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020話『オーバーチュア・ロスト』(4)


 時は 僅かに遡る――




 城館の勝手口より外へと飛び出したラキリエルは、昨日まで己が寝泊まりしていた家屋へと一直線に走っていった。黒馬リジルを借りるためである。


 第三演習場は城館から比較的近い場所にあるとはいえ、それでも五百メッテ以上は歩かなければならない。それも高低差の激しい丘陵の路をだ。

 古代魔法によって姿を変えた偽りの両脚では、どうやっても時間が掛かる。そこで一か八か、サダューインの愛馬を頼ることにしたのだ。



「……どちらへ向かわれるおつもりですか?」


 離れの家屋の馬舎の前で、スターシャナが立っていた。

 或いは、ラキリエルが訪れる可能性を事前に予測していたのかもしれない。



「いんや~、実はちょっとリジルを借りたくてね~」


 愛想の良い笑顔を浮かべながら、エバンスが朗らかに交渉しようとした。



「それはサダューイン様達の邪魔をするということですか?」



「今すぐに止めにいきたいのです! サダューイン様はお怪我がまだ……。

 それに……それに……!」



「彼はそれを承知した上で、ノイシュリーベ様からの決闘を承諾されました。

 ご姉弟の間に、無作法に割って入ることは許されません」


 冷徹な声色で突き刺すように言い放つ。昨日までの優し気な態度で接してくれていたスターシャナとの落差に、ラキリエルは戦慄した。



「どうかお引き取りください、ラキリエル様。

 ……貴方のような子供が、あの御方の本性を視る資格はありません。

 用意されたお部屋の中で御伽噺(ユメ)だけを見ていれば良いのです」



「……ッ!?」



「それは違うよ、スターシャナさん。

 彼女は先に自分の本性をサダューイン様にも明かしたんだ。

 だったら、視る資格だけはある。その結果がどうなるかは、さて置きね」



「……成程」


 エバンスが助け舟を出し、スターシャナは改めてラキリエルを一瞥した。



「怪我が心配……? 確かに駆け付けたいという理由としては充分ですわ。

 しかし、貴方が本当に気にしていらしゃるのは、別のことなのでしょう?」



「うぅ……」



「そんなに、あの御方を愛していらっしゃるのですか?」



「……はい!」



「貴方以外の複数の女性を平気で愛することができる御方だとしても?」



「えっ……?」



「本当は気付いていらっしゃるのでしょう? 一昨日の夜のことを。

 私も『妖精眼』の保持者です、扉の前に近寄る者が居れば分かるのですよ」


 その言葉を聞いて、ラキリエルは絶句した。目の前が真っ暗になった。

 耳鳴りが響き、動悸が激しくなり、何も考えられなくなってしまう……。



 カッ…!  ゴロゴロゴロ……    ド ォォオオン!!


