裁縫箱
秋も深まる午後。客間で、玉虫色の着流し姿の聖が、裁縫箱を座卓に載せて縫い物をしていた。空は薄い紫めいて、風情を感じさせる色合いだ。
たまたま通りかかった由宇が、その光景に足を止めた。聖は白い布と赤い布を広げ、慣れた手つきで針を動かしている。縫い目は正確で、きつくも緩くもない。明らかに裁縫を得意とする者の手つきに、由宇は思わず感心した。聖は気にする風でもなく、端座して背筋はピンと伸ばし、運針の手を休めない。
「聖さん、縫い物がお得意なんですね」
邪魔になるかと思ったが、結局、声をかけた。聖は、由宇の顔を少し見上げて、頷くと、また布と糸に目を戻す。
「得意と言うか、習慣かな。簡単なものなら、大抵、縫えるよ。こと様の産着も、僕が縫ったんだ」
後半は、僅かに誇らしげな響きだ。
産着、と言う響きに、由宇は聖の年齢を思う。見た目では自分より一回り、上、くらいにしか見えないから忘れがちだが、彼はふるさとという特殊な地で、人よりも緩やかな時間を送った。五十代あたりだろうが、とてもそうは見えない。こととは、随分な年の差があるが、由宇の目には、聖もことも、互いをなくてはならない存在と想っているように見える。常識では測れない恋愛をする聖たちに、事情は違えど親近感が湧くのは確かだった。
携帯破損の件ですっかり勘違いしそうになるが、聖は機械以外はおおよそのことを完璧にこなす。多分、サバイバルゲームで最も生き残るタイプだ。大事な人を守り抜いて。病弱な由宇には眩しく映る。由宇の携帯の待ち受けには、密かに奈苗の画像があり、他、保存していた妹の画像も全て台無しにされてしまい、そこだけは由宇の、聖を恨めしく思うところではあったが、他はこの浮世離れした男性を尊敬していた。ミシンは使わないのですか、とは訊かない。何となく憚られた。
「何を縫ってらっしゃるんですか?」
「呪符だよ。こと様と楓ちゃんにと思って」
言って、聖は糸を白い歯で嚙み切った。糸切狭を使わないのは、やはり聖らしい気がする。しかし、聖お手製の呪符は、陰陽道を修めた由宇に見覚えのないものだった。
「……どこの流派の呪符でしょうか」
そこで、聖はふ、と手を止めて由宇に真っ直ぐ赤い目の焦点を合わせた。笑って、座りなよ、と促す。由宇は、聖の向かいの座卓に着いた。
「多分、君は知らないよ。副つ家に代々、伝わるものだから、一般に流布しているどの呪術にも属していない」
そんなものもあるのか、と由宇は物珍しく、聖が差し出した白い呪符を手にした。確かに、神聖な力が感じ取れる。しかし、なぜ、今。
そんな由宇の疑問に答えるように、聖が言った。
「今、僕らは呪術バトルに巻き込まれているだろう。呪符は、本来、コトノハ遣いが用いる物ではないけれど、状況的にあって損はない。使える武器は、多いほうが良い」
聖は〝僕ら〟と言ったが、正しく巻き込まれているのは音ノ瀬家のほうだ。九倉は、巻き込んでいる当事者の一部と言える。
「……すみません」
「どうして謝るんだい」
「巻き込んでしまいました。……奈苗とのことでも、お世話になっている」
聖が白い歯を垣間見せる。赤い双眸が細くなった。
「こと様が望まれることなら、僕には何の異論もない。由宇君と奈苗さんの件では、僕自身も力になりたいと思っているし、ふるさとに来るのであれば歓迎もするよ」
大きい人間だな、と思う。何よりことを愛していると、発言と声色から、コトノハ遣いでなくとも判る。
「……辛い恋だと言われました」
「うん」
「聖さんは、辛くはなかったのですか」
「辛かったよ」
そこで少し間が空いた。
「だから、寿命の長い僕にとっても決して短くはなかった年月を経て、こと様が僕を選んでくださっていると知った時、この上なく幸福な気分になった。僕は今でも幸せなんだ。一緒にこと様といられるから」
「奈苗は貴方を好いていました」
「見せかけだけね」
再び、聖は呪符制作を再開した。それは由宇の存在を邪魔にしているからではなく、作業しながら会話する積りだからであるようだ。
「――――由宇君。迷っているのかい」
「……奈苗を愛しいと思う一方で、あの子には人並みに幸せになって欲しいと思います」
「奈苗さんが聴いたら、泣くね」
聖は、赤い糸を手に取った。針孔に通す。
「僕が奈苗を泣かせるのですか」
「そうだよ」
穏やかな声だが、内容には容赦なかった。
「こういうことに関して言えば、女の人のほうが、決断が早い。揺らがずに貫き通す。奈苗さんは、君にも劣らず立派な呪術師だ。一人前扱いして、彼女の意思を尊重してあげなよ。由宇君は、奈苗さんにとって、誰よりも強いヒーローだ。もちろん、僕よりもね。だから君が揺れると、彼女も心細くなる。そんな思いをさせるのは、君だって嫌だろう?」
「…………」
睫毛を伏せた由宇を眺めて、聖は裁縫箱を、由宇の近くに押し遣った。由宇が問う視線を向ける。
「教えてあげる。副つ家の呪符の作り方。これは秘伝だから、特別だよ?」
「良いんですか」
陰陽道、呪術の業界では手の内は秘すのが常識だ。だが、聖はあっさり頷いた。
「君と奈苗さんの守りにすると良い。どうせ僕も、こと様と楓ちゃんの分を作り終わったら、この家の全員分、作り始める積りだったから手伝ってくれると助かる」
由宇も頷いた。
見た目に反して、意思が強く胆力のある由宇だが、奈苗を想うと思い悩む時もある。聖は、そんな由宇を見抜いて、さりげなく背中を押してくれた。
「有り難うございます。……いつか、ことさんと聖さんのお役に立てるよう、励みます」
「有り難う、期待してるよ」
そして客間は再び静かになり、男二人が黙々と手を動かす光景となった。
イケメン二人の手芸教室をお送りしました。
糸切狭を使え、副つ家。




