お姉さんが言った
佐保子は和装が多いが、気分で洋装にもなる。今日は洋装の気分だった。深くスリットの入ったロングスカートの上は、ゆったりした麻の朱色のブラウス。髪の毛を掻き上げると、いつも清楚な風貌の佐保子とは異なる妖艶さと、微かな獰猛さが漂った。
「ねえ、椎名君。解っているかしら。貴方、私に少し手間をかけさせているのよ? 傍観しても良いのだけれど、おばあ様がそれでは済まさないでしょうし」
椎名たちの囚われた夢の牢獄に語り掛ける。内部から、苦笑の雰囲気が返る。
「怒ったほうが色っぽいね、佐保子さん。もうちょっと勘弁してよ。俺も無為無策でここにいる訳じゃないからさ」
本来であればこの牢獄に接触すること自体、麒麟たちに気づかれる恐れのある行為である。しかし佐保子はそれをも辞さずと大胆にも夢の空間を渡った。椎名がこう言うからには、それなりの事情があるのだろうと考える。佐保子は、椎名の気性はともかく、実力は高く評価していた。その彼の意思を尊重するなら、最早、長居は無用。麒麟たちが駆けつける前に退散するのが賢い。佐保子は愚挙と言うものが何より嫌いだった。即行、立ち去ろうとした時、術力のうねる音がして、反射的に跳び退った。
細身、緩やかな水色のデニム。白いカットソー。長く艶のある黒髪は風もないのに靡いている。
「……九倉君」
「こんばんは。高原さん」
呪力で練り上げ、具現化した鞭を手にした由宇が、薄く微笑んだ。儚い美貌が、なぜか佐保子の背にゾッとするような戦慄を感じさせる。
「驚いた。貴方はそんなに好戦的じゃないと思ってた」
「僕にも守りたい人がいますので」
「奈苗さんかしら?」
「どうでしょう」
この会話の最中にも、由宇の鞭は縦横無尽に動き、佐保子を攻撃した。佐保子は優雅に会話するように見せかけながら、この若い術者の実力に内心、舌を巻いていた。今日は比較的、動きやすい恰好だ。加えて佐保子も体術の心得がある。だと言うのに、それらの事実を以てして尚、一瞬でも油断すれば由宇の鞭に絡め取られる恐れを感じた。
専守防衛では流れを持って行かれる。
「御霊断ち切れ三結び」
咒言を乗せてふっと息を吹く。それは、そのあえかな唇から出たとは思えない程の暴風となって由宇に向かった。荒ぶる呪力の脅威である。由宇はつい、と目を眇めると、鞭をびいん、と左右に張る。呪力の押し合いとなった。更に由宇が駄目出しする。
「返し奉る」
佐保子が目を瞠る。術返し。これは、本来、椎名たちが使う技の筈だ。暴風が佐保子に返り、佐保子は危うく倒れかけた。ギリギリで体勢を立て直す。
「――――椎名君たちの術も使えるの?」
「何となく。こんな感じかと思って」
大したことでもないように言う由宇に、佐保子は危うく笑い出しそうになった。見た目は実に美麗な青年の、何だ、この化け物振りは。
「面白いわ、九倉君。当代の術師の天才は麒麟君かと思っていたけれど、もしかすると貴方のほうが上かもしれない」
「僕は凡才ですよ。麒麟さんのような、本物の天才には敵わない」
「謙遜ね」
「事実です」
佐保子がにっこり笑った。花が咲くような笑顔である。
「それは困ったわね。怠けない兎は、早く潰しておかなくちゃ」
「誰の為に」
「高原の家の為よ。短命無福の難を遁す。鬼神招来」
佐保子は一見してたおやかな女性だ。その彼女の後ろに、火焔を全身に纏わせた青い鬼が顕現した。金の眼は、今にも由宇を睨み殺さんばかりである。鬼神の召喚にはリスクが伴う。下手をすれば術者自身が身を損ないかねない。ゆえに、佐保子はまず火災の守り神としての信仰の篤い三尺坊大権現への請願を行い、自衛を先にしたのである。計算高さは、佐保子の術者としての年輪の厚さを物語る。
由宇の鞭が鬼神に通じるかどうかは微妙なところである。しかし、由宇の花のかんばせに焦りはなく、寧ろ優雅な笑みさえ湛えていた。
