あの子を守って
その夜、私は聖と二人の寝室にいた。弱い暖房をつけている。
布団の上、共に浴衣の上から丹前を羽織り、私は聖の身体にもたれかかっていた。この、至福の時がいつまでも続くのであれば。
「聖さん」
「はい」
「お願いがあります」
「何なりと」
穏やかに促す、優しい声。私の話を聴けば、それは一変すると思いながら、私は口を開いた。
「私は、楓さんが当主となったら、その後見を務めたいと思います。……最後まで、あの子を見届けます。ですから、貴方とふるさとで楽隠居をすることは出来なくなります。許してください」
聖の纏う空気が、峻険な山のようになる。
「――――なぜ、今になってそのような。楓さんには恭司君がいます。かささぎ君も。玲一さんも後見を引き続き、継いでくれるでしょう。あの家の三兄弟も、補佐してくれる。こと様が無理をなさる理由がありません」
「楓さんは、私の養女です。受け容れない声もあるでしょう。恭司さんもまた、外部からの人間です。冷たいようですが、彼だけでは支えきれない。……かささぎさんは、寧ろ不安要素になりかねませんし、彼の自由意志を尊重してやりたい。玲一さんも、年を取られると、後見の務めにも限界が来るでしょう。私は、楓さんを可能な限り、守ってやりたいのです。あの子をこの家に引き込んだ、責任もある」
「楓ちゃんは、こと様と出逢うことで幸福を知りました。――――僕は嫌だ。貴方が笑ってくださるなら、幸せでいてくださるなら何でもします。こと様のご命令であれば何でも従いますが、こと様ご自身を安寧から遠ざけるお言葉には従えない。そのようにしてまで、こと様が苦境を選ぶことで、僕がどんなに苦しむか、貴方は解っておられない……っ」
聖の、苦しむ声を聴きたい訳ではなかった。しかし、桂に指摘されたことで、私は改めて楓の歩む未来を案じた。血みどろの修羅道など、味わわせたくない。
「……許してください。私が死んだ後も、ふるさとに戻らず、楓さんを支えてください」
何と残酷な人間なのだろう、と我ながら思う。自分の死後も聖の人生まで縛り付けようとする。聖は、声にならない様子で、只、激しくかぶりを振った。白髪が乱れる。きつく抱き締められた。赤い瞳が濡れていまいかと心配する。聖は強いが、私に関する事柄には、揺れる時がある。唇を、荒々しく塞がれた。彼らしくない。私のせいだ。
浴衣をはだけられても、私は抵抗しなかった。どんな扱いを受けても良い。私は聖を手酷く傷つけた。それでも肌に触れる彼の指は優しくて、私を傷つけまいとする。優しくする価値のない、非情な女に。
私のほうが泣きたくなった。
麒麟は桂を連れ、音ノ瀬家の住人の夢を巡回していた。青虫と紫具羅は、別ルートにいる。ふ、と揺れた空気に前を見ると、玉虫色の着流しを着た聖が立っている。夢に干渉出来るとは、思っていなかった。
「聖さん、どうしたの?」
問い掛けると同時に、腹の底がひやりとする。温厚な聖の怒りを敏感に感じ取ったからだ。聖は、麒麟の問い掛けを無視した。らしくない行動に加え、赤い双眸は桂に注がれている。
「桂君。こと様に、何を言った?」
平淡な声だった。色の無さ過ぎる声だった。麒麟は、切羽詰まった事態だと察した。蛍光黄緑の式神は肩を竦める。
「大したことは何も。世間話と言うか、軽く、彼女の音ノ瀬家当主としての自覚を促しただけだよ、聖君」
「そうか。これからはもう、そういうことはやめてくれ」
「やめなかったら?」
「桂!」
麒麟の叱声を聞き流す。聖は見た目よりは年輪を重ねているが、それでも桂から見れば若い部類だ。敬意を払う必要も感じない。
「君を封じる」
氷のような声音に、桂は戦慄を覚えた。
麒麟が咄嗟に、桂を庇う位置に出る。聖が、麒麟の前で桂を宣言通りに封印することが出来るかどうか、判別出来ない。だが、彼がやると言うのであれば、それは必ず実現される気がした。
「……桂。事情はよく解らないけれど、聖さんの言うことに従え。ことちゃんにお前が毒舌を吐くのは俺も許せないし。この人に本気になられると、多分、俺でもお前を守ってやれない」
「――――――――申し訳ありませんでした」
飽くまで、麒麟に命じられた手前、という風を装い、詫びる。心中では聖の存在を脅威と感じていた。
目覚めると、なぜか浴衣から玉虫色の着物に着替えた聖の腕に、閉じ込められていた。抜け出そうにも抜け出せない。瞼は閉ざされ、今は紅玉が隠れている。私が起きた気配に気づいたのか、ゆるりと紅玉が現れる。
「こと様」
「……はい」
「お話の件ですが、少し時間をください」
「はい」
日の短い季節、朝日はとうに昇っていたが、聖は再び目を瞑り、紅玉は見えなくなった。




