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1 朝ごはんの前に

本編の続編、付き合い始めてから二年後の二人です。




 柔らかな朝の光が、まぶたの裏に当たる。


 9月も中旬になると朝方はもっと涼しかったのに、今朝はベッドの上も少しだけ暑くて息苦しい。

 昨夜かけたエアコンは、タイマーで電源も切れてるはず。ぼんやりした頭で無理やり薄目を開けると、顔の前には自分のじゃない腕があった。あ、あれ……?


 そこでばっちり目が覚めた。

 彰一さんがくっついてるんだから、暑いの当たり前だよ。息苦しいって、これ……彼の腕がほっぺに当たってたんだ!

 後ろで寝ている彰一さんを起こさないように、優しく包まれている腕の中で、顔だけそっと振り向いた。

 大好きな人が目の前にいる。久しぶりに見る寝顔に嬉しくなって、今度は身体ごとゆっくり振り返り、丸まりながらその胸に顔を埋めた。


 最近、彰一さんは本当に忙しい。ここのところ休日出勤も多いから、日曜の朝、こうして一緒にいられるのもすごく久しぶり。彼の部屋で待つこともあるけれど、遅くなる時はここの方が安心だからって、昨夜は私の部屋へ来てくれた。

 彰一さん、Tシャツに汗かいてるみたい。私もキャミソールだけど、やっぱりちょっと暑い。窓、開けようかな?


 彼を起こさないよう身体を起こし、そっと窓辺に立って、カーテンはそのままに窓を全開させる。キッチンへ入り、小窓も全部開けた。気持ちのいい風が部屋を通り抜けていく。換気扇もつけて、朝ごはんの支度を始めた。


 彰一さんにご飯を出すのは久しぶりだから、ちょっぴり緊張するけど、ここのところ自炊頑張ってたんだから大丈夫。お味噌汁を作る為にお鍋を取り出すと、ふと二年前のことが頭をよぎった。

「……なんであんなに、お塩入れちゃったんだろ」

 思わず口にして笑ってしまう。知らないって怖いよね。

 でも……でもあの時彰一さんは、何も怒らなかった。私の気持ち全部受け止めて、頑張ってるのわかってるからって言ってくれた。

 彼の言葉を思い出すと、今でも胸がぎゅっとして涙が出そうになってしまう。


 彼に誘われて二人で会うようになってから、二年が過ぎようとしていた。その優しさは今も変わらず続いていて、彼の言葉も態度も気持ちも全部、私を世界一幸せな女の子なんだって心から感じさせてくれるんだ。


 四角い卵焼きパンに手を伸ばす。今日はね、ちょっと違うの。だしまきよ、だしまき卵。目玉焼きとか、オムレツとか初心者が作るモノじゃなくて、ちょっと上級者向けなわけ。少し得意げな顔の私、自然に鼻歌なんか出てきちゃう。

 そう言えば卵焼きも失敗したことあったっけ。塩とお砂糖間違えるとか、ほんと有り得ない。

「あれはちょっと、笑えないよね」

 ため息をひとつ吐いたと同時に、卵焼きパンが手から離れてしまった。床に叩きつけられた途端、ものすごい音をさせた卵焼きパンを、速攻しゃがんでひったくるように掴む。

 ど、どどど、どうしよう。今ので絶対目、覚めたよね? 彰一さん。


 恐る恐る足音を忍ばせ、部屋を覗いた。

「あ……良かった」

 何事もなかったかのように、すやすやと眠る顔を見てホッと胸を撫で下ろす。よっぽど疲れてるんだろうな、彰一さん。なんだか可哀想。

 近付いてしゃがみ込み、ベッドの脇に両肘を着いて呟いてみる。

「ゆっくり寝ててね」

「……やだ」

「え!」

 瞼を上げた彰一さんが私を見た。う、うそ。起きちゃったの? やっぱり今ので?

「おはよ」

「お、おはよ。ごめんね。うるさかった? フライパンの音」

「大丈夫。その前からとっくに起きてたよ」

「そうだったの?」

「一生懸命やってたから、黙ってた」

 まさかと思うけど、もしかして。

「なんか、一人でぶつぶつ言ってたから声かけにくくてさ」

「う……」

 やっぱり聞かれてた……。ちょっと得意げな顔してたの、見られたかな? おでこから汗出そう。

「でもさすがに今のは、近所の人も起きたと思うよ」

 彰一さんは楽しそうにクスクスと笑いながら私を見てる。やっぱりそうだよね。だって勢いよく、カーン! って響いてたし。おばあちゃんがよく見てた、のど自慢大会の番組にそっくりな音が。

 冷や汗を掻き始めた私に、彼が言った。

「大丈夫だよ。もう起きてもいい時間なんだし。ご近所さん皆いい人なんでしょ?」

「うん」

「ありがと、優菜ちゃん」


 ベッドの上で寝転んだまま近付いて来た彼の手が、私のキャミソールの肩紐を優しく撫でた。その視線と指先が急に私を焦らせる。だってなんか、まずくない? この雰囲気。

「あ、あのね、彰一さん」

「ん?」

 返事をしながら彼はそのまま私の肩紐を片方下げた。ちょ、ちょっと……。

「えっと、卵焼き作るの。これから。だしまきなんだけど」

「うん」

「それから、お魚も焼こうかなって思うんだけど」

「食べるよ、もちろん」

 もう片方の紐も下げられて、心細くなった両肩を縮ませると、彼の指が私の頬に触れた。

「だからね、あの」

「ダメ?」

「ダメっていうか……彰一さん疲れてないの?」

「昨夜充電したから平気」

「充電?」

「優菜ちゃんに会って」

 そ、そんな表情で言われたら、どうしていいかわかんないよ。目を細めて私を見る彼に、どぎまぎしながら顔を赤くしていると、腕を掴まれ彼の胸の上に引き寄せられた。


「卵焼きも魚も食べる。でもその前に、優菜ちゃんがいい」

 ……もうダメ。

 優しいキスと甘い言葉に全然逆らえない。彼の匂いと朝の光に包まれて、ふわふわ揺れるカーテンから秋の風が吹いてくるのを、素肌の背中に感じた。

 朝の計画が全部崩れちゃった。でも、もうそんなの……いい。


 彰一さんの腕に身体を預けて、休日の彼を独り占めできる幸せに浸っていた。








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