千把こきにしごかれる
ベランダからの風に吹かれていた隼太がくっ、と咽喉奥で笑った。その肩に留まっていた烏の隼太が小首を傾げる。ソファーに座っていた大海も、そんな息子を見た。風は湿り気を含んでいる、一雨来るのかもしれない。
「音ノ瀬が面白いことを考えているらしい」
「面白いこと?」
「お食事会だそうだ」
「ああ……。三席、争わず仲良くしましょ?」
「そういうことだろうな」
大海が隼太の前にコーヒーを置く。自分は蜂蜜入りのホットミルクだ。
「磨理が心配するんじゃないかな」
隼太の探るような視線が大海に向かう。今、この大海はどこまで正気だ?
「母さん自身には能力はなかったんだよな」
コーヒーを一口、飲む。
「うん。磨理は至って普通の女性だった。結婚する時に、伊勢の遠縁と一度だけ会ったことがあるけど……。術師ってみんなあんな感じなの?」
「あんな?」
ホットミルクをちびちび飲みながら大海が頷く。
「コトノハが上滑りしてるって言うか。そもそも、コトノハの真偽が聴き取りにくい。不思議な感じがしたな」
「好感触?」
「いや、僕は苦手だった。磨理の遠縁だから表面上は取り繕ったけどね」
隼太の紫陽花色のコートが、湿気を含んで色合い濃くなったように見える。大海の話を吟味しながら、隼太は、この父親にも〝取り繕う〟などと言う芸当が出来たのかと興味深く考える。繕えなくなったのは、いつからか。磨理を喪ってからか。
「今、会ったらどうなる」
「別にどうもならないよ。磨理が生き返る訳じゃなし」
「……」
これは正気のほうの大海だ、と隼太は判断する。烏の隼太が、があ、と鳴いて、慰めるように今度は大海の肩に留まった。
「隼太、食事会に行きたいの」
「まさか。面子は面白そうだけどな」
ことり、と大海が、頭を横に傾ける。烏の隼太が留まってないほう。
「お前が嫌なら僕が行こうか」
「苦手なんじゃないのか」
「流れが気になるんだろう。僕の出席であれば、あちらもそう無碍には出来ない」
大海は外を向いて泣き出した空を眺めた。
「千把こきって知ってる?」
「何だ?」
「稲や麦の穂をこく為の道具だよ。鉄片を櫛の歯のように並べて、それに稲穂を引っ掛けて籾をしごき落とす。磨理がいなくなってから僕はあれに身体をしごかれてるような気分だ。今更、多少の好き嫌いは言わないよ。どうでも良いしね」
どうでも良い。
大海にとって、磨理のいないこの世は、事実としてそうなのだろう。隼太は温くなったコーヒーを飲み干した。
「……直に蛍の季節だ。暗闇に、光が飛び違う。夏の夕暮れは涼風を孕んでいる。秋は樹々が紅葉する。冬は雪の結晶が舞い踊るだろう。それが過ぎると春だ。桜が咲く。お前は、そんな世界も全て、嫌なのか」
「美しいね。今、隼太が語った世界は美しいよ。けれど磨理がいない。それは、僕にとって許容すべからざる空白なんだ。残酷な空白だよ。絶望だ。お前がいなかったら、僕はとうにそんな世界には見切りをつけていた」
「俺がいてもお前は逃げようとした」
「うん。そうだね。……ごめんよ」
「話はつけておくから、音ノ瀬にはお前が行け」
空気を切り替えるように隼太が言い、空のカップをテーブル上に置いた。隼太は大海の逃げを許さなかった。その結果、大海は今も尚、苦しんでいる。だとしてもあの時、花屋敷と共に大海が燃えなかったことは、幸いだったと思っている。




