無免許
音ノ瀬本家にことが不在らしいということは、アーサーたちにもすぐに知れた。とすれば、ことの命の代わりであるネクタイピンを守る聖も、不在ということになる。
「ふるさと?」
アーサーは聴き慣れない単語を耳にした。日本語の単語としては知っているが、固有名詞とするには漠然とした呼び名だ。一色は頷いた。二人は会社の休憩室でコーヒーを飲んでいる。
「ああ。音ノ瀬一族の、聖地のような場所らしい。元々、音ノ瀬聖の管轄だとか」
「なら、そこを急襲すれば良いんだな」
「いや、そう簡単な話でもない」
「どういうことだ」
一色は紙コップの中の焦げ茶に視線を落とした。
「聖地ゆえに辿り着く人間は稀だと。基本的には音ノ瀬一族以外は受け容れない場所だそうだ」
「つまり、俺たちが行っても辿り着けない、と」
「そういうことになる」
アーサーはコーヒーを飲み干し、小首を傾げた。
「なぜ、音ノ瀬ことは、そんな場所に籠った? 籠城なら本家で十分だろう」
「そこまでの情報はない。……余程、切羽詰まった背景があるのか」
「本家に戻るまで待機か?」
「恐らくは」
「また持久戦だな……」
空の紙コップをくしゃりと潰して、アーサーは溜息を吐いた。
景がうちに来たと知らされた。
私はそれを夢現に聴く。惰性のように頷いて、彼は何をしに来たのだろう、と考えた。赤い切子細工を持っていたと言う。摩耶への献上物と言ったところだろうか。彼は、とても深く摩耶を愛している。
真葛は、優しい手つきで私の身体を清拭してくれる。腕を上げる時は、上げますよ、下げる時は下げますよ、と言って。瞳君から彼女を奪っていることが後ろめたい。しかし真葛は、私が帰宅を促しても頑として譲ろうとはしなかった。
「今、こと様のお傍にいなくて、いついると言うのです」
きつい口調ではなく、物柔らかに。幼子に言い聞かせるような声音でそう告げる。私は曖昧に頷いた。そこまでしてもらう価値が、自分に見出せない。私は子を殺してしまったのだから。けれど、それを口にしてはならないこともまた承知している。真葛たちを悲しませたくはない。開け放された障子の向こうから、鶯の鳴き声が聴こえる。だいぶ、上達したようだ。以前はまだ、たどたどしかった。また眠気が押し寄せる。最近、不安になるくらいに眠い。だが、聖も真葛も何の不思議もないような顔で私の現状を受け容れいている。桜茶を出された。塩漬けの桜が浮かぶ液体をゆっくり飲み、咽喉を潤す。時の流れが緩慢で、私はこんなことで良いのだろうかと不安にさえ思う。優しくされ過ぎている。そんな資格などないのに。




