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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第五章
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ヘレポロス

 雪の結晶を円やかにデザインした真鍮のコースターに、私は吟味した玉露を淹れて置いた。

 上座に楓の母を名乗る美津子。

 下座に私が座り、そのどちらからも等間隔の卓の横に楓が座っている。

 皆、正座だ。

 聖は縁側に端坐している。赤い瞳を、私にやや気遣わしげに向けて。

 美津子は(私はこの名を聴いた時、美しい名だと思った)客間や聖の座る横の香炉、家の内装などをあけすけな視線で眺めた。

 いつもは私を落ち着かせる月桃香が、今は胸をざわめかせる。

 美津子は単刀直入に切り出した。


「あたしの娘を返して欲しいんです」


「…………貴方は、育児放棄されたのではないのですか」

 

 指摘すると美津子はかっとしたように怒鳴った。

「人聞き悪いわねっ、やってられなかったのよ! この子、訳解らないことばっかりするし、旦那はろくに稼ぎもしない。仕方ないでしょう!? 余裕のあるおうちのお嬢様には解らない苦労が、世の中には山とあるんだからっ」

 楓の顔は無表情だ。

 どんな表情も出来ないのだ。

 私の心臓が激しく痛んだ。

「……名前を、呼んであげてください」

「――――は?」

「お話は解りました。けれどまず、彼女の名前を呼んであげてくれませんか。……母の声で名を呼ばれるというのは、子にとって至上の幸福の一つです。それに貴方は、娘さんに素晴らしいお名前をつけられました。どうぞ、呼んでやってください」

 化粧で整えられた美津子の眉が、険しく、また、心許なく歪んだ。

「何なのよ、あんた。名前が何だってのよ。良いわよ。楓、帰るわよ! お母さんと来なさいっ」

「……あの。御主人は」

「今頃、違う女とよろしくやってるわよ」


 憎々しげに吐き捨てる。

 つまり、楓に対する愛情が見受けられないのにここまで必死になるのは、一人親家庭の児童の為に地方自治体から支給される、児童扶養手当が目的だろうか。

 おかあさん、の五文字のコトノハに、美津子の優越が滲んでいた。

 楓がぎゅっ、と身体を縮こまらせて縋るように私を見る。


「〝ご挨拶〟に来てみたら。面白そうな展開になってるじゃないか」


 愉悦を含んだ声が風のように駆け抜けた。

 誰もが意表を突かれた。

 隼太が、楓の身体を後ろから捕え、細い首に手を掛けたのだ。


「楓さん!」

 千秋の監視の目を掻い潜り、逃亡したのか。

 コトノハを処方しようとした私の機先を制するように、隼太が楓の首を大きな手でむんずと掴み、前に出して強調して見せた。

「お前や鬼兎がコトノハを処方する前に、俺がこの娘の首を折るぞ」

「…………」

「処方解除のコトノハを出せ、音ノ瀬こと」

「……」

「動くなよ、鬼兎」

 縁側から隼太の隙を窺う聖に、隼太が釘を刺す。

 迷う暇は無い。


「……わがこころにかなわぬもの……」


 沙羅双樹の花の色と同様、これもまた平家物語の引用だ。

 絶大な権力者である白河院が、それでも思うようにならないものがあると嘆く箇所だ。

 私はそれを、コトノハ処方力剥奪解除の〝鍵〟にした。


 コトノハは、我が心に適わぬもの――――――――。


 ざわ、と隼太を強力なコトノハの波が取り巻いたのを知覚する。

 本人も至極満悦の様子だ。しかしまだ楓を解放しない。


「お前らには世話になった。その礼に、このほそっ首を貰って行こうか」

「やめてください!!」

(ばく)

(かい)


 聖のコトノハを隼太が退ける。楓がいるので攻撃的なコトノハは使えない。


「さあ。今の抵抗で俺の機嫌は損じられたぞ? どう贖う? ん?」


「な、何なのよあんた! 狂ってんじゃないのっ?」


 私は錯乱して声を上げた美津子を庇うべく、彼女の前に回り込んだ。滑り込んだ、が正しいかもしれない。


「はっはっはっは。今まで放り出していた娘を手前勝手に返せと抜かす女が、埒外に俺を狂人扱いか。成る程。『人間の真の幸福とは心の持ち方、心的態度如何による』と言ったのはストア派(ギリシア哲学の一派)だったが、その信徒がいると見える。ではどうだ? 娘の為に、俺に癲狂(ヘレ)治癒()妙薬(ロス)(狂気を癒す力があるとされた薬草)でも煎じて飲ませてみるか?」


 隼太は完全に美津子や私をなぶる口調だった。

 今や場の主導権は彼のものだ。

 紫陽花色にすっぽり楓の身を包み、揶揄に口元を歪ませ君臨している。

 そんな風情にすら、始末の悪い色香がある。

「そうだな。この子供を切り刻んでいくのも一興――――」

「待ってください、隼太さん」

「何だ、音ノ瀬当主。こいつの為に、俺に土下座でもするか? なら考えてやらんことも」


 ない、と隼太が言う前に、私は彼の前に平伏――――――土下座した。


「こと様っ」


 聖の叫びを無視し、隼太に乞う。


「隼太さん。どうか私に楓さんをください……」


 娘を嫁にくれと懇願する男よりも尚、頭を下げて畳に擦りつけた。


 客間は静寂に包まれた。

 私は隼太が「諾」と言うまで頭を上げる積りは無かった。

 やがて風が動く気配を感じると、楓が私に抱きついていた。

 隼太が解放したのだ。


 私は楓をきつく抱き締め、ようやく身を起こす。

 恬淡とした無表情で隼太が私を見ている。


癲狂(ヘレ)治癒()妙薬(ロス)を飲んでも、お前の愚かしさは治らんだろうな」


 そのまま去ろうとする隼太を聖がさせじと動くが、私は聖を制した。

 私の思い違いでなければ隼太は――――――――。

 美津子は放心して、その後、急に大人しくなり帰った。

 結局、彼女は、楓と一度呼んだきりだった。厳しい声で……。


 コトノハを取り戻す算段が主であっただろうが、恐らく隼太は、美津子に戦意喪失、心神喪失させる為に一芝居打ったのではないだろうか。

 そこには私を試す思惑もあったろう。


 紫陽花色のコートを繕った礼であれば、まさに情けは人の為ならず、だ。

 私は紫陽花を慈しんだお蔭で、楓という宝を手放さずに済んだのだ。







挿絵(By みてみん)







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― 新着の感想 ―
[良い点] 倒れてもやはり泣き寝入りなんて当然ありえなかった隼太。でも、それでこそ私が惚れ込んだ悪です。 しかし、やはりというかついでに楓を助けるためでもあった若干のツンデレも良き。
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