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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
神代ひもろぎ編 第三章
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足跡

 茜翁が右掌で、返って来た呪詛を受け留めるところを、椎名は紫の髪を弄りながら見ていた。この長老の化け物めいた点が、このように呪詛返しをものともせず遣り過ごすことである。

「気づかれちゃったね」

 夾竹桃の花を見ながら、茜翁が立つ背後から声を掛ける。陽射しは初秋のそれに近いが、強さは夏と大差ない。白光に縁どられた老人の輪郭は、どこか神がかって見えた。

「元より大して当てにはしておらん」

「どうするの?」

「さてな……」

 足元の龍の髭を踏みしめて茜翁は屋内に向かって歩く。椎名もその後を追う。茜翁が外に出ていたのは、呪詛返しの気配を感じ、万一、家屋にまで被害が及ばないようにする為であった。冷房の効いた涼しい室内に一刻も早く入るべく、椎名は茜翁を追う足取りを速めた。


 悪夢の残滓はしばらくあったが、私は緩やかな快復傾向にあった。聖が常より過保護になり、皆の冷やかすような視線を受けたのは恥ずかしかった。久し振りにいつもの喫茶店に行きたいと言うと、聖が一考の後、劉鳴殿と自分同伴で、と希望したのでそうすることにした。薫のこくのある味わいも久し振りだ。私は薄紅に青から朱に変じる紅葉の柄の着物を着て、いそいそと支度をした。由宇たちによれば、呪詛は相手に返ったが、ダメージを受けた感触がないとのこと。何とも面倒な人間を敵に回したものである。喫茶店の硝子戸を開けるとベルの涼し気な音がした。マスターが私を見て、親しそうに微笑んでくれる。

 テーブル席に思いもかけない先客がいた。酔芙蓉の面影。水色の単衣。

 白夕だ。彼も私たちに気づいて笑みを作る。ピン、と張った空気。だが白夕は気さくに話しかけてきた。

「コーヒーを飲みに来ただけですよ。お座りください」

 劉鳴殿が、カウンターに座ったので、私を挟むように聖も座る。抜刀しやすい位置に陣取ったのだ。白夕はそれと悟って微苦笑した。

「大変なようですね」

 至って呑気な口調で彼に言われると、些事で右往左往しているような錯覚に陥る。実際は大変そのものであり、この街に住む以上、白夕も結界に囚われていることになる。尤も長老たちの張った結界は人を選ぶので、白夕には痛くも痒くもないことだろうが。私たちは、それぞれ運ばれて来たコーヒーに口をつける。白夕はどこまで情報を掴んでいるのだろう。花のような唇が綻ぶ。

「茜翁と言うそうですよ」

「? 何がですか」

「貴方たちの敵対している相手の、長老の内で唯一の現身の男です」

 さらりと言われて、一瞬、頭が情報に追いつけなかった。麒麟たちにも知れないそんな重要事項を、なぜ白夕が知っているのか。警戒する私たちを鷹揚に構えて眺めながら、白夕は肩に掛かっていた髪を後ろに払った。

「情報は力です。私にもそれなりのつてがあります。自分たちが情報戦の最前線にあると考えていましたか? 貴方たちに関わることであれば、私は知ることに寸暇を惜しみません」

「まだ僕たちと仕合を望んでいますか」

 白夕は劉鳴殿を見る。

「もう、それについては余り拘らないことにしました。さだめにもそのように言ってあります。尤も、そう言われたからと言って、はいそうですかとは行かないでしょうから、警戒していただいても構いませんよ。無用な力の浪費ですけどね」

 優雅にコーヒーを啜る白夕の姿に、彼の言葉の真実味を思う。私も薫をもう一口、飲んだ。唇を湿す。

「天響奥の韻流と争わずにいてくださる、と……」

 そろりと切り出す。白夕は頷いた。また、髪の毛が揺れて前に垂れた。透明度の高い視線が私に注がれる。

「遠からず、私も去る側の人間となるでしょう。そう思い、さだめを見ていると、無益な戦いに身を投じるのも虚しくなりました」

 白夕は、見た目こそ若いが、実年齢はもう老齢に入りつつある。だからこその心境の変化だろうか。劉鳴殿を見遣ると、何か仄温かい光が紅玉に灯っている。二人の間に通じ合う空気は、先を行く人のもので、犯し難い重みが垣間見えた。



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