023話『群青の姫君は瑠璃色を纏う』(2)
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館三階 執務室 ]
数日ぶりに執務室へと訪れたラキリエルは、エバンスとともに部屋内に足を踏み入れた。窓際の執務机には、疲労の色が滲み出ているノイシュリーベが座っており、傍には侍従頭のアンネリーゼと女性の従騎士が一名控えている。
そしてアンネリーゼが立っている場所の隣には、何やら布で覆われた大きな物が置かれており、ラキリエルは見るなり気掛かりとなっていた。
「急に呼び出してしまって、ごめんないさいね」
「いいえ! 丁度、一段落着いたところでしたので、どうかお気になさらず。
ノイシュリーベ様……お加減が優れないご様子ですが大丈夫でしょうか?」
「ええ、何とかね……。
貴方への用件を終えたら、今日はもう昼過ぎには私室に戻るわ。
ついでに三~四日は休ませてもらおうと思っているから心配無用よ」
薄っすらと目元に隈を浮かべた面貌で、優しく微笑みながら言葉を返された。
襲撃を退けた後も大領主としてやるべきことは山積みであり、その処置や手配に奔走することになったのである。
負傷した騎士や、バラクードに随伴するためにヴィートボルグを離れた第一部隊の抜けた穴を埋めるための勤務予定の見直しや、エデルギウス家の屋敷へ根回しして皇太子一行を歓待する用意をさせたり、『果樹園』の再調整など。
更に後回しとなっていた"春風"のアルビトラへの幻創記章授与の段取りも進めなければならなかった。
急を要する事柄から順次対応していくうちに、あっという間に三日が経過していたというわけである。
ラキリエルの斜め後方に控えるエバンスが「早く休んでね」とでも言いたげな視線を密かに送っていた。
「実は貴方に贈ろうと思っていた衣服がようやく仕上がって、届いたのよ。
このグレミィル半島で暮らしていくのなら、その法衣だけでは不便でしょう?」
城館内で生活する際には、貴賓室に備えてある衣装を使ってもらえば済むのだが市街地や都市外へ出向くのには向かない。故に、どうしても海底都市を脱した時より着続けている法衣を使い続けるしかなかったのである。
「そんな! そこまでしていただけるなんて……」
「ふふ、大したことじゃないわ。貴方の身柄と人生は私達が受け容れたのだから。
少しでもこの地で快適に過ごしてもらえるよう手配させてほしいの。
……アンネ、布を外して頂戴」
「かしこまりました」
アンネリーゼが隣に置かれた大きな物より布を剥ぎ取ると移動式の収納具が露わとなり、その中には数着の衣服が掛けられていた。
瑠璃色を基調とした涼し気な簡易ドレスで、刺し色に白色が多様されている。これからの季節に合わせた色調と通気性を重視しているのであろう。
いずれも統一された共通の意匠なれど市街地を出歩く普段使い用のものから、社交の場に出ても不自然とならないような少し凝った趣のものまで揃えてあった。
「まあ! どれも素敵です」
「ヴィートボルグや他の街を出歩いても悪目立ちしないように
この地域の伝統衣装に近い意匠を取り入れさせてもらっているわ。
それから水の精霊との魔力親和性が最も高い生地を使わせてある」
「そのような希少なものを……」
ラキリエルが着用している海底都市の法衣は、遥か海の底での用途にも耐え得るように深海龍から採れる素材を用いた糸を編んだ特殊な生地で出来ていた。
これによりラキリエルの本性である大海の竜人の姿に戻った時でも問題なく着続けることが出来ていたのである。
逆に云えば、普通の衣服では彼女が大海の竜人の姿に戻った際に付随する水膜の中で耐え切れずに破れてしまうことだろう。
それを懸念していたノイシュリーベは、わざわざ希少な繊維を一から用意して衣装を仕立てさせたのであった。
「ヴィートボルグが誇る魔具技術を応用した生地よ。貴方なら扱い熟せるわ。
もし良ければ、受け取っていただけないかしら?」
「本当に、なんとお礼を申し上げれば良いか……。
ありがとうございます! 大切に着させていただきます!」
「いいのよ。有り合わせの衣服で貴方に窮屈な思いをさせ続けるのも悪いしね。
