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9 祝福のキス



 エステも行った。

 昨夜は良く寝た。

 寝る前に両親へ挨拶もきちんとした。大丈夫、大丈夫。緊張しない。


 薄いカーテン越しに見える窓の外は、5月の青空が広がっていた。俯くと手袋をはめている手が、ほんの少しだけ震えているのがわかる。


 もう一度顔を上げると、薄い水色の小花が散った壁紙が目に入った。天井からは、可愛らしい小さなアンティークのシャンデリアがちょこんと下がっている。飴色が綺麗な、これもアンティークの鏡台の上には、これから着けるパールのネックレスとレースのハンカチ。このあと手に持つ、まあるい形をした白いバラのブーケが、倒れないように飾られている。


 ドアがノックされて、鏡台の鏡越しに大好きな人が現れた。胸がどきーんとして、一瞬で顔が強張る。一生で一番綺麗な日でいたいのに、どうしよう。

「あら、じゃあ私は出ていますね」

 ドレスの着付けとヘアメイクをしてくれた担当の人が、彰一さんと笑顔で挨拶を交わす。

「ごゆっくり。あ、ネックレス着けてあげてくれる?」

「わかりました。ありがとうございます」


 嬉しいんだか、不安なんだか、安心したんだか……よくわからないけど、彰一さんの姿を見た途端、泣きそうになってる自分がいる。

「しょ……彰一さん」

「うん」

「あの、私ね、ちゃんと練習してきたから」

 私の言葉に、彼が吹き出した。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

「だって、いろんなこと考えちゃって」

「何を?」

「バージンロードで転ぶとか、誓いの言葉間違えたりとか、指輪落っことすとか」

 想像するだけで恐ろしい! 目に浮かぶところが怖いよね。

「優菜ちゃん」

「はい」

「あの、さ。……すごく綺麗だから大丈夫だよ。それだけで多分、何もかも上手くいく。きっと」

「ほ、ほんとに?」

「うん。綺麗だよ」

「ありがとう。あの……彰一さんも、すごく素敵」

 淡いグレーのショートフロックコートがよく似合ってる。

「……ありがと」

 照れたように笑った彼は私の後ろへ立った。ふわふわしたヴェールの裾をそっとあげて、私の首元にネックレスを着けてくれる。少しだけ、緊張も解けたみたい。


「じゃあ、俺もちょっと練習していい?」

「練習?」

「したことないからさ、出来るか挑戦していいかな。ちょっと立ってみて?」

「? う、うん」

 彼に手を取ってもらい立ち上がる。何だろうと思った次の瞬間、彰一さんが、Aラインの真っ白いドレスを着ている私を抱き上げた。

「あ、できた」

「び、ビックリした」

「近いね」

 目の前の彰一さんが笑った。

「……うん」

「優菜ちゃん、俺の首に手回すんじゃない?」

「こうかな?」

「多分。鏡見てみよう」

 振り向くと、彰一さんの腕にお姫さま抱っこされている私が、すごくすごく幸せそうに鏡に映っていた。

「……でさ、こうするといいかも」

「……」

 微笑んだ彼の顔が近付いて、私も自然に瞼を閉じる。


「お邪魔しまーす! ドア開いてるよ?」

 あと少しの所で、コンコンと音がしたドアから、赤いホルターネックのワンピースを着た秋子が顔を覗かせた。

「あ、秋子……!」

「綺麗、綺麗! 優菜可愛いよ! いいなあ、お姫様抱っこ!」

「ありがと」

 彰一さんが秋子と話しやすいように、そっと床へ私の足を下ろしてくれた。白いパンプスの先がドレスからチラリと覗く。もうちょっとだけ抱っこされてたかったな、なんて。


「ご両親は?」

「うちのお父さんはバージンロードを歩く練習。さっきからずっとしてるの。彰一さんのご両親と私のお母さんは親戚と一緒に控え室」

「お父さん、ちょっと優菜に似てるもんね。あわてんぼっぽいし」

