第七十五話「古竜」
氷槍が消えちゃった?
なによコレ……。
「イオン、これ見てよ」
銀一が部屋の隅の水瓶が置いてある棚をずらして顔を上げる。
急いで近寄って見ると、銀一の前足が指し示す先に魔法陣が描かれていた。
銀一は素早く部屋の四隅に走り、次々に魔法陣を発見していく。
「これは結界魔法だね…」
「結界魔法?」
「うん。魔法を無効化する魔法さ。
おそらく外から鍵をかけた時点で発動する仕掛けになってるんだよ」
「魔法を無効化……」
なによそれ……。
てか、やっぱりマッドさんは信用ならない。
眺めがいいとかなんとか言ってたけど、最初から何か企んでいたに違いない。
実は良い人かもなんて、ちょっとでも思った私が馬鹿だったよ。
やっぱり、世の中…って言うか、この世界はそんなに甘くないのよね……。
「じゃあ、レムに扉を突き破ってもらいましょうよ」
「うーん……。多分レムでもダメなんじゃないかな?」
「どうして?」
「レムの体は一からイオンの魔力で作られてるでしょ?
だからレムの打撃も結界魔法に阻まれちゃうよ」
「そうなのね……」
完全に閉じ込められたってことね……。
ああ、私のバカばか馬鹿!
マッドさんを少しでも信頼した自分がつくづく嫌になる。
「こうなったら今は諦めるしかないね。
ボクやイオンの力では、この扉を打ち破ることなんてできないもん。
とにかくこれをやり過ごして、次の機会を待つしか手はないね」
「次の機会?」
「うん。次に部屋の外へ出られる時が来たら、レムを部屋の外に隠しておくんだよ。
このタイプの結界魔法は外からの魔法を通すから、レムを部屋の外で待機させておけば、閉じ込められた時に外から助けてもらえるでしょ?」
「なるほど……」
銀一がいてくれて良かったよ。
本当、頼りになる。
しかし次の機会か……。
とにかく御子息くんの飛行船と戦闘にならないことを祈ろう。
「ヤツら抵抗飛行で近づいて来てるぞ!」
「んな事わかってらぁ! だから念のため戦闘配置につけって事だろ!」
タッタッタッタッと走る足音とともに、部屋の外から怒鳴り声が聞こえてくる。
私、魔法使いを二人治癒しちゃったんだよな……。
あの魔法使いが御子息くんの飛行船を攻撃する……のよね?
こんなことになるんだったら助けるんじゃなかったよ……。
すっごい後悔。
なにやってんだろ私。
でもあんな痛そうにしてる人見たら……。
いや、もうこれからはそんなお人好しじゃダメよ。
ちゃんと敵か味方かを見極めて行動しなきゃ。
「とにかく山側へ急げ! 山肌すれすれで飛行しろ! 攻撃準備は万全か?!」
マッドさんの怒鳴り声が船内に響き渡る。
なにか魔道具でも使っているのか、無線のように船内全体に声が届いている感じ。
しかし攻撃準備は万全かですって?
攻撃なんて冗談じゃないわよ。
そんなことさせるために治してあげたんじゃないんだから!
「イオン見て!」
銀一が突然大声を上げた。
見ると銀一は前足で窓の外を指している。
「えっ……」
振り返ると丸い窓の外は一面真っ黒に埋まり、一気に部屋の中が暗くなった。
そして次の瞬間、ギョロリと大きな目が一つ現れた。
黄緑色の眼球に黒い縦長の瞳孔。
まさに爬虫類のような目がこちらを覗いている。
『ほう。また昨日の人間ではないか』
え?
バチリと音が聞こえてきそうな瞬きとともに、脳に直接響き渡るような声が聞こえてきた。
艶っぽい女性の声。
もっとしわがれていれば、老婆とも取れる落ち着いた口調だった。
『この膨大な魔力の波動はヌシのものか?』
ギュッと下から瞼が持ち上がり、目が細められる。
やっぱり聞こえる……。
銀一を見ると、目をまん丸くして小刻みにうなずいている。
銀一にも聞こえてるみたい。
『……返事くらいしたらどうだ?』
「えっと……どなたさまですか?」
なに言ってんだろ私……。
でも全く状況がつかめなくて、なんて答えたらいいかわからない。
『アッハッハッハッハッハ。まずは名を名乗れと来たか?』
そういう訳ではないんだけど、まあ、素性が知れた方が話しやすいかな……。
『我はエンシェントドラゴン、ルザーナ。
ルザーナ・ニストリーナだ』
エンシェントドラゴン?
しかもルザーナ・ニストリーナって……。
人間みたいな名前まで持ってるのね……。
てか、私のこと昨日の人間とか言ってたけど、あの大きなワイバーンがエンシェントドラゴンってこと?
「ワ、ワイバーンじゃなかったんですね……」
『確かにこの姿だとワイバーンと見紛うな?
フハハハハハハハハハ…』
スッと全身が見える距離まで離れたルザーナさんは、何が可笑しいのか高笑いをする。
でも、その姿は確かに昨日のワイバーンだった。
『この姿の方が小回りが利いて飛行しやすいのだ。
そうだな。礼儀としてまずは本来の姿を見せねばな?』
言うや、ルザーナさんが猛烈な勢いで巨大化した。
みるみる漆黒の巨体が迫ってくる。
「ちょちょちょちょちょちょちょ、ちょっとーっ!」
バキバキバキバキッ!!
轟音と同時に体が後ろへ吹き飛ばされる。
巨大化したルザーナさんが飛行船に激突したのだ。
窓のあった壁は激突で大きく口を開けている。
てか、ルザーナさん迂闊すぎっ!
突き上げられるように大きく傾いた飛行船は、今度はその反動で反対側へ傾いた。
後方へ吹き飛ばされた私は、床に着地するなり急角度な滑り台を滑るように、今度は床を滑降する。
「あぁあぁあぁあぁああっ……」
迫りくる大きく口を開けた穴は鬱蒼とした森が真上から見える。
飛行船の側面が完全に真下を向いたみたい……。
一瞬、ヒュワンとした浮遊感を感じて一気に降下。
同時にバザバザバザバサとの風の音。
服や髪の毛がかき乱されて風に押し返されるような浮遊感。
そしてまるで緩急をつけた絶叫マシンのように、また一気に降下が始まった。
いや、降下が始まった瞬間、ふわりと何かに支えられた感覚。
上昇している。
もうバザバザと風の音も聞こえない。
「イオン、大丈夫?!」
風の音ではなく、銀一の声がする。
声のする方を見ると銀一が駆け寄ってくるところだった。
黒光りした床の上を赤いリボンを付けたシルバーグレーの銀一が駆けてくる。
その背景にはクルクル回転しながら墜落していく飛行船。
え……?
「なんかヘンテコな展開だけど、このエンシェントドラゴンのおかげで脱出できちゃったね?」
銀一は可笑しそうに言うや、トントンと床を叩く。
よく見ると黒光りした床は鱗の形をしていた。
ああ、そうか。
ルザーナさんの背中にのっているのか。
見渡すと左右には大きな翼が見える。
ただ不思議なことに、翼は全く動かしていない。
動かしていないけど、みるみる高度を上げて行く。
それでいて飛行船の中にいるみたいに、全く風の抵抗を感じない。
遠くでバギバギバギバキズババババババーンと轟音が響き、たちまちモクモクと黒煙が上がった。
ダビアンヨカリ、『イカした荒くれ者』の最後は呆気なかった。
やっぱり悪いことしちゃダメよね……。




