泣きっ面ウサギ
ことはもう戻らないだろうと告げると、撫子と芳江、摩耶と恭司は揃って眉根を寄せた。ふるさとからの帰り。かささぎが悄然として、楓の顔は暗い。
「何でそないなこと言わはるんですか」
釣忍が鳴いている。泣いている。
人の感情が混じると、殊に感情を帯びて聴こえるから不思議だ。聖は言いたくなかった。告げる役割を、結果的に自分に託したことを、恨みさえした。けれど仕方ない。それがことの望みだから。
胸の激しい痛みは如何ともし難い。
「こと様は、音ノ瀬大海を置いて行けなかったんだと思う」
撫子たちの顔に、悲痛なような、憤るような表情が浮かぶ。劉鳴だけは無表情で、この家で唯一、沈着冷静だった。
「そのままにしておく積もりですか」
紅玉と紅玉がぶつかる。
「こと様は、そういう方だから。あの方が、どれだけの思いでふるさとを離れたか解るから。僕には、もう」
「情けないですね」
劉鳴は容赦なかった。一刀両断に切り捨てる。さらさらと雨音が聴こえる。洗濯物は、既に撫子たちが取り込んでいる。
「当主なくして何の本家か」
尚も、劉鳴が語気強く言い募る。叱責に近い声調だった。
「僕が楓さんを盛り立てます。かささぎ君と、恭司君も力になってくれるでしょう」
そう言って、聖は、綺麗に折り畳まれた和紙を取り出した。
「こと様の文机にありました。そのようにしろという、当主のご下命です」
劉鳴はその和紙を一瞥した。軽蔑に近い色が瞳にはある。その軽蔑はことや聖たちに向かうものではなく、予め、ことの心情を察してやれなかった自分に対してのものだった。大海の悲嘆を放っておけないとは、実にことらしい話ではないか。
「インスタントラーメンでも食べましょうかね。葱をたっぷり入れて、卵を落としましょう」
「そんな悠長な」
「拙速が尊ばれる状況ではないのですよ」
芳江に言って、劉鳴はさっさと台所に向かう。摩耶や撫子も、一瞬遅れでそれに気づいた。聖は、楓をどう慰めれば良いのか解らなかった。それはきっと恭司も同じだろう。オレンジの長袖シャツを着た恭司は、家の中を明るく照らすようだったが、彼の内実は途方に暮れていた。ぎこちない手つきで、楓の頭を撫でると、楓は堪らなくなったように、恭司に抱き着いた。
だからなのかな。
その光景を聖は見て思う。
楓を託せるくらい、恭司が成長したから。かささぎが戻って来たから。
だから、後顧の憂いなく、行ってしまったのだろうか。しかし、それでは余りにも、自分に対して酷ではないだろうか。大海が磨理の不在を嘆くなら、聖とてことの不在を嘆く。両者の違いか。大海には隼太しかいないが、聖には楓もかささぎも、撫子たちもいる。けれど、比較にならないのだ。聖にとってことは全てだ。大海にとっての磨理がそうであるように、掛け替えがない。
雨の湿気に混じって月桃香の匂いが揺らめく。釣忍はまだ泣いている。
(僕は、貴方から見て、そんなに強く見えましたか)
聖は縁側と外を隔てる硝子戸に五指を当てる。空の涙を数えるでもなく眺める。やがて劉鳴たちからラーメンが出来たと知らされるまで、聖はずっとそうして佇んでいた。




