるより先に槍也が仕掛けた。
それまでのゆっくりしたドリブルから一気に加速、トップ下に真正面から迫った。
初っ端の強行は予想外だったのかトップ下の反応が一瞬遅れ、槍也にとってはそれで十分だった。
相手の守備範囲のギリギリで急停止してタイミングをずらすと、即座に急加速。左右への揺さぶりは一切使わず、縦のストップ&ゴーだけで相手を抜き去ってアキラの前に来た。バチっと互いの視線がぶつかり合う。
——あの野郎、やってくれる!
アキラは、槍也の荒々しい幕開けに応えて前に出ようとしたが、一歩踏み出した所でヤマヒコからの警告が入った。
『アキラ! 行くのはいいけど縦に抜かれるのだけは駄目だからね! ボランチなんだから守備も考えないと!』
ヤマヒコの言う通りだった。ボランチは別名、守備的ミッドフィルダー。その字面通り攻撃だけじゃなく守備も担う。なんなら攻撃より守備がメインのポジションですらある。そのボランチが簡単に抜かれたら試合にならないだろう。
アキラは久しぶりの試合という事も相まってだいぶ熱くなっていたが、いい感じに熱が抜けた。
積極的に距離を詰め、ボールを狙って足を伸ばしたが重心は後ろに残しておいた。アキラが足を伸ばすと同時、槍也がさっきと同じように緩急をつけてこちらを抜き去ろうしてくるが、それを最大限に警戒していたアキラはなんとか付いて行く事ができた。
肘がぶつかる距離で並走しながら、今度こそチャンスとばかりにボールを取りに狙ったのだが、さっと足裏でボールを引かれて距離を取られる。
「ちっ……!」
ボールを奪えず舌打ちしたが、ヤマヒコがフォローを入れた。
『上出来じゃない? 今のアキラが滋賀君からボールを奪うのは難しいよ。なら滋賀君の勢いを一度止めただけでも十分……来るよ!』
「わかってる!」
一度、距離を置いて対峙したアキラ達だったが、間を置かずに槍也が仕掛けてきた。
アキラは、今度こそ取ってやると意気込んだが、残念な事にスカされた。ぶつかる瞬間、かかとを使ってボールを自身の左斜め後方に——上がってきていたもう一人の左のFWへとボールを預けた。
そしてボールを手放して自由になった槍也はアキラの左手側を抜けていく。
アキラは槍也は後ろに任せてボールを追った方がいいと判断したが、アキラが距離を詰めるよりも槍也の声掛けの方が早かった。
「前に!」
端的な指示にボールを受け取ったFWは、前に向かってふんわりとした滞空時間の長いパスを繰り出した。ディフェンスの裏に抜けるというより競り合う為のハイボール。
そしてパスが出されると同時、左のエリアに逸れて走っていた槍也が向きを変え、ペナルティエリアの内側へと切り込んで行く。
「くそっ……柏木、行ったぞ!」
ボールの落下点の比較的近くに詰めている左のサイドバックに向けて声掛けしたが、その柏木がヘディングでボールをクリアする寸前、槍也がボールを掻っ攫った。
斜めに切り込んできたあいつは、サイドバックの手前で走り高跳びの様に体を捻って跳躍した。胸を使ってボールをトラップ、しかもその瞬間、逆に体を捻ることでゴールに向かってボールを落とした。
そのこぼれ球を近くにいたセンターバックが拾おうとした。またボールを掻っ攫わられた柏木も槍也を追ったのだが一歩遅かった。いや、こちらのディフェンス陣が遅かったというより槍也が只々速かった。
槍也はジャンプの反動で崩れていた体のバランスを素早く立て直すと、誰よりも先にボールへと追いついた。
そのまま左足でボールを懐に呼び込む事でセンターバックを躱すと同時、今度は右足のアウトサイドを使って前に出た。
センターバックとサイドバックの間を抜け、ゴール前でキーパーと一対一になった所で、躊躇わずに右足を振り切る。
至近距離からのシュートにキーパーは反応出来なかった。
「「うおっしゃあ!」」
初っ端からの先制弾にレギュラーチームが沸いた。
自陣に戻る槍也は、道中、詰めていた味方とハイタッチを交わしている。
逆にサブチームは意気消沈していた。どこからも負けん気を吐くような言葉は上がらない。
アキラも、少なからず度肝を抜かれていた。
「マジでやってくれるなぁ……」
緩急だけでトップ下を抜いた事も、ボールキープとディフェンスラインの突破を同時に行った攻防一体の動きもそうだが、あんなアクロバティックな動きの中での正確な胸トラップに一番驚いた。
アキラはここ一月、トラップの練習にかなり力を入れた。当然、足でのタッチだけでなく腿や胸でのトラップも練習したし、自分なりの手ごたえもあった。
が、練習したからこそわかる。あのスピードの中であの精度は今の自分には絶対に不可能だ。わかっていたことだが槍也の個人技や身体能力はアキラより遥かに上だ。
一方、ヤマヒコは別の事に関心していた。
『滋賀君の今の動きはアドリブじゃないね』
「あん? ……どういう事だ?」
『多少、形やタイミングが悪くても、前へ前へボールを入れるのは天秤のスタイルだよ。たぶん、アキラが居ない間にチームの方針を覚えて馴染んだんじゃない? ——アキラにも見習って欲しいよ』
「うっせえよ」
最後の一言が超余計な一言だった。
とはいえ言わんとすることはわかる。入部当初の歓迎試合でも、レギュラーチームは後ろでボールを回すよりもバンバンと縦パスを入れてきた。仮にボールを取られてもハイプレスで取り返す。そういうやり方だった。
——そのサッカーに今はあいつが加わった訳か……。
どうやらアキラが思っていたよりもレギュラーチームは強そうだ。
「上等だ。直ぐに取り返してやる」
『うん。試合はまだ始まったばかりだしね。——その為にもやるべきことはやっとこう。滋賀君がボールを受け取った位置が8の3。滋賀君がシュートを打った位置が8の4だ。合ってる?』
「8の4? 9の4だろ?」
『そお? ——やっぱり俺とアキラで感覚に誤差があるよね。視覚と聴覚の違いなのかな?」
「かもな。——少しずつでいいから埋めていくか」
『オッケー!』
ヤマヒコと話し込んでいる内に試合が再開した。今度はこちらボールでスタートなので、アキラは前に出た。




