壊れ物は壊さない
大海は庭に立ち、上空を見上げていた。よく出来た結界だなと、麒麟のものも長老たちのものも感心する。麒麟の結界は守りが強く、長老たちの結界は虜とするに強い。但し、出られないと言うものでもない。無理を押せば出ることは叶うだろうが、確実に結界を張った本人にそのことは知られる。言わば逃亡の予防線だ。そして虜とする人間を選別している。その内に自分も含められていることを大海は察知していた。
「お前でどうにか出来るか」
「無理だね」
庭に降り立ち、隣に立った隼太に答える。
「お前にこそ、どうにか出来るんじゃないのかい」
大海の指摘を、隼太は軽く笑った。
「俺は術師じゃない」
「でも、磨理の子だ。呪術が不得手だとも、僕は思わないよ」
「あちらとは年季が違う。あれをどうにか出来るのは菅谷の奴らくらいだろう。もしくは九倉だが」
「悲しい恋をしているね」
「ん?」
「気づいてないのか。なら、良いんだ」
「……お前は敏いのか鈍いのかよく解らない」
それは自分にも同じだ、と大海は思った。九倉の双子の秘めた想いは知れやすいものかと考えていたが、隼太の反応を見るに、どうやら違うようだ。
「心には 千重に百重に 思へれど 人目を多み 妹に逢はぬかも」
そっと口にした万葉集の和歌を聴いた隼太は、数秒、思案する顔だったが、すぐにそれをさらりと流した。そうと見て取り、大海は逆に、この息子に双子の禁じられた想いを知らしめてやりたくなった。子供の意地にも似ている。隼太の紫陽花色の襟首を掴み、引き寄せる。
「九倉の子たちは帰らないほうが良い」
「何が言いたい」
瞬時、目を瞠った隼太だが、すぐに冷静に切り返す。
「先祖返りだ、あれは。昔、濃い血縁でも男女は結ばれていた。彼らは踏襲している。力も、想いさえも。本気になれば、いつでも出て行ける。結界さえ、恐らくは破って。それをしないのは、出来ないからじゃない。したくないから、ここに留まり続けたいからだ。きっと、言い訳が欲しいんだ」
「――――そうなのか、九倉」
大海は、背後に立つ由宇にその時になって気づいた。薄い微笑。少し寒くなるような。大海は長い年月を生きている。そんな感覚に今更襲われることが脅威だった。由宇は微笑を浮かべたまま、天を仰いだ。その右手が上方に動く。一つ、動作を行っただけで、長老の結界は僅かだが揺らめいた。それは大海の言葉の裏打ちだ。
「そんなに僕たちは判りやすいでしょうか」
「安心しろ。俺は今、知った」
「そうですか。でも、ことさんや聖さんも、もうご存じのようだ」
その時、柱時計が十一時を知らせる鐘を打った。
ボオン、ボオン、と、その音はやけに大きく響く。
「お前の色恋なぞどうでも良い。好きにしろ。だが、あの結界は目障りだ。破れるものならとっとと破れ」
「隼太」
「らしくないぞ、大海。何を同情している」
「同情じゃない。僕も、父さんには磨理との結婚を散々、反対されたんだ」
「それを同情だと言っている。それに、お前と母さんと、こいつらとでは場合が違う」
「その通りよ」
そこに並ぶ男三人は、揃って術師の素養、体術の心得があった。その彼らが、たった一人の女性に虚を突かれた。
奈苗が縁側から下りた所に裸足で立っていた。白いノースリーブのワンピースは、どこか厳かで、彼女に巫女のような威風を纏わせていた。彼女は真剣な面持ちだった。凛然として立つ。手を伸ばした。指先は震えている。由宇が動いた。奈苗の手を握り、躊躇わず抱き寄せる。
「結界を壊して? 兄さん」
「壊さない。あれは僕らの砦だ」
「遅いか早いかの違いよ……」
「尚のこと、壊さない。僕は奈苗との時間を一秒でも長引かせたい。もし、僕たちのことが父さんに露見すれば、僕たちはそれぞれ隔離・幽閉されて自由に会うことも出来なくなる」
「…………困った兄さん」
奈苗が由宇の胸に顔を埋める。隼太は白けた顔だった。
「そうした問題なら音ノ瀬ことに押しつけろ。お節介のエキスパートだ。そうだろう?」
私は、奈苗と客間まで来た。途中、話し声がして奈苗が庭に降り、この状況となった。勝手を言ってくれると思いつつ、私は隼太の言葉に首肯した。
「いざとなれば私が出雲殿からの盾となりましょう。安心してください」
元よりその存念だ。
だから由宇たちが望むなら、結界はそのままでも良い。奈苗が狂おしい声で兄さん、と何度も呼び、由宇は妹を抱く腕に力を籠めた。
和歌の意味:心では幾重にも幾重にも思っているのだが、人目が多いのであの娘に逢えないことよ。
万葉集。