 秋子がクスクス笑っている。

「あのねえ、ほんと失礼なんだから」

 私の言葉を無視して、秋子は彰一さんに向き直った。

「おめでとうございます。皆川さん、絶対優菜を幸せにして下さいね」

「ありがとう。大丈夫だよ」

 あ、やだ。なんかこういうの泣けてきちゃうよ。ダメダメ、まだ我慢しなくちゃ。

「ねえ、優菜。絶対あたしに投げてよ? ブーケ」

「……もういらないじゃん。ちゃんと決まってるんだから」

 あははと笑った秋子の指には、前に見た指輪が同じ様に光ってる。


「じゃあ、私にください」

 ドアの影からローズピンクのワンピースを着た女の子が顔を出した。

「富山さん! 岡崎くんも来てくれたの?」

「工藤さん綺麗!! すごく素敵です」

「ありがとう」

 感動したように私を見ながら胸の前で手を組む富山さんの横で、岡崎くんが笑った。

「津田さんと田中さんも、もうすぐ来ますよ。式も見たいって言ってたから」

 黒いスーツを着た岡崎くんが、彰一さんの目の前に立った。

「おめでとうございます」

「ありがとう」

「……皆川さん。俺、気付いてましたよ、とっくに」

 岡崎くんが得意げな顔で言うと、彰一さんが珍しく焦った顔を見せた。彼の胸には、私のブーケとお揃いのお花がついている。

「……嘘だろ」

「だって皆川さん、いっつも工藤さんの方見てたじゃないですか。俺が工藤さんと仲良くしてると無茶苦茶、睨むし」

「!」

「覚えてます? 俺と工藤さんが昼飯一緒に行くって言った途端、皆川さんすごい顔してたの。あの時殺されるかと思いましたからね、俺。マジで、忘れらんない」

 ほ、ほんとに? なんか、ちょっと嬉しいかも。 隣で赤くなっている彰一さんが可愛い……なんて言ったら怒られちゃうかな?

「あんなのすぐバレますよ。二人だけじゃないんですか、バレてないと思ってたの」

 岡崎くんの言葉に、富山さんが溜息をついた。

「嘘ですよ。岡崎さんだけですそんなの。私は全然気付いていませんでした」

「ほんとに?」

「ほんとです。でも二人がお付き合いしていたら、お似合いだなーとは思っていましたけど」

 彼女の言葉を聞いた後、秋子が慌てたように言った。

「ねえ、もう少しでお式じゃない? 富山さん、岡崎くん行こう。じゃあね優菜。頑張って」

「う、うん」

「緊張したら手の上に人って字、三回書いて飲むんだよー」

 ……小学生じゃないんだから。ひらひらと手を振って、三人は出て行ってしまった。



 秋子に言われた通りにしたのが良かったのか、綺麗な教会で、挙式は順調に行なわれた。お父さんもバッチリだったしね。お互い少し涙ぐんじゃったけど。


 教会の扉から出て、階段をゆっくり下りていく。腕を組んだ二人の薬指には、お揃いのプラチナが光ってる。眩しい5月の日差しが、フラワーシャワーを浴びている二人に、たくさん降り注いだ。


 冷たくてぼそぼそのカルボナーラを食べてくれた人。

 私の失敗をいつも笑って許してくれた人。

 優しくて、大人で、でも少しだけ甘えてくれて、私をうんと大切にしてくれる人。そんな彰一さんを支えて、私も幸せにしてあげたい。


 組んでいた腕を離し、彰一さんの手をぎゅっと握る。一瞬驚いた彼も、私の顔を見つめながら、笑ってその手を強く握り返してくれた。次の瞬間、練習した通り、私の身体がふわりと宙に浮き、大好きな彼の顔が間近に迫った。


「私、いい奥さんになれるように頑張るね」

「そのままでいいよ」


 青空の下みんなに祝福されて、彼と私は優しいキスをした。

 これから続いていく二人の長い長い道のりを、こうしてずっと一緒に歩いていけるように。










 ~完~


最後までお付き合いくださいましてありがとうございました!次話からは続編と番外編です。

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