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022話『今は遠き熱月の風』(5)


「はぁ……はぁ……」


 宮殿の廊下を駆ける最中、ノイシュリーベは僅かに息が上がりかけていた。


 エルシャーナ宮の敷地面積は、丘上ということもありそこまで広くはなく、厳しい鍛錬を積んでいる彼女の体力ならば、この程度の距離を走ったところでは大した疲労は感じない筈なのに。


 原因は明白で、先程のバラクードとの面会にあった。


 皇王を含む現政権を粛清し、皇王府を手中に収める野心を抱いていること。

 その後に訪れるであろう混乱を鎮めるための戦いで、英雄を求めていること。

 ノイシュリーベを将来の伴侶として見ていること……それらを堂々と告げられたからである。



 様々な熱気が、一塊の風と化して、ノイシュリーベの心を揺さぶった。


 熱気に晒された心臓は鼓動を増し、思うように呼吸ができなくなった。



 バラクードの境遇を鑑みれば皇王府を力で掌握するという選択肢を採らざるを得ないことは十二分に理解できるし、同情に値する部分もあった。

 そしてノイシュリーベに対して以前より好意を向けていたことも知っていた。

 しかし面と向かって告げられたのは今回が初めてであった。それも男性として真摯に迫って来られたのだから、動揺するなと言うほうが酷な話である。



 これまでノイシュリーベに言い寄って来る男は、それなりには存在した。

 だが彼女の美貌、地位、権力、能力……など男から求められてきたものは、何れも表面的な部分であり、彼女の芯を理解しようとする者は居なかったのだ。


 斯様な輩達に対しては、騎士としての側面や、大領主としての側面を前面に押し出すことで悉く誘いを断るのが常であった。

 そうすることにより今、成すべきことに迷いなく専心し続けて来れたのだ。



 そんな彼女の在り方を、"貴き白夜"の愚かな潔癖の心を、バラクードは一挙に灼き貫いてみせたのだ。左掌に握らせた婚約者候補の証、焔を象る意匠が施された黄金造りの印章(シグネット)とともに。




「……我ながら情けない。グレミィル半島を守るために話を付けに行った筈なのに 逆にバラクード殿下に取り込まれようとされるなんて……」


 宮殿を出てから一度、大きく深呼吸をした。

 乱れた呼吸を僅かに整え、愛馬を預けておいた馬舎を目指して再び歩き出す。


 実際のところ、バラクードの(もたら)した話は、非常に魅力的だったのだ。

 実際のところ、バラクードの真摯な一言に確かな魅惑を感じたのだ。


 何よりも、父ベルナルドのような英雄として、"偉大なる騎士"として活躍する機会を与えられるというのはノイシュリーベにとって無二の誘惑なのである。

 勘定通りの損益で天秤に架けるなら、断るという選択肢は有り得ない筈なのだ。



 然れど、安易にその誘いに乗ってしまって良いものか、疑念が付き纏う。


 あの皇太子に、あの男に、絆されてしまって良いものかと不安が付き纏う。


 "偉大なる騎士"になれるという、甘き誘惑に惑わされた己を恥じる心がある。




 返答を告げる猶予を与えられていなければ、どうなっていたか分からない。


 選択を誤り、己だけが被害を被るのならば良い。だが守るべき領民達の命運にも深く影響を及ぼすからこそノイシュリーベの心は興奮と疑念と、己の浅ましさを痛感して激しく揺れ動く羽目となってしまったのである。




「……今は、無様に動揺している場合じゃないわ」


 己に言い聞かせるための叱咤の言葉を吐き出す。今は空襲への対応を優先するべきだ。罷り間違っても市街地まで魔物を降ろすわけにはいかないのだ。


 どうにか馬舎まで辿り着くと、白馬フロッティの傍に佇む人影を見咎めた。




「ノイシュ!」


 接近に気付いた人影が名前を呼んできた。狸人(ラクート)の旅芸人エバンスである。

 既に馬舎の木柵の外に愛馬が出されており、直ぐに宮殿を発てるよう彼が手回ししてくれていたようだ。



「状況は?」


 馬舎の入り口付近から軽やかに跳躍し、空中で一回転しながら愛馬の背に飛び乗ると、手綱を握りながらエバンスへと問い掛ける。



「北北東の方角からギィルフルバの群れが降りて来てる。数は掴みで六十!

 カリーナさんの『遠見』の魔法によると、接近まであと四半刻だってさ!」



「……ギィルフルバが六十羽か、そこそこの数ね」



「あとラキリエルはお城に帰しておいたよ!

 スターシャナさんが来てくれたから、滅多ことじゃ怪我する心配はないね」



「そう、だったらこちらは迎撃に専念することが出来そうね」



「(スターシャナさんは愛用の大剣をサダューインに貸しちゃってるから)

 (いつものようには戦えないだろうけど……まあ、あの人なら何とかするよね)」


 ギィルフルバとは、キーリメルベス大山脈の中腹以上の崖地や樹木に巣を作り、群れで行動する魔鳥の一種。両翼を拡げた大きさは、凡そ三メッテから四メッテほどで、魔鳥としては中型に分類されている。


