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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
神代ひもろぎ編 第三章
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蛇と雪

 盆は無事に過ぎた。その間、椎名たちからの干渉は一切なかった。

 一族の人間たちは、或いは不安に揺らぐ目で、或いは信頼、尊敬の目で、私や聖を見ていた。

 客間の座卓に、ぽつんと茄子で出来た牛が載っている。

 はぐれたのだろうか。

 日本を掠めた台風は、進路を太平洋側へと変えて去って行った。また蝉の大合唱が再来する。大海の行方は杳として知れない。由宇の占いによると無事ではあるらしい。独りで心細くはないだろうか。食事はちゃんとしているのだろうか。懸念事項は尽きないが、救出する目途がつかない以上、こちら側に打つ手はない。青が戻った空は底抜けの明るさで暑さを降らす。私は縁側に座り、団扇を緩く動かしながら冷房の恩恵に浴していた。あの悲しい男性が、より悲しい思いをしないで済むように祈る。


 大海は磨理の手を握っていた。

 と言っても、磨理は霊体であるから、肉の感触はない。透けて冷たい空気が肌に触れるだけ。磨理が、ここを出るようにと頻りに促す。貴方を待っている人たちがいるでしょう、と。きっと心配しているわ、と。

「磨理は、僕と逢えなくなっても良いの?」

 磨理が悲しそうに首を振る。しかし彼女は既に諦めている。所詮、自分は死人。大海とは住む世界が異なる。そんな磨理を見て、大海は俯く。

「ここから出たら、君と逢えなくなる。例え虜囚のままだとしても、僕は君といたいよ。磨理。僕は、もうずっと、ずっと長い間、君に逢いたかったんだ」

 磨理が顔を上げて何かを答えようとする。だが、何かに気づいた様子で、不意に彼女は姿を消した。

 白い部屋に、椎名が姿を現した。長い銀髪の、若い男性が一緒だ。

「気分はどうだい、大海」

 大海は答えない。磨理との時間を邪魔されたと思い、忌々しかった。

「だんまりか。こっちは紗雪。そろそろ、あんたの呪術をもっと開発しておこうと思ってね」

「そんなことをして良いのかい。僕は、新たに得た力で君たちに牙を剝くかもしれないよ」

 椎名が薄く笑う。

「そうはならないと思うけどね。それならそれで良いさ。君の指導は紗雪に任せようと思ってるんだ。陰キャ同士で気が合うだろう」

「――――椎名」

「おっと。ごめんよ、紗雪。口が滑った」

 白い部屋から、大海は連れ出された。どこをどう通ったか判らない。我に帰れば円筒状の部屋にいた。椎名の姿は消え、紗雪だけが静かに佇む。

「僕は部屋に帰りたい」

「訓練が終わるまでは無理だ」

「横暴だ」

 紗雪が大海を凝視する。瞳は漆黒で、思うところが解らない。

「立場を弁えろ。お前は囚われの身だ。雪やこんこ」

 白い室内に白い粉雪が舞い降りる。

「白の舞踊は死の舞踊。抗わないと命はないぞ」

 大海は考えた。誰も彼もが邪魔をする。自分は、只、磨理と一緒にいたいだけなのに。粉雪は降り続ける。とても寒い。急激に室温が下がり、大海は歯の根が合わなくなる。どうして。最初は父だった。磨理との結婚を反対した。口説き落とすのにどれだけ苦労したことか。ある日、それまで磨理と結婚するなら出て行けとまで言っていた父が、急に態度を変えた。磨理との結婚を許した。今にして思えば、磨理の実家のことを知ったからだろう。ようやく、大海は磨理との生活を手に入れた。可愛い子供にも恵まれた。父はもう、何も言わなかった。悲劇は、突然だった。磨理が病に倒れ、悪化の一途を辿る。コトノハも呪術も功を奏さない。磨理は死んだ。磨理が死んで、大海は抜け殻になった。隼太のことも構わなかった。後悔はある。構ってやるべきだった。父の恩讐から守ってやるべきだった。全ては、もう終わったことだ。大海自身も狂気に蝕まれた。磨理のいない世界は地獄だった。今、ようやく磨理の魂に再会出来た。それがなぜ、阻まれねばならない? 雪は降り続ける。大海の睫毛にも雪はつき、凍りついた。許せない。磨理を奪う者。磨理との時間を損なう者。

 大海は天を仰いだ。雪が降りしきる天を。この雪は、円筒を埋め尽くさんばかり。長い胴。これは蛇だ。白蛇だ。大海はそう〝規定〟した。思いの強さは呪術の強さを呼ぶ。


東山(ひがしやま)つぼみがはらのさわらびの思いを知らぬかわすれたか」


 紗雪が息を呑む。それは本来、蛇の害を受けない為の咒歌(じゅか)だった。大海はその使用法を独自の解釈で捻じ曲げ、紗雪の呪術を破ることに適用したのだ。激しく降り注いでいた雪はピタリと止み、静寂が訪れる。紗雪が軽く吐血する。呪術を呪術で破られたのだ。それなりの反動はある。大海は勝ち誇った素振りもなく、天を変わらず向いていた。その唇は、磨理、と儚く動いた。



咒歌は『日本呪術全書』より。

当作品に出てくる呪術の知識全般は『日本呪術全書』に依拠しておりますが、アレンジしているものもあります。

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