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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
神代ひもろぎ編 第三章
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さよなら

 今、何が起きているのか。その日の内に何が起きているのか。正確なところを知る人は、一体どのくらいいるだろう。だから私は、振り返ってそれを思う時、不可抗力であったとも、何とか出来ていたかもしれない、とも思うのだ。


 隼太はここ数日、思慮していた。彼は熟考することの多い男で、傍から見たら突発的な行動も、熟考の末のものであることは多い。隼太にとって、家族とは無意味に散らばった欠片だった。気づけば狂った大海と過ごし、「父親」と言う自覚も薄いままに年月を経た。隼太はifが嫌いだが、もしも磨理が生きていたらと思ったことはなくはない。そう、なくはない。優しい母親だった。そして、その程度の認識だった。隼太の精神は祖父・隼人によって既に一度、解体された。だから、今いる隼太は、正確には昔の隼太とは異なる。もう、帰ることも出来ない。父と母に安寧に守られ、愛され健やかだった日々には。

 そして今、磨理は〝いる〟。大海は幸せそうだ。そうだろう。だが、自分は? 磨理の腕に守られていた頃は余りに遠い。時が、経ち過ぎたのだ。今更、親子三人で幸せに暮らすことなど出来ない。上賀茂では、咄嗟のことにそこまで頭が回らなかった。大海の懇願と、久し振りに見る母親に、僅かに動揺したことは否めない。お誂え向きに、九倉兄妹が音ノ瀬本家を霊場に仕立て上げてしまった。そこは磨理にとって、安定して存在することの出来る安住の地へと変わる。

「なぜだ」

 自室で、隼太は問いを落とす。なぜ、今になって? もう、喪われた状態に慣れ過ぎた。少なくとも自分は。大海は、違うだろう。素直に現状を歓迎している。磨理を〝生きた〟ものとして扱っている。磨理がいても、病んだ精神まで快復する訳ではないのだ。ぼんやりと開いた障子の向こう、硝子窓の外を眺める。家の屋根の連なりが見える。日常の、平和な光景。本来であれば隼太が忌み嫌うもの。戦禍に、独り。それこそが本望ではなかったか。父親も母親も要らない。自分独りだけで良い。磨理を哀れとも思う。今の在り様は、とても(いびつ)だ。隼太は立ち上がり、紫陽花色のコートの裾を翻して部屋を出た。向かったのは大海の部屋だ。恐らく磨理がいる。大海が邪魔だが、まあ良いだろう。

「大海。入るぞ」

 襖を開けると、大海が蹲って壁にもたれ、うたた寝をしていた。それを見守る磨理の姿もある。

「……寝てるのか」

『丁度今。さっきまで、お話していたの。隼太。悪いけれど、タオルケットか何か掛けてあげてくれる?』

「…………」

 母の頼みに、隼太は押し入れを開けて目当てのタオルケットを取り出すと、眠る大海に掛けてやった。

『有り難う』

「――――母さん」

『なあに?』

 隼太は何も言葉にしなかった。只、視線のみに思いを乗せて磨理を見つめた。そうして数秒が経った。磨理は視線を逸らさなかった。微笑んだまま、息子を見ていた。それから、言った。


『良いのよ、隼太。思う通りにしなさい』


 隼太は、母に赦された、と思った。


「済まない。手向ける花もないが」

『そんなこと、問題ではないわ』

 磨理の笑みが深くなる。

「オン・カカカ・ソ・タダ・ソワカ」

 胎蔵界曼荼羅観音院の地蔵の真言を唱える。磨理の姿が、朧に、薄くなっていく。金粉があたりの空気に満ち、磨理は一層、神々しくなり、そして、消えた。

『大海をよろしくね』


 それが最期の言葉だった。隼太は、母親の姿が消えるまで、瞬きもせず見守っていた。その時、大海が身じろぎした。

「う……ん。あれ? 隼太?」

「起きたか。遅かったな」

「遅かった? 磨理? 磨理? どこだ」

「母さんは逝った」

「どこへ」

「楽土だ」

 大海の表情が、じわじわと何かを理解したように変貌する。彼は隼太の襟首を掴んだ。

「磨理に何をした、隼太」

「あるべき所へ送っただけだ」

「な……に、を」

 ぎっ、と隼太が強い眼光で大海を睨みつける。

「母さんは、歪な存在になっていた。あのままでは遠からず、敵にまた利用される。お前も正気から一層、遠ざかる」

「嘘だ。嘘だ。磨理。磨理!」

 へたり、と大海が座り込んで、ポタ、ポタ、と涙を落とした。嘘だ、と彼は繰り返す。大声で、泣き始めた。



お気に召しましたら『美食牢』にもお寄りください。飯テロ、あります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大海が気の毒とは思うけれど、やはり今の歪は永く続くものではないし。磨理にとっても恐らく良いことではない。 何を失っても生者は生きていかねばならないし。死者を未練のために引きとめるべきではな…
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