 何処(いずこ)かで雷が落ちた。世界が白と黒に染まった。少女の心が戦慄(わなな)いた。



「あの御方は必要とあらば、誰とでも褥を共にできます。

 護るべき民のために、ご自身の肉体すら道具として扱っておられるのです。

 ……あの御方を芯から理解して愛するには相応の覚悟が必要ですよ?」


 一歩前へ、少し屈んでラキリエルの耳元で囁くように告げた。



「貴方がその覚悟を背負えるというのなら、どうぞリジルにお乗りください」


 再び一歩退がり、深々とお辞儀をしてから馬舎から離れていった。

 いよいよ本格的に降り出した雨に濡れながら、ラキリエルはその場に立ち尽くしたまま動けなくなってしまった。



「……どうするの? 練兵所に向かうのなら、責任持って案内するけど」



「い……行きます。

 わたくしを……サダューイン様の下まで、連れて行ってください……」


 震える声で、辛うじて絞り出した声で、自分の意思を吐き出した。

 馬舎の柵に鍵は掛けられておらず、あっさりと開くことができた。


 そうしてラキリエルは黒馬リジルの傍まで歩いて行くと嘗てサダューインがやっていたような乗り方を、見様見真似で実施する。

 幸か不幸か、鞍と手綱は取り付けられたままであったのだ。



「リジルさん、お願いします……どうか わたくしを乗せてください!」


 乗馬の仕方など分からない。手綱の操り方など知らない。

 けれど彼の傍へ駆け寄りたいという真摯な願いを汲み取ったのか、黒馬のほうから柵を越えて進み出してくれた。



「そっか、じゃあ……行こう! でも絶対に後悔はしちゃダメだよ!」


 エバンスもまた意を決し、黒馬に先行する形で駆け出した。

 斯くして二人と一頭は、二層目の白亜の壁を越えて第三練兵所へ向かうことになったのである。



「(サダューイン様……! サダューイン様……!!)」


 先刻のスターシャナの言葉が何度も何度も頭に残って離れない。

 耳鳴りも止まらない。だからこそ真実を検めなければならない。

 幼き少女は、既に綻び始めた御伽噺(ユメ)を必死に繋ぎ止めるために歩み出した。




「……ユメは、いつか褪める(終わる)からユメなのですよ」


 家屋の窓の傍に立って外の様子を伺っていたスターシャナは、黒馬に乗って白亜の壁の外へと向かったラキリエル達を見送りながら嘯いた。



「願わくば、真実を目の当たりとした上で慕い続けてほしいものですね」


 カーテンを閉めて窓辺より離れる。そして厨房に移って夕飯の支度をし始めた。闘いを終えて、きっと傷を増やして帰って来るであろう主君(サダューイン)を労うために――


 






 [ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 第三練兵所 儀式の果てに(レジーテアター) ]



「よく見ておきなさい、ラキリエル。

 これが……この姿が! "あいつ(サダューイン)"の本性なのよ!」


 決着した儀式(ゲネラル・プローベ)の場に現れた貴人と悪友の姿を見咎めたノイシュリーベは、誠実なれど残酷な真実を臆さず突き付けた。


 来てしまったからには仕方ない、見てしまったからには隠すわけにはいかない。ラキリエルがサダューインに対して好意を懐いているからこそ、再び偽りを纏わせる余地を与えてはならないのだ。



「…………」


 ラキリエルは顔面が蒼白になりながら悍ましき魔人と化した想い人を見詰めた。

彼女にとって今、正に世界が音を立てて剥落している最中なのである。


 ただでさえ、想い人が他の女性と関係を築いているという事実を目の当たりにして困惑した。だが、それすらも目的のための手段の一つでしかないという。


 魔人の背中より伸びる"樹腕"を見よ! これが真っ当な生き物の在り方なのか?

正に生命を冒涜する狂気の研鑽の果ての邪姿でしかないだろう。

 左腕の竜人の掌を見よ! 真っ当な精神を持つ者がこんな所業を成すだろうか?

 左腕を覆う濁った翡翠を見よ! この男は呪詛を抱えて平然と生きているのだ。それも、よりにもよってラキリエルの同胞達を奪った呪詛と同種の代物をだ。


 つまるところ、この美丈夫(サダューイン)は自分の肉体すら道具として扱えるのだ。

 ならば他者の肉体や心など、道具以下と考えているのではないか?


 そのような思考に陥ってしまうのは、至極当然の流れであった。

 美丈夫(サダューイン)の素晴らしい側面のみを見せられてきたからこそ、強い想いは反転する。

 光と感じたものが強ければ強いほど、堕ちた業火は全てを灼き尽くす。


 御伽噺(ユメ)(ページ)がびりびりに破かれて、燃やされて、灰と化した――




「…………エバンス、君が連れてきたのか」


 一拍遅れて練兵所に入ってきた狸人(ラクート)の友人に視線を移し、魔人は静かに呟いた。


 

