もう帰れない
いつ、式が襲来するか解らないと言う日々の緊張感が、私たちに重くのしかかっていた。麒麟の結界があるので、容易くうちに入り込むことは出来ないだろうが、万一、それを掻い潜ると言う可能性もあるし、また、迂闊な外出も控えられる。特に聖は常以上に慎重であることが求められた。買い出しなどは撫子たちが請け負ってくれる。聖を始め、私、大海、隼太は籠城にも似た境遇だった。柱時計が午後六時を知らせる。あたりはまだ明るく、夏と言う季節を知らしめる。私と聖は並んで縁側に座っていた。もう随分と長いこと、そのようにして過ごして来た気がする。これからもきっと同じようでありたいと私は願う。その時、私の脳裏に、するり、と何者かが入り込んだ感覚があった。美しい、瑠璃色の小鳥が桜の枝に留まっている。
先に動いたのは聖だった。
「縛」
鳥は、そのコトノハを避けるように飛び、聖に接近した。これが瑠璃雀か。私は念の為にと脇に置いていた日本刀を抜刀した。しかし、この瑠璃雀のすばしっこさは相当なもので、あちらに現れたかと思えば、次にこちら、と言うように捕らえることも斬ることも困難だ。コトノハさえ避ける芸当は、敵ながら大したものだと言えた。赤が閃く。瑠璃雀の嘴が鋭利な刃となり、聖を傷つけているのだ。私は平静ではいられなくなった。
「土につけよ。鳥よ」
強力なコトノハを処方する。するとそれまで縦横無尽に飛び回っていた瑠璃雀が、重力に押さえつけられたように土の上に伏せた。聖の、コトノハ処方を強力にする作用も効いてのことだ。撫子たちもやって来て、厳重に瑠璃雀を縛り上げる。鍋島緞通の上に置かれた瑠璃雀はぐったりとして、如何にもか弱そうな小鳥の様を見せている。何も知らない人間が見れば、可哀そうにと縛めを解いてやるだろう。
「さて。これが人間であれば口を割らせる方法もあるのですが」
劉鳴殿が顎に手を当て物騒なことを言う。抗議するように、ぴいぴい、と瑠璃雀が鳴く。紅玉の双眸に怯む気配はなく、寧ろ尚一層、凍てつくようだ。
「お前はもう、主の元には帰れない」
囁く、私のコトノハは強い効き目がある。瑠璃雀が観念したように微動させていた羽を止める。
「何、食べるんですやろ」
「米?」
「勿体ない」
その時、丁度、景と新居の物件を観に行っていた摩耶が帰って来た。何を呑気なと言うなかれ。私が勧めたのだ。客間の様子を見て、目を丸くしている。
「どうしたの?」
「例の、瑠璃雀です」
「ああ。何だか可愛いわね」
その、一瞬の気の緩みが命取りになった。瑠璃雀は〝摩耶のコトノハを逆利用して〟縛めを断ち切った。ぱっ、と明るい赤が散り、摩耶が昏倒する。聖が瑠璃雀を捕らえようとするが、その手をすり抜け、瑠璃雀はまんまと自由の身になり、縁側から外に飛んで行った。
「摩耶さん!」
「……大丈夫よ、景君。少し、額が切れただけだから」
「癒」
私は素早くコトノハを処方する。女性の顔に傷が残ったらことだ。景の切迫した顔に罪悪感を覚える。遅れて来た隼太と大海が瑠璃雀の逃げた方角を見遣る。
「行き場所が判るかもしれないな」
「え?」
「お前たちのコトノハの匂いがついているだろう」
両目を眇めて、隼太はこともなげに言った。結界を通過してしまえる式であれば、朱狐も金熊も、瑠璃雀以上に警戒しなければならない。私は僅かに震える息を細く吐いた。
「差し向けた相手のところには行きませんよ。コトノハをそのように処方してしまいましたから」
「現在地が判れば、捕らえて、陰陽師に逆探知で炙り出させれば良い」
「正しいと思います。次に来る相手への、対応策も練られるかもしれません」
聖が隼太の主張を支持し、客間のざわついた剣呑な空気は、ひとまずそれで落ち着いた。




