世界の終わりを告げる鐘
髪をまとめずさらりと背に流し、縁側に座す。釣忍が夏の風を伝える。横に奈苗が座った。私が貸した浴衣を着ている。奈苗はそのまま、私の肩にこつんと頭を預けてきた。月桃香と彼女の髪の匂いが絡み合う。
「どうされました?」
甘やかす声音で問い掛ける。
「何でもない。何でもないわ、ことさん。只ね。蜃気楼を追いかけてる気分になるの。時々」
私は黙って彼女の髪を撫でた。少し波打つ、黒より明るい色。背負うものの大きさも、秘めた心の重さも、私には計り知れない。奈苗はこんなに細い、華奢な身体で、今までを耐え忍んで来たと言うのか。虫のすだく音に、夜更かしの蝉が混じっている。空は晴れていて星がよく見えた。
「聖さんのこと、いつから好きだったの?」
「憶えていません。きっと、物心ついた時からもうずっと」
「素敵ね」
由宇。
由宇を今、ここに呼びたいと思った。切実に。
貴方の大事な人が、貴方を恋うて身を焦がしている。
けれどそれは禁忌に加担することになろうか。では、禁忌とは?
人の幸せを阻む禁忌とは、人を害することを戒めることでこそあれ、そうでないものをがんじがらめに縛りつけることではないだろう。
私は、奈苗の髪を撫で続けた。素直な髪だ。まるで本人の気質のよう。
「奈苗さん」
「なあに」
「どうしようもなくなったら、音ノ瀬を頼りなさい」
「……」
「ふるさとであれば、ご兄妹二人、暮らすことも容易でしょう」
奈苗が星空を見上げる。澄んだ瞳が思うところは定かではない。
「駄目よ。兄さんと私は、九倉の跡継ぎだもの。放り出すことは出来ない。いずれ兄さんは然るべき名家の娘と結婚する。それは私も同じ。同じで……いなけりゃならないの。何でも殺すわ。この責務を果たす為なら。例えそれが己の心でも」
遣る瀬無い思いが込み上げる。由宇も奈苗も、何も悪いことをしてはいないと言うのに、まるで二人は罪人のように心の中では項垂れ、下を向いている。
「いざとなれば、私が出雲殿に掛け合いましょう」
「それだけは止めて」
間髪入れずに奈苗が言った。
「父さんは、まあどうでも良いけど、母さんを悲しませたくないの。優しい人よ。くるくるよく動いて、楽しそうに家事をして、私たち家族の世話を焼くの。世界の終わりを告げる鐘の音を聴かせたいだなんて、誰が思う?」
私には解らない。奈苗と由宇は、今まさに、世界の終わりを告げる鐘の音を聴いている最中なのではないか。
「伊勢は鮎。出雲は鱸ってね」
「え?」
「朝廷への献上品。昔のね。ねえ、ことさん、解る? それだけ、由緒と歴史ある家柄なの。私と兄さんで台無しにする訳には行かないのよ」
「――――すれば良い」
「え」
「台無しにすれば良いではありませんか。昔から人は紆余曲折を経て営みを連綿と続けて来たのです。貴方たちが想いを押し殺さなければ通らない道理など、蹴散らしてやれば良いのです」
「……驚いた。ことさん、結構、過激ね」
「余り聖さんに近寄って欲しくないのも本音ですよ」
「正直ね」
目を軽く瞠った奈苗が笑い声を上げた。奈苗に語ったことは私の真実だった。彼らが望みを遂げると言うのであれば、いくらでも後押ししようと思う。そしてこんな時ばかりは、自分がそれなりの力を保持していることに感謝するのだった。