「そうだよ。彼女は勇気を出して君に本当の姿を晒したんだ。

 だったら君もそうしないと、公平じゃないだろう?」



「ふっ……確かにな」


 諦めたような、自嘲気味に笑みを浮かべて納得した素振りを見せた。

 怯えきって拒絶を示したラキリエルの面貌を見せられては、非は全て己にあるのだと弁えるしかないだろう。


 然れど……嗚呼、予想以上に心が痛み出してしまった。"堅き極夜"の精神が啼いている。自業自得だとしても、無垢な貴人に拒絶されることは、相当に堪えた。



「……サダューイン! その左腕のことも洗い浚い白状しなさい。

 ここで、あんたが隠していることの全てを私達に明かしなさい!」


 尚も問い質そうとするノイシュリーベに向けて、魔人は疲れたような眼をしながら視線を移した。




 嗚呼……五月蠅いな。




 もはや鏡合わせの姉弟で、向き合うことすら億劫に感じてしまった。


 激闘の疲労、無垢な貴人からの拒絶。諸々が重なり、聡明である筈の彼の頭脳と精神は一過性の自棄へと陥り掛けたのだ。




「……聞いているのか、サダューイン!!」


 姉の怒声が耳朶に響く。




 もう、良いだろう? もう勘弁してくれ……。


 これ以上、下らない儀式(ゲネラル・プローベ)に付き合ってやる道理はないのだ。


 無垢な貴人に、美しき蒼光を放つ彼女に、これ以上の醜態を晒したくないのだ。




「…………」


 亡者のように歩き出して距離を取りつつ、徒手となった右掌と十一本の"樹腕"を甲冑騎士に向けて傾ける。そして竜人種の左掌を天高く掲げた。




「『――我は、定理(コグニ )敷く者なり(シオン)』」


 魔術(スペルアーツ)の詠唱。其は、術式効果を増幅させる初歩の初歩たる魔方陣の敷設式。

 魔術師(ウィザード)を志した者が最初期に学び、すぐに使わなくなるであろう無価値な過程。


 術式効果の増幅とはいえ、その倍率は精々が一割から二割が限度であり、そんな子供騙しを実践するくらいなら、より上位の魔術を唱えたほうが良いからだ。



「……なんの冗談かしら?」


 ノイシュリーベは訝しんだ。何の変哲もない増幅魔方陣を急に展開されたのだから当然である。サダューインの脆弱な魔術を増幅したところで、(たか)が知れている。

 とはいえ弟の実力を誰よりも知悉する彼女は、咄嗟に斧槍を構え直した。





「『――我は、定理(コグニ )敷く者なり(シオン)』!」


 更に詠唱。更に増幅魔方陣を展開。然れど、今度は"樹腕"の全ての指を駆使して行使し始めたのである。





「『――我は、定理(コグニ )敷く者なり(シオン)』!!」


 魔人の周囲が増幅魔方陣で埋め尽くされた。

 魔人の右掌と"樹腕"が前方へと突き出された。

 魔人の眼光が、明確な敵意と殺意を灯し始めた。



「……ダメだよ、サダューイン! アレをここで使う気なのか?!」


 ただ一人、彼がこれからやろうとしていることを理解したエバンスが叫んだ。



 魔人が展開した増幅魔方陣の総数は七十を超えていた。

 甲冑騎士が生み出した『白輝の剣(クレイヴソリッシュ)』に比べれば遥かに少ない数なれども、その真骨頂は純粋なる数だけではない。




 ギ ギ ギ……    ギギギ ギ ギィィ……


 突き出した右掌と"樹腕"の全ての掌を重ね合わせる。合掌させる。

 魔方陣を合従させる。魔術効果が合唱されていく……。


 七十を超える増幅魔方陣が、縦一列に重なり、数珠繋ぎに連結されていく。

 其はまるで攻城砲(カノーネ)の如き、長く図太い円筒形状の威容と化した。





「『――過剰積(オーヴァード・)層陣(レメゲトン)』! 点火(アンファング)!」


 さあ、垣間見よ。此れより放つは"堅き極夜"が編み出した傑戦奥義。

 限りなく幻象に近しい、世界を換える地獄(バルバロイ)の扉!





「くっ……『来たれ、尖風(ディア・ヴィンタル)』!」


 初めて明確な殺意と敵意を弟から傾けられて、その恐怖と防衛本能からか逸早く

身体を動かし、躊躇なく魔法の詠唱を口にした。豪風を噴出させていた。



「『――過剰(オーヴァード)吶喊槍(・グリーヴァ)』! 突撃(アングリフ)!!」


 三歩駆け出し、即座に敢行。二度目の披露となる甲冑騎士の傑戦奥義!

 一条の彗星と化して、常軌を逸した魔方陣を展開する魔人へと突っ込んだのだ。




「…………」


 魔人は、天高く掲げていた左掌……火の民から簒奪した竜人種の掌を前方へと突き出し、『過剰積(オーヴァード・)層陣(レメゲトン)』の砲門と一体化させた。


 そして……唱える。



「『凍針よ、穿て(ブラオ・シュテルン)』!!」


 もはや見飽きるほどに披露してきた低位の攻撃魔術。子供騙しな小さな氷の針。

 しかし彼の聡明な研鑽が……"魔導師"を志す愚かな執念が、常理を覆した!



