胎内巡り
私は湯に浸かり、さっぱりして上がった。夕食は控えめに摂り、縁側に、子供のように体操座りをする。今は煩雑なことを考えず、夏の宵を味わいたかった。
「こと様。お身体は大丈夫ですか?」
「はい、聖さん」
答えても尚、疑うように私を凝視するので、私は微苦笑してしまう。ポンポン、と自分の隣を叩き、座るよう促した。
「空気の澄んだ良い晩です。もうすぐ熱帯夜になるのでしょうね」
「ええ」
「上賀茂神社と来ましたか……」
結局はそれに触れてしまう。正式名称は賀茂別雷神社。世界文化遺産であり、山城国一之宮でもある。敷地を流れる清流はならの小川と呼ばれ、和歌にも詠まれている。私も京都に行った折り、足を浸して涼を得たことがある。
「私の体調が整い次第、行きますか」
「それには及びません。もうすぐ、和久君たちも来てくれます。精鋭で京都に向かうのが良いかと」
「最も狙われているのは、ウサギさん、貴方なのですよ」
聖が軽く笑う。
「大丈夫ですよ。僕が大人しく囚われの身になるとお思いですか」
「…………」
「こと様?」
「盆が、来ますね」
「……はい」
両親たち、そして流した子の初盆だ。私は頭を聖の肩に傾けた。薄く樟脳の匂いがする。それは月桃香の白煙の中、主張控え目だった。
「寂しい思いをさせるかもしれません」
「僕は、今のままで十分に幸せです。こと様は、僕や楓ちゃんたちだけでは足りませんか」
私がいればそれで良いのだと、聖はかねてより声を大にして主張してきたではないか。聖の左手に、右手を絡ませる。指と指が触れ合い生まれる熱は優しい。夜の虫が歌い始めた。釣忍が気紛れに鳴り、種々の知らせをもたらす。
「こと様は音ノ瀬一族の母でもおられます。貴方を慕う人は多い。音ノ瀬一族以外からも。貴方が、貴方でいてくださる限り、僕はどんな高みにでも飛翔続けられる気がするのです」
「私は、聖さんがいてくれたから孤独になり切らずに済みました。聖さんがいてくれることに、どれだけ支えられているか」
独りぼっちと独りぼっちで、二人ぼっちにようやくなれて。涼風が吹く。柔らかい。釣忍がひと際大きく鳴った。秀一郎と千秋の声がした。鬼太郎の声も。他、音ノ瀬一族たちの、大勢の声が聴こえた。私と聖の会話を、風が彼らに運んだのだ。そして、彼らもまたコトノハを処方して風に乗せた。そのコトノハは一様に、私を励まし、支えるものだった。コトノハの波がわんわんと押し寄せて、庭の草木をも揺らさんばかりの勢いだ。私はコトノハの膜に包まれた。それは私を寸毫も傷つけず、柔軟で温かい。胎内とはこのようではあるまいか。
私は、もう十分だ。十分に恵まれている。亡くした赤ん坊に詫びよう。母を許せと。母の幸福を許しておくれと。いつの間にか楓やかささぎたちが縁側近くに来ていた。
「えらいコトノハの波でしたね」
「姉さん、愛されてるね」
「どうやらそのようです。私も、皆が大好きです」
風に乗せて彼らにコトノハを返す。大好きだ。私は、持てる力の全てを以て、彼らを守りたい。笑顔であって欲しい。私は、楓の細腕を引いて腕に閉じ込めた。
「愛しています」
「うん。知ってる」
楓の体温が愛おしい。だから私が泣く必要はなかった。撫子や、楓が代わりに涙してくれたから、私は落涙の必要がなかった……。




