紫のワインは幸福の味
朝夕の寒暖の差には閉口するが、季節は明らかに晩春から初夏へと移行しつつあった。衣替えの時期である。着物に風を通し本を虫干ししていたら、一日などあっと言う間に過ぎる。幸いなことに人員は豊富だったので、私は彼らの手助けを得て、年間行事を成し遂げた。夜はちょっとした慰労会になった。寿司の出前を奮発して、上等の日本酒と白ワインを開ける。白ワインと言っても、色は紫という変わったワインだ。作り手の妻が紫を愛する人なのだそうで、愛を感じる。夕方には恭司も駆けつけ、楓の隣を占める。止むを得ない。
ふるさとにいた頃は、またこのような日々が戻ってくるなどとはとても思えず、日々をぼんやりと、鬱々として過ごしていた。帰宅が叶ったのは、聖たちの尽力のお蔭である。どうしてかなでまでちゃっかりいるのか知らないけれど。食と酒に関する彼女の嗅覚は猟犬並みだ。
賑わいを見せる客間の横、広がる夜の闇の中、ジーーーー、と虫の声がする。それから夜気に混じる水の気配。緑と月桃香の入り混じる匂いが、酒などの匂いを搔い潜り、鼻腔に届く。そうすると私は、帰って来たな、としみじみ感じるのだ。ふるさとの夜はもっと闇が濃くて、清涼だった。
秀一郎と俊介もいる。
二人は朗らかに喋り、余計なことを言わないが、私をひどく案じてくれたであろうことは想像に難くない。密やかな謝意が胸に湧く。コトノハにしたら壊れてしまうものもある。
私は雲丹といくらが好きなのだが、皆がこぞって私に自分の取り分を進呈してくれ、何だか悪いような気になる。美味しいから遠慮なく頂くけど。コレステロール値は正常範囲内だ。
芳江と撫子が漫才を繰り広げている。皆が笑っている。景も笑っている。良かった。私のことが嫌いでも良い。笑っていてくれたらそれで良い。心の底の底から、私は私の幸福を思わずにはいられない。赤ん坊を亡くしたことは、一生、死ぬまで忘れないだろうけれど、私は不相応なくらいの宝を得ている。彼らが、子に等しく尊く愛おしい。私は、大切な人たちを守る為なら、もっと頑張れる。元気を出せる。大海が気掛かりではあった。けれど彼を振り向けば、取り戻したものをまた失うだろう。あれから隼太から電話があった。
〝大海は大丈夫だ。お前は療養に専念しろ〟
らしからぬ気遣いに、少し驚いたが、隼太はこういう時に思い遣りの嘘を吐く男ではない。だから大海が無事と言うのは真実なのだろうと思い、私は隼太の言葉に従った。隼太は最後に済まなかったと言った。何が済まなかったのか、よく解らない。解らないなりに、大丈夫ですとだけ答えたら沈黙された。私は虚勢を張った訳ではなかった。あの時、私は日向に出つつあった。述べたのは正直な心情だったのだ。今でも同じように言える。癒えたから。何が幸で何が不幸なのかは、その人の裁量に掛かっている。




