天に弓を引く
聖は、ことを戦塵から遠ざけようと考えた。ふるさとにいればそれが可能だ。かたたとらコーポレーションも白夕たちも、ここまでは追って来ないだろう。だが、その猶予もいつまでか。自分や劉鳴たちがいれば、戦力としては事足りる。今はことを、穏やかな空間で休ませてやりたかった。
真葛に知らせると風のように駆けつけた。何よりも一大事と思ってくれたらしい姉の気持ちが、聖には有難かった。気丈な姉が、ことのいる部屋から出て来た時、目を腫らしていたのを見て、聖も遣る瀬無かった。とにかく、ことに休養と滋養を最優先で与えるべしという意見は、姉弟も劉鳴も一致していて、三人は団結してことを守り、世話をした。
風が白夕のコトノハを運んだ。
ことの状態を承知した上で、ことが本家に戻れるまで一時休戦とする、という内容だった。白夕の寛容さは聖の思ってもいなかったところで、荷が少し軽くなった。真葛は、聖のことも気遣った。洗濯物を二人で干している時。
「貴方は大丈夫なの?」
シャツをパン、と鳴らしてハンガーに吊るし、竿に掛けながら言う。空の青が儚いように透き通っていた。風が、洗濯物と、真葛と聖の白髪を揺らした。
「僕はこと様がいればそれで良いから」
「愚問だったわね」
「こと様が、僕の子を宿してくれたことが、そもそも奇跡のように思えるんだ。僕には、きっと過ぎた幸せだったんだ。……でも、こういう時、ショックが大きいのは父親よりも母親だろう。こと様のお気持ちを考えると、どうにも」
「そうね……」
きっと、ことは自責の念でも苦しんでいるのだろう。なぜ、と真葛は思う。宿業を背負いつつ、人に惜しまず与えることが、尚、追い詰められなければならないのか。これが天の采配と言うのであれば、真葛は天そのものを恨む。
本家では、景がようやく、落ち着きを取り戻しつつあった。頃合いを見て、摩耶はことの一件を景に話した。景は、思慮ある眼差しで摩耶を見た。
「摩耶さん、大丈夫ですか」
景に宛がわれた部屋で、二人は向かい合っている。摩耶の綺麗な顔が、景の一言でくしゃりと崩れた。彼女は景に抱きついた。摩耶も、ことの流産には衝撃を受けていた。平気な振りを装ったものの、愛する人の前では素顔が出る。景はしっかり摩耶を受け止めた。泣きじゃくる彼女の髪を撫で、沈黙して、こうする為にもこの家に戻って来られて良かったと考えた。
白い夜着で縁側に出ると、劉鳴殿が来て、私の肩に丹前を羽織らせ、隣に腰を下ろした。交わされるコトノハはない。今も私は、どこかしら、ぼう、とした心持ちでいる。裸足のまま、縁側から庭に降り、歩こうとすると劉鳴殿に止められた。手を掴み、やんわりとした力で引き戻される。
「名前を、考えたりしました」
「……」
「亡くしてから気づいたのに。変ですよね」
「いいえ。少しも」
いつもは陽気な劉鳴殿が、今は真面目な顔をして、唇を引き結んでいる。そんな顔をされては、冗談の一つも言えないではないか。言える気力もないが。
「ことさんはまだ若い。これからを見て生きなさい」
劉鳴殿のコトノハは、沁みない傷薬のように、私の心をそよと慰撫した。