早速ここで着用してみてはどうかしら、午後から市街地を巡るのでしょう?」
「是非!」
予め入念に寸法を測って仕立て上げさせていたが、万が一ということもある。
アンネリーゼが控えている間ならば、試着の際に問題があれば直ぐに修正してくれることだろう。
「それでは、私は先に退出しておきましょう。
通路で待機しておりますので、お召し物が整ったらお呼び下さい。
……侯爵様、くれぶれも休養はしっかりと採って下さいね」
「うっ、分かっているわよ……!」
エバンスが恭しく頭を垂れて執務室を後にする。最後の言葉尻は丁重ながらも厳格に言い含めるような威圧感を滲ませていた。
その後、アンネリーゼと従騎士の手を借りてラキリエルは新たな衣装を纏うこととなる。一通りの服に袖を通し、丈の手直しが必要な箇所があれば、その場で素早くアンネリーゼが適格な措置を施してくれた。
そうして最終的には、市街地を出歩く用途に適した衣装を今日はそのまま着用していく運びとなる。
「とても似合っているわ! これなら街中にも自然と溶け込めるでしょうし」
「ありがとうございます。どれも、とても着心地が良くて……身体に馴染みます」
海底都市の法衣は白色を基調とした生地に紺碧の刺し色と、幾らかの黄金の装飾が施されていたのが特徴的で、グレミィル半島に棲む者達の目からはどこか遠い存在と思わせる風情を醸し出していた。
対して新たな装いは瑠璃色を基調とした生地に、白色の生地を随所に掛け合わせるように編まれており、素朴さと爽やかさ感じさせた。
衣装の造り自体は上質なれど、ノイシュリーベが言った通り街中を出歩いたとしても場違いな印象を衆目に与えることはない。
紺碧と瑠璃。少し似ているようで、明確に異なる彩度の差。
新たな装いを纏ったラキリエルの心は、少しだけ軽くなったような気がした。
紺碧から瑠璃へと飛び発つように。
陰惨な記憶が刻まれた海底から、自由となれる大空へと移ったかのように。
同時に"群青の姫君と翳の英雄"という御伽噺に焦がれ続けた果てに、想い人の本性を目の当たりとして打ち砕かれた少女の心が、新たな境地へと移っていく。
幼き"群青の姫君"と化していた心は、新天地と新たな装いによって駕篭の裡より出るための一歩を踏み出そうとしたのである。
「それから、これは私個人からの贈り物よ。
……といっても私が昔、使っていた物なのだけれどね」
執務机の引き出しを開けて中から平たい箱を取り出した。蓋を開けると、そこには一枚の布地が納められている。衣装と同じ瑠璃色の髪留め布だった。
「そんな……よろしいのですか?!」
「勿論よ、衣装を発注した時に色合いが似ていることに気が付いたから
エデルギウス家の館のほうから持って来させたの。
良ければ、ちょっとそこに立っていてもらえないかしら?」
椅子から立ち上がりラキリエルの傍へと近寄ると、慣れた手付きで彼女の髪を束ねた後に髪留め布を巻いてみせた。
ラキリエルは髪量がかなり多いために布地で全てを包み込むのではなく、あくまで髪を束ねる用途として活用してみせた。それでいて夏の陽射しから頭部を保護する役目も担っていた。
「……これで良し! 思った通り、かなり印象が変わったわね。
私が使っていた時は、肩の辺りまでしか髪を伸ばしていなかったから
丸ごと覆っていたけど、貴方ならこういう感じの巻き方が良いかもしれないわ」
「その……あの、本当に何とお礼を申し上げれば良いか……」
移動式の収納具に備え付けられている簡易的な姿鏡に映った自分の姿を検めて、ラキリエルは少し照れたような素振りを見せながら傍に立つノイシュリーベに向けて言葉を零した。
「ふふ、貴方が一日でも早くヴィートボルグに馴染んでくれれば私達は満足よ。
どうか貴方の今後の歩みが、幸多きものとなるよう祈っておくわ」
「ノイシュリーベ様! 数々のご配慮に改めて感謝いたします。
本当に、本当にありがとうございました!」
一歩退がり、深々とお辞儀をして能う限りの謝意を示す。
そんな彼女に対して、ノイシュリーベは満足そうに優しく微笑み、両者のやり取りを見守る侍従頭と従騎士達もまた和やかな雰囲気に包まれていくのであった。




