小さな饅頭
奈苗と由宇がうちを訪問したのは、それから二日後の週末だった。影ではなく、実体である。麒麟と昴も同席し、音ノ瀬側では私と聖、秀一郎の顔触れだ。由宇はやはり大島紬で、奈苗も鶸色の訪問着を着ている。改まった話し合いの席なのだと、目に見えて知れる。麒麟たちは、もう少し砕けた服装だ。
「僕たち出雲は音ノ瀬殿に就くこと、ここに表明しておきます」
長い漆黒の髪を後ろで一つにまとめた由宇の口調は、静かで揺らぎがなかった。
「俺たち菅谷もことちゃんたちに就くと言うのは、もう大前提なんだけど」
「出雲殿は本当にそれで良いと? 三席の座も、危うくなるでしょうに」
私の問いに、由宇は首肯した。
「はい。そもそも、長老たちのなされように得心がいかない、ということで」
「由宇さんと奈苗さんは。九倉家の次代を担うのは貴方たちでしょう」
由宇と奈苗の視線が交わり、離れた。
「父の意見と同じく。父は今回の件を契機に、僕たちに九倉の全権を譲る存念のようです」
私は庭を眺める。夏らしい陽光が眩しく緑に降り注いでいる。
「心強いです。長老たちの拠点は京都にあるようですが」
秀一郎が私の言葉を受けて継ぐ。鼈甲ぶちは黙っていても、いるだけで存在感があるけれど。
「上賀茂あたりかと。九倉さんたちにはもうご承知でしょうが」
由宇が顎を引いた。
「僕たちも上賀茂神社近辺を調べておきます。……本当に聖さんを供物にしようと言う考えなら、悠長にしていられません」
「うちの麒麟も危ないからな。一つ、頼む」
昴が兄らしく頭を下げる。
「はい」
奈苗が、俯いた。先程から気になっていたが、顔色が悪い。
「奈苗さん、大丈夫ですか」
さ、と由宇が動いた。奈苗の額に手を当てて、愁眉になる。
「熱があるようです。ことさん、申し訳ありませんが、横にならせてやっても構いませんか」
「すぐに部屋を準備します。まずはこちらに」
「ありがとうございます」
由宇がひょいと奈苗を抱え上げた。病弱でも、大人の男性の腕力である。奈苗が慌てた様子で動く。
「兄さん……」
「良いから大人しくしておいで」
「恥ずかしいわ、聖さんも見てらっしゃるのに」
「そう」
由宇は奈苗の苦情を素っ気なく一蹴して、案内した私の部屋に奈苗を運んだ。由宇は奈苗の帯を解くと、後はよろしくお願いしますと言って退室した。帯を解くには力が要る。流石の気遣いだった。私は奈苗を肌襦袢だけの姿にして、ガーゼケットの下に横たわらせた。着物は、見るに優美だが着るには忍耐するものがある。今の奈苗はだいぶ楽になったように見えた。熱もそうだが、貧血もあるのかもしれない。聴いた話では、貧血が元で微熱が続くこともあるらしい。出雲殿の名代を担い、病弱な兄に付き添うには、相応の負荷があっただろう。
「……ごめんなさい、ことさん」
「いいえ。水を持って来ます。楽になさってくださいね」
私が客間に姿を現すと、手持無沙汰にしていたらしい男性陣の視線が集中した。
「貧血から来る発熱かもしれません。水を持って行きます」
「重ね重ねすみません、ことさん」
「いいえ。この際ですから、うちに泊まられては。部屋数だけはありますし」
隼太にはよく言って聴かさなくては。
聖の赤い目が由宇に向く。由宇も聖を見つめ返す。何か、二人だけの符牒がそこにあるような気がした。
「旅館も予約してありますし、これ以上のご迷惑は」
「いえ。どうぞお気になさらず」
「…………ではお言葉に甘えて……」
私は笑みを見せて台所に行き、飲料用の水をインクブルーの茶器に注いだ。盆にその茶器と、一つ、晒し餡の入った白い小さな饅頭を置く。聖が台所に来た。
「ご兄妹をお泊めになるのですか」
「聴いた通りです」
「そう、ですか。僕もそれが良いと思います」
聖らしくない、煮え切らない物言いだ。
私は知らなかった。聖は知っていたのだ。双子の兄妹の間にある、明かされない秘めた物語を。部屋に戻ると、奈苗は弱々しい笑みを浮かべた。庇護欲をそそる。水を美味しそうに飲み、饅頭を食べると、仄かに血の気が戻ったようで安心した。釣忍の音が聴こえた。しかし、その時の私にはその音色を読み解くことは困難だったのだ。




