瑠璃雀
聖の髪を手櫛で梳く。夜、二人の寝室であればそんなことも羞恥なく出来る。私のウサギさんは目を閉じて心地好さ気だ。虫の音が聴こえる。
「僕は供物にはなりませんよ。姉さんにも注意するよう伝えておきます」
私の危惧に気づいていたらしい。目を開けて、聖が私を見ている。宥める眼差しに安堵するような、少し悔しいような複雑な気分だ。
「真葛さんの元に一族から数名、遣わします。まだ相手の出方が解りません。慎重を期してください」
「心得ております」
聖を供物にすれば、私の片翼をもぐことにもなる。長老たちがその気であれば一石二鳥だ。私たちは、どちらからともなく枕元に置いた盆の上の湯呑みを取り、梅昆布茶を飲んだ。聖を喪うことは耐え難い。あの一度きりで十分だ。二度目の僥倖はない。私は既に過ちを犯している。ぐう、と鳴ったお腹に、私は脱力した。なぜ、こんな重大事を考えている時に。緊張感がないにも程がある。
「空腹ですか。確か、冷蔵庫に生クリーム入りのドーナツが」
「嫌ですよ。太ります」
「体重が落ちておられるのですから、少しくらいは良いでしょう。持って来ます」
聖は立ち上がり、部屋を出てしまった。少しして戻って来た彼の手にはマグカップとドーナツが置かれた皿。牛乳も持って来てくれたらしい。気が利く。まあ、良いか。いそいそと私はドーナツにかぶりつく。夜の甘味という背徳感が堪らない。甘いクリームがもったりと私の口中に広がる。聖が、そんな私を微笑んで見ている。その時、りんりん、と鈴の音が鳴った。虫とも釣忍とも異なる音色。結界の警戒音だ。要注意を知らせる音に、私と聖が構える。寝室には変化が起きていた。壁に、誠の姿が投影されている。うちは千客万来だ。
「誠さん、どうされました」
「瑠璃雀に気をつけろ」
「瑠璃雀?」
「長老の放った式だ。音ノ瀬大海、隼太、聖、そしてあんたを狙っている」
「真葛さんは。供物として狙っているのでは」
「男か?」
「女性です」
「知らない。恐らく数に入っていない。長老たちが求める供物は陽の気だ。陰の気である女は除外して良いだろう」
「……長老たちの本拠地の詳細をご存じですか」
誠は首を振る。左耳のピアスがきらりと光った。
「俺は知らない。二重三重の結界がじいさんたちの居場所をくらませている。当分は防衛に徹したほうが利口だ」
「俺は姫君よろしく囚われる積もりはないぞ」
術の匂いを辿ったのか、駆けつけた隼太が皮肉を言う。撫子たちも来た。こちらは私たちを心配してのことだ。誠は至極冷静な視線を隼太に向けた。
「積もりのあるなしを斟酌する相手じゃない」
「そうやってすごすご引っ込んでいる訳か。負け犬が」
「隼太さん」
言い過ぎだ。誠も流石に顔をしかめた。
「忠告はした。これでも俺は、親切な積もりだ。負け犬でも何でもな」
「有り難うございます」
私が礼を言うと、誠は頷き、そして彼の姿は壁から消えた。その場の空気は、隼太を咎めるものとなっていた。唯一人、大海だけが大きく伸びをしながら欠伸をしている。彼には今のような一幕も些末事らしい。
「こと様、大事ないですか?」
「大丈夫です」
「口元にクリームつけてはります。後でよう歯磨きしてくださいね」
「…………」
威厳が。今まであったかどうかも定かではないが。私は口元を拭う。瑠璃雀とは美しい名前だ。確かルリスズメダイという魚がいた筈だが、それとは全く関係ないだろう。誠の訪れと警告で、狙われている人間が誰かは判った。私も数の内らしい。再び二人きりになった寝室で、聖の双眸が懸念を宿している。自分が狙われるより、余程に切迫した様子だった。
次回で一章完結。今日中に開局するかもしれません。




