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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第五章
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凝固

 花屋敷で休息を取り、隠れ山を下山する頃には日暮れが迫っていた。

 予め呼び寄せておいた一族のコトノハ使いたちに後事を託し、私たちはコトノハで一息に家まで飛んだ。秀一郎の車は一族の者が回収してくれる。

 帰宅すると風呂を沸かし、楓と私、俊介らの順番で入浴を済ませた。

 男たちは作り置きしていた夕食の主菜をがつがつと平らげたが、私と楓は掻き玉汁で胃を温め、白菜と林檎のマヨネーズサラダを少し食べ、赤紫蘇と枝豆を散らしたお粥をゆっくりと(ちり)蓮華(れんげ)に掬って口に運んだだけだった。


 誰もが無言だった。

 それぞれに負った傷と痛みがあり、口を開いて刺激することを避けた。

 花屋敷にいる間、私は聖たちに隼太との話のあらましを伝えていた。

 聖も秀一郎も俊介も何も言わず、ただ私に、似た色合いの心宿る眼差しを送った。

 私はその一切を無視した。


 その晩、私は楓を抱いて傷つき合った獣の親子のようにして眠りに就いた。

 この温もりがあって、生を得たと思いながら。

 少し痩せた楓の肩が哀れだった。

 なぜか楓には両親のことを話せないまま、長い一日が終わった。



 翌日の午後、昨日そのまま本家に泊まった秀一郎と俊介は、聖の部屋で午後の陽を浴びていた。寒さが和らぐ時間帯だった。ことと楓はまだ寝室で静養している。楓は発熱もしていて、ことがずっと隣に寝そべり寄り添っている。

「ことさんの――――もとい、音ノ瀬隼太の話をどう思う?」

 訊かれた聖は、室内を向いて出窓に腰掛け、伸びた白髪に手を遣った。

 部屋の隅をカメムシに似た虫が這っている。寒さを避け室内に避難してきたのか。

 秀一郎と俊介は気にせず、六畳間に胡坐を掻いていた。

「君は偽りがあると思うのかい?」

「いや。そうじゃなく」

「ことさんは嘘を聴き逃しませんよね。秀一郎さんの言いたい話、解る気がします」

 控えめに口を挟んだ俊介は、以前より落ち着いた物腰を備えていた。

 面やつれはあるが、無精髭もさっぱりと剃り、思慮深さが漂う。

 赤い瞳が促すように彼を見る。

 白い影が陽光に縁取られ、相変わらず神さぶている。

「事実を巧妙に隠すことと、嘘を言うことは違います。つまり、音ノ瀬一族ならではのコトノハの抜け穴を使い、まだ音ノ瀬隼太が隠している事情もあるかもしれない。そういう話です」

 聖が唇に手の甲をあてがう。

 一挙一動に感じられる彼特有の風格が、肉体年齢を重ねることで増したようだ。

「さて。僕はそこまでの裏を彼がまだ持つとは思わないけれど。音ノ瀬隼太は存外に率直な気性だ。御当主に対して、そこまでの小細工を弄する必要があったかどうか。近く、改めて一族の重鎮列席の上で御当主が尋問されるだろう。そうまで張り巡らされた細かい網の目から、彼が逃れられる術は無いよ。まして、コトノハを封じられた身の上だ」


「ことさんは、御両親を亡くされていたんですね……」


 三人の中で最も表情の出やすい俊介が、拳を握り、俯いた。

 聖は答えずに美装のランプを見上げ、秀一郎も俊介を眺めるだけだった。

 コトノハを処方する人間は、あえて表情を乏しくしているようだと俊介は常々思う。


「花屋敷に音ノ瀬隼太たちを置いておく訳にも行かないから、今は近隣の一族の家に預けてある。住人はコトノハの、処方の手練れだ。隠れ山とは別に監禁されていた音ノ瀬聡子嬢と音ノ瀬潤君は無事に救出された。衰弱しているが命に別状は無い」


 秀一郎が事務的な口調で告げる。


「そう。表向き、先代当主たちを除いて、死者はいなかったことになる……」

 聖も同じようにして呼応した。

 それは、裏では洩れ喪われた命があることを示唆しての会話だった。

 俊介も了承している面持ちだった。

「俺はこれで一旦、帰宅します。事務所のほうにも顔を出さないと、いい加減、面目が立たないし」

「そうか」

 俊介の言葉に、秀一郎が返事をして聖は頷いた。




「待ってください」


 六畳間の襖を開けて、彼らの前に私は立った。

 桔梗柄の浴衣に半纏を羽織った、些か締まらない恰好だが。

「ことさん。起きて大丈夫ですか」

「大丈夫です。それより……俊介さん。誰より貴方には、礼と詫びを言わねばなりません」

 そう言って正座し、深く頭を下げる私に、俊介は慌てた。

「危険に巻き込み、ご自身が大変な状況にありながら、楓さんを守り、励まし続けてくれたことに感謝します。音ノ瀬一族の業の為に、また、当主である私の不始末の為に、貴方には大変な迷惑を掛けてしまいましたことを」

「いえ、そんな」

 俊介が両手をばたばた振っている。

「お詫び申し上げます。そして我が一族は俊介さんに大きな恩が出来ました。俊介さんが危急の折りには、必ずやこの恩をお返し致します。音ノ瀬当主の名に懸けて」


 私より高い所にはいられないので、聖も畳に降り、秀一郎の隣に座った。

 俊介は畏まって礼を尽くす私を、ぼんやりと見つめた。

 少し寂しそうな目で。

「……俺が、助けたかったのは、ことさんです。偉い一族の御当主様じゃありません。……だから俊介って呼んでくれるようになっただけで、十分に嬉しいです、ことさん」

「恩を売っておかないとあとで後悔するよ、俊介君」

 にやりと笑って茶々を入れたのは秀一郎だ。場を和ませる為に。

「欲が無いな。君は」

 聖もそれに倣うようにくすくすと笑った。


 俊介と共に秀一郎も帰宅の途に就き、また私と楓と聖の三人住まいになった。

 聖も、いつまでもふるさとを留守には出来ないだろうに。

 彼が留まる理由を察しながら、私は甘えている。


 寝室に眠る楓の様子をそっと窺うと、午前中より健やかな寝息を立てていてほっとした。

「ん?」

 襖を閉めると、いつの間にやら懐かしい白蛇の姿があった。

 円らなこの目とも久し振りだ。

「……ただいま。無沙汰をした気がするな」

 誰かによく似た赤い瞳が、物言いたげに尚も私を見る。

 沈黙。

 白蛇は喋らないので、物を言うなら私しかいない。

 何かを促すように私の手の甲に頭を擦りつける。

 そして彼に何を促されているのか、私には解っている。

 沈黙。


 泣けとごとくに。


 襖に手を添えたまま、私は微笑した。

 恐らく同じことを望んでいるだろう、赤い瞳の持ち主を想いながら。


「すまない。だがまだ私は、泣けないんだ――――……」


 私の胸の中で、何かがつかえたように、両親を想い泣く涙を堰き止めている。

 花屋敷では、大海や磨理に同調して泣けたものを、ここに来て自分の悲しみの為に手放しで泣くことが出来なくなった。

 何も言わないものの、聖も私が泣くのを待っている。

 泣いて悲しみを浄化することを。

 けれど人の心とは不思議なもので。


 涙さえ、思うようには流れぬ時があるのだ。

 泣ける要素にどれだけ満たされていても。

 昔、ふるさとの川原で拾った石に封じ込められていた、葉っぱの化石のように。

 悲しみの凝りが私の深くに沈殿してしまっている。







挿絵(By みてみん)







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