砂糖菓子はすぐに溶ける
磨理が生きていた頃のことを、僅かながら憶えている。優しい女性だった。隼太を慈しむように抱き締めた。世界に怖いものなど何もないと思えた。やがて、永遠だと思っていたその腕が消え、父の育児放棄、祖父による呪いが隼太の性格を捻じ曲げるのにそう時間は掛からなかった。砂糖菓子のような時間はあっと言う間だ。
隼太は左足の上段蹴りを落とし、その小刀を椎名の手から浮かせ、代わりに自分がその柄を掴んだ。素早く椎名の後ろに回り、首に刃を押しつける。
「確かに殺すほうが楽だな」
「……」
「いっそ。このまま一思いに掻っ切ってやろうか」
嘯くが、声に出してみると、それも悪くない気がした。
しかし。
「どおりゃあどおりゃあどおりゃああああ」
モーニングスターをぶん回す撫子の乱入に、気を取られた束の間、椎名は縛めから逃れて自由の身になり、煙のように消えた。結界かもしれない。隼太には探知出来ない。
「ご無事でしたか、隼太君!」
「……ああ、助かった」
「いえいえ、どえっふっふっふうう」
私が芳江と駆けつけた時、隼太とご機嫌の撫子が立っていた。
「隼太さん。ご無事で良かったです」
「椎名はうちが撃退しましたでえ、こと様!」
「流石、撫子さん。お手柄です」
「どえっふっふう」
「ほんまかいな。撫子、隼太君の邪魔したんとちゃうやろな」
まさにその通りだと、隼太が目で物を言っている。何となく、それまでの流れが判った気がしたが、私は撫子の機嫌に水を差すことを避けた。
「うちがそんなことするかいな。さながら王子の如く、隼太姫を救い出したんやで」
隼太は沈黙している。無表情から、何かしら疲労困憊の空気が伝わる。彼が撫子を苦手とすることを、私は察していた。
家に帰ると、何事も無かったかのように夕食が湯気を上げて待っている。待機組だった面々が、私たちを見るとほっとしたようで、さあさあ、と箸を勧める。今年も冬瓜のそぼろあんかけの季節になった。ほくほくと食べる私は、隼太から状況説明を聴き、それに相槌を打つことも忘れない。
「ご自身を囮にするのは、もうお止めください」
これだけは苦言を呈しておく。隼太はビールを飲む手を止めて、目線だけこちらに向けた。
「今後の進展次第だな。椎名を押さえれば芋づる式に長老共も釣れるだろう」
枝豆と紫蘇と、合い挽き肉の入った餡がとろりと冬瓜を包んでいる。口に含むと極上の舌触りで、淡泊ながらしっかりした味わいが広がる。
「長老たちはこちらが待っていても来るでしょう。麒麟さんたちの助力が必要となります。貴方は勝手に動かないように」
「知るか。俺は俺で好きにやるさ」
「……」
私はぐびぐびとビールを飲み、苛立ちも一緒に呑み込む。これだからスタンドプレイが好きな男は。蒸して薄切りにした南瓜を、ヨーグルトとマヨネーズの混じったソースにつけて食べる。甘味と酸味が合わさりさっぱりと美味しい。撫子と芳江がそんな私たちをちらちら見ている。この関西組は、雲行き怪しい雰囲気の時は、隙あらば漫才を仕掛けて来ようとする。
「ことさん、そろそろご飯をつぎますか?」
楓が絶妙なタイミングで訊いてくれたので、うんうんと頷く。茶碗に盛られた白米の艶の良いこと。これらのご馳走の前で、これ以上の険悪な話題は無粋であろう。私は食事を続けながらそう結論付け、その後、関西組による漫才は結局、始まったのだった。