  ……ォォォォ  ――― ォォオオオオオオオオオ!!!


 連結された魔方陣を潜る度に、小さな氷の針が二割増しに威勢を増した。

 ならば七十を超える数を潜ったならば? 其の乗算効果は計り知れないだろう。


 甲冑騎士の眼前に、全ての生命を否定する絶対零度の猛吹雪が吹き荒れる。



「(こ、これは……生前のお母様が唱えていた大魔術(グランドスペル)!?)」


 その見立ては正しかった、"魔導師"ダュアンジーヌが多様していた手管の一つ、『常世 全ての悪を封ず(フィンブルヴェトル・)る氷極世紀(グラナーシュ)』が疑似的に再現された猛吹雪なのだから。


 低位の魔術しか扱うことができないと悟った無才の男が、偽りの上に偽りを重ねて連結させた果てに辿り着いた"答え"を開示したのだ。




「………ぅぅああああ!!」


 両者の傑戦奥義が激突し、咆哮を挙げながら猛吹雪の渦中を突き進む甲冑騎士。

全出力で豪風を吐き出し続け、凍える世界を切り開き、やがて魔人の左掌へと刀身を突き穿たんと迫ったところで……噴射口(スラスターノズル)が凍て付いて、稼働を止めた。



「あぁ……ッ!!」


 推力を失ったことで甲冑騎士は急速に失速する。猛吹雪に抗えなくなる。

 一瞬で弾き飛ばされ、練兵所の地面に叩き付けられ、そこで意識を失った……。




「はぁ……はぁ……」


 魔人の側もまた限界以上の魔力を絞り出し尽くした反動によって、激しい眩暈に陥った。今にも嘔吐しそうなほどに気分が悪い。致命的な魔力枯渇の症状だ。

 顔色は既に土気色をしており、立っているのが不思議なほどに衰弱していた。


 ふと、ぼうっとした眼差しで無垢な貴人へと視線を傾ける。




「……ッ?! ひィッ!」


 悍ましき化け物の視線を浴びて、ラキリエルは再び恐怖に身を震わせた。

 今朝までの、美丈夫に夢見る少女の姿は、もはや何処(どこ)にもなかった――


 続いて魔人は狸人(ラクート)の友人に視線を傾けた。



「エバンス、悪いが姉上のことは頼んだ」



「うん、それは任せてよ。けど君のほうこそ……」



「俺のことは良い。一晩休んで頭を冷やしたら、明日から普段通りに働くさ」


 折れた魔具杖を拾い上げながら、ラキリエルのほうへと歩を進める。

 恐怖で(うずくま)ったままの彼女の傍を通り過ぎる間際に、最後に一言だけ呟いた。





「……すまない」



 それは彼女を利用しようとしていたことへの謝罪だったのか。

 己の本性が、汚泥に塗れた化け物の如き有様であったことへの謝罪だったのか。

 サダューインにしては珍しく、感情を前面的に押し出した本心の言葉であった。



 そうして練兵所には気絶したノイシュリーベと、(うずくま)ったラキリエルと、立ち去る友人の姿をただ見送ることしかできないエバンスの三名が残される。




 穴の開いた天井から見える空では、いつの間にか雨が上がっていた。



 恰も一つの戯曲が終わりを遂げたことを示唆するかの如く――


・第20話の4節目をお読みくださり、ありがとうございました。

 ノイシュリーベやサダューインを巡る御話はこれで一括りとし、次なる5節目では本作の黒幕達の顔見せをして第1章を締め括ろうと思っています。

 第2章で各人がどのような道を歩んでいくのか、こうご期待ください!

 ……とりあえずサダューインとラキリエルは、最終的に周囲がドン引きするレベルのバカップルに仕上げてみせます!


・そして第2章の投稿時期なのですが、【7月上旬】を予定しております。

 予想以上に第1章で筆が乗ってしまった箇所があり、その整合性を取るために先の展開を練り直させていただきたいのと、私生活のほうが少々忙しくなりそうなので余裕を持って取り組みたいという判断でございます。

・必ず完結に向けて書き続けさせていただきますので、どうかご了承ください!

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― 新着の感想 ―
とてもとても面白くなってきた 彩り豊かで丁寧に味付けされた高カロリーなファンタジーがずうっとお出しされてると感じていたが、味わい深い主菜はこの「哀れで稚拙で完成された未熟者たち」なのだろうか 正直…
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