「悪鬼毒蛇の難を遁す」
すると、今にも由宇に襲い掛からんばかりだった鬼神が、身じろぎもしない。なぜならば、由宇は由宇でまた、祟りをなす鬼や怨霊、毒蛇の害を受けないと言う三尺坊大権現への請願を行ったからである。同格の請願と請願がぶつかり、相殺された。
「おいおいおい。始まってるじゃないか。どうなってる、麒麟。どうして俺たちが介入出来ない」
「んー。由宇君が結界張ってる。奈苗ちゃんを巻き込まない為じゃない?」
「勝手なことを。お前でもその結界、どうにか出来ないのか」
「いやー。無理だね。綺麗なもんよ。由宇君の張った結界の精緻なこと。これはお手本並みだね」
「おい、天才の名が泣くぞ」
「この場合は由宇君を褒めてあげようよ。ま、どっちにしろ」
そう言って、麒麟は夢の空間で兄と問答しながら戦いの趨勢を観察し、結論づけた。
「もうすぐ終わるから」
「よくお勉強もしてる。貴方には驚かされてばかりよ、九倉君」
「高原さん、退いていただけませんか。このままではいずれか、死人が出るでしょう。僕はまだ死にたくない。貴方を殺したくもない」
「私をここで殺して、敵戦力を削いでおこうという考えは」
「ありません。人殺しは嫌いです」
「奈苗さんの為以外なら?」
「……否定はしません」
「甘いことを言う。でも、その甘さが許されるだけの力を貴方は持っているわね。良いわ。退きましょう。どうせ椎名君は、自分でどうにかするんでしょうし。最後に九倉君。お姉さんからの忠告」
「聴きます」
「……それは辛い恋よ」
由宇は笑った。雨上がりに出る虹のような、清々しい笑顔だった。
由宇の結界が消えた。それを感知した昴と麒麟は、戦闘の結果を察して、まず安堵した。現れる、細身の青年は、殊勝な顔をしていた。
「すみません。勝手をいたしました」
「解っているなら良いが……。お前の妹が泣いてるぞ」
「えっ!!」
佐保子との戦闘では顔色一つ変えなかった由宇が、明らかに動揺して現世の奈苗の部屋に駆けて行った。
「奈苗、僕だ。開けるよ!」
室内の中央には人形を手に、ぽつんと座り涙ぐむ奈苗。
「兄さん……。良かった。無事だったのね」
「僕は何ともない。泣かないで、奈苗」
「佐保子さんの血脈が入り組んでいて……人形が使えなかったの。ごめんなさい」
「良いんだ。結果として、退いてくれたから」
由宇は奈苗を抱き締めて、口早に言った。妹の心痛まで慮っていなかった。自分のミスだ。佐保子には評価されたが、まだまだ一人の男として未熟と言わざるを得ない。辛い恋だと言われた。そんなこと、生まれた時から知っている。それでも由宇は、その恋を手放す気は一切なかった。
麒麟「えーと。ついに801話?」
昴「俺は帰る。忙しい」
麒麟「待てよ昴、九藤代理だから、一応!」
昴「ますます帰る。大体、何で、この回で俺たちなんだ。九倉兄妹か高原佐保子だろうが、順当に考えれば」
麒麟「九藤が『美味しいから』って」
昴「あいつ、体調不良がついに頭に来たのか」
麒麟「それは昔からじゃん。何でもこの先、俺が活躍するオカルト回があるらしいよ」
昴「良かったな」
麒麟「で、そこで、……『昴が麒麟に薔薇の花束を渡す』……」
昴「うおえええええええええええ」
麒麟「きったね!リアルに吐くなよ。繊細な俺が傷つく!」
昴「繊細の意味を辞書で引き直せ。何だそれは。気持ち悪い」
麒麟「同感だけど、もう書き終えてるって」
昴「シュレッダーにかけろ」
麒麟「いや、Wordだから。なあ、お前さあ」
昴「うるさい、帰る」
麒麟「音ノ瀬隼太に似てない? 九藤もそう思ってるらしいよ」
昴「俺は人間だが」
麒麟「あいつも人間なんじゃないの。多分。メイビー」
昴「不本意だ。帰る。何だ、このぐだぐだ」
麒麟「おい、待てよー」




