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6 信じたい夜





 大丈夫、大丈夫。

 きっと大丈夫。あと少し。もう少しだから。

 目を閉じたり開けたり、気付いたら暗闇だったり明るかったり。いろんな夢を見るのに、どんなのだったか全部忘れちゃった。


「ほんと馬鹿だね! 何で昨日の内に呼ばないのよ!」

 ベッドで横になっている私の、おでこに貼ってある冷却シートを取り替えながら秋子が言った。

「……おっきい声出さないでよ。頭に響くってば」

「いつから熱あったの?」

「金曜の、夜」

「昨日は一日どうしてたのよ」

「午前中病院行って、あとは薬飲んで寝てた」

「なんか食べたの?」

「……何も」

 大きくため息を吐いた秋子は、文句を言いながらも私のTシャツを着替えさせてくれた。さっぱりして気持ちいい。

「おかゆ食べれる? 買って来たやつだけど」

「……うん」

 昨日はポカリしか口にしていない。秋子が来てくれて安心したのかな。少しだけお腹が空いてきたみたい。時計を見ると夕方の5時。


 レトルトのおかゆを温めて、器へ入れてレンゲと一緒にベッドへ持ってきてくれた秋子の手を見る。あれ? 秋子の指……。

「ねえ、指輪どうしたの?」

「返した」

 即答する彼女に驚いて、レンゲを持つ手が止まった。

「え、なんで?」

「秋子さんは、本当に僕のことが好きなんですか」

「?」

「彼が言ったのよ、私に向かって」

 ベッドの脇に座っている秋子は、私から目を逸らして手を組んだ。

「あんまり真剣に聞くから……思わずわからないって、言っちゃったの」

「……」

「そしたら彼、じゃあ結婚やめましょうって」

「それで指輪を返して欲しいって言われたの?」

「ううん。そんなこと言わない。でも申し訳なくなって、私が自分から返したの」

 どういうこと? 意味がよくわからない。

 食べなって言われて、おかゆをひとくち、口の中へと入れた。まだ少し熱いけど美味しく感じる。


「彼、私がお金とかマンションとか、そういうステイタス的なものが目当てで結婚したいって思ってたの……気付いてた」

「そうなの?」

「でもね……私のこと本気で大好きなんだって。私の気が変わるまで待つって。それまで指輪も預かるからって。ほんと、馬鹿みたい」

 綺麗な長い髪をかき上げて、秋子は困ったように笑った。こんな表情、初めて見るかも。

「この歳で大好きとか子どもっぽい台詞で口説かれたってさ、勘弁してよって感じだったんだけど。でもなんか……」

「ほんとは気になってる?」

「……ちょっとだけ、感動した」

「そのこと素直に言えばきっと、わかってくれる、よ……」

 なんだろ、気持ちが悪い。咳き込んだと同時に、少しだけもどしてしまった。

「優菜、大丈夫!?」

「……ん、ごめん」

 すぐに片付けてくれた秋子が、私を横にさせてくれながら心配そうに顔を覗きこむ。

「皆川さんに知らせようか? ここの鍵持ってるんでしょ?」

「ダメ! 絶対やめて」

 いたた。急に食べたせいなのか胃が痛い。

「でも」

「ごめん、秋子。ほんとにそれだけはお願い。全然大丈夫だから」

 布団にもぐる私を見つめて、秋子が眉を寄せる。あ、機嫌が悪くなった時の顔だ。


「ねえ優菜。あんまり我慢してちゃ、余計ダメなんじゃない?」

「……」

「皆川さんだって、たまには優菜に甘えて欲しいと思うよ? この前も、寂しくなって富山さんの誘いも断らなかったんじゃないの?」

 掛け布団の端を強く握って、秋子の顔を見つめる。

「もっと会いたいとか、時間作ってって素直に言えばいいじゃん。彼女なんだから、」

「そんなの、違うよ」

 秋子じゃなくて、自分に言い聞かせる。

「私はそんなこと言えない。だって、自分が忙しい時にそんなこと言われたら嫌でしょ?」

「でも言わないと、その間に他の人に取られちゃうよ? 好きなんでしょ? 皆川さんの事」

「……好きだよ」

 口にした途端、涙が溢れた。

「大好きでたまらないよ、彰一さんのこと」

「……優菜」

「好きだから言えないの。嫌われたくないし、面倒くさいって思われたくない」

「……」

「不安だよ? 秋子が言うように、若い女の子の方がいいかもしれないし、弱ってる時に強く押されたら、って思うと」

 金曜日に自販機の傍にいた二人のことを思い出す。甘えたように彼へ笑いかける富山さんと、それに頷く彰一さん。


「でも信じたいの。彰一さんのこと」


 いやな気持ちを振り払うように涙を拭って、息を吸って声を出す。

「この先ずっと一緒にいたいんだったら、こんなことくらい乗り越えなきゃだめなんだよ。我侭言っちゃダメなの。信じて、待ちたいの」

「……」

「……って思うんだけど、違うかな」

 秋子は黙って私の話を聞いている。

「会いたいって言うのは簡単だし、きっと彰一さんだったら無理してでもここに来ると思う」

 終電が無くなったらタクシーで。家で仕事の続きをしていたら、車を飛ばして。

「だけど……頑張ってるから頑張って欲しいし、邪魔したくないの」

「そっか。……ごめん、優菜」

「秋子が心配してくれるのは嬉しいんだよ? だけど、」

「うん、わかったよ。優菜がそこまで思ってるなら、皆川さんは幸せだね」

 優しく笑いながら、秋子は布団の端を綺麗に直してポンポンと軽く叩いた。

「なんか優菜、変わったね」

「変わった?」

「前より強くなった感じ? 羨ましいよ」


 強くなんてなってない。本当は今すぐにでも彰一さんに会いたい。会って安心したい。

 鳴らないケータイをいつまでも見つめたり、狭いベッドが広く感じたり、彰一さんが置いて行ったメガネを耳にかけてみたり、着替えを何回も畳み直したり。彼の匂いを探して、枕を抱き締めてみたり……。

 そんなことしてると突然、今みたいに泣き出したり。強くなんかないよ、全然。


「薬飲んで少し眠りな? 熱上がって来たんじゃない?」

「……うん」

「眠るまでここにいるからさ。鍵、郵便受けに入れておくね」

「ありがと、秋子」

 きっともう少し。あともう少ししたら、連絡をくれる。

 忙しいのが終われば、またここに来てくれる。そしたら何もかも元通りなんだ。


 熱に浮かされて、いるはずのない彰一さんが私の隣で一緒に寝ている夢を見た。彼の手も声もあたたかくて安心する。

 夢だってわかってるのに、目を閉じながらまた涙が零れて……止まらなかった。









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