 上述の通り、常に群れで行動しているためか大山脈颪を降ってグレミィル半島に渡って来た場合は、そのままの数を維持していることが多い。


 単体での脅威度はエルドグリフォンよりも幾らか見劣りする程度。

 しかし機動力……特に空中での旋回能力に非常に優れており、小回りが利くため撃ち落とすには工夫か経験が必要となる。




「でも少し安心したわ、それなら私がこのまま壁の上まで登っていって

 弓兵や支援部隊の子達と一緒に大魔法を撃てば早めに片付けられそうね」


 現在のノイシュリーベの井出立ちは、直前まで皇太子バラクードと面会していたこともあり城館内に務める際に着用する大領主としての正装のままである。

 一応、妖精結晶の細剣こそ腰に帯びてはいるが、これは護身用ないしは儀礼用を兼ねた装飾品に近しい代物であった。


 しかし大魔法による遠距離攻撃で魔鳥の迎撃を試みるだけならば、今の井出立ちでも事足りるだろう。むしろ城館に戻って甲冑を着込み、丁重に戦支度を整えようとしたら、その間に魔鳥が城塞都市に到達してしまうのだ。




「んー……普通に考えたらそうなんだけど。

 でも、おいら何か嫌な予感がするんだよねぇ……耳と尻尾がむずむずしてる」


 言いながら狸によく似た尻尾と、頭上の獣耳をぷるぷると動かしてみせた。

 その仕草を目にして、ノイシュリーベは神妙な面持ちとなる。


 この悪友(エバンス)は昔から危機感知能力がずば抜けて高いのだ。食事に毒を盛られていれば配膳された瞬間に気付くし、敵意を持った魔物が近くに迫れば千メッテ以上離れていても勘付いてくれる。

 理屈ではなく第六感によるものだが、一種の予知にも近しい精度を垣間見せた。


 ノイシュリーベ自身も、これまでの人生の中でエバンスの感性に救われた機会は一度や二度では済まされない。故に、彼の進言は最優先で汲み取るのだ。




「……そう、アンタがそう言うなら用心しておいたほうが良さそうね。

 わかったわ、一度 城館に戻って甲冑と斧槍を取りに行くから。

 アンタはそのことをバリエンダール女史に伝えてきて頂戴!」



「ういうい~、カリーナさんはたぶんハンマルグレンのおっちゃんと一緒に

 壁の上に向かってるころだろうし、ひとっ走り行ってくるよ!」



「ええ、お願いね」


 お互いに必要な用件は伝え終えたので、早速 己の居城へ向けて愛馬を発進させようとした……が、寸前のところでエバンスが待ったをかけてきた。



「ちょいちょい、待って待って!」


 今にも手綱を振るって駆け出そうとしたノイシュリーベの前に、狸人の大きな掌を突き出して静止させると、馬上の彼女を真剣な眼差しで見上げてきたのだ。



「……大丈夫?」



「何がよ? 急がなくちゃいけないんだから、退きなさい」


 その言葉は無視して一歩踏み出し、ノイシュリーベの双眸を覗き込むようにして見上げてきた。視線が重なり、眼交(まなか)いを経て、互いの意思が交差させる。

 付き合いの長い者同士だからこそ適う、視線による言葉無き対話。


 魔鳥の襲来へ対処するために毅然と振舞おうとする裏で、彼女の様子がほんの僅かに普段とは異なることに勘付いてみせたのだ。



「宮殿でどんな話をしてきたのかは、おいらから尋ねることはしないけど

 あんまり気負い過ぎないようにね? 君がどんな選択をしたとしても、

 どんな道を歩むとしても、後ろには必ず おいらが付いて支えていくからさ!」



「…………」



「じゃあ、頑張ってね! 侯爵様!」


 突き出した掌を引っ込めながら僅かに離れ、ノイシュリーベの進路を開けた。



 この悪友(エバンス)は決して、自分から深く踏み込み過ぎるような真似はしない。それは彼が臆病だからではなく、最適な距離感を見極めて、弁えているからなのだ。

 ノイシュリーベに対してどう接すれば真に彼女の益となるのか。彼女の理想を遂げる道へと繋げていけるのかを真摯に研鑽して尽くし続けてくれている。


 忠臣……とはまた異なる。相棒……というのも、しっくりとはこない。

 ノイシュリーベと彼だけの、独特の関係なのだ。


 仮にノイシュリーベがバラクードの提案を全て呑み、皇室に嫁ぐことになったとしても、この悪友(エバンス)はその先を見据えて支え続けてくれることだろう。二人が出会った時からそうだった。そしてこれからも、きっとそれは変わることはない――



 故に、ノイシュリーベはエバンスという存在と、彼が発する言葉に全幅の信頼と安堵を感じるのだ。

 先程までに生じていた動悸はすっかり納まり、心臓の鼓動は平素へと戻った。

 バラクードの誘惑を冷静に検分する思慮が蘇り、眼前の襲来者に対して的確な行動を採るための判断力が補強されていく。




「ふん、言われるまではないわよ!」


 鼻を鳴らしながら手綱を曳き、白馬フロッティを発進させた。

 その面貌は普段のノイシュリーベの彩りを完全に取り戻しており、むしろ非常時に在って尚も溌剌(はつらつ)とした輝きを見せ始めていたのであった。




「(ありがとう……)」


 丘陵の路を駆けて城館へと戻る最中、胸中にて密かに感謝の言葉を呟いていた。


・第22話の5節目をお読みくださり、ありがとうございました。

 6節目からは魔物を迎撃していく展開となるのですが、当初の予定を少しだけ変えてみようかと思っております。

 ヴィートボルグの防衛体制など、少しでも描いていければ幸いでございます。

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