我ら流浪
隼太と話をさせて欲しい、という私の頼みを聴いた聖の目が、僅かばかり、苦しそうに歪んだ。
その変化は微細なもので、私だから判ったのだろう。
揺れた紅玉のようだった。
よくよく見れば、濡れたあとらしい。
綺麗だが悲しい。
(……泣いたの?)
強い貴方が。
私の知る内でも最も強靭な心を持つ貴方が、涙するなんて。
私が倒れ、〝磨理でいた〟間、聖や秀一郎に何があったか、知ることは出来ない。
「こと様。……それは、御命令ですか」
「いいえ。お願いです。当主としての務めを隠れ蓑にした、狡い私の我が儘です」
赤い双眸が細まった。
聖はきっと知らないだろう。
私が一番、愛する色を。
澄んだ紅玉の赤だとは。
「僕にそこまでの人格者を期待しないでください。今すぐ、貴方に触れている男を引き剥がして、貴方の涙を拭きたいのに。貴方が思っておられる程、僕は清廉な男じゃない――――僕は、」
私も。私も、泣いた貴方を慰めてあげたい。
でも。
「私のウサギさんですよね」
私は卑怯なコトノハを心から煎じた。
愛する赤色が大きくなる。
「どんな貴方でも。聖さんは私のウサギさんです。ずっと」
例え私の為に黒く染まろうとした時があったとしても。
私は、大海の頭を撫でた。本来であれば白髪と化している筈であろう、黒い髪を。
磨理が生きていれば散髪して、整えてやったのであろう髪を。
「大海さん。少し眠りましょう。ね?」
「……嫌だ。眠れば君は、逝ってしまうだろう、そうだろう、……そうだろう!? 嫌だっ」
ぐずる子供のように、大海が頭をいやいや、と振った。
私は磨理であった時の、彼女の心を手繰り寄せた。
「――――貴方が大好きよ。大海。本当を言うとね? 最初は、何てとこにお嫁に来ちゃったのかしらって、思ったりもしたけど。貴方は素敵な旦那様だったわ。〝あんな父さんでごめん〟、って、時々、謝ってくれたりして。でも、お義父様のことだって、大海は好きで。……苦しんだりも、してたわね」
そう。大海は苦しんでいた。
父・音ノ瀬隼人の、戦争への異常な執着。
コトノハへの執着。自負。
音ノ瀬本家への反発、妬み。
それらを息子や孫にまで強いようとした在り様に。
嘆いていたから、磨理は、そんな大海を支えたいと願った。
傍で支え、励まし続けようと願い――――――――。
願い虚しく、病で果てた。
その無念。
「ごめんなさい、大海。ごめんなさい。……夢で、待ってるわ」
後半、強いコトノハを処方すると、大海の身体から力が抜けた。
私は複雑な表情で立っている隼太に呼びかけた。
「隼太さん。お父様を、休ませてあげてください。寝床まで運んであげていただけませんか。しばらくはゆっくり、眠れるように。その間、私はお茶を淹れて貴方をお待ちしています」
今度は、居並ぶ人間全員の視線が隼太に集中した。
その視線のいずれもが、刺すような鋭さでなく、どちらかと言えば穏やかで、労わる部類のものだった。
暖流めいた空気の中、隼太は異国に紛れ込んだ人のように佇んでいた。
そこだけ、温度差があるのだ。
長い流浪を、彼も続けていたのだろう。
(寂しかったね……)
その思考が、自分のものであるのか、磨理の心の残滓であるのか、私にも解らない。
沈黙のあと、隼太が進み出て、大海の身体を引き取った。背に被せるようにして、大海の左腕を肩に回し。
絨毯の上を、大海の靴がずるずると滑ってゆく。
毛羽立ちが作る細い蛇行の流れ。
聖も俊介も秀一郎も、黙って隼太に道を譲る。
「音ノ瀬こと。紅茶を淹れるならルイボス系以外にしろ。カフェインが強いのを選べ。俺は酒を飲む」
部屋と廊下の境近くで、隼太が背を向けたまま言う。
「それから、ガキは遠ざけとけ。教育衛生上によろしくない話を、聴かせたいのでなければな」
私は、まだ私に身を寄せたままの楓を見る。
……この子が私に向ける澄んだ目の得難さ。
短時間であっても、磨理として過ごしたあとだからこそ一層、沁みる。
「お気遣いに感謝します」
礼を言い終える前に、隼太と大海は私の視界から消えた。
「楓さん。私はあの人と大事なお話をしなければなりません」
「はい。……ひーくんたちと、待ってるね」
語尾が震えている。
楓の我慢が伝わる。
私は彼女を渾身の力で抱き締めた。
言葉が出ない。
――――この子もまた、流浪の子。
定かな根を持てず、彷徨っていた。
流浪の子が、流浪の人が、満ち溢れている。
道々に溢れている。
それら全てを掬い上げるコトノハなど無い。
だからせめてものコトノハなのだ。
行きずりに触れ合い心通わせる為の。
せめてもの、コトノハなのだ…